古(いにしえ)のプレティウム 1/4
―聖地、ベニート川上流
雨季の聖地は空に雲が流れる、時折ザッと雨が降ったりそして止んだり……
雨季と言う名前に反して、あまり雨ばかりと言う事はない。
そう考えるのは昔、日本に居た時の記憶がまだ濃いからなのだろう。
あそこでは雨の季節ともなれば、常に雨が絶えない日々が幾日も続く。
コッチの雨季はそんなものではないのだ。
聖地ルクスディーヌの東岸。
……と言うか家の前を流れる川を北へ遡る旅を、俺こと“皆のラリー”は続けている。
さてそんな旅の様子なのだが……
ブフゥ……と、頻繁に鳴きながら、心底嫌そうな顔で我が愛馬、ダーブランがダラダラと歩き、俺はその轡を取って道を行く。
その鞍の上では、すぐに休憩したがる美人の姉さんが、女王様の様に俺達を見下ろしている。
一番楽な筈なのに、そんなに休みたいんか?お前……
そんな彼女の様子にアシモスは「私は何も言いません……」と言って、大人しく歩く。
すんません、アシモスさん……
こうして気分屋のダーブランを宥めたり。
はてまた「ラリー、つまらないから何か面白い事を言って!」と、無茶ぶりを唐突に言い出すレミ姐さんを宥めたりしながら、俺達の旅は続く。
特に愚図りがちなのがダーブランだ。
奴はここ最近、ファボーナに会って無い。
加えてあの俺がヴィーゾンに贈った馬が、ファボーナについて行ったことで、機嫌が凄まじく悪い。
あの2頭は俺の馬ではないので、孤児院にそのまま引き取られたのだが、その際のダーブランがまぁ酷い事ヒドイ事。
ヴィーゾンの馬は、普通の馬なのでダーブランより小柄なのだが、ダーブランは嫉妬に狂って散々(さんざん)に脅しまくる。
あまりにもひどいので、先にこの馬だけ孤児院に送った程だ。
その背中めがけてダーブランは叫んだ。
ブヒッ、ブヒヒヒヒヒィーン
直訳すると。
(ワレェ、ワシの女に手を出したら分かってるンやろな?
タダじゃ済まんから覚悟せぇよっ。
分かったかゴルゥウァアッ‼)
……多分これだ。馬語判んないから、間違ってるかもしれないけど。
ファボーナが居るところでは、訓練にしても何にしても“ヤル気あります!”みたいな顔をするが、居ないとなったらすぐこれである。
……さらに言うとコイツの場合脱走する時も、ヤル気を見せるからタチが悪い。
夕飯前には帰って来るからいいけどさ。
知れば知るほど、本当にコイツはずる賢いと呆れる日々である。
「ラリー、疲れたから休憩しようぜ……」
……そしてこいつだ、アホのアマーリオだ。
やる気がダーブラン同様無いらしく、すぐさま疲れただのなんだの言いだす。
「さっき休んだばかりだろう、まだまだ歩くぞ」
俺がそう言うとアシモスも「そうですアマーリオ、まだ予定のレプレンツ山まで距離がありますよ」と言って嗜めた。
俺の言う事は聞かないが、アシモスの言う事は聞くアマーリオ。
こいつはダーブランそっくりな顔で道を歩く。
そのダーブランの背中の上でレミ様が言う。
「アマーリオ、男なんだからシャキッとして」
流石レミ姉さま、威厳のあるお姿です。
自分の事は棚に上がっては、いらっしゃいますがね……
でも……馬上の姿が凛々(りり)しくて良い。
足もきれいに見えてとっても可愛い。
俺がそう思って見上げると、彼女は俺ににっこり微笑んで「ね?」と言った。
「うん、レミちゃんの言う通りだよ……」
彼女の意見に100%賛同の俺に否は無い。
そんな俺に対してアマーリオはぼやく。
「けッ!グッピーのウンコめ……」
グ、ぐっぴぃ……おのれアホのアマーリオめ!
「アマーリオ、お前自分の荷物は自分で持ちたいか!」
「ウルセェ、魚のフンみたいに女のケツにずっと敷かれてろ。
何が騎士見習いだ、今のお前は男の中の男から遠いわ!」
女のケツに……女のケツに……
生まれてこのかた、ココまで真正面から侮辱を受けたことはない。《注・嘘、何回かある》
思わず我を忘れて怒り狂いそうになった時、アマーリオは涙を一滴頬から流しながら「俺はこれまで、彼女なんか居なかった」と……
……ふ、ふーん。そうなんだ。
「……あ、ああ?」
怒ろうかな?怒らない方がいいのかな……
うーん、妙に悩む。
まぁそう思った時点で怒れない訳で、俺は「俺は最初の彼女は10歳の時に……」と。
ハッ!なんか頭のところがチリチリする。
恐怖を覚えて恐る恐る見上げると、レミ姉さまが、白目をギラギラさせながら……
ヒィッ、見下ろしてらっしゃる!
