魔法国イースキール
ルドウィジアに人が堕ちてきてから三年。ルドウィジアは三つの国家に分かれて統治されるに至った。
一つ目は女帝・イェカチェリーナ二世を戴く、農業と職人の国アグリア帝国。
現在判明しているルドウィジアの土地の五割を支配する最強の国家。主要産業は稲作を軸とした農業であるが、アスクレピオスという職人クランを有しているために医療、工業、科学、建築、情報など多様な産業を有す『最も豊かな国』。無尽蔵の如き食糧と豊富な物資、黄金色の技術を誇るユートピア。
二つ目には冒険王フランシスコ・ピサロを盟主とする、開拓と探求の国ティアグロ連邦。
異世界に見果てぬ夢を抱く、冒険者の国。現在判明しているルドウィジアの外側・未踏地域のジャングルや砂漠に冒険にくりだし、一攫千金を狙う冒険者が集う。ある者は遺跡から得られた前史時代の遺産を発見して巨額の富を得る一方で、ずっと多くの者が何も得られないままに死んでいく、生きるも死ぬも思いのままの『最も自由な国』。冒険者が多いことから、それをサポートする流通業やサービス業も盛んである。また、統一国ではなく細分化された土地に多くの領主が存在し、ピサロは王ではなく同盟を統べる盟主という形で成立しているのも特徴。
三つ目に、魔法国イースキール。
教祖チャールズ・カフリンが君臨する『神秘の国』。その正体は外部から窺い知れず、謎のヴェールに包まれている。
「……というのが、民にとっての三ヶ国のイメージなのだそうですよ、イェカチェリーナ陛下」
ケイトのことを本名で呼んでやると、ケイトは思い切り眉を潜めて嫌な顔をした。
「イェカチェリーナ二世って名前、カッコよすぎてあんまり好きじゃないのよ、ノーリ。もっと簡単に、ケイトとかキティって呼ばれるのが好き。せめてカチューシャとか、カトリーヌとかって呼んで」
「怒るなよ、ケイト……うん、そうだな。やっぱり俺はケイトって読んだほうがしっくり来るよ」
「ならばそのまま呼んで頂戴。私がいくら高貴な存在だからって畏まる必要はないわ」
アグリアの首都に据えた都市、モスコでの軽口のやりとりである。
イェカチェリーナ二世の、つまりケイトの執務室。すなわちアグリアの心臓部ではあるが、部屋はテント張りで簡素なものだ。世間では最も豊かな国と標榜されているアグリアではあるが、威光を示すために余計なコストをかける余裕はない。この執務室も過ごすのに最適ではあるが、防衛力は皆無である。
もっとも、俺とケイトがいる以上、防御力の心配はそうそうない。イザベラやハイパティアもよく仕事がてら遊びにくる。ここを襲撃するものがあれば、よっぽどの命知らずだけだ。
「それにしても、ケイトの前世がロシア皇帝だったなんてな。びっくりしたよ」
ずっと単に『ケイト』と名乗っていたから、『運命の道標』や『星読みの審判』がイェカチェリーナと呼んでいた時は疑問符が浮かんだものだ。
イェカチェリーナを英語読みすればカトリーヌ、それの省略形がケイトというわけだ。
「私だって、あなたの前世を知った時は驚いたわ」
喋りながら、ケイトはバリバリと書類を片付けている。実務のうち相当な割合がケイトの華奢な双肩にかかっているのも、アグリアのアキレス腱の一つだった。ハイパティアやイザベラも頭は切れるが、政治家の経験はない。
分業といえば聞こえはいいが、代わりのない役割をしているのがケイトなのはまぎれもない事実だった。
「あー、しんど」
「肩でも揉むか? ケイト」
「今はいいわ」
仕事を中断して、ケイトは首をひねってストレッチを始めた。
「それでも、紙が作れるようになったから大分楽になったわ。最初は粘土板だったもの。重いし、書きづらいし、大変だった」
「すまないな。俺がもっと実務を手伝えればいいんだが」
「ううん。全然良いの。ノーリという懐刀がいるというだけで私はとても心強い。あなたにはいざという時には自由に動けるようにいて欲しいし」
ケイトは懐かしむように目を細めた。
「ポル・ポトを倒してから三年、目の回るような忙しさだったけれど、最近は結構文官の人材も揃ってはきた。もうちょっと情勢が落ち着いてくれたら気持が楽になるんだけどねー。そうしたら、あなたやイザベラとのんびり温泉行ったりしたい」
自分の国に温泉があるのに、皇帝である私が一度も行ったことないんだから、とケイトは愚痴を吐く。
「いいね。是非行こうぜ、温泉」
くだらない雑談をしながらも、ケイトの表情は晴れない。
俗に『最も豊かな国』と呼ばれるアグリアだが、建国以来最大の問題が訪れようとしていた。
人口爆発、である。
「異世界転移するのは良いんだけど、まさか転移してくる人口が増える一方で食糧の生産が追いつかなくなるなんて……出来の悪いジョークみたいよね。悪夢みたい。このままじゃ遠からず飢餓が訪れる」
