前夜
「そろそろってわけかい・・・・・・」
女主はうめくように言った。その目はひどく悲しそうで・・・どこか、ホッとしているようでもあった。夜斗は無言で、2階へ続く階段を見つめていた。彼の目は・・・・・・妙な光を放っている。
「いいのかね・・・こんなことが」
女主は夜斗をじっと見つめた。いつもに比べて真剣なその表情に、夜斗はほほ笑んだ。
「いいか、悪いかなんて、誰にもわかりませんよ。分かるのは・・・過去だけだ」
「その過去を、あんたはわからないものにしようとしているんだろ?・・・もしも、本当に過去が消えてしまったら・・・」
「心配いりません・・・覚悟は、とっくの昔に決まっています」
女主は、ぐっと目を閉じた。この男には、何を言っても意味がない。自分では・・・この男の歪んだ意思を消すことも、心の傷を癒すこともできなかった。そして、後に残ったのは、後悔だけだ。
(でも・・・あの子なら・・・?疾風ならば・・・変えられるのかもしれない)
女主はゆっくりと目を開く。まだ、希望は残っている。明日にでも自分の元を去る疾風だが、あの子ならば・・・過去を知ることが出来るかもしれない。訳を話すことはできないが、必ず、知る時が来る。3人のつながりと・・・夜斗と自分の過去を・・・・・・。消せる過去など、この世には存在しないはずだ。絶対に・・・・・・。
「わかったよ・・・ただし、あの子を巻き込むんじゃないよ」
「もちろん・・・・・・もう2度と、あいつの人生を狂わせない。俺の過去が消えるということは、あいつの過去も消えるということ・・・誰一人として、知ることなんてできませんよ。当の本人さえも・・・」
「・・・・・・それで、疾風は幸せになるんだね?」
「・・・・・・えぇ・・・きっと」
2人の会話を知る者はいない。