「え、なになに?そんな頃から彼女が居たの?」
そんなお姉さまの視線に気が付かず、アホのアマーリオがのんきな声でそう尋ねた。
「え?ああ、まぁ別にいいじゃん」
この話は終わりね、終わり……
「いや、話してよ、ラリー」
アマーリオとは違う声が、別の場所から冷たく響く。
恐る恐る声のした方角を仰ぎ見ると、馬上から帝王の様な貫録でレミ様が……
あかん、これ、目が笑ってないやん。
何とか言い逃れをしようとしたとき、ちょうど坂を上り切ったみたいで、視界が開けた。
「あれ?ラリーこの地図が間違っていたみたいです。
多分あの山の形はレプレンツ山ですよ!」
開けた視界を見た瞬間、アシモスが嬉しそうな声を上げた。
「え、本当ですか?
地図を見るともっと遠くって描いてあったのに」
「ええ、でもあの山頂の嘴の様に右に曲がった形は、たぶん間違いないでしょう」
アシモスのところに行って、改めて手書きの地図を見た俺。
この世界の地図と言うのはいい加減なものが多く、大体合っていれば良い的物が殆どである。
当然、こういう事もよくある。
俺達がレプレンツ山の話を始めたからなのか、ペッカーが俺のポケットから首を出して外を見た。
すると彼も「げぇげぇ、ぐわぁーぐわ(間違いない、あれがレプレンツ山だ)」と言う。
俺は思いのほか早く辿り着けたことにホッとした。
そしてこの特徴的な山頂の形をした山を見る。
レプレンツ山……
ペッカーによると、ここは聖地ともいえる場所なのだそうだ。
聖剣士や王剣士と言った、神剣を扱う剣士達は必ずここで修業をした。
それ以外の修行者達も、ここで大いなる知恵を授かるのだという。
そんな所で俺も修行するとは……
俺は感動してこの山を坂の上から眺めた。
そんな俺に、レミちゃんが嬉しそうな声で語り掛けてくる。
「ラリー良かったね、ここでもっと強くなれるよ。
もしかし手をかざしたら、凄い衝撃波を出せるかもね」
「え、そう言う修行なの?
剣とかじゃなくて?」
「剣もやるけど王剣士の修業は、人を超えた存在との戦いを想定したものだから、もっと魔法と剣の融合を考えるんだ」
「へぇ?」
俺はこの瞬間、この前騎士ヨルダンがバルドレと交戦した際、魔法を身にまとって飛び上がる様に戦った事を思い出した。
「そうか、ああなる事を目指す修行なのか。
いったいどんな修行が待っているんだろ……」
そろそろカメハメ……
「修行?儀式だよ……」
亀に乗った爺から教わった技で、手からビーム……
儀式なの?あ、そう……ふーん。
まぁ、強くなれればいいよ。
こうして俺は、言い逃れる事無く、初恋の話から逃れレプレンツ山に辿り着いた。
実際に山に辿り着いたのは、それからもう少し歩いた頃になる。
◇◇◇◇
さてレプレンツ山だが、山裾はベニート川のおかげで緑が多く、山腹を上るにつれて岩肌が目立つ。
なので飲み水を確保する関係で、川からほど近い場所でキャンプを張ろうと話し合った。
ただしこの時期は一瞬で増水する事があるので、川の傍から少し上った場所を、キャンプ地として予定する。
「おい、ちょっと待ってくれ」
良い場所を求めて川沿いの道を歩いていると、アマーリオが何かを感じ、俺達の足を止めさせた。
「どうしたんだよ……」
「いや、何か感じるんだよ。
何かこう……良い物がある」
オカルト?
俺は唇を尖らせてコイツの奇行を思わず見守る。
やがてアマーリオは「こっちだ!」と言って歩き始めた。
こうして疲れているけど、ベニート川沿いから離れてしばらく歩く。
やがて俺達は川の北側の斜面に辿り着いた。
「あ、あそこ見ろ!」
アマーリオが指示した先には、少し大きめの小屋が……
おっ、野宿しなくて済みそう!
