閑話、パパさんの悲劇、王様の企み
家族関係とは難しいもので、親が良かれと思ってやったことも、なかなか息子の同意は得られないものです。
……大国アルバルヴェ、この国の多くを思うがままにできる、偉大な権力者もその限りではありません。
彼が住まう立派な王宮の奥まったところにある、家族が住まう居住空間。
そこで偉大なるアルバルヴェの英雄王ホリアン2世は、そのような悩める親の一人であることを物語っております。
「父上、私は嫌です!
絶対にダレムの別荘にはまいりませぬ!」
王は繊細そうな表情をした、自分と似ていない美しい顔立ちの息子に、全力で拒否されていた。
「何を言っているのだ!
お前はこのまま引きこもりみたいな暮らしを、続けていけると思うのかッ。
私は絶対にそのようなことは許さないからな!」
「別荘に行かなくても引きこもりにならないと思います」
「いいや絶対になる!」
「なりません!」
「いいや絶対になる!なるに決まっている!
そうなる前に私はお前を叩き直すのだっ!」
父ホリアンの話を聞かない様子に、息子は涙を流し、頭をふるって「いやだ、いやだぁぁぁぁ」と絶叫した。
まだ6歳の男の子ではノーマルな反応の一つではあるだろうが、ホリアン王にはそれはたまらなく不愉快で無礼な、王家の人間にはあるまじき振る舞いに見えた。
……彼は激怒する。
王はすかさず息子を上からかぶさるように抑え込み、そのままおしりをバシッ、バシッ、と叩き始めた。
その痛みで息子が大きな声で泣きんだ!
……その時である「王よ、何をされているのです?」と誰かが王の背後から声をかけた。
ホリアン王が振り返ると、苛立ちを隠さない一人の修道服を着た老婆が、眉根を不愉快そうにヒクヒクと動かしながら二人の様子を見ている。
思わずギョッとなった、ホリアン2世は慌てて声を発した。
「は、母上……
いったいいつからそこに?」
老婆はホリアン2世の母親で、前の王后レリアーナである。
彼女は思わず黙る息子を鋭い目で見据えると、ツカツカと歩いて息子と孫の間に立ち、孫かばうようにして王の前に立ち塞がった。
……黙って、ばつが悪そうに退くホリアン2世。
現れた庇護者に泣きすがる、王の息子。
孫の頭をやさしく抱え込み、老婆レリアーナは言った。
「王よ、あなたを私はそのような人に育てた覚えはありませぬ……」
「母上、私は息子をたくましく育てる……」
「お黙りなさい!」
ホリアン王は黙ってびくっと肩をすぼめた。
彼はこの世で唯一、母親にだけは頭が上がらない。
……母には恩があるのだ。
母の言葉は静かに、そして威厳を含めて続く。
「陛下、よくお聞きください。
あなたの父親、すなわち私の夫は、あなたの粗暴な一面を良くは思いませんでした……」
「母上、またその話ですか、でしたら……」
「いいから聞きなさい、ですが私はあなたに英雄王になれる素質があると思い、決して見放しはしませんでした」
「分かっています、分かっていますし感謝もしておりますが、それを今言う事は……」
「いいえ、分かっていただきたいのは、家族を打つという愚かしさです。
私は常に王の味方でありましたこれまでも、そしてこれからもです」
「は、はい……ありがとうございます」
王は(ソレとコレとでは、話が関係ないじゃないか……)と思ったが黙った。
彼女は恩着せがましい人なのである。
「夫はあなたがあまりにも粗暴なふるまいをするので、一度は王太子の座から降ろそうとすらいたしました。
それを私が必死になってとどめたのです。
あなたは私がおなかを痛めて産んだ子。
私には……私にはあなた以上に愛おしい存在は他に無かった」
「あ、ありがとうございます。
私もお母様のことを……」
「血を分けた我が子を叩くなんてなんと嘆かわしい。
私は決して陛下に対し、そのような事はしなかったのに。
いったい誰に似たのか、私が間違えたというのか……」
「そ、その様な事は無いですよ……」
「陛下、間違っていたらおっしゃってください。
……私はあなたを叩きましたか?」
「い、いえ。私は叩かれたことはありません。
代わりにいつもグラニール(パパさん)が叩かれておりました」
「グラニールの事は聞いてません。
私はあなたを叩いたかどうかを聞いているのですっ!」
切れた母親の怒りに、思わずたじろぐホリアン2世。
黙ったホリアン2世に母は言った。
「これはフィオリナ(ホリアン2世の妻で王妃)とも話し合って決めたのですが。
今回フィラン王子を山荘に連れて行くというなら、必ずフィランが行きたいというまで連れて行くのはおやめください」
「なっ!そんな……」
「いいですね?」
「いいはずがない、私はこの国の国王である!王の決めたことを……」
「ならば王子は私が預かります!
