漂白の武器商人と魔王オズワルド
「坂本龍馬……だと?」
「どうしました?」
青年は、坂本龍馬は、怪訝そうに視線を向けた。
「ノーリさん、でしたね……どうしました? まさか、以前会ったことでもあるんですか?」
「いや……気にしないでくれ」
この青年が?
坂本龍馬?
どういう意味なのか、うまく受け止めることができない。
坂本龍馬がこの場所にいるという現実をうまく受け止めることができない。
「どうした? ノーリ」
イザベラが俺の顔を覗き込んできた。
「大丈夫? やっぱり傷が悪いんじゃないか?」
よっぽどひどい顔色をしていたらしい。
それはそうだろう。
だって、坂本龍馬が目の前にいるって現実を受け止めることができるか?
「いや、坂本龍馬という名前に聞き覚えがあったのでびっくりしただけだ」
「やはり生前の知り合い?」
「知らない」
思いのほか、強い語調で否定してしまった。わずかにイザベラが眉をひそめている。不審に思われたかもしれない。
フランス人の彼女は坂本龍馬を知らないのだから、当然だが。
「日本では坂本龍馬は有名なんだ。ファンも多い」
「そうなんだ」
もし、彼が本当に坂本龍馬なのだとしたら。
俺はとんでもない男を保護してしまったのかもしれなかった。
「はは……大げさですね。ノーリさん。僕はただの商人ですよ」
謙遜して坂本は微笑んでみせた。
「噂が一人歩きしているだけです。僕は仲間に恵まれただけ。事実、この世界では何もできない」
「とんでもない。本当に無力なのだとしたら、こんなに傷だらけになることなんてなかったはずだ」
「確かに……そうかもしれませんね。この種籾にはそれだけの価値がある」
「それは否めないな……では、坂本さん。まだ喋れるか」
「なんとか、まだ少しなら」
身体を横たえたままで、かすれ声で坂本は答えた。
「無理をしてでも、情報を共有しておいたほうがいいでしょう? あなたがたにとっても、僕にとっても」
「ああ。済まないが、教えて欲しい。どうしてあんたがこんなにぼろぼろの姿でここに逃亡してきたのかをな」
「話せばシンプルなことですよ」
坂本は痛みに耐えるように、目を伏せる。
「僕は近江屋で死んだ後、この世界に堕とされてからしばらくはこの世界をさまよっていた」
「ええ。近江屋事件であんたが暗殺されたのは知っている。悪人扱いされたのは意外だが」
「僕はどこまで行っても武器商人ですからねえ」
ふふ、と坂本は自嘲するように笑った。
「それが悪なのだと言われたら、認めるほかありません」
「それで? それから、そのオズワルド? って名前はいつ出て来るの?」
坂本龍馬という偉人を知らないイザベラは先を促した。
「急かさないでくださいよ、すぐ出てきますから。そして数日して、集落を見つけたんですね」
「集落だって?」
「ええ。集落です。驚くべきことに。この世界に堕ちてから数日の間に、集落が築かれていたんです。驚くべきことでしょう?」
「何人ぐらいの集落?」
イザベラは首を傾げた。
「あたし、この世界に来てからほとんど人に会っていないから、集落を築いたと言われても信じられないんだけど。仮に築けていたとしても、それは実力じゃなくて幸運に依るものじゃないの?」
「当然、そうした意見はあるものと思う」
反論を坂本は受け止める。
「僕も幸運による影響がないとは言えない。お嬢さん、あなたもチャンスさえあれば集落を築いて王になっていたかもしれない。しかし」
坂本は言葉を切って、
「村の規模は数百人だった。これは、単に幸運に任せて作れる数字ではない、と僕は思う」
むう、とイザベラは眉をひそめた。坂本のいうことを認めたのだろう。
確かに、ケイトのネットワークですら、僕やイザベラといった戦闘要員を含めても数十人。文字通りの意味でケタが違う。もちろん、ケイトのネットワークは構成する全員がケイトを中心に協力し合う関係であるのに対して、集落の構成員はトップに忠誠を誓っているというわけではないのだろうが、それでも信じがたい。