「でかしたアマーリオ!」
思わずそう言った俺、家を見ると小振りながらも厩らしき建物もある。
俺達は喜び勇んで、この家に辿り着く。
家はくたびれており、修繕が必要な状態だった。
ともかく扉を叩く。
「すみません、一晩の宿をお願いできませんで……」
ドンドンと叩いた瞬間、扉が開いた。
……家の中には物が無く、誰もいる気配がない。
あれ?と思った俺達は、厩等周りを調べ始めた。
厩は物があるけど、現在使っている気配がない。
どういう事だ?
そう思っていると家の裏から『ギャーッ!』と言う悲鳴が響いた。
(なんだっ⁉)
聞いた事が無い叫び声、思わず仲間を見回す。
すると、レミちゃんが居ない……
嘘だろぉ!
「おい、アマーリオ!」
「ああ、行こう!」
俺達は荷物をそこらに放り投げて、全速力で家の裏に向かった。
『あ、ああ……嫌、イヤだぁ』
誰の声かも分からないが、続けざまに家の裏から聞こえてくる。
急ぎ裏庭に辿り着いた俺達。
そこには一人の女が立っていた。
嬉しそうにニンマリと笑い、どこか狂気じみた声でこう言う。
「見て、マンドラコラだよ……」
手には、泣いている人面大根が……
女は言う。
「言ったよね、ラリー……これは美味しいって」
レミちゃぁぁぁぁぁぁぁん!
無理ぃー、俺はこれを食うのは無理ぃィィィッ!
おぞけを震わせる俺の前で、彼女は地面に生えている草をもう一つ引っこ抜いた……
『ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
さっきよりも甲高い声で、又絶叫が響き渡る。
『嫌だ、イヤだぁ……』
新しいマンドラコラも、涙を流しながらこちらに言葉を……
これを食えというのかッ?
思わず腰が引ける。
追い打ちを掛ける様に、レミちゃんは言った。
「アマーリオ、手筈通り……」
「ハッ!」
次の瞬間。アマーリオが俺を羽交い絞めに……
ど、どうして!
「アマーリオ、何をするッ」
「許せラリー、俺はレミ様から女の子を紹介してもらう事になった!」
「なんだとっ!」
「市場に居る香辛料屋のおやじの妹の娘だ。
レミちゃんと仲が良いんだっ!」
「それで俺を売るのか?お前の男はそんなモノなのかよ!」
「……えへへへへへ」
「アマーリオ、いつかお前を殺す!」
予期せぬアマーリオの裏切り、そして二株の人面大根を両手にぶら下げ、こちらに向かう狂気じみた女。
「は、放してくれ……俺はあの大根を食べない!」
「おいしぃんだよ……らりぃ」
歪んだ笑みで俺に近寄るレミちゃん、俺の背後ではアマーリオが「あ、レミ様、こいつ暴れるんでチャチャッと頼みます」と……
アホのアマーリオめ、いつか必ずぶっ殺す!
レミは人面大根の足をポキンと折ると、ついている土を手で払って、俺に言った。
「はい、あーん」
口なんか開きたくない、一生懸命抵抗するが、ここぞとばかりに踏ん張るアマーリオのせいでどうにもならない。
アマーリオのくせに生意気な!
足がなくなった人面大根は『痛い、痛いよぉ』と……
ヴォエェェェェェェェ……
理屈ではなく、精神的な所からくる吐き気に襲われて俺は首を振る。
「無理、無理だから、うぐっ、うぇぇぇ」
とにかく吐き気が収まらない俺に向かって、レミが怪しげな教祖の様に、温かい微笑みを絶やさずこう語りかける
「無理じゃない、無理だと言ったお前が無理だから無理なんだ。
出来ると言えば必ずできる」
……どこの居酒屋の社員研修?
次に彼女は俺の鼻をつまんで、鼻の穴を潰す。
思わず口で呼吸をしようと口を開けた俺。
そこに人面大根が丸ごと放り込まれた。
え、折り取った足じゃなくてむしろコッチ?
次の瞬間、レミちゃんが俺の顎を下から上に突き上げる。
ぐしゃりと潰れる生の人面大根。
シャリっという歯触りの良い触感、そして広がるみずみずしい甘み。
そして口の中から脳天を突き抜けるような……人面大根の断末魔の悲鳴。
―イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!
「…………」
この瞬間、俺は何も覚えていない。
唯々(ただただ)広がる梨の実にも似た、みずみずしい甘み。
それが口の中を埋め尽くし、そして同時に泥の匂いがすると思ったのが最後である。
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