異邦人坂本龍馬
「もちろん、助けるさ」
あのストレンジャーを助けるか、というイザベラの問いに俺は即答で応じた。
「あら? どうして? あなたなら性格的にはリスクを避けるほうをとると思ったけど」
イザベラは先ほどまでの熱のこもった視線とは別の、値踏みするような冷たい目で俺の意見を問いただす。
「俺としてはリスクを避けているつもりなんだがな」
肩をすくめて、言う。
「あの青年を保護したほうがリスクがない、というのが俺の考えだ。理由はいくつかある。まず、あの青年が追われているとしたら、追うに値する価値がある可能性が高い。それは俺たちにも価値があるものかもしれない」
「彼に別になんの価値もない可能性だってあるわ。たとえば、組織を造反して脱走したとか」
私達の他に、人間のコミュニティがあると仮定してだけど、とイベザラは言い添えた。
「俺たちと同じく、前の世界から転移してきた人間だと仮定して話すが、組織を造反して脱走したとしても追撃を放つ余裕があるコミュニティを組織している可能性は低いだろう。その場合ならば、保護してもリスクは少ない。彼自身になんの価値がないとしても、少なくとも労働力にはなる」
「ナルホドね」
わかった、助けましょう、とイザベラは城門へと歩きはじめた。
「お前はそれでいいのか? イザベラ」
「もちろん……あたしだって、最初から助けるつもりだったわ。ノーリの意見を教えて欲しかっただけ」
イザベラは口元からぺろりとピンク色の舌を出した。
「仮に、戦闘になったとしても、私の強さを披露するケイトへのパフォーマンスになるしね。あたしとしてmは、どっちに転んでも損はない」
ケイトには損があるかもしれないけどね……とイザベラはおかしそうに言った。
城門へとたどり着く段になっても、城門で倒れ臥したまま青年はぴくりとも動かなかった。ひょっとすると傷の多さも相まって死んでいるんじゃないか、というぐらいの印象だった。
「脈は……あるな。イザベラはどう見る? この男を」
「前の世界だったら全然なんともない範疇だけど、この世界だと包帯さえないのがヤバイかな。失血を防ぐために何かを巻こうとしても、なんにもないし」
イザベラは眉に皺を寄せる。
「なんにせよ、このまま転がしておくのはまずいから、運ぶね」
はあ、とこれ見よがしにため息をついたイザベラは、青年の身体を背に担いだ。
「すまん……俺が万全の体調ならいいんだが」
「謝らないで、ノーリ。それはあたしを助けてくれたおかげなんだから」
イザベラは少女のように小柄だが、力はあるらしい。大人として、体格が悪いわけではない青年を易々と担ぎ上げる。
「流石に本丸まで担いでいくのはしんどいから、どこかの小屋までで」
異論はない。俺たちのように大立ち回りをしなければ、建物が崩れることはないだろう。
城郭内にいくつもある小屋のうち一つに青年の身体を横たえた。
「とりあえずは、傷口をなんらかの形でふさぐことかな……ノーリ、どうかした?」
「ん……いや」
俺は歯切れ悪く言った。
「この青年に見覚えがある気がしたんだ」
今までずっとうつぶせで倒れていたのと、顔が長めの髪で覆われていたせいで、顔をあらわにしたのを見たのはこれが初めてになる。
「見覚え? 前の世界で?」
「よく思い出せないが、そういうことになるかな……」
一瞬、この世界に来てからしばらくの間に俺が斬った相手なのか? とも考えたが、それは考えがたい。俺ならば戦った相手は確実に殺しているし、万一取りのがしてもこんなに傷だらけにはなっていない。もっと少ない傷で為留めている。
「思い出せない……」
前の世界で会ったとしたら、なんの時に会ったんだ? 体格からすれば、職場の同僚でもおかしくはないが、それも違うような気がする。
「話の腰を折ってすまない。傷口を塞ごう」
「おっけー」
と言っても、傷口を塞ぐ包帯がない。考えた後、青年の服を引きちぎって傷口を巻くことにした。悪いとは思うが、背に腹は変えられない。
「うわ……これはヤバイわね」
服を脱がせているうちに、腹部にひどい傷跡があってイザベラは表情を歪めた。
「でも、急所はうまく回避しているな。この人、実は達人かもしれない」
「まさか。そんな器用なことができる人なら、こんな目にあってない」
確かに、イザベラの言う通りかもしれない。
「ねえ、ノーリ。追撃が来たらどうするつもり?」
腹部の傷口を巻きながら、イザベラは問いかけた。
「うん……まあ、事情を聞いて、それから引き渡すかを決めるというのが常道かな」
可能性としては、この青年が殺人鬼で私刑を受けたという可能性もないことはない。
「できるなら、その前にこっちの青年に目を覚ましてもらって事情を聞きたいかな」
「そうね。それができるかは運次第だけど」
皮肉げにイザベラがそう言った瞬間、
「うん……」
と青年が小さな声を漏らした。
「目覚めたか?」
青年はうっすらと目を覚まして、俺とイザベラを見比べた。
「……あなたがたが……助けてくれたのか」
「ああ。大したことはできていないがな」
「それに、助かったかどうかも謎ね。ここには屋根はあるけれど、安全も食糧もないから」
「あんた、誰に襲われたんだ? この傷は。人間が相手だろ?」
「オズワルドだ……」
息も絶え絶えに、青年は言う。
「あんたたちも先日のこの世界に飛ばされてきたんだろう? オズワルドもそうした人物の一人だ……あいつは、悪魔だ……既に王国を築きつつある」
王国を?
その言葉にさっと顔色が変わった。
この一週間そこそこの間に何人もの仲間を取り込み、ネットワークを築いたケイトでさえ電光石火の対応の早さだと思っていたのに、既に王国を築きつつある人間がいるっていうのか?
「あいつに、これを渡してはいけない」
そう言って、青年は懐から小袋を取り出した。
「僕はオズワルドにこれを渡すことを渋ったからこんな目にあったんだ」
と、広げてみせた。
そこに見えたのは、種籾。
「これは……この世界では、物凄く貴重なものだな」
「そうなの? ノーリ」
ピンと来ていない風に、イザベラは首を傾げてみせた。
「一部のアジアで食される穀類で……ええと、そうだ。フランスでいう小麦みたいなものだ」
「それは……」
ようやく理解した風に、イザベラは言葉を詰まらせる。
「保存性が高いのと、炭水化物が多いのが特徴だ。俺の祖国では、これを中心に食べている」
この世界にはまだ穀類がない。
ケイトと話していても、『保存できる食糧』が極端に少ないことは今後の不安材料になっていた。
そんな中で米作りができるとなれば、爆発的なアドバンテージになる。
兵站で有利とか、大変な人数を養えるとか、その程度の話では済まない。
この優位性一つで、この世界の頂点を捉えることさえできるかもしれない。
そんな悪魔のような武器が『米』だ。
もし、他の勢力に先んじて米を手にできるというのならば、これ以上の有利はない。
俺は青年に顔を向けて、
「あんた、種籾を持っているということはアジア人だな。名前はなんていうんだ?」
「僕の名前は……」
一度、ごほごほと咳をしてから青年は、
「僕の名前は坂本龍馬だ」