フォー・ゲット・ミー・ノット(私を忘れないで) 3/9
―この少し前、ルクスディーヌ。
カッポ、カッポ、カッポ……
3頭の馬の背に揺られ、俺やヨルダン、そしてヴィーゾンが要塞の城門を潜る。
鎧防具に身を固め、俺はマスターヨルダンの盾を背に、武器や替えの鎧を馬に括りつけていた。
二人も姿はそれに近い。
ただしこまごまとした物は、俺が預かって持っている。
城門を抜けた先には、この5年でだいぶ見慣れた輝かしき世界が待っていた。
煌めく鎧帷子、輝く手甲に金色の拍車。
はためく色とりどりの鎧覆い……
門の向こうに広がる本館と呼ばれる大要塞の中は、もうすでに戦争の匂いが立ち込めていた。
目つきも鋭い野獣の様な男達、戦の匂いを嗅ぎつけ落ち着きも無く嘶くたくさんの馬。
何度立ち会っても昂揚するこの空気に、表情は自然と引き締まる。
……聖騎士団の説明をしよう。
聖騎士団……正式な名前は《聖バルザールの加護を受けた、剣を取りし聖別された者達の会》と言うのだが、誰もこんな長い名前で呼ぶ事は無い。
古い人間が聖バルザール騎士団、今風なら単に聖騎士団と呼ぶ。
ルクスディーヌの本部に所属する騎士の数は500。聖地で動員する兵力は優に2万を超える。
フィロリアの大国並みの軍事力と言っていい。
おそらくアルバルヴェと王国と規模が同じだろう。
騎士の内訳と、所属する騎士館を記すと。
ヴァンツェル騎士館の騎士は約150名。
ダナバンド騎士館の騎士もまた約150名。
アルバルヴェ騎士館が約100名で、同盟騎士館は80名となる。
加えて本館には他に20名の幹部騎士が所属している。
これが合わさると500名となる。
ただし、この500名を今回、全員動員できるのか?と言うとそう言う訳でもない。
聖地6王国全土に散らばった所領や、砦にも騎士は居るので、今ルクスディーヌに居るのは全体の約3分の1だからだ。
つまり現在すぐに動員できる兵数は、この騎士の数に比例して約5000~7000人。
そこから不穏な動きを常に見せる、サリワルディーヌ大神殿の抑えとして兵士を残すと、大体3000から5000人しか、テュルアクに向けて派遣する事が出来ない。
だがこれは騎士団の全軍か?と言うとそうでもない。
何故なら海外にもたくさんの荘園を持っており、そこに居る騎士の数は含まれてないからだ。
……正直騎士団の本当の全軍は誰にも分からない。
総長の招集命令を受けて、各地の騎士が兵士を集めてくるその時まで、おそらく誰も分からないのだろう。
ネットも電話も、無線機も無い時代。
遠見の水晶も、持っているのはごく僅かな人だけで、どうしようもない。
雑だと思われると思うが、そもそも正確な統計や、そして驚く事に集計を取っている人も少ないのが、世界の実情だった。
……話を要塞内に戻す。
『…………』
猛った騎士が傍にいる為、従士仲間も挨拶は無言で手を挙げるに留める。
俺もそれに倣って、知り合いの従士仲間に、手を挙げて挨拶をした。
そんな俺の前を行くヨルダンと、その愛馬ファボーナ。
その肩の向こうに見える、武器糧秣を大量に積んだ、並ぶ馬車の群れ。
やがて俺達はそれを横目に、騎士館の厩に向かう。
厩舎に馬を繋いだ我々は、騎士全員が集まる大聖堂へと向かった。
聖堂内を舞う振り香炉の煙と、甘い匂い。
そして遠くで歌われる、女神の栄光をたたえる美しき言葉。
石壁や、石畳に反響するその調べは荘厳で、それを聞くと戦いの前に持っていた邪念が消えていくのを感じる。
代わりに授かる、戦いへの決意、そして敬意……
今静かに胸に宿り行く、女神に対し、そして命を懸ける事に対しての大きな覚悟。
俺達は厳粛な空気の中で、聖堂内のあらかじめ我々に定められている、立つべき場所に向かった。
そして辿り着いた俺の目の前で林立する、多くの逞しい男達の背中の並び、それよりもほっそりとした、俺の従士仲間の肩……
その先に輝くステンドグラスには、傷ついたものを救うべく、その身を犠牲にして命を救った、我々の守護聖人聖バルザールが輝く。
