遭遇
「ハッ」
閃いた刀の切っ先が、敵の口元に突き刺さる。
唇を裂き、顎を割った剣先はそのまま流れるように翻って胸元を穿ち、さらに一瞬のうちに腰部を分断していた。
悲鳴をあげる暇すらなく、その男は絶命していた。
「よっと」
軽く息を吐いて、愛刀を男の服の血で汚れていない部分で拭い取り、納刀した。
手を伸ばして男の懐を探り、見つけた干し肉を口の中に放り込む。
ぱさぱさに乾いている上、血の匂いにまみれてひどい味だったが、一日ぶりの食事を噛み締めるとじんわりと力が身体に染み入るのを感じた。
できれば地図のようなものか、そうでなくてもなんでもいいので情報源になるものが手に入れば、と思っていたが男の懐からは食糧以上のものは見つからなかった。
残念だが、仕方ない。
気持を切り替えて、荒れ果てた道を歩きはじめた。
俺がこの地に降り立って最初に見たのは、ひたすらに遠い地平線だった。山の多い日本ではまず見られない風景だ。もしかしたら、自分は水平線でも山並みでもない、地平線を見たのはこれが初めてなのかもしれなかった。
動物も植物も、申し訳程度にしか見つからない。
わずかに遭遇した獣や、ひび割れた大地にしがみつくようにして生えている植物もいずれも今までで目にしたことがないもので、この世界が異世界だということを嫌でも感じさせた。
それから、歩き続けて一週間。
辛うじて、身につけているだけの衣類と、生前愛用していた簡単な武器だけは諸共に転生していたのが救いと言えば救い。日本刀を振るって、時々目についたイノシシに似た動物やシカのような動物を狩っては火で焼いて食べていたが、すり切れた神経までは癒してくれない。
火をおこすのにさえひどく苦労したし、それにこの環境で火をおこす危険がどれほどのものなのかも今でもよくわかっていない。生肉を喰らってばかりいればいつかは身体を壊すはずなので、そちらの安全をとった形になる。
二日前からは密林のような場所に入ったが、以前として環境は好転していない。
違いといえば、人間……のような姿をしたものが襲いかかってくるようになったことくらい。
「……それを吉兆と見るか凶兆と見るのかは、難しいよな」
人がいるのならば情報収集ができる可能性がある。自分がどんな環境に置かれているのかもわかる。
少なくとも、この世界に人間は俺一人という可能性はないわけだ。
だが、ここまでに遭遇した数名は全員が全員、俺に対して敵対的だった。
顔を見るなり逃亡するのはいいほうで、いきなり襲いかかってきた相手のほうが多い。
それ以上に話し合いを求めることもなく、即座に切って捨てたのは俺なのだが、こればっかりは仕方のないことだ。話せばわかる、と言えるほど俺は穏健な人間ではない。切り捨てた相手から食糧や水を奪ったことは責められても仕方ないかも知れないが、それだって奪わなければ俺が死ぬ。
ここでのサバイバルを生き抜くには、やむを得ないことだ。
しかし、それももう限界かもしれない。
腰に携えた愛刀の重さが身体にこたえる。身体の消耗と対応するように、刀も既に脂で汚れ、刃こぼれでぼろぼろだ。
せめて水源、できればぐっすりと眠れる環境が欲しい。
視界が霞む中で、不意に背後に気配を感じた。
イノシシか?
滑り込むようにして、日本刀を抜き放つ。
そこにいたのは。
屈強な五人の男と、それを従えるようにして立っている女だった。
「……ッ!」
一気に意識が覚醒した。この世界で、集団の人間を初めて見た。
明らかに、普通ではない。
普通ではないということは、殺したほうがいいということだ。
「なんだ? 貴様たちは」
「あなたは? どこから来たの?」
中心にいる女が、低くハスキーな声で言った。
見た目は二十代くらい。ぱりっとしたダークスーツに長い黒髪を下ろしている格好が、ジャングルとはあまりにも不釣り合いで、まるでそこだけ別の空間に切り取られているかのようだ。
「武器を捨てなさい。こちらは六人。あなたに勝ち目はないわ」
見た目通りに、女が頭目らしい。五人の男は、女を守護するように、身体をそびやかしている。
「話し合いがしたいの。武器を捨てなさい」
確かに、相手は六人。そのうち五人は筋肉質で、背も俺よりも高い。よく見れば、腰にナイフ程度の武装は見える。
「わかった」
俺は口元を歪めた。
「俺はあんたたちと戦うことにするよ」
言葉より先に、身体が動いていた。叫び声と共に、先頭にいた男に刀を叩き付け、さらに返す刀で隣の男の胴を薙ぐ。うめき声をあげて二人は倒れ込んだ。
だが、浅い。
手応えが鈍い。刀の切れ味が鈍っているせいだ。致命傷にはほど遠い。悪態をついて、地面を蹴って距離を取る。
「貴様……ッ!」
残り三人の男が、じわじわと取り囲むようにして近づいてくる。幸いにも、最初に攻撃した二人はまだ身体を起こす気配はない。
ならば、まだいける。
相手連中は身体は大きいが、戦闘の専門家ではない。体格で劣っても自分が勝てない相手ではない。
それに、自分はまだ切り札を残している。こんなところで使いたくはないが、切り札を切ることも考慮しなければならない状況だ。
理想は六人全員を斬り殺した上で、その持ち物を漁って情報を入手することだったが、やむを得ない。ここを離脱することができればよしとしなければならない。
「やめておきなさい」
ぴしゃり、と対峙する俺たちに水をかけるようにして声を上げたのはやはり、例のスーツの女だった。
「あなたたちの勝てる相手ではないわ。この男を倒すのは、私に任せなさい」
「……なんだって?」
一瞬、聞き違いかと思った。
私に任せなさい?
俺の相手を?
思わず笑みがこぼれてしまった。何を言っているんだ? この女は。
まさか、この女が、筋肉質の男三人よりも腕っ節に優れているとでも言うのか? 馬鹿な。
「笑っていなさい」
命令通りにしずしずと下がる男に代わって俺と対峙しながら、女は言った。
「私の強さを見せてあげるわ」
腰に下げていた革製の鞭を構えながら、女は威嚇するように微笑んだ。