修道院に入れます!
二度とあなたに会わせませぬっ!」
「な、なな……」
「私はあなたがお困りの時、必ずあなたの味方をしてまいりました。
それなのに……このような仕打ちを」
「ま、待ってください。
そんな昔の話をですね……」
「あんまりです陛下、私は子供の育て方を間違えた……」
そういうと目頭を押さえて「うっうっ……」と泣きじゃくり始めたレリアーナ前王妃。
実の母親に泣かれるという事態に、頭を抱えた王は、何と言って良いか判らず、ただただ周りを見回すだけである。
こんな時にグラニールがいれば押し付けるのだが、残念ながら今はいない。
レリアーナは、ことさらにかすれた涙声でボソボソと「ああ……早く夫のもとに行きたい。死んでしまいたい」と呟いた。
ホリアン2世の父は10年以上前に死んでいる。
もう死んでしまいたいとまで言われたら、さすがにホリアン2世も我を通せず、しぶしぶこう言った。
「分かりましたお母様。
お言葉に従います、フィランが行きたいと言うまで決して王宮の外へ連れ出しません。
……いいですね?」
「ええ……お言葉痛み入ります、陛下」
母はそれだけを言うと、自分に縋りつく孫のフィランを連れて、奥の部屋へと向かった。
王はそれを苦々しげに見送るだけである。
◇◇◇◇
「と、言う事だグラニール。
お前が何とかせよ!」
王宮内にある、魔導士団の事務所。
王国に仕える総勢300名の魔導士のトップである、グラニール・ヴィープゲスケは。
事務所のソファーでふんぞり返る、幼馴染にそう命令されていた。
国王ホリアン2世につかえる彼に“イイエ”という返事は存在しない。
グラニール・ヴィープゲスケ。主人公ゲラルドのパパさんである。
彼は手の中にある辞書ほどの厚みの、決済待ちの書類を抱えながら「人生はつらい……」と呟いた。
「何がつらいのだ、グラニール?」
「いろいろです、陛下……」
「ふん、お前の悩みなぞ、大したモノではなかろう」
「そうかもしれませんね、陛下……」
パパさんは微笑みを絶やさない、彼は王に仕える貴族なのだから……
溜まった仕事をこなすより、王の機嫌を取って残業するのが、彼の仕事なのである。
しかし王は別の意味にとらえたようで、パパさんにこう切り出した。
「まぁいい。グラニール、お前の心を重くする懸念事項のことを話してみよ」
(え、ここで?
部下がこっちを見ているこの場所で言うの?嘘だろ……)
王は幼馴染のために優しさを発揮しているつもりなのである。
……まぁ、迷惑だけど。
しょうがないので、今回と全く別の……それでいて今自分が頭を悩ましている、個人的な出来事を王に伝えた。
「実は最近、そのぉ……
家族との仲がうまくいかないのです」
それを聞き、王はハトが豆鉄砲を食らったような顔をしたかと思うとこう言った。
「お前が浮気したのがいけないのだろう?」
(は、はっきり言った。信じられないこいつ!)
王の言葉はオブラートが品切れしている。
パパさんは心に72のダメージ。
「あんな若い妻を後妻にもらって何が不満なんだ、グラニール」
「いや、不満はありません!
ただ、そのいつもの贅沢な食事ではなく。
まぁ……たまには“山鳥”の肉も食べてみたかったというか」
「わーっはっはっ!