「ヨルダン様、これを……」
年齢順に参列して居る騎士の後方に並んだ歳若の主に、俺は鎖で編んだフードを渡す。
受け取った彼の頭を鎖のフードが覆い隠し、それを見て俺やヴィーゾンも鎖のフードで頭を覆った。
俺は背負った盾を体の正面に、肩から革ひもで吊ったまま前に持ってくる。
そして自分が騎士の盾持ちであること示して、騎士ヨルダンの左に立った。
ヨルダンの右にはヴィーゾンが立つ。
……時が過ぎた。
やがて鐘が厳かに鳴り響き、その音を聞きつけた要塞内の戦士達が、それぞれ大聖堂内に入室する。
そして、2度目の鐘が鳴った後、大聖堂の扉が閉められた。
やがてそんな我々を睥睨するべく、副総長が正面の壇上に上がる。
それを見て一斉に人々は沈黙し、そして直立の姿勢を示す。
その様子を見回した副総長が叫んだ。
「気を付けぇー、足開け!」
その声に促され、金属音を立てながら全員が一斉に動く。
ザッ、ガチャッ!
一糸乱れぬ我々を見回し、副総長は次に「捧げー、剣!」と叫ぶ。
決められた動作で腰から剣を外し、鞘に納めたまま右手で胸の前に持つ我々。
「捧げ剣、敬礼!」
次の言葉で我々は鞘に着けたまま剣を、左回しで剣を回転させ、前方斜め上に切っ先を向ける。
副総長はそれを見ると頷き一歩下がった。
そして彼の代わりに総長が現れた。
聖騎士団総長、名はデアメア・グラディオ。
ダナバンド人だが、聖別をした際、祖国を捨てて聖騎士団に忠誠を誓う為に、これまで名乗っていたエスタート・スベタニアと言う名前を捨てて、この名前に改名したという逸話がある。
齢52歳の筋骨隆々(りゅうりゅう)とした男で、叔父貴のドイド・バルザックよりも歳が若い。
しかし誰しもが認める勇敢で、逞しく、そして決して折れない心を持っている。
その力量は確かで。前総長が死去し、新たな総長が選ばれる際、騎士館長全員が、デアメアを、新総長に推した。
皆と同じように鎖帷子のフードで頭を覆った総長は、壇上から我々を見下ろすと、威厳のある声で言った。
「剣を下げよ」
その声に従い、決まった手順で剣を下げた我々。
剣先を石畳に、そして両手で柄を握る。
「帯剣せよ、諸君」
その声に従い、腰に剣を再び吊る聖堂内の男達。
吊り終わった者から順に、気を付けの姿勢を取る。
その際立つガチャガチャとした音が鳴り止むのを総長。
やがて聖堂内は、再びシンとした静けさを取り戻した。
聖堂内を包む振り高炉の煙と、荘厳なる静寂……
そして長い時間が経つ(たつ)……
人は沈黙を恐れるとは、演説を得意とした独裁者の言葉だが、本当にそうだと思う。
俺はこの長い沈黙の中で思った。
彼はなぜ我々を見るのか、そしてなぜ我々に何も語らないのか。
総長の振る舞いで、胸に不安が満ちていく。
やがて、満を持して彼は口を開いた。
「諸君、テュルアク帝国が軍を集めたとの知らせが舞い込んだ。
敵の数は数万にも及ぶ。
だが彼らはいずれの要塞も落としておらず、そして我々には100年もの間に築かれた、72もの要塞がある。
そのいずれにも勇敢なる我らの仲間が詰めており、敵の来るのを、今か今かと剣を研いで待っている。
恐れる事は何もない、テュルアクは且つて、初代総長クリオン・バルザックに敗れたあの遊牧民に他ならないからだ。
あの日クリオンは、わずか3000の手勢を率いて突撃し、自身の倍ともなる敵を唯の一撃で持って破り去った。
彼等の鎧は脆く、そして聖甲銀で身を覆う事も知らなかった。
あれから彼等も賢くなり、聖甲銀で身を覆う術を身に着けたとされるが、我々とて剣の腕を磨き、そしてその軍勢を何倍にも増やした。
クリオンの時代では、剣と言えば力任せに振り回すばかりで、今の様に理を詰めたモノでは無かった。
それにもかかわらず、我々の先人たちは勝利したのだ。
幾年も積み重ねた戦いの妙味は、我々が積み重ねた強みであり、あの日には無かった武器である。
今再び我々に、身の程を知らない奴らが挑戦しようとも何を恐れる事があろう?
