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”秘密警察”のジョゼフ・フーシェ

「さて、猊下達が出陣したな、エイレーネよ」

「ええ、出陣しましたわね、ジョゼフ・フーシェ」

 カフリンと土方が出立したのを見送ってから、エイレーネは一人の男と握手を交わした。

 男の名前はジョゼフ・フーシェ。

 十人の近衛隊長の十人目で、今、魔法国イースキールに残った二人の近衛隊長の一人。

 治安維持部門を統括する男である。

 もちろん、兵士の数が限られている以上、部門同士の役割は独立したものではなくアメーバのように曖昧なものだ。フーシェの部下が治安維持としての役割を担っているというよりも、警察関係のトラブルが発生した時の担当者がフーシェという形だ。

「全く、十人の近衛兵長クラスのうち、八人までに侵攻に割くとは予想外でしたわね、フーシェ」

「なんです? エイレーネ。まさか猊下の決定に不服でも?」

 握手したままで、エイレーネの言葉尻をフーシェが捉えた。

「まさか、ミスター・フーシェ。そんなこと、考えもしませんでしたわ。私が申し上げたいのは、二人きりの近衛隊長でしっかりイースキールを守ろうという話です」

「そうですね、エイレーネ。是非とも力を合わせていきましょう」

「ええ、フーシェ。最近は不穏な噂も多いですからね?」

 エイレーネは煽るように薄い唇を歪めて笑みを浮かべる。

「猊下が本国を離れた隙に、どんなトラブルが起きるとも限りませんわ」

「その通りですな、エイレーネ」

 じろりとジョゼフ・フーシェは小さな瞳で無遠慮に視線を返す。

「ならばこそ、僕とあなたが力を合わせなければならない」

「では、フーシェ。また明朝にミーティングを。それまでは、よしなに」

 二人は握手を離して、それぞれ神殿を後にする。

「あー疲れた。あいつ、好きじゃねーんだよな」

 お互いの姿が見えなくなるまで離れてから、エイレーネは俺の耳元で囁いた。

「うかつにそういうこと言わないでくださいよ、エイレーネ。こっちの肝が冷えます」

「だから、お前にだけ言ってるんじゃねーか」

「しかし、エイレーネ。今の方……ジョゼフ・フーシェですか。彼は治安維持に関しては一番の辣腕家です。フーシェを懐柔しなくては、この国を奪うのは難しいのではないですか?」

「そうなんだよなァ……」

 エイレーネは顎をなでて考え込む様子を見せた。

「あいつさえいなければ、今すぐにでもこの国を乗っ取れるのに」

「別に、フーシェさんがいなくてもすぐに乗っ取れるとは思いませんが……」

 しかし、それにしてもエイレーネと同等の権力を持つフーシェが、カフリン不在の間にこの国を乗っ取る上で一番の課題ということは間違いない。

「消しちゃうか? アイツ。総司なら簡単に殺せるだろ」

「だから、そういうことはせめて執務室で言ってくれませんか?」

 どこに耳があるかわからない。

「執務室に戻りますよ、エイレーネ」

 エイレーネの細い手を引いて、執務室へと戻った。

「殺すのは最後の手段にするとして……エイレーネ。現実的に、フーシェを調略できる可能性ってどのくらいあります?」

「さあなあ……」

 エイレーネは長い髪をかきながら言う。

「というか調略できそうな相手がいないので、お前に最初に声をかけたんだが」

「最初に……ってことは、他に味方はいないんですね」

 想定していたことではあるが、冷や汗が流れる。

 俺独りで奪取を企てたほうがまだ可能性があるのでは……と思ってしまう。

 自分はこの神輿を有効活用できるか? そこに、この計画を成功させるためのキモがある。

「フーシェの担当は治安維持ですが、前世もそういう関係のお仕事なんですか?」

「らしいな。前世はフランスの警察大臣だった男だ。とにかく秘密警察を活用していたらしい」

「秘密警察……ですか。悪そうな響きですねえ」

 せっかくなら、俺のほうが秘密警察を使いたいぐらい情報が足りない。

「秘密警察なんて言葉を聞くと、ここで話をするのもちょっと怖くなってしまいますね」

「ま、その辺は考え過ぎても仕方ねーよ」

 エイレーネは大きく伸びをした。

「ゆっくり行こうぜ、我が同胞」

「あんまり時間がないんですけどね……」

 土方たちのかけた計画では、十五日ほどでアグリア帝国を制圧する予定だった。

 とはいえ実際にはどの程度日数がかかるのか、この世界で初めての大規模戦闘ということで予測は難しい。

 俺にとっては、二重の意味でアグリア帝国に頑張って欲しいところだ。イェカチェリーナ二世やイザベラ・ド・リムイユ、ハイパティアたちが戦死しないで欲しいのと、できるだけ時間を稼いで俺たちが魔法国イースキールを奪取するための時間を確保して欲しい。

「それと、普段の仕事もしなくちゃいけないしな……」

「治安維持関係は、フーシェさんに任せてしまって良かったんですよね」

「あー。そういう話になってる」

 机に突っ伏したまま、眠そうにエイレーネは言った。

「私達は行政関係が主だな。今の段階では、って話だが。兵士の使い方は流動的だよ」

「行政……と言うと」

「一番は食糧の管理・配給だな。まあ、短期間ならば楽な仕事だよ。こっちでケア仕切れない大きなトラブルがあったらフーシェに投げるし」

「エイレーネって結構ゆるいっていうか、なりゆき任せなとこありますよね……」

「ほら、私は皇帝だから」

 けらけらとエイレーネは笑う。

「あんまりミクロな視点を持ってもしょうがないの。任せるところはしっかり人に任せて、マクロな視点から物事を見るのが大事」

「……まあ、そういうものなのかもしれませんが」

「さて、では兵士の連中を見回ってこようぜ、相棒。しっかり激励してやらねーとな」

 今まで弛緩しきっていた、エイレーネが立ち上がって一瞬顔をおさえる仕草をすると、一気に表情が切り替わった。長い金髪と翠緑の瞳が凛と美しい、臣民の憧れの的の女騎士の姿がそこにある。

「さて、行きますか、総司」

「エイレーネ、人格の切り替え半端ないですよね……」

「当然でしょう、総司? 人前では王に相応しい振る舞いを見せないと」

 と、その時、ばたばたと騒々しい足音が聞こえてきた。

「何だ? どうした?」

 俺は咄嗟に日本刀に手をかけながら、エイレーネをかばうようにして先に立って様子を見に部屋を出た。

「近衛兵である! エイレーネ、並びに沖田総司に謀反の疑いありとして同行を求める!」

「……なに?」

「繰り返す! エイレーネ、並びに沖田総司に同行を求める!」

 押し入ってきた近衛兵と、顔を合わせて慌てて部屋に戻って、扉を閉めた。

 どんどん、と激しくドアをノックする音が聞こえる。その気になれば、すぐに力づくで破られてしまうだろう。

「謀反の疑いあり、ですって?」

 困惑した様子でエイレーネが言う。

「フーシェの手のものですね。近衛兵に見覚えがあります」

 俺は扉を押さえながら、意見を求めてエイレーネを見た。

「どうします? エイレーネ」

 どういう意図かはわからないが、カフリンが不在になった途端に武力行使とは手際が良過ぎる。

 おそらく、ここで言われるがままに同行してしまえば、望ましくない展開が待っているのは間違いない。

「う〜ん……困ったわね」

 猫を被った表情のままで、エイレーネは思いついたように指を一本立てた。

「よし、総司。殺しちゃおっか!」

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