ここ数ヶ月で、ルドウィジアに堕ちてくる人間の数は増加の一途をたどっていた。
「坂本龍馬から譲り受けた、コメの生産に成功した時はこれで食糧問題は解決したと思ったんだけどなー」
農業技術に関しては、アスクレピオスに農学者がいたのが大きな助けとなった。全く知識人と技術者様々だ。ルドウィジアの気候が、前の世界でいうところの温帯気候であったのも助かった。加えていうのなら、早い段階でコメを入手したことで、平野を国土として囲い込むことができたのも幸運だった。
そういえば、コメを我々の手にもたらした坂本龍馬とは、ポル・ポトの襲撃ではぐれてしまったまま行方不明のままだ。生きていれば、これだけ強大になった俺たちの元へ連絡がありそうなことを考えると、死んでしまったのだろうか。
「製鉄技術が向上して、もっと鉄器を多用できれば農業生産性は向上する。品種改良が進めば土地面積あたりの生産力は向上する。理論上はいくつもの解決策があるけど……いずれも時間がかかる。短期間で劇的な効果は望めない」
「少しずつ、確実に解消を図っていく、というのは簡単だけどその前に人口爆発で飢餓が訪れるのは必定」
「しかも『最も豊かな土地』という標語に誘われて、この世界に転移したばかりの人は皆この国を目指すから、有用な人材が集まる反面、ただ食糧を食いつぶすだけの人間も多く集まってしまう。ティアグロにいたら奴隷にされるか冒険に出てのたれ死ぬかだし、イースキールの状況は外からは窺い知れないから逃げ込むには不安がある。ティアグロから逃げてきた奴隷も含めて、行き着く先は私達のアグリア帝国」
ここだけの話よ? とケイトはため息をつく。
「さて、ノーリ。この食糧問題に対するアンサーは思いつく?」
「ん……俺は剣客だからな。ケイトのような為政者にとって意向に沿う答えはできない」
俺は腰に携える日本刀にそっと手を添える。
「でも、それでも何かを述べるならば簡単な答えは戦争だな」
「その心は」
「一つ、土地を他国から奪うことで、食糧生産量が増やせる。二つ、侵略した国の住人を労働力にすることで更なる食糧増産が果たせる。三つ、我が国に溢れた人口を兵士として徴用し、戦死せしめることで合法的な口減らしができる。こんなところじゃねえの」
「よろしい。ノーリは戦士だけど、そういうところがちゃんとわかっていて好きよ」
ケイトは手を伸ばして俺の頭を撫でた。
「そりゃどーも、ケイト。それで、どっちだ?」
と問いかけたのは、冒険者の国ティアグロと魔法国イースキールのどちらに戦争を仕掛けるか、という話だ。
「その二択なら、イースキールでしょうね。ティアグロはない」
「だよな」
ティアグロは商人が多い国だ。アスクレピオスの職人が作った製品を多く買っているのもティアグロだ。アグリアとの経済的な結びつきが強過ぎて、軍事衝突をしては損失が圧倒的に大きくなる。
それならば、ほとんど接点がないイースキールを攻めるのが道理。
「それで、女王サマ? 実際のところ、この雑談はどこまで本気だ?」
俺はじろりと鋭くケイトを睨んだ。ケイトは大きな瞳でその視線を真っ向から受け止める。
「本気で戦争を起こすつもりか?」
「冗談……とも言い切れないわね。戦争をすれば、当座の問題は解決すると思っているのは本当」
割り切ったように、ケイトは心情を吐露する。
「でも、そんな安易な手段をとりたくないと思っている自分もいる。第一、戦争をしていたらあの『運命の道標』と『星読みの判決』に乗せられたみたいになるでしょ」
俺たちを『ゲーム』なのだと言い捨てたこの世界のおそらくは神。きっと彼らは、ルドウィジアが混乱して大荒れに荒れたならば、手を叩いて喜ぶのだろうと思うと、それに沿うのは気に食わない。ケイトの考えはわかる。
「ここしばらくで、堕ちてくる人の数が増えているのも、彼らが戦争の発生を期待しているから、と考えるのは邪推じゃないと思う」
「でも、ケイト、『考えはしたけどやっぱり辞めた』という話をしたかったわけじゃないだろ」
「まあね」
ケイトはストレッチをやめて、書類仕事を再開した。
「今の話は雑談。本題はね、ノーリ。あなたにやってもらいたい仕事がある」
「任せろ。俺に話が回ってくるってことは荒事だろ? しばらく平和でうずうずしてたんだ」
俺は力こぶを作ってみせた。やはり人を斬ることこそ人斬りの本懐。それで役に立てるのならば冥利に尽きる。
「イザベラと二人で、魔法国イースキールに潜入調査をして頂戴。どの程度の技術レベルや軍事力を有しているか。人口は。食糧生産力は。そして、その名前に関する『魔法』とはなんなのか、をね」
羽ペンを走らせながら、ケイトは期待を込めて微笑んだ。
「頼むわ、ノーリ。よろしくね」
「任せとけよ、ケイト」
俺はニヤリと笑みを返して立ち上がった。