お前はいつかアノ嫁にブスッと刺されるぞっ!」
「もう刺され始めたと言うか、なんと申せばよろしいのか……」
「もしかして、あのバルザック家の娘を妻に迎えて、お前は復讐もされずに済むと思ったのか?」
「う、うーん。
そんな感じの娘には見えなかったのですが」
「フーム、それは大変だな。
そうだ、いいことを思いついた。
今日はそのままお前の家に行こう?」
「どういうことです?」
「鈍い奴だな。
私がお前の家にお邪魔して、お前がどんなに素晴らしい人間なのかを、お前の嫁に伝えてやろうというのだ」
一瞬パパさんは、自分が何を言われたのか分からなかった。
やがて数秒してから頭が追い付いてきて、ようやく言葉の意味を理解する。
……一国の王が、一介の家臣の妻に、家臣の良い所を言う為だけに、自宅に来るらしい。
貴族にとってみれば、王が自分の屋敷に来るなんて、凄まじく名誉な出来事である。
そんなことが起きようものなら、通常何ヶ月も前からみんな準備をし、そしてお金も全部、貯金をはたく勢いで支度を整えるのが普通である。
王の幼馴染であり、誰がどう見ても王の覚えめでたい寵臣のパパさんでも、それは一緒なのだ。
だからパパさんは、子供の時ならいざ知らず、大人になってからもそんなことを言われるとは思わなくて驚いた。
……それと同時に、ほかの貴族の嫉妬の声も、聴いていないのに幻聴となって聞こえてくる。
男の嫉妬の恐ろしさをよく知るパパさんは、その声にも恐怖する。
なので「陛下、ありがたいお話なのですが、準備が何もできておらず……」と言って断ろうとした。
しかし王様は言う。
「何も気にする事は無い、法服貴族の普通の食事と同じで構わぬ。
別に半分かびたチーズを食わせられる訳ではないのであろう?
だったらそれで良いではないか、私も何十年も馬上の武将の一人として、時として酸っぱい黒パンだって食いながら戦い続けた男だ!
別に常に贅沢をしたいとは思わぬ……」
「いや、あの陛下、あの……
うちにお越しくださいますか?」
パパさんは(そういう話じゃない!)と言えないイエスマンなので、ホリアン2世がどうしても家を訪問したい様子なのを感じ取ると、一瞬で歓迎の声を上げた。
言った後で、パパさんは思う。
ああ……これでいろいろな貴族からやっかみと嫌味が、大量に飛んでくる。
またいろんな貴族から嫌味を言われ、意地悪をされる未来が見える。
ああ……それでもこの選択肢しかない、この法服貴族の人生。
嫉妬にうずもれ行く、この果てしなく不毛な王宮砂漠よ……
「うん?どうしたグラニール。
悲しい顔を浮かべて……」
「ええ……きっと他の貴族の方からも、何か言われてしまうかもしれないと思って?」
「誰が言うのだ?」
「特に誰が言うとはないのですが……」
「気にする事は無いぞグラニール。
他の人間は歓待すると出世の話をしたり、さもなければいらぬ説教を私にしようとする。
出世をしたいのならば歓待するというのは、心がけとしては正しいと思うが、私は気兼ねなく会話を楽しみたいのだ。
ただそんな所に行っても……楽しくないではないか。
そもそも私に説教しようというのは、そもそも間違ってる!そう思うだろ?」
「もちろんです陛下!」
「わっはっはっ!そうだろう、そうだろう。
しかしお前も適当に言ってないだろうな?」
パパさんは(気が付きましたか?)と思うが、様式美なのでこう言った。
「何をおっしゃいますか陛下!私はあなた様のグラニールです!」
さすが社畜の鏡パパさん、100点満点の答えである。
聞いたホリアン2世は楽しそうにゲラゲラと笑い「さすが私のグラニールだ!」と言ってご満悦だ。
周りにいるパパさんの部下の魔導士たちは、どこか呆然とした様子で、二人の様子に聞き耳を立てていた。
ホリアン2世は一しきり笑った後、ここからが本題とばかりに言った。
「まぁ正直に言うとだな、私はフィラン王子の行く末を非常に案じている。
そこで王子が絶対にダレムの山荘に行きたくなるような、そんな作戦を一緒に考えてもらいたいのだ」
だから、お前の家に今日は行きたいのだ……と、言外にパパさんに伝える王様。
付き合いが長いパパさんは、すぐにそれを理解し「それは良い考えです、王宮の外に出たことで、何かが少し変わるかもしれませんですし……」と答えた。
さすがに王宮の外に出たからと言って、すぐに何かが変わるとは思わないが、王は変化を望んでいるのがわかるパパさんは、その線で少し考える必要があると考える。
