運命の矢
「もうすぐね、ジャック。いける?」
「もちろん」
ジャック・チャーチルは愛用の弓の調子を確認して言った。
当然の権利とでも言う風に、傍らにはクレイモアの大剣がある。
ノーリによって手配された家屋でのやりとりだった。アグリア帝国では主流の、簡素なテント仕立ての建物だが壁の一角を改造し、一部の布を外すことで大通りまでが視界に入るようになっている。
つまり、狙撃拠点に一瞬で変貌するというわけだ。
既にチャールズ・カフリン暗殺のタイミングまで数分に迫っていた。
「安心しろ、イェカチェリーナ。この距離ならば確実に射殺せる。今さら心配することはない」
「……つくづく、人外ね。あなたは」
ケイトは呆れたように言った。
「私と戦った時に、あなたが直接私を射殺そうといなかったのは幸運だったわ」
「幸運……といえばそうか」
チャーチルは弓から顔を上げた。
「別に殺そうと思えば殺せたんだがな」
「は?」
ケイトは言葉を失った。
「殺せたって言ったの? 私を?」
「おうとも」
再び弓のチューニングに戻ったチャーチルは作業を続けながら言った。
「お前さん、今カフリンのいる屋敷で指揮をとっていて、逃げる時には裏口を使っただろ? あのタイミングで殺せた。あの時、私は高台から射撃支援をしていたので、お前さんの位置がよく見えたんだ」
「……どうして、私を殺さなかった?」
ケイトは鋭く聞いた。
前回の戦いで、うまくティアグロ連邦に亡命しおおせたのは幸運だと思っていたが、まさかジャック独りの気まぐれで命拾いをしていたとは。
肝が冷える。
「そりゃ、お前さん」
チャーチルはぎゅっと弓の張り具合を確かめた。
「王将を為留めたら、戦争が終わっちまうだろ。楽しめないじゃねえか」
ケイトは呆れてため息をつく。
確かに、戦士にとっては戦争がなくなることは価値の喪失であり、無体だとは言い切れないがしかし、それでも平和のほうに魅力を感じるほうがマジョリティだろう。
「ルドウィジアにくる人はこんなのばかりね」
「つまり、俺たちにとってルドウィジアは天国ってことだろ?」
「為政者たる私にとっては地獄も同然よ……」
いえ、為政者を買って出ているのは自分なのだけれど。
買って出るどころか、命がけで帝位を奪い返そうとすらしている。
ある意味では、自分のほうが気が狂っているのかもしれない。
皇帝という激務が、自分のレゾンデートルに成り果てている。
皇帝の亡霊。
それが自分なのかもしれない。
しかし、狂っているばかりに自分では気づけないのだ。
「正午。それが決行時間だとノーリは言っていたわ」
「知ってる」
弓の手入れを終えて、チャーチルはその場に座り込み、おおあくびをした。
「正確な時計がないのが不便だな。日時計はあるけど、分単位の正確な時間がわからねえ」
「というか……」
ケイトは髪をかきあげた。
「あなたが精密な時計のある時代の出身だという事実が驚きよ」
「そうかあ?」
「絶対暗黒の中世……少なくとも、私より古い時代の人だと思ってた」
「俺が第二次世界大戦の経験者って言わなかったか?」
「聞いてない」
そもそも、ケイトにしてみれば第二次世界大戦自体をよく知らない。
自分が生きていた時代よりも何百年も後の話だ。
ヨーロッパからオセアニアまで、世界全体を巻き込む大戦争など、言葉で語られてもうまくイメージできない。
「あなたの時代、マシンガンや戦車の時代なわけでしょ。それで弓やクレイモアで戦っていたって頭湧いてるわ」
「お前さんは戦車やマシンガンよりもよほど恐ろしいものと戦っているじゃねえか」
こともなげにジャックは応じた。
「……そうね。そうかもしれないわ」
ケイトは応じた。
「ジャック。気が狂っている皇帝は気に入らないかしら?」
「戦争ができれば、俺はどっちでもいいな……おっ、パレードの先端が見えてきたぞ」
ジャックは窓から戴冠式の様子を見ながら言った。
「もうすぐだな」
パレードの規模は数百人と聞いている。
ルドウィジアの人口規模を考えれば、華美に過ぎるほどの人数だ。
自分の権威を示すのが狙いであるにしても、どれほど無理を重ねたのか、と思う。
どれだけの戦闘力を誇っていても、ケイトから皇帝位を腕づくで簒奪したことに違いない以上どんなに無理を重ねても権威のアピールが必要ということか。
なんにせよ、目立っているということは自分たちにとっては好都合だ。
狙撃による暗殺が通りやすい。
ケイトは双眼鏡を覗き込んだ。言うまでもなく、ルドウィジアでは作成できないので遺物として入手したものだ。
「あの中に、ノーリもいるのね」
「あいつは近衛兵長の中ではもっとも格が低いからな。最後のほうにいるんじゃないか?」
「好都合ね」
仮に狙撃の一撃で為留め損なったとしても、混乱したパレードの逃げ場を断ってくれるということだ。
もちろん、狙撃の一撃で為留められるのが最善ではある。
「もうすぐね……」
「さて……やるかねえ」
特に気負う事のない口調で弓を手にした。
それを受けて、ケイトはテントの一部の布を取り払って視界を大きくとる。
「頼むわよ?」
「愚問だな」
ジャックは笑って、ギリギリと弓を引き絞った。
裸眼でも、既にパレードは視界に入っていた。ただし、個人の識別は不可能なほどに遠い。
戦士ではないケイトには、狙撃どころか狙いを定めること自体ができるとは思えない。
こればかりは、ジャック・チャーチルの腕前を信じるしかない。
剣と弓を手に、第二次世界大戦を生き抜いた戦士の実力を。
一際大きな塊が視界の端に見えた。
確とは見えないが、おそらくはカフリンの乗る輿か?
目を細めるケイトの横で、矢の放たれる鋭い音がした。
この一瞬で全てが決まる。
風を切る独特の音と共に、矢が輿へと、迫る、迫る、迫る。
「勝った」
満足げにジャックが鼻から息を吐いた。
その瞬間。
横から放たれた銃弾が、乾坤一擲の矢をはたき落としていた。




