未だ名も無き貴公子 2/4
―同日、ルクスディーヌ
「やっと帰って来たー」
アマーリオがそう歓喜の声を上げて、館の中に入った。
帰り着くなり早速、両開きの扉を大きく開くアマーリオ。
彼はストッパー代わりに使っている製材所で貰った木の切れ端を扉と床石の間に挟んだ。
そしてそれを横目に、お姉様はヒラリと馬の鞍上から飛び降り、そして俺はお疲れのダーブランから馬具を外す。
俺は早速、外されたばかりの馬具を持ち、館の玄関付近の石段の上に並べる。
汗の匂いと埃で汚れた馬具を、日陰干しにする為だ。
手が空いたら、馬具の手入れもしなきゃな……
馬具から解放されたダーブランは軽くなった背中が嬉しいのか、辺りを気ままに歩き回り、庭の草を食べ始めた。
俺はその傍らで、荷車の上の荷物を持って家の中に入る。
アシモスも同様だ。
こうしてアマーリオも含めた男衆で、荷物を家の中に入れると俺達はくたびれ果てて、それぞれソファーに身体を投げ出した。
「疲れたぁ」
アマーリオがそう言うので俺は「ああ……」と頷く。
そして疲労でぼんやりとした頭で(帰宅した事を、主であるヨルダンに挨拶がてら報告に行かないといけないなぁ)と考える。
あ、いや。俺は謹慎中の態だったな。
謹慎明けによろしくお願いします、と言う挨拶じゃないとおかしいか?
そう、ソファーの柔らかい布の上で、自分を甘やかしながら考えていると、空気を読まない男、アホのアマーリオが言った。
「ラリー、今晩ご飯何?」
「…………」
……いや、気持ちは判るよ。
だけど俺達疲れているって判ってんじゃん?
なんでお前はそう言う事を平然と言えるのかなぁ……
何だろ、絶対こいつと結婚しないわぁ。
こんな気遣いのできない夫は嫌ですわ。
……いや、出来ないけどね。
それはそれとして、今晩は料理を作りたくないなぁ……
「魚がおいしいレストランに行こうか……」
俺がそう言うと、レミちゃんが「あの味がしない干し鱈のスープの店か?」と聞いてくる。
「え、何そんな店があるの?」
傍で聞いたアマーリオが声を上げた。
するとレミちゃんが答える。
「ああ、ラリーと再会した時、ご飯を奢ると言われたのでついて行った。
美味しいと言えば美味しいが、味の薄いスープだったぞ」
「あんだよ、アイツ女にだけそう言う店に連れて行くのな……」
アマーリオはそう言って、いつもの様に不満をブーブーと言い始める。
イラっとするわぁ、コイツ。
思わず俺はアマーリオにつっけんどんな口調で言い放った。
「アルバルヴェ料理の店だよ。
ヴァンツェル(オストフィリア)の連中、は香辛料が効いてないアルバルヴェの料理嫌いじゃん。
それともアマーリオは、薄味の料理が好きなのか?」
ていうか、男と言うか、なんでお前に俺が奢らなきゃならんのさ?
この様にトゲトゲしい思いを抱えていると、アマーリオにもそれは伝わる。
奴は機嫌も悪そうに目をヒクつかせ、俺を見ながら「そんな不味そうな店に、俺達を連れて行こうって言うのかよ」と……
なんだと、テメェ!
くっそ、この口を開けば不満ばかり垂れるアホのアマーリオめ、やり返しのつもりか?
そもそもお前ら(アシモスとアマーリオ)は料理が出来ないから、俺とレミちゃんの食事に割り込んでくるんだろうが!
それなのに、いつも偉そうに……
「まぁ、エルワンダルの料理よか不味いよな、アルバルヴェ(の料理)って」
これを聞いて、プッツン……と、俺の頭の血管が切れた。
「ああああアンッ。舐めとんのかこの野郎!
その不味いアルバルヴェ料理を、いつも美味そうに食っているのはどこのどいつだ!
