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ローマの毒婦 ハイパティア

 俺は、またしても見知らぬ土地で目を覚ました。

 この世界はどこだ?

 身体を起こすと、身体の節々が痛む。

 どうやら、肉体はルドウィジアにいた時のまま……つまり、ポル・ポトと戦って敗れた時のままだ。

 どこかを骨折していてもおかしくないと思っていたが、なんとか骨は無事だった。満身創痍だと言ってもいいほどにボロボロだが、それでも後に尾を引きそうな重傷はなかった。

 それに、いやに身体が軽い。

 単に長時間寝て疲れがとれた……というのとは違う。身体の芯から疲労がとれたというような感覚がある。

 以上の点を踏まえると。

 やはり、俺はルドウィジアでは死んだのだろう。

 死後の世界として、ルドウィジアがあるのならルドウィジアで死んだ後も別の世界があってもおかしくはない。

 今度こそ、ここが地獄なのかもしれない。

 荒唐無稽のようだが、少なくともポル・ポトに敗れた以上死んだのは疑う余地がない。

 イザベラは無事に逃げ果せただろうか。

 逃げ延びたところで、宛などないのだが彼女のタフさしたたかさならばなんとか生き延びてくれると信じたい。

 ケイトは、坂本は、他の仲間達は無事だったのだろうか。

 考えても詮無いことだ。

 立ち上がると、そこが薄暗い洞窟のような場所だということが確認できた。

 近くに水源があるのか、苔むして涼やかだ。荒涼としたルドウィジアでは考えられないぐらい、落ち着いた場所だった。

 歩いて洞窟を出ると、案の定近くに小川が流れていた。きらきらと陽の光を反射して輝く水流はいかにも清涼で、思わず跪いて水を救い上げ、ごくごくと飲んだ。

 ルドウィジアでの闘いの日々に疲れた身体に染み入って身体が浄化されていくかのようだ。

「あ、お目覚めですかぁ」

 そう声をかけられて、俺はびくりと顔を上げた。

「そんなにビックリしなくても大丈夫ですよぉ。あはは。傷だらけだったのに、もう元気になったんですね」

 そこに立っていたのは天女かと見まごうほどの美女だった。緑色のローブに身体を包み、プラチナブロンドの髪を無造作に後ろに流したという簡素な格好だったが、だからこそ本来の整った容姿が強調されている。厚手の布越しでもわかるほど肉感的な肢体をしているのがわかる。

「おいおい」

「?」

 なんですか? という風に美女は首を傾げた。

「天使っていうのは随分自己主張の激しい身体をしてらっしゃる」

 一瞬遅れて意味を理解した様子で、美女は頬を染めて身体を隠した。

「なんですか、もぉ! だいたい天使ってどういう意味です?」

「俺は死んだからな。てっきり俺は地獄行きかと思ったら美人がいるから天国のようだな」

「それは残念でしたね。惜しいことに推察ははずれ。ここはルドウィジアです」

 俺はすっと目を細めた。

 それは意外なアンサーだった。

 俺はまだ、二度目の死を迎えていなかったのか。

「わたくしに天使というのも皮肉が効いていますわね。私は天使というより毒婦ですわ」

「毒婦?」

「ローマの毒婦。ハイパティアというのが私の名前ですわ」

 その美女は皮肉と自慢が混ざったような、複雑な表情をした。



「俺をポル・ポトから助けてくれてありがとう」

 ハイパティアから勧められたスープを食べながら、俺は感謝の言葉を述べた。

 この世界にきてからは初めて会った人にはよく食事を奢られるな、と思う。

 それによって色々な情報がわかる、重要なやりとりだ。

 その点、このスープからはハイパティアがかなり安定した生活をルドウィジアで送れているということがわかった。

 素材そのものがシンプルなのは仕方ないが、味付けが巧い。

 つまり、味付けに気を使うほど生活に余裕があるということだ。

「善意からあなたを助けたわけではありませんわ」

「まあそうだろうな」

 いくら天女の如き女性といっても、このルドウィジアに堕ちてきた時点でワケありである。ただでさえ、まともに食事をしていくことすら困難な環境で完全な善意によって人が動くことは期待できない。

「あのポル・ポトを前にして俺を助けるというのはよっぽどの覚悟いることだしな。話だけは聞くつもりだ」

「そう言ってくれる方だと信じていましたわぁ」

 飽くまで温和な口調でハイパティアは言う。

「結論から申し上げましょうか。ポル・ポトを倒すことに協力して頂きたいのです」

「……それは」

 それは、いくら命の恩人でも二つ返事で任せろ、とは言えない。

 命からがら、あの台風のような怪人から逃れてきたというのに、また戦え、というのか。

 この天女は。

 いや、毒婦か?

「理由は?」

「安全のため、ですわねぇ」

 ハイパティアは頬に手を添えて言う。

「わたくし、こう見えてもちょっとしたコミュニティを築いていますのよ。このルドウィジアにいるのは悪人のみ……と言っても、みんながみんな、暴力に長じているわけではありませんことよ。科学者、医者、商人、官僚、農学者、政治家、鍛冶職人。結果的には邪悪と見なされても、一人では生き抜けない。そんな人を繋ぐコミュニティを少々」

「なるほどね……」

 見た目からしてタダモノではないと踏んでいたが、大した手腕だ。

 俺の身体がいやに軽かったのも、医術者が仲間にいたことによるのか。

「仮にアスクレピオスと名付けています。わたくしたち、それなりの技術は有していますから交渉の通る相手には話ができるんですが、あのポル・ポトには参っておりましたのよ。どなたか、あれを倒そうという愚か者がでてきてこないかな、というのが黙過の悩みでして」

「愚か者ね……」

 愚か、と言われれば確かに、と容れる他ない。

「それで、どうです? わたくしたちが全力でバックアップします。ポル・ポトを倒しては頂けませんか?」

「すまない。それはできない」

 俺は頭を下げた。

「俺には仲間がいる。あなたに感謝はしているが、仲間を優先してやらなければならない」

「あら……」

 残念そうに、ハイパティアは長い睫毛を伏せる。

「残念ですわね」

「本当に悪いと思っている」

「いえ、残念だと思ったのは、ここで快く引き受けて頂けなかったことです。断られたことではありません」

「……うん?」

 俺は怪訝な視線を向けると、ハイパティアは口元が裂けそうなほど大きく笑みを浮かべていた。

「あなたのお仲間はイザベラちゃん? それともケイトちゃんかしら?」

「二人を知っているのか?」

「坂本さんもいるわ。わたくしの庇護下にね」

 ハイパティアは笑みを浮かべたまま言う。

「俺を脅そうっていうのか? ローマの毒婦」

 彼女は言っているのだ。

 ポル・ポトとの交戦を受け入れなければ、彼女達の安全は保証できないと。

「どう受け取ろうとそれは自由ですわぁ。でも、もう一度聞きますわね。わたくしたちと手を組んで、ポル・ポトを倒して頂けませんか?」

 ローマの毒婦、ハイパティアはとろけるような笑顔でそう言った。

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