出発
「出かけるわよ」
そうケイトが切り出したのは、仲間になってすぐ翌朝のことである。
ケイトと出会ったその夜、迷うことなく俺は彼女の仲間になることを決めた。
彼女の言いぶんを信じるならば当座の食事に困ることはないと思ったし、それに彼女が何を果たそうとしているかに興味があったことも事実だ。
「出かけるってどこに?」
出かけると言っても、この世界には町も店もないのだからどこへ行くというのだ。
「怪訝な顔をしないでよ」
「するだろ……どこに行くんだよ」
「南方に、建物が見つかったって報告があったの」
「建物?」
うん、とケイトは背後に控えていた男を示した。昨日俺が戦った男とは別の男だ。
「私の仲間、彼、ジェレミーっていうんだけど、見つけて情報を持ち帰ってくれた。この世界で建物が見つかったのは初めてのことだから、私が見に行きたい。良いわね?」
わかった、と短く応じて刀を腰に帯びる。
「道は彼に案内してもらうわ。あなたは護衛に専念して頂戴」
「ジェレミーだ。ジェリィと呼んでくれ」
男は薄く笑みを浮かべて右手を差し出した。
彫りが深くメリハリの効いた顔立ちで、はっきり言って二枚目だ。背も俺よりも高い。ただ、どこか印象が薄いような不思議な印象もある。
「よろしく……名前は、ええと」
「あなたは名前がないんだったわね」
口ごもる俺に、ケイトが言い添えた。
「仲間になった記念に、名前をプレゼントしても構わない?」
僕の顔を覗き込んでケイトは言う。
「助かるよ」
「あなたの名前はノーリ。私はあなたをそう呼ぶわ」
ノーリ、ノーリか。
口の中で新たな名前を呟く。
「どう? いい名前でしょう」
「どういう意味なんだ?」
「私の故国で、ゼロという意味よ。新しい人生を歩もうというあなたにしっくり来るでしょう。光栄に思いなさい」
名前をつけられて悪い気はしない。
ナンバーゼロ。
ケイトにとってのゼロ番目の仲間。
「よろしく、ノーリ」
ジェレミーが大きなてのひらを差し出してくるのを、握手で応じた。
「よろしく、ジェリィ」
「さ、出発しましょ。時間は貴重だわ」
髪をまとめたケイトは先に立って洞窟の外へと歩き出した。
「他の仲間は? 一緒には行かないのか?」
見れば、五人いたはずの仲間の姿は既にない。
「うん。今日はノーリとジェリィだけでいい」
洞窟の外はまだ日が登ったばかりだった。草木が朝露にきらめいている。一歩踏み出す度にぼろぼろになってしまった靴に水滴が滲んだ。
「私のボディガードには、ノーリだけがいれば充分だからね。他の人員は情報収集や食糧の確保にあたって貰っている」
「……今さらだが、ケイト、あんたに護衛なんて要るのか? 俺よりもあんたのほうが強いだろ」
護衛よりも護衛対象のほうが強いのもなんだか馬鹿げている。
「だって、私はこの細腕よ?」
これ見よがしに、ケイトは両腕をあげてみせた。
「この可憐なルックスでいくら強いのよ、と述べたところで説得力はないわ。あなたみたいないかにもな見た目のボディガードを、私は必要としていたのよ。この世界には悪人しかいないと思えば尚更ね」
まあ、それは否定できない。
原始的な環境であればあるほど、見た目がものを言う。
「なあ、ジェリィ。その建物まではどのぐらいかかるんだ?」
「一日まではかからない」
ふりむきもせず、ジェレミーは無愛想に応えた。
「建物といっても、大した規模ではない。それに老朽化している」
老朽化と聞いて、俺とケイトは顔を見合わせる。
「つまり、一週間前にこの世界に来た人が建てたというわけじゃないってことよね?」
「そういうことになるな。レンガ造りだったことからも、一朝一夕に建造できるとは思えないし、人が住んでいるという様子もない」
ジェレミーは自分のあごを撫でて、考える素振りを見せた。
「悪い、ケイト。俺も建物には詳しくないもので。自分で見てもらうのが一番かと」
「そうね。わかったわ、ジェリィ」
うつむくジェレミーに、ケイトはあやすように言った。
「この世界で建物を発見しただけでも大金星よ」
確かに、彼女の言う通り建物を発見したということは大きな意味がある。
この世界に関する様々な情報が手に入る。老朽化が激しいといっても、建築様式などから得られる情報は大きいし、以前どんな人物が住んでいたのかもわかるかもしれない。そうした人物の子孫がこの世界にはいるのかもしれない。
仮に具体的な情報が手に入らなくても、雨風を凌ぐ上で洞窟よりはいくらかはマシだろう。
