エピローグ
「陛下! 陛下!」
身体を揺り動かされている感覚がある。
「ねえ、ケイト! 起きてってば!」
「ううん……」
ケイトは目をこすりながら身体を起こした。
「おはよ、イザベラ」
「もう! なに執務机で寝ちゃってるの」
イザベラが、口を尖らせるのを、ごめんごめん、とケイトは宥める。
「ごめんね。疲れがたまっていたみたい」
「疲れがたまっているのなら、きちんとベッドで仮眠をとったほうがいい。そうでしょ?」
イザベラが言っていることは完全に正論だったが、思わずケイトは笑みをもらしてしまった。
「何がおかしいの?」
「いえね、笑わないで欲しいのだけど……私がゆっくり仮眠をとれるという事実が嬉しくてね」
虚を突かれた様子で、イザベラは丸く口を開けて、
「ま、そうかもね。最近は、ようやく落ち着いてきた」
魔法国イースキールからアグリア帝国を奪還して、一年が経過していた。
「えっと、イザベラ、なにか用事があって私に声をかけたんじゃないの?」
「そうだった」
思い出した、とイザベラは両手を打ち合わせた。
「そうそう、坂本龍馬が目通りをって言ってる」
「龍馬とフランシスコのことはノーチェックで通していいわよ……待たせると悪いし」
「そう言うと思って、勝手に入らせてもらいましたよ、陛下」
ケイトがあくびをしていると、執務室に坂本龍馬が入り込んできた。
「悪いわね、龍馬。こんな姿で」
「いえいえ、陛下が大変多忙でらっしゃるのは僕としてもよくよく承知しておりますよ。お世話になってもいますしね」
「そう言ってもらえると助かるわ。私たちとしても、龍馬、あなたが復興資材を供給してくれたことに大変助かっているわ」
ケイトはほっとして続ける。
「それで? 今日はなんの用?」
「特段の用事があったわけではございませんが……近くを通りかかったものですから、ご挨拶にと思いまして」
坂本は恭しく頭を下げる。
「前置きはいいわ、龍馬。何か聞きたいことがあるのね?」
「ええ。ご明察です」
坂本は唇をなめて、
「対イースキール戦線に動きはありそうですか?」
「なんとも言えないところね……」
ケイトは伸びてしまった髪の先をいじりながら答える。
「動向が読めていないのは私も同じ。近衛兵長パルメニオンが老練で、やりづらいわね」
イースキールとの戦いは、長期化していた。
アグリア帝国の領土のうちイースキールに近い一部が占領されたままであり、そこを境目にして軍の睨み合いが続いている。
最近は衝突も少ないが、それでも戦争状態であることには違いがない。
「こちらとしては、既成事実を作られる前に早く領土を奪還したい……けれど、継戦にはどうしても国内の復興が必要で、手が足りない……というのが現状よ。充分に承知していると思うけれど」
「悪化はしていないが、好転もしていない、といったところですか」
「国土を占領されている以上、それが続く時点で悪化している、といってもいいけどね」
ケイトは深々とため息をついた。
「ようやく国内に余裕がでてきたところだから攻撃に転じるといいたいところだけど、まだそれにはもうちょっと時間がかかるわね」
「心得ました」
坂本龍馬は頷いて、それから声を低めて、
「陛下……沖田総司の傷が癒えたという情報を聞き及んでらっしゃいますか」
「やっぱりその話か」
ケイトは困って髪をかいた。
「龍馬のところにもその情報が入ってたということは、信憑性は高いわね」
「陛下は以前、沖田総司の手首を切り落としたと仰っていましたよね?」
坂本龍馬は確認するように言う。
「ええ。それにしては傷が癒えるのが速すぎる、という話よね? あなたが言いたいのは」
「御意に」
坂本龍馬は渋面を作って言う。
「どこまでこの情報を信じていいのかどうか」
鋭利な鋼糸で切断したために回復が速いのかもしれないが、それでも接合した上でリハビリを終えるには一年が速すぎる、という坂本の考えは確かに正しいだろう。
「イースキールの凄腕の闇医者がいるかもね?」
「可能性は否定できませんが、アグリア帝国を釣るための策ということもありえます」
「考え出すと泥沼ね」
考え込む坂本龍馬を見て、ケイトは思わず吹き出してしまった。
「機嫌がいいですね?」
「うん、まあね。ちょっと楽しくなってきている。この世界を生きるのが」
「?」
坂本龍馬は首を傾げたが、
「状況はわかりました。新しい商売ができそうですね。準備がありますので短いですが僕はこれで。陛下もどうかご自愛ください」
と言い残して執務室を後にしていった。
再び、執務室にイザベラとケイトだけが残る。
「イザベラ」
「なに?」
「あなた、ノーリと戦うのならば最前線がいい?」
「もちろん」
ケイトは服をめくりあげて、沖田総司との戦いで刻まれた傷跡を見せた。
「この傷のお返しをしなきゃ」
「そうよね。あなたに頑張ってもらうのも、そう遠くはないかもね」
思い返せば、今の形がノーリが意図したものだったのだ。
敢えて、ノーリとケイトを別陣営に配置して、ケイトに『天恵』を得る権利を有させて『運命の道標』『星読みの審判』の介入を防止させる。
その上で、ノーリとケイトが永遠に戦争を続けることこそ、ルドウィジアを平穏に保つ最大の手段。
お陰で今、ルドウィジアは形式上こそ戦争中ではあるものの、限りなく平和に近い形で落ち着いている。
もちろん、その裏ではノーリ本人が、ケイトと戦ったらどこまで戦えるのか? ということを試してみたい、という気持もあったのだろう。
それを伝えることをせず、いきなり反旗を翻すあたりに、ノーリの人の悪さが伺える。
「やっぱり決戦になる?」
「まだ、わからないけど」
ケイトは執務机から立ち上がって、窓から外を見た。
ルドウィジアの太陽が、力強く大地を照らしている。
この地に来た時はひどい不毛の土地だったと思ったけれど、人がいれば国ができ、そこには生活が生まれる。
享楽の神の介入さえ防げば、煉獄の如き地でも人は営みを築けるのだ。
「また、ノーリと戦える日が来るなんてね」