再戦の時
「まさか、鍛冶屋に刀を研ぎ直してもらえるとはな。助かったよハイパティア」
俺は新品同様の輝きを取り戻した愛刀をためつすがめつしながら言った。
今なら鎧武者が相手でも甲冑ごと叩き切れそうだ。
「歩きながら刀を抜かないでくださいよぉ。怖いです」
前を歩くハイパティアが振り返って眉をひそめる。
「それに、鉄鉱石がこの世界に埋蔵されているかはまだ不明なんですから、今ある武器を大切にしてくださいね?」
「刀を大切にして敵を刻むというのは難儀だが、善処しよう」
俺たち二人はジャングルから迂回するルートで、ポル・ポトとその信奉者の集う拠点へと向かっていた。
迂回しているのはもちろん相手に悟られないためだが、熱帯のごとき酷暑で服が肌に張り付いて辟易する。俺にしかできない役割である以上仕方ないとはいえ、早くポル・ポトを倒して一息つきたいものだ。
一方でハイパティアは今日は以前のローブ姿ではなく、全身をすっぽりと覆う作業着のような格好をしていおり歩きやすそうだ。どうやら機織りのできる人間もアスクレピオスは抱えているようだ。
「なあ、ハイパティア。聞きたいことがあるんだがいいか?」
「なんなりと。わたくしに答えられることでしたら」
「信奉者というのは、どういう存在なんだ?」
信奉者。
あの砦にいたポル・ポトをあがめていた連中は、自分たちをそう名乗っていた。
「『死こそ救い』なのだとポル・ポトは言っていた。その考えを言葉通りに受け入れるのならば、信奉者はすぐにでも自殺すべきなんじゃないのか?」
「あなたは強い人ですわねぇノーリ。死を救いと捉える宗教は、前の世界でも珍しいものではありませんでしたが、では実際に死ねるかというとそれは言葉でいうほど簡単なことではありませんことよ」
「……?」
俺は首を傾げた。
「そもそもの話だが、相当な覚悟がないとあんな人間台風みたいな奴を信奉できない。そうじゃないのか?」
「ここから先はわたくしの想像が入りますが……信奉者、というのはただの自称であって、本質を表してはいません。本当の意味でポル・ポトの思想に理解を示してはいない。いえ、はっきりと言ってしまえば、彼らはポル・ポトの思想などどうでもいい、というのが本音だと考えられます」
「ああ、そういうことか」
ハイパティアの説明でようやく腑に落ちた。
「むしろ逆。信奉者にとっては自分が生きることこそ第一義。一日でも死を先送りにして、自分たちを庇護してくれるのならば、相手はなんでも構わない……力が最も強い庇護者として、ポル・ポトを選択した。そこに思想はない。そういうことか」
「おそらくは、そういうことですわ」
ハイパティアは微笑む。
「皮肉な話ですわねぇ? ポル・ポトは死を掲げているのに、誰一人それを理解してはいない。まさに裸の王様。信奉者も、ポル・ポトのことはただのバケモノだとしか思っていない。自然災害のように、自分に被害が降り掛からないことばかり考えていない」
「ポル・ポトにとってはどういうメリットがあるんだ? 信奉者の存在は」
それは、とハイパティアは考え込む仕草を見せて、指を二本立てた。
「第一に、ポル・ポトは救世主を名乗っていますからね。救世主が使徒を連れるのは当然のこと。第二にあるのはもっと即物的な話で、いくらポル・ポトが嵐の如き殺戮者でも、お腹は空きます。兵站部隊として、彼の生命活動を支える人間が必要です。そんなところではないでしょうか」
そうか。破滅の象徴、殺戮の権化とばかり考えていたが、確かにポル・ポトも食糧の確保は必要なわけだ。
「では、兵糧攻めはどうか? ライフラインを断てば、直接相対せずともポル・ポトを破れるんじゃないか?」
「可能性はゼロとは申しませんが……」
ハイパティアは困ったように眉を下げる。
「ケイトさんのネットワークから聞いた情報だと、信奉者は今、増加の一途を辿っているようです。ノーリさん、あなたはイザベラさんと共に数十人の信奉者を始末しましたが、ここ数日でその損失も回復してしまっているようです」
「マジかよ」
