飛将軍・呂布という男
「すみません、エイレーネ様」
エイレーネの下についていた、執務スタッフの一人が頭を下げる。
確か、名前はイネスだったか。
「フーシェ様のほうで人手が必要なのだとかで、今日からあちらで働くことになりました」
「あー……」
言葉につまりながら、エイレーネは俺のほうに目をやる。
「仕方ないでしょう、エイレーネ」
「そうですね。イネス、あちらの事務所でも頑張って頂戴」
やむを得ない、と頭を振ってからエイレーネは丁寧にねぎらいの言葉をかける。
「いつも頑張ってくれているわね、イネス。私からもフーシェにはよしなに言っておきますわ」
「本当にすみません、エイレーネ様」
「気にしないでいいのですよ、エイレーネ」
「すみません……」
逃げるように走り去るのを見送ってから、はあ、とエイレーネは大げさにため息をついた。
「どうしました、エイレーネ」
「わかっていってんだろ、総司」
苛立ちを隠さずにエイレーネは言う。
「一昨日から、私達の執務スタッフはほとんど逃げてしまった」
「逃げた……というか、なんというか」
やれやれ、と頭を振った。
「政治的手腕では、フーシェのほうが上手のようですね」
フーシェとのやりとりから一日が過ぎた。
その間に、エイレーネの配下にいたスタッフなどは七割がたフーシェ陣営へと移行してしまった。
最初はフーシェによる引き抜きが行われていただろう。そして、残りの人員はそれで権力がフーシェに握られる流れなのを察して雪崩を打って適当に理由をつくり異動したということに違いない。
思った以上にフーシェは人間心理を掌握するのが巧い。
イースキールは閉鎖された空間である以上、普通以上に人間関係の機微には繊細ということもある。
さらに、エイレーネの旗下に残っている住人も、表面上は熱心に仕事をしているように見えるが裏ではフーシェと繋がっているものが多い……と俺は見ている。
そもそも、今回フーシェから攻撃を受けた時点で、内通者がいることを察するべきだった。
イースキールの建物は……というよりも、ルドウィジアの建造技術では、防音性に優れた建物を造ることはできない。
充分に気を使っていたつもりだったが、その気になれば俺とエイレーネとの会話を盗み聞くこともできたのかもしれなかった。
「まあ、落ち着いてくださいよエイレーネ。まだ最悪の事態というわけじゃない」
最悪というのならば、カフリンがイースキールにいる間に暴露されるパターンのほうがまずかった。問答無用でエイレーネと俺の首が飛ぶ。
その情報を活かしてイースキール国内での発言力を上げようというフーシェの考えのお陰で命拾いをした格好になる。
「これが落ち着いていられるかよ……」
イライラとした様子でエイレーネはデスクに突っ伏した。
「このままじゃ、私達はお先真っ暗だぜ」
「これでは、イースキールを乗っ取るどころではありませんね」
「どうして、総司はそんなに冷静なんだよー」
「あせってもしょうがないじゃないですか?」
俺は貯蔵庫から持ち出した干し肉をもしゃもしゃとかじりながら言った。
本来は俺たちの業務だった食糧配給も、もはやフーシェたちに牛耳られてすっかり暇を持て余していた。
「せっかく時間があるんだからのんびり考えましょうよ」
「確かに仕事がないって意味では時間はあるが、カフリンの帰還までの時間はあるとは言えねーぞ」
カフリンと連絡をとる手段がないので、この状況はアグリア侵攻チームには伝わっていないが、帰還したらすぐさまこの状況を解決しようとするに違いない。
まず間違いなく、俺たちに不利な裁定が下る。
それまでに事態を解決しなければならないのがエイレーネのタイムリミット……。
俺にとっては、アグリア帝国に残るイザベラやケイトに危険が及ぶ前にイースキールを乗っ取らなければならないのでタイムリミットはもっと短い。
「ここからの逆転はちょっと難しいよな……んー。なんかアイデアないか? 総司」
「俺はただの戦士ですので、戦略的な話は苦手です」