今度からは自分の食い物は自分で作れよ!」
激怒した俺がそう叫ぶと、レミは「アハハハ」と、楽しげに笑った。
お前もじゃ!と言いたいがそこは堪える俺。
するとアマーリオは料理をしたくないのか「いや、ラリーの料理は美味いんだよ」と、露骨なフォローを入れる。
俺はこれ以上コイツの話を聞きたくはないので「とにかく今日は各自勝手に食ってくれ、俺は作らない!」と言い渡し、外へと向かった。
「どこへ行く?」
レミがそう聞くので「マスター(騎士ヨルダン)に、帰宅を報告してくる!」と答えた。
するとレミも「ならば私も行く」と言った。
「いや、一人で……」
コイツも同罪だ!と、とばっちりがてら、そう思っていたので断ろうとすると、レミちゃんが零れるような笑顔で言った。
「私ラリーの料理好きだぞ。
いつもありがとう」
「……あ、うん」
そう言うと、彼女はさっさと玄関に向かって歩き出し……
あ、うんまぁ……一人じゃなくてもいいか。
……なんか、可愛かったし。
こうして二人して孤児院へと向かう事になった俺とレミちゃん。
こうして俺は2週間ぶりに、通りを僅か3つ隔てた、ヨルダンの孤児院に赴いた。
「皆元気かな?」
道中、不意にレミがそう声を上げたので、俺は思わず「皆って?」と、尋ね返す。
「マスカーニ達。
ラリー達が居なくなると、ルッカとモリソを連れて、いつも館の方に遊びに来る」
「えッ、なんで?」
「走り回るのに良いそうだ。
あとお前の木剣で木人を叩いているぞ」
それを聞いて俺は眉をしかめて首を振った。
「そう言うのは早めに教えて貰わないと。
マスカーニが怪我したら、俺がアイナ様に叱られるじゃん」
「剣を教えてやったらいいではないか」
「……うちの流派だと、剣を教えられるのは剣士免状持ちからだ。
武装免状持ちだと、剣術学校を開けません」
「何も剣術学校を開けだとは言ってない。
子供たちに剣を教えたらどうか?と言っているのだ。
話を曲げるのは感心しないな……」
まぁ、確かにそうか。
彼女の言う事にも一理あるので、空を見ながら俺があの子たちに剣を教える姿を想像してみた。
するとそんな俺にレミが言う。
「教わるのもそうだが、教えるのもすごく勉強になる。
少なくとも魔導はそうだ。
剣術はそうじゃないのか?
基本を見つめ直したり、ここが難しいから工夫をするのか……
と言った新しい発見を持ったりと、教えたことで逆に教えられることも多いと思う」
「なるほど、一理ある……」
「一理あるって……偉そうに」
俺の物言いになんか噛みつくお姉様。
彼女と連れ立って、俺は孤児院に辿り着いた。
そして腰をかがめて通用口に入る。
そんな俺の背中に、レミは「マスカーニは剣を習いたがっていたぞ」と声を掛けた。
「じゃあ、それはマスターに相談するよ」
俺は少しだけ振り返りそう答える。
彼女はウンともスンとも言わず、俺の後についてきた。
『ああ、ラリーちゃんだぁ!』
敷地内に入るなり、早速孤児たちがワラワラと俺に群がる。
『レミちゃん。レミちゃーん』
レミも俺と同様に、子供たちに迎えられた。
「どこ行っていたの?」
「ああ、アマーリオの仕事を手伝っていたんだよ」
「謹慎中じゃないの?」
「謹慎しながら、手伝っていたんだよ」
俺がそう言うと、子供たちはどっと笑った。
「それよりマスターやヴィーゾンは居るの?」
『居るよ、執務室に居る!』
子供達がそう言って執務室の部屋の窓を指さした。
ここでふと振り返って、レミの方に顔を向けると、彼女の耳元でマスカーニが何やらヒソヒソと話しているのが見えた。
「あれ、内緒話?」
俺がそう尋ねると二人は顔を見合わせ、そしてレミは俺に早速「秘密だからこっちに来るな!」と……
どうしてこの人は、こういう言い方が好きなんでしょう?