これまで積み重ねた修練の結果を出すのは今この時……
私はココに言明する。
私は、女神フィーリアの栄光の為に、魂を捧げる覚悟がある!
お前達に聞きたいッ。
お前達も私に続いてその魂を捧げる覚悟があるのかッ!」
俺達は手甲で胸を叩きながら『オウッ!』と一斉に答えた。
「声が小さい!天にも届く声で私の問いかけに答えよ。
その魂を捧げる覚悟があるのかッ!」
この瞬間全員がより大きなで『オウッ!!』と叫んだ。
その声を聴き、満足げに頷いた総長デアメアは俺達に告げた。
「ダナバンド騎士館、そしてヴァンツェル騎士館の騎士はこれより直ちに出発する。
騎士の集結に時間がかかるアルバルヴェ騎士館と、同盟騎士館は引き続きルクスディーヌの守備にあたれ」
『…………』
ガッカリしたというのがこの場合正しい。
俺や、ヴィーゾン、そして誰よりヨルダンの胸に納得できない思いが去来する。
隣に居てそれが痛いほど分かった。
あの演説を聞いて心を盛り上げ、そして敵の前に連れて行ってくれると思った俺達。
この総長の言葉に我慢が出来ない同盟騎士館の騎士が、失礼を承知で壇上の総長に言った。
「総長、差し出がましいようですが同盟騎士館の騎士も出撃に加えてください。
必ずあなたに後悔はさせません。
お願いします、我々も敵と戦わせてほしい」
この言葉を聞き、しかめっ面を浮かべて睨みつける副総長の横で、総長は微笑んだ。
「騎士ラグルド、あなたの言葉は私に大きな喜びを与えた。
アナタを私の軍にぜひとも加えたいがそれは出来ない。
何故なら敵は国境だけではなく、このルクスディーヌの中にも、残念ながら居るからだ。
それを抑えるためには、各要塞に散ってしまい、今はまだ数がそろわぬアルバルヴェだけでは不安がある。
ラグルドの様な思慮深い男に、我々は我々の本拠地である、この要塞を任せたいのだ。
不満はあろうが、私は同盟騎士館に重要な任務を任せるつもりである。
いずれは同盟騎士館も引き連れて、戦場に赴く日が必ず来る。
だから今日は引き下がってくれ」
『…………』
総長直々(じきじき)にそう言われては、騎士ラグルドも、そして他の騎士も引き下がらずにはいられない。
……何故か悔しくて、やるせなくて涙が零れる。
俺はダナバンド人や、ヴァンツェル人よりもうまくやれる自信があるのに……
唇を噛み締める俺にヨルダンが小声で囁いた。
「泣くな、ラリー。男には耐える事が必要な時がある……」
「承りました、マスター……」
俺はそう言って鎧覆いの肩の部位で、自分の涙を拭った。
そんな俺達に、ヴァンツェル人の副総長が得意げになってせせら笑うように微笑み……
あの野郎……いつかぶん殴ってやる!
「ラリー……」
その様子を見て、思わずヨルダンが俺の名を呼んで嗜める。
……この人顔の真横に目が付いてるんじゃなかろうか?俺が奴にガンを飛ばしたのをすぐに見分けた様ですよ。
思わず目を伏せて、副総長から視線を切る。
『…………』
目線を再び壇上の総長にあげると、なぜか総長は俺の方に顔を向けていて……
あれ、バレた?まさか、そんな……
ふと不安になって横のヴィーゾンと、ヨルダンの方に目を向けると、なぜかヴィーゾンが噴き出しそうな顔で……
いや、まぁ……大人しくしていよう。
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