「そしてそのトップに立っていた男はオズワルドだ」
「オズワルド……。その男のカリスマが集落を築き上げていたというんだな」
「もちろん、カリスマだけで人間関係を築くことはできない。当然、多くの人を集落に組み込むために出会う頻度をあげるために交通の要所をおさえるようなことはしただろうし、村に所属することにメリットがあるような仕組みづくりもしていた。食糧などは協力して狩猟を行い集落で管理することで皆が食事にありつけるようにしていたしな」
システムとしてはケイトのものとそうかけ離れているわけではない。
だが、単純に規模が違う。
その理由は、やはり。
「それでも、一番の強みはオズワルドという男の凄みのようなものにあると言っていいだろう。彼についていけばいい。この右も左もわからない世界の中で、彼にすべてを委ねてしまえばいい。そう思わせるカリスマがあったから、集落を築けたんだ。そう僕は考えている」
「なるほどねえ」
俺はあごをさすりながら頷いた。
確かに、この地獄のような世界でそうしたカリスマの持ち主は強烈な求心力を持つだろう。
俺だって、たまたまケイトに最初に遭遇しただけで、ケイトより先にオズワルドに遭遇していたらそちらの仲間になっていたのかもしれない。
「わかったよ、坂本さん。それで? その種籾はどう繋がるんだ?」
オズワルドが集落の王として君臨しているならば結構なことだ。
わざわざ地獄に堕ちた人間たちを救っているのならば、まっこと尊い慈善事業だ。
種籾なんて、彼にくれてやればもっと多くの人間を救ってくれることだろう。
「ノーリさん。この世界にやってきたカリスマがそんな善行をなすと思いますか?」
坂本は、意味ありげに笑みを浮かべた。
「あれは、悪魔ですよ。人を殺すのが好きな人間です。人を虐げるのが好きな人間です。そんな自分を邪悪ではなく、正義のために人を殺しているのだと当然に受け入れている人間です。僕はそういう人間を、今まで嫌というほど見てきました。今はいいが、あんな人間に権力を握らせたらどうなることか。そんな人間が築く社会こそ、地獄というものです。そのためにも、米という神の至宝をオズワルドに与えてはいけないのです」
「それで種籾を持ち出して逃亡したところを、見つかって追撃を受け満身創痍だったというわけか」
ふん、と僕は鼻を鳴らした。
生前の坂本龍馬ならば、人を殺すのが好き、という人間を多く見知ってきたことだろう。
坂本龍馬の鑑識眼がそう言うのならば、彼の言葉には一定の説得力がある。
だが、逆に言えばオズワルドへの評価は彼の印象でしかない。
極論、彼の意見は的外れでオズワルドは聖人のような為政者なのかもしれない。
そのあたりは、オズワルドサイドの意見を聞かなければ判断できない。
ただ、オズワルドが悪かどうかも、実際のところとしては大した問題ではないのかもしれない。
問題は、オズワルドとどう関係を持って行くかどうかだ。
坂本龍馬を保護して、オズワルドと敵対するか。それとも、坂本龍馬をカードにオズワルドと交渉し、同盟したり協力関係を築くという可能性もある。できるならばそのあたりの判断はケイトに任せたいところだが、俺個人としてはケイトとの関係を手切りにして坂本龍馬を手みやげにオズワルドの庇護下に入るという手も残されている。
「……で、坂本さん」
俺が思索に耽っている間に、イザベラが坂本に問いかけていた。
「あなたへの追手は、今もここに迫っている可能性はある?」
「完全に振り切った可能性は……まあ、低いな」
坂本が申し訳なさそうに言った。
「ここにオズワルドの尖兵が迫っている可能性はある」
はあ、とイザベラはため息をついた。
「すぐに身の振り方を決める必要がありそうだね」
「と言っても、今すぐに襲撃があるなんて可能性は低いと……」
坂本は最後まで言い切ることはできなかった。
防壁を砕くような、雷が落ちたかのような耳をつんざく轟音が、砦の中に響き渡った。