調略
ケイトは俺を拘束したままで、俺とケイトを取り巻きの男で取り囲むような形で隊列を組み、歩かせ始めた。
「どこへ向かっているんだ?」
両腕を拘束されたままで歩き続けるというのは思ったよりも窮屈で、気を紛らわすために話しかける。
「あんたたちの村か?」
「村……というほどの状況にはできていないわね」
ケイトはダークスーツの肩をすくめる。
「村というほどの状況にできていない? どういうことだ?」
「うるさい捕虜ね。遠くはないから少し黙っていなさいな」
ケイトは手を伸ばして軽く俺の頭を小突いた。
遠くはない、とケイトは言っていたが、実際には思った以上に長い道のりだった。俺の身体が疲弊していたこともある。気を抜くと、意識が飛びそうになって、その都度手を引かれる痛みで自分を取り戻した。
「もうすぐよ」
と、ケイトに耳元で囁かれても、どうせまだ先があるんだろう、と皮肉を込めた視線を送ることしかできなかった。
「うわっ」
だが、すぐにジャングルがさあっと拓けた。
岩山のようなものが見える。
「私達の拠点が近くにあるの。すぐそこよ」
事実、そこから間もなくして洞窟のような場所に着いた。
洞窟の中はひんやりとして、熱帯雨林の蒸し暑さになれた身体にひんやりと心地よい。
「お疲れさま。みんな、見張りを残して楽にしていいわ」
洞穴の一番奥まで来ると、ケイトはスーツのジャケットを脱ぎながらそう言い放った。
「ミーティングは翌朝。見張りはローテーションで。あとは規定通りに。何かあったらすぐに私に」
うす、と短く返事をして男達は散って、薄暗い洞窟の中には俺とケイトだけが残った。
「あ〜疲れたわ。やっぱり戦うのは私の役目じゃないわ。もうやってられない」
ぶつぶつ不満を呟きながら、ケイトは俺の手首の拘束を解いた。
それから、ケイトはすっかりリラックスした様子でゴザのようなものに無防備に転がった。
「独りになっていいのか?」
「ん?」
弛緩し切った顔で、ケイトがゆるい声で返事をする。
「俺があんたに襲いかかるとは思わないのか?」
腰の日本刀に手をかけて言った。
途端、弾けたようにケイトは笑い始めた。
「ッフッフフ。面白いこと言うのね、あなた」
「……なんだよ……」
洞窟に響く笑い声に、困惑して柄から手を離した。
「私がそんなに魅力的? ねえ、襲いかかりたくなる?」
「そういう意味じゃないよ……」
毒気を抜かれて、俺もその場に座り込んだ。
「俺がここでリベンジを挑む可能性は考えていないのか? と言っているんだよ」
「ん? する意味がないよね?」
あっけらかんとケイトは言う。
「ここで私を倒して得る利益が何一つない。私を殺したところで大した収穫はない。私が食糧を持っているとか、あるいは重要な情報を紙面で持っているとかそういうことはないから。それに、洞窟の外に出る前に私の仲間に見つかるわよね。いくらあなたの腕が立つって言っても、無傷で勝つことはできないでしょうよ」
滔々と、歌うようにしてケイトは説明する。
「私を失えば、あいつらもちょっとは本気になってくれるでしょう。あなたに深手を負わせることぐらいはできるかもしれないわ。そうしたら、あなたも今後の生存に差し支えが出る。百害あって一理なし。それでも、どうしても私と相対したいとすれば、あなたにとって私を倒す利点は溜飲が下がる、くらいしかないはず。でも、あなたはそんなことをするほど、愚かではないでしょう?」
ゴザに転がったまま、ケイトの大きな瞳がじっと俺を見上げる。
「なあに? 言い当てられたことにそんなにびっくりしてしまったかしら?」
「いや……」
全然当たっていない。
彼女の言ったことは、全く当たっていない。
というか、この世界でそんな損得勘定が成り立つとは全く思っていなかったし、疲労困憊した頭でそんなことも考えていない。
そもそもが一度死んだ身である。自分の溜飲を下げるためだけに彼女を斬り殺すのも、悪い話ではない。
だが、理詰めで『あなたはそんな愚を犯すはずがない』と断言されてしまえば、それをおしてまで彼女を斬ろうとは思えない。
「お腹空いてる? なんか食べる?」
ケイトは半身を起こすと、壁にかかっていた鍋のようなを手に取った。それから、カチカチと手慣れた仕草で火打石を叩き、焚き火を起こす。
「大したものはないけれど、食べなさいよ」
干し肉のようなものと野草をグツグツと煮始めた。
「この世界に来てからね、まだ調味料が手に入っていないのよ。海が見つかれば、そこから塩が安定して採れるんだけど、それまでは動物性の塩分でやりくりしていくしかないわね……動物性のものだけに頼っていると、どうしても入手性が不安定になってしまうから早めになんとかしたい課題」
空腹ではあったものの、勧められるままに食事をとるのも憚られてその場に立ち尽くしていた。
だが、肉が煮えるいい臭いが洞窟の中に漂ってくるとたちまちたまらなくなった。
この世界に来てから、ほとんど獣肉を生でかじり、血をすするような生活をしていたのだから仕方ない。
「すまない……俺にも頂けるか」
「いい子ね。もうちょっと待っていなさい」
ふふ、と微笑んでケイトは焦らすようにゆっくりと匙でかき回した。
「私の仲間に、野草に詳しい者がいたのが助かったわ。最悪の状況でも野草なら手に入りやすいものね」
「……さっきのメンバーの誰かか?」
「ええ。エドっていうんだけどね。獣の腑分けとかも得意みたい」
できたわ、と木製の器に入れてスープを差し出した。
具は干し肉と野草だけの、前の世界では見向きもしなかったような粗末なスープだったが、それでもこの世界では天国のような食事だった。ほとんど飲み込むようにして一気に食べ終えて、おかわりの器をケイトに差し出していた。
「よっぽどお腹が空いていたのね。良いわ、思うまま食べなさいな」
子供をあやすような口調で、ケイトは二杯目のスープを差し出した。
俺は夢中になって二杯、三杯とスープを食べ続けた。
「旨かった……どうして……俺に食事を?」
口元を拭って人心地ついてから、俺は尋ねた。
「それは、もちろん、あなたを懐柔するためよ……」
にやり、とケイトは口元を歪めた。
「俺を懐柔っていう意味がわからない。どういうことだ? ケイト」
「うーん……まあ、どこから話したものかしらね。ねえ……ええと、あなた、名前は?」
「名前?」
そうか。
この世界に来てからは、誰かに名乗る経験もなかった。前の世界で呼ばれた名前も、遠い昔の話のように思える。
「……名前はない」
「ない? そうは言っても、前の世界で呼ばれていた名前くらいあるでしょ?」
というか、私達と一緒よね? 前の世界から来たのよね? と首を傾げてみせた。
「もう以前の世界の名前で呼ばれたくないんだ」
「ははーん。わかったわ、そういう展開ね」
「さっきから、なんなんだ。どうして俺が前の世界から来たってわかるんだ? お前達は何を知っている?」
「ふっふーん。さっきまで夢中で食べていたのに、急に凄んで来たわね。いい傾向よ」
「ちゃかすなよ……」
「良いでしょう。私達も知っている情報を教えてあげる……私達が手にしている情報をまとめるとね。この世界は、一週間前に生じたのよ。そして、この世界には私達しかいない。転生者だけの世界なのよ」