その様子を見て、ホリアン2世は「やっぱりグラニールに相談してよかった」と言った。
言葉の意味がよくわからないパパさんは「どうされました?」と尋ねた。
王は、彼にとっての美しい思い出を、情感を込めてパパさんに語り始めた。
「ああ……父上は死ぬ前に私に言ったのだ。
国の事で困った事が起きたら宰相を頼れ。
家の事で困ったらクワーリアン(侍従長)かグラニールを頼れとな……
父は私の気性をご存知であった。
だから私との関係が上手く行かなかった時も多かったが、間に入って誠実に勤めてくれる人間は、一体誰なのかをよくご存知であったのだ……」
パパさんは思いだしていた、どうして王様が自分を評価したのかを……
今から30年前。
当時10歳だったパパさんは、ホリアン2世の代わりに前のお妃さまに、何度もビンタを食らっていた。
理由はかなりエキセントリックなモノで。
当時若かった王妃は、悪さをするホリアン王子を打つことができなかった。
……溺愛していたからだ。
なので王子に引っ張りまわされ、常に悪事の共犯者にさせられていたパパさんを見据えながら、王妃はホリアン王子にこう宣告した。
「ホリアン!あなたが悪さをするたびに、あなたの大事な友達が傷ついていくのですっ」
そしてそのままビタァーンと、パパさんの頬を打ちのめしていくのだ、いつもパパさんは“理解ができない”と思っていた。
……この親子はおかしい。
しかも当時10歳のホリアン王はその傍らで「グラニールがんばれ、耐えるんだ!」とよくわからないことを言う。
さらによくわからないのが「頬を叩いてごめんなさいグラニール、だけどあなたはホリアンの代わりなのです、私にとっては息子のような存在なのです」と言って、王妃に何度か抱きしめられたことである。
……先代の王はその一部始終を見ながら「グラニールといったな、すまないが耐えるのだ、私が必ずお前に報いよう」と、二人が見てないところでこっそりパパさんに告げたのである。
先代の王は入り婿であまり立場が強くなかったのだと、パパさんは後に知った。
……あれから30年。おかげで出世したパパさんは“まぁ別に良いな”と思っていた。
ただ先代の王に、その様に評価されていたと聞かされたパパさんは、幼少期からおかしな世界に、自分は入り浸っていたんだなぁ、と。自分の人生を振り返った。
ハイライトが消えた遠い目で、はるか昔の事を思い返すパパさん。
それをしり目に、ホリアン2世の心は一人勝手に盛り上がっていた。
やがて、息子を別荘に拉致する作戦を考えることに、居ても立ってもいられなくなった王は、過去をぼんやり振り返り始めたグラニールをしり目に、事務所の魔導士にこう尋ねた。
「貴様等の中で、グラニールの次に仕事ができるのは誰だ!」
いきなり声をかけられて戸惑う、事務所内の魔導士達。
……やがておずおずと一人の壮年の魔導士が立ち上がった。
「貴様は誰だ!」
「は、はい陛下、仕事ができるかどうかは自信がないのですが……」
「前置きは良い、仕事ができるのか?
そしてお前は誰だ!簡潔に言えっ」
「は、はい、経験はあります。
騎士家の出のウォーリー・パッツと申します」
「そうか、ウォーリーとやら。貴様に重要な任務を与える。
グラニールの机の引き出しの左の奥に、奴の印章がある。
それを使って今日これからグラニールがしなければいけない仕事を貴様が決済せよ」
びっくりしたのはパパさんである、さすがに思い出の世界から帰ってきて、王に抗議しようとした。
しかし、それを遮るように、パパさんにホリアン2世は言った。
「お前はいつになっても、部下に仕事を任せないからいつも“忙しい忙しい”と言うのだ。
頭を使えグラニール!
それじゃあ人は育っていかないだろうが」
王も人の上に立つ仕事人であり組織人である、彼はパパさんのその仕事の姿勢に不満があり、いつか言おうと思っていたのだ。
お前の仕事っぷりはマネージャーとしては問題のある姿勢なんだぞ、と。
今回の件は……王にとっては、ちょうどいい機会だったのである。
普段と違って真面目な王の言葉に、パパさんは「ハイ、申し訳ございません」としか言えない。
それを聞いたホリアン王は、いつもの調子に戻り。
「じゃあ行くぞ、お前の家で作戦会議だ!」
と言ってソファーから立ち上がった。
王はこのままパパさんを拉致して彼の馬車に向かった。
こうして二人はパパさんの馬車に乗ってヴィープゲスケ邸に向かう。
二人がたどり着いたのは、夕方までまだ時間がある頃であった。
社畜v( ̄Д ̄)v イエイ