「私の役目は司令塔だから、こうして外に出ることは今までは少なかったんだけど……」
ケイトはしきりに周囲を見回しながら言う。
「こうして外に出ると、困るわね?」
「何がだ? ケイト」
「お弁当が作りづらいのよ」
ああ、そういうことか、と得心する。
「農業ができないもんな」
「土地は売るほどあるんだけどね」
食糧事情が限定的である、というのがケイトの言っていることだ。今のところ農産物が手に入らないので、食糧供給は狩猟採集に限られる。具体的には、野生動物の肉か、あるいは食べられる野草や木の実程度に限られる。
保存食・携帯食としても、作れるものが少ないのだ。
「ジェリィ達は単独行動するときは食糧をどうしているんだ?」
「主に、獣肉だな。現地調達で食べる」
先頭に立って歩いたままジェレミーは言う。
「ただ、獣肉は手に入るかどうかにムラがある。三人で行動しながら安定して食糧を得るのは不安だな。今日は一日程度で住むからいいが、これ以上の日数になると別のプランがいると考える」
なるほど。集団で動くと、あらかじめ大量の食糧を確保しておかないといけない。
「あとは、俺はエドから食べられる野草についての知識を共有しているが、これについては少々不安だな。誤って毒草を食べてしまうことがあるかもしれない」
「特にキノコとかは危険よね。食べられることが確定していたら、いい出汁がとれるんだけど」
「俺は独りの時は食べないようにしているな」
「私としては仲間をドンドン増やしていきたいんだけど、食糧事情を改善しないと適当なところで仲間集めに目処をつけないといけないかもしれないわね」
歩きながらケイトが眉にしわをよせる。
「誰か、ジャガイモか麦を持って堕ちてきた人がいないかしら?」
俺が衣類や銃、日本刀を持ち込めたのならば、野菜や穀類を持ち込んだ人も可能性はある。
「もしくはエドの野草知識が通るのならば、この世界にも麦や米に近い性質の植物もありそうな気はするが、どっちのほうが期待できるかはわからないな」
捜索範囲を広げるにしても、あるいは個人の所有物に期待するにしても、どっちにしろ仲間を増やす必要はでてくるが、その仲間を増やすためには安定した食糧供給が不可欠になる。
「もちろん、いいアイデアがあれば教えてもらいたいけど、ノーリの役割は護衛なんだから周辺への警戒を怠らないでね」
うんうん唸りながら頭をひねっていると、ケイトから釘を刺されてしまった。
「おう、任せておけ」
前の世界では俺は治安組織に属していた。周囲への警戒は得意分野といってもいいが、それでも頭を切り替えて周囲を見やり、歩き続けた。
そんな会話をしつつ、日がだいぶ傾いてきた頃、ようやく目的とする場所が見えてきた。
「あれだ」
ジェリィは太い指で建物を示した。
「あれは……砦?」
ようやくその建物が子細に見えるようになってきて、ケイトが小さく呟いた。
掘りに囲まれ、高い壁に覆われていることからも考えると、種類はどうあれ、戦闘用の建造物に見える。
「やはりそう見えるか? 先入観なしに見てもらいたかったのだが」
ジェレミーがケイトに意見を乞う。
「うん……私もそう思う。でも、それにしても」
と、ケイトは言葉を切り、
「ボロボロね」
とつぶやいた。
建造されてから、何百年が経過しているのだろうか。木製の扉も石造りの城壁も、朽ち果てて崩れかけている。
「まずは、入ってみましょうか。開けてみてくれる? ノーリ」
ああ、と短く答えたのは、扉が崩れかけていてうまく開けられそうになかったからだ。
腰の刀を抜くと、扉を破壊して中に入る。
「中もぼろぼろだな」
破壊して入った城壁の中も同じようにひどい有様だった。
城壁の中はいくつもの小屋に別れ、本丸へと繋がる複雑な通路になっているらしい。通路には天井がなく、陽の光が入っているので草木が生え放題で、それを切り払いながら進む。
「やっぱり城ね」
後ろから入って来たケイトがつぶやいた。
城と言っても、政治拠点というよりも防衛拠点という性質が強そうに見える。
「あの小屋は武器庫とか火薬庫か?」
ジェレミーは周囲にある小屋を示す。
「二人とも、勝手に探るのはいいけど、はぐれないでね」
遠くからみるとちょこんとしたサイズに見えたが、入ってみると意外と広い。ケイトがいう通り、注意しないとはぐれてしまいそうだ。はぐれないよう、ケイトの前に立とうと歩み寄った。
瞬間、ぴん、と何かが外れる音がした。
「ノーリ! 伏せてッ」
風切り音。
俺の首筋にめがけて、鋭い矢が迫ってきていた。