「よらば大樹の陰。ポル・ポトが覇王として君臨している限り、信奉者は増え続ける一方でしょうね」
「つまり……俺たちの手札で、兵糧攻めは難しいということか」
「そうなりますわね。そもそも、兵糧攻めというのは亀の子を決め込んだ相手に、時間をかけてでも損害を少なく勝利を収めたい時に有効な手段です。こっちが有利な土俵での戦法ですよ」
「少数精鋭の俺たちが使える戦法ではないか」
しかしなあ、と俺は話を切り替えた。
「ポル・ポトの信奉者が増えてるって? 馬鹿げた話だな、ハイパティアよ。今、ポル・ポトのターゲットは俺たちまつろわぬ民なんだろうが、俺たちが全滅した場合には結局ポル・ポトは信奉者のことも殺そうとするわけだろう」
「でしょうね。ポル・ポト本人は本気で死を救いだと考えている。この世界の人口をゼロにするまで、彼の殺戮は終わらない」
「地獄のようだな……」
それを言ったら、ルドウィジアはほとんど地獄のようなものではあるが。
「で、ハイパティアさんよ。位置はこのあたりでいいのかい」
指定された地点についた。丁度ジャングルの際あたりで、ずっと遠く、地平線の近くに辛うじてポル・ポトと信奉者の拠点が見える。
「ええ。このあたりが攻撃の起点になりますわ……信奉者も監視くらいは立てているでしょうから、見つからないように気をつけてくださいね」
促されて、木陰に隠れる。
「あの砦が拠点ですわ」
どうやらこの世界には砦のようなものが点在しているらしく、その一つを棲家としているようだ。
「砦……か」
以前自分たちが拠点とした砦よりは規模が小さいが、似たような構造のようだ。同じように荒廃してはいるが、信奉者の規模が増えた以上、そうした場所を拠点にせざるをえないのだろう。
「どうしました? ノーリさん。この期に及んで弱気になりました?」
押し黙った俺に、ハイパティアが微笑みかけるのを、そうじゃなくて、と打ち消した。
「このルドウィジアには、どうして砦があるんだろうな?」
「……と言いますと」
「つまりさ」
俺は眉をひそめて、
「この世界には俺たちが、十数日前に堕ちてきた切りで、先住民のようなものは見つかっていないだろう? にもかかわらず砦がある。つまり、戦争があったってことだ」
「それは、確かにおかしな事実ですわね」
ハイパティアも首を傾げた。
「ここにはかつて人が住んでいた。しかし、今はいない。移住したのか……」
「あるいは絶滅したか、だな」
俺が言い切ると、ハイパティアはごくりと白い喉を鳴らした。
「すまない、ハイパティア。策戦実行前に余計なことを言ったな」
「いえ……確かにあなたの言う通りですわ。この世界には『前の歴史』がある、ということになる。考えてもみなかったですけれど、言われてみればおかしな話……先史文明を調査すれば、また新しい技術が得られるかも。調べる価値はありますわね。資源も豊富に眠っていそうです。今ならばノーリさんたちに護衛をしてもらうこともできるし。夢が広がります」
ハイパティアは頷いて、それから、でも、と言った。
「それを調べる前に、ポル・ポトを倒すのが先ですわね。今後のためにも、誰も死ぬ事なく勝利を得ましょう。よろしい?」
「無論だとも、ハイパティア」
「では、私はケイトさんたちと合流します。後は計画通りに」
頷いて、その場に伏せ、ジャングルを引き返すハイパティアを見送った。
俺の役目は囮。
ポル・ポトに正面から戦えば、俺、イザベラ、ケイト総出にハイパティアのバックアップを加えて戦っても勝ち目は薄い。万一勝てても、戦闘要員のうち二人は死ぬだろう。今後のことを思えば、ここでこれ以上人員を失うのは避けたい。
ならばどうするか、といえばこちらに有利な土俵で戦う、ということになる。
既にアスクレピオスの技術を受けて、土俵は整えてある。
あとは機動力と戦闘力に恵まれた俺が誘導するだけだ。
仮に俺が倒れたとしても、役割さえ果たせば勝ちだ。
しばらくジャングルに潜み、ハイパティアがケイトたちと合流するのを待った俺は、ポル・ポトの潜む砦へと進軍を開始した。