呪われた白猫②
豪勢な分厚いオーク肉ステーキと缶詰の夕食はトンプソン家にとって久方ぶりの贅沢だった。顆粒のコーンスープも添えられていて、寝たきりの祖母がとびはねて夕げの卓についたほどだった。
「すごーい塩と胡椒とわかんないけど美味しい味がするー!」
「これは10歳は若返る!」
母のシャーリンは食べたことのないガーリックステーキに無言で舌鼓をうっている。それを眺めている葵も満足そうