支配者ナザレのイエス
「このミイラみたいなのがナザレのイエス……だと」
ナザレのイエスの名前はもちろん、知っている。
世界で最も広く知られた宗教の開祖。
いわゆるイエス・キリストのことだ。
チャールズ・カフリンもその教徒の一人であったし、なんなら生前のケイトもその信者だった。
魔法国イースキールではもちろん、アグリア帝国でもかつてその教えを信じていた、というものは多かった。
死後の世界であるこのルドウィジアがキリスト教の死生観とは必ずしも合致しなかったことに苦しんでいるような様子もあったが、それは本題ではない。
「前の世界の伝承では、復活した後に天に還ったとされているが……しかし」
こんな薄汚れたミイラが、イエスだと?
「この世界に前の文明があったというのは認めても……建造物の朽ち果て具合からすると、それは数千年前のはずだ」
伸ばした指が、イエスと目されるミイラの肩に触れる。
触れるか触れないかのところで、ぼろっと関節が外れて地面に転がった。
地面に落下した腕はその衝撃でバラバラに砕け、埃か砂のように変わって散る。
「……っ」
しまった、とは思うがどうすることもできなかった。
「あーあー、沖田、何をやっちゃっているんだよ」
次の瞬間、ぼこぼことミイラの肩が茶色く泡立った。ずるっと肩が大きく盛り上がり、勢い良く棒のようなものが突き出した。
いや、棒ではない。
腕だ。
既に指も爪も生え揃っている。
ずるずるっと勢い良く突き出した腕がぶらん、と垂れ下がる。
「再生……した」
体液に濡れた腕がぶらぶらと揺れている。
「高速自動再生……」
連想したのは、もちろんチャールズ・カフリンの再生魔法だ。
他人に施すのと、本人を再生するのとでは違うが、しかし。
「そうか……逆か」
チャールズ・カフリンの魔法が、ミイラの高速自動再生に似ているのではない。
逆だ。
ミイラの高速再生から着想を得て、カフリンはそれが『回復魔法』という天恵が可能だと判断したのだ。
チャールズ・カフリンはこのミイラに先に出会っていた……ということになる。
「生きているのか……」
再生し続けているということは、生命活動を続けているということだ。
よくよく耳を澄ませば、ぜぇぜぇと小さな息づかいまで聞こえてくる。
このミイラは……いや。
この男は、生きているのだ。
こんな生きているのか、死んでいるのかさえわからない状態でありながら、生命活動を維持している。
何故、こんな状態で生きているのかと言えば。
「『天恵』を与えたんだな? お前達が」
「そんな怖い顔をしないでよ、ノーリ」
心外だ、という風に『運命の道標』は口を尖らせた。
「本人が……ナザレのイエスが願ったんだよ。『永遠の命が欲しい』ってな」
「永遠の命……だって?」
「だから、叶えてやったんだよ。『永遠の命』ってな」
それで、こんな形で生き延びさせたのか。
俺は無言で抜刀し、『運命の道標』に突きつけた。
「お前達……」
「いや、だから、怒らないでってば」
困った様子で『運命の道標』は言う。
「俺は言われた願いを叶えただけなんだよ?」
「そうじゃない。俺はイエスの信者というわけでもないしな。このボロボロで生きている神についても、個人として思うことはない」
「じゃ、なんだ?」
「この世界での『天恵』は、前の世界にも影響するのか? だ」
俺の予測はこうだ。
ナザレのイエスが願った、『永遠の命』。一見してこの世界で不死と成り果ててしまった。
一方でキリスト教は世界に冠たる宗教となり、君臨している。
永遠の命を得たように永劫の存在となっている。
まるで、この世界とリンクするように、である。
「いい目の付け所ねえ」
いつの間にか、背後に『星読みの審判』が迫っていた。
冷たい指が、俺の首筋に触れる。
「そういうところを、高く評価しているわ。沖田総司。剣の腕前だけでなくね」
「そしてそれは正解だ、沖田総司」
にたにたと笑みを浮かべた『運命の道標』が言う。
「この世界は、お前達が前世と呼ぶ世界に干渉することが可能だ。一番巧くやったのはナザレのイエスだったな。『死んだ後も世界に干渉できる』というところを最大限に活かしたのが彼だ」
「ならば」
この世界のクリア条件は『世界の統一』ではないということか?
アグリア帝国、ティアグロ連邦、魔法国イースキールの三つ巴で覇権を争うという構図自体が間違っているのか?
「もう一つだけ聞きたい。『運命の道標』、『星読みの審判』」
「なんだい? なんでも言いなよ。僕と君の仲だろ?」
どんな仲だというのだ、と内心で笑みをもらしながら質問をした。
「どうして俺にこの人物のことを教えたんだ?」
「んっ」
想定していなかった質問なのか、虚を突かれた表情で『運命の道標』は言葉に詰まる。
「そう来たか」
「だってそう思うだろ? 一応あんたたちはゲームマスターなわけだろ。俺に肩入れするのは本意じゃないのでは……と考えるのは、普通だと思うが」
優遇されるのは気に食わない。
前世で、優遇された経験が少ないからかもしれない。
他人が良いようにしてくれるということは、裏がある……と自然と考えてしまう。
まして、『運命の道標』や『星読みの審判』のような存在ならばなおのこと。
何か目的があって、俺を動かす……と考えるほうが腑に落ちる。
どんな目的か、までは読み切れないが。
俺自身がこの情報をどう活かすかまでまだわからないのに、そこまで読み切れるはずがない。
「何も返せるものがないのに、施しを受けるのは気に食わない……と俺は思っているんだ」
「うーん……なんと説明したものかな」
ぼりぼりと髪をかいて『運命の道標』は、
「僕は、結構お前のことが気になっているんだよ、沖田総司」
「何?」
「つまりさ」
照れたように『運命の道標』は続ける。
「お前には頑張って欲しいと思っている。感情移入しているわけ。あと、チャールズ・カフリンの『魔法』は僕たちとしてもやり過ぎだったかなっていうのがある。最初にナザレのイエスと遭遇しちゃったのが誤算だったね。『永遠の命』が叶うのならば『魔法』も叶うだろうと連想したのが予想外のカンの鋭さだった」
言い訳をするように、早口で『運命の道標』は言う。
「なんだよ、そんなことか」
「あと最初の願いで『知識』と述べたのも意外っていうか、『面白い奴じゃん』って思ったんだよな。その後も、ポル・ポトを天恵抜きで倒したし、注目株なんだよ。そういうのって応援したくなるじゃん? 今回だって、お前に対して具体的に何か与えたとかそういうわけじゃない。そうだろ?」
「いや、もういいよ。わかった」
『運命の道標』の言っていることを聞いているとこっちが恥ずかしくなりそうなので、そこで打ち切った。
彼が俺のことを気に入ってくれているのならば、それでもいい。
それに、彼が俺たちをこのゲームに引きずり込んだ張本人ということは変わりがない。
「『運命の道標』『星読みの審判』、礼は言わないぞ」
そう言って、俺は踵を返そうとして、やめた。
「うん?」
怪訝そうな様子の二人を尻目に、ナザレのイエスに頭を下げた。
悲惨な状況に置かれた前回の覇者に、敬意を。
「ナザレのイエス。あなたのおかげでアイデアが閃きましたよ」