「はいはい、分かりましたよ。
どうせ俺はのけ者ですよ」
俺がそう言うと、この言葉につられて子供達と、レミ姉さんがどっと笑った。
……はぁ、俺は女子供に甘い。
舐められてるよなぁ、判っちゃいるんだけどなぁ……
溜息を吐きながら俺は、怒る事も無くコイツらを放っておいて、執務室に向かった。
さて、向かう最中にこの孤児院の様子を少し説明する。
気は良い男なんだが、とんでもないケチであるうちのボス。
エルワンダル人の騎士ヨルダン・ベルヴィーンが建てた孤児院は、中々(なかなか)豪華な造りをしている。
彼は俺の給金を無しにして、代わりに屋敷と、様々な技術を俺に授けてくれているのだが。
逆に言うと、そうまでしてでも作ったお金を、この孤児院に注ぎ込んでいた。
その為此処の子達は身なりもしっかりしているし、ご飯もしっかり食べている。
だからだろう、あまりこの孤児院には、他の孤児院でみられるような、卑屈な子供はあまり居ない。
しかも此処の子は読み書きだってできるし、ここを出たときになにがしかの仕事につけるように、教育もされてもいる。
この様に、自分に与えられた荘園からの収入を、惜しげも無く孤児院に使うヨルダン。
どうしてココにこれ程のお金をつぎ込むのか良く分からないが、うちのボスはこの孤児院を大切にしていた。
……たぶん彼が坊主だからだろうと、俺は勝手に思っている。
信心深いに違いない。
そんなヨルダンは孤児院に併設されている、事務所棟兼住居ともいうべき場所に住んでいた。
そして此処に、俺が目指す彼の執務室がある。
……さて子供達に主の居場所を教えて貰った俺は、執務室に向かう近道を通るべく孤児院の中に入った。
ココを突っ切っていくのが一番早いのだ。
茶色の壁が続く孤児院の中を歩き、子供たちが至る所に彫り込んだ牛やら、馬やらの形をした傷を確認する。
……本当にアイツ等、壁に落書きをするなっ!て言っても聞かないな。
あ、この落書き、ダーブランそっくり。
その隣に吊り目で怒っている怖い男の子が……
誰やっ?ここにラリーって書いた奴!
くっそぉー、世間じゃ俺はこんなイメージではないんだぞ!
……いや、こんな感じ?
ま、まぁいいや。
後で皆に言って聞かせよう、ここに落書きしちゃダメって……
特に人の名前を彫るのは良くないぞ、ウン!
こうして俺は目ざとく増えた、落書きをチェックしながら、この建物を抜けて事務所棟に入る。
事務所棟は剣やら鎧やら、武具が整理されて積まれており、危ないからマスカーニ以外の子供が入って来る事は禁止されている。
マスカーニが来る理由は単純で、ヨルダンの身内だからだ。
伯父に会いに来たと言えば、ココに入れる。
因みにマスカーの親友である、ルッカとモリソも一緒になってここに来ることがよくあった。
そんな事務所棟の中は、武骨なソードマスターヨルダンらしい質素で飾り気も無い、素朴な造りになっている。
……孤児院とは対照的だ。
俺はこの事務所棟の奥にある、執務室を目指し、廊下を歩く。
やがて執務室が見えてくると、その扉の向こうからヨルダンとヴィーゾンの声が漏れ聞こえてきた。
「本当なのか?本当に、あのリザードマンが……」
「ああ間違いない、奴は死ぬ間際……
エルワンダルの歌をフィロリア語で歌っていた」
「信じられない……勘違いとかは無いのか?」
「ガキの頃から何度も聞いた“錆色の海”の歌詞を間違いないさ」
「ヴァーヌマの追手か……魔物まで使っているとは」
彼らの話を聞きながら俺は(ヴァーヌマって誰だ?)と首を傾げる。
とにかく俺はこの執務室の扉を叩いた。
いつもありがとうございます。
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