「そういうなよ〜」
くしゃくしゃとエイレーネは金髪をかきむしる。
「総司。今すぐ実行するわけじゃないにせよ、斬り合いになったらフーシェ陣営に勝てると思うか? 私の戦闘力も活用する前提で考えて良い」
「難しいですね」
即答した。
戦闘に関する話ならよどみなく答えられる。
「エイレーネは、フーシェの後ろにいた戦士をご存知でしたか?」
「ああ……呂布だっけ。中国人だよな。なかなかの面構えだったな」
「日本ではとても有名な英雄です。中国の歴史上最強にして最悪。敵にしても恐ろしいが、味方にするのはもっと恐ろしい……と、日本ではそう伝わっています。多分に物語が混ざっていますし、それに二千年近く過去の人物なので正確かは不明ですが」
過去の人物、というのならばエイレーネも相当昔の人物なのでこうして会話をするのもおかしな話なのだが。
「味方にするともっと恐ろしい……っていうのはどういう意味?」
怪訝そうに、エイレーネは緑の瞳で俺を見上げた。
「裏切り者なんですよ、義父を裏切り、主君を裏切り、さらに浪人だった自分を拾ってくれた主をも裏切って最後は部下に裏切られて死んだと伝わります」
ルドウィジアに堕ちてきた人間にはまともでない死に方をした人間ばかりだが、その中でもろくでもない死に方をした部類に入るだろう。
他人に言わせるのならば、自業自得とも言えるが本人はそう考えてはいまい。
「裏切りの連続か。悪くないな」
にやにや笑ってエイレーネは考え込む素振りをみせる。
「私は嫌いじゃないぜ、そういう奴。私も裏切りは得意だったしな……裏切ることができるというのは、裏切るだけの価値がある人間だということだし、判断力があるということもある。被害者ぶって他人のせいにしている雑魚どもよりは百倍いい」
その挙句、殺されているようでは世話はない……と言いたいが、俺も人のことは言えない。俺自身も、芹沢鴨を殺して新撰組組長の地位を得たのだから。
「あいつと私と二人で話したら、仲良くなれたかもな〜」
いいアイデアを思いついた! という風に、エイレーネは手を打ち合わせた。
「今から呂布を調略できないかな? こっちの利を解いてやれば話がわかる奴ということだろ。呂布と総司がいればパワーバランスは大きく傾く」
味方にはつけないまでも、呂布をフーシェ側の勢力から外すことができれば戦闘力ではこちらにも勝ち目が見えてくる。
「まあ……止めはしませんけども」
困って、俺は視線をそらした。
「今の俺たちに、呂布に提示できるだけの利があるかっていうのが問題ですよね」
「それだよなー」
ううん、とエイレーネは考え込んでしまった。
「いいアイデアだと思ったんだけどな。もうちょっと考えてみるか」
「では、外にでても構いませんか? エイレーネ」
「いいよ。今さら護衛もないしな」
まさか、このタイミングでフーシェが奇襲をしかけてくるということもあるまい。
ずっとこの執務室にいて考え込んでいると、気が滅入ってしまう。
執務室を出ると、そこには俺たちの政争とは無縁の平和な日常が広がっていた。
機織りをしているもの、木の実の灰汁抜きをしているもの、罠でとらえたシカをさばいているもの、さm様な人が日常を過ごしている。
エイレーネとフーシェの対立は知ってはいるのだろうが、それでも大多数の住人にとっては身に迫った問題ではない。
見知った顔は会釈をしてくるので、笑顔を作って応じる。
足の向くままに向かった先は、イースキールの中枢とも言える、神殿だった。
ただし、教祖であるチャールズ・カフリンのいない今、人はさほど多くはない。
カフリンがいた頃は、大変にぎわっていたことを思うとやはり彼の手腕は一廉のものがある。
しかし、考え事をするのならばちょうどいい静けさだろう。
俺は、静かに神殿の扉を開いた。
そこにいたのは。
「や、ノーリ。いや、沖田総司と呼んだほうがいいのかな?」
『運命の道標』。
三年ぶりに目にした、この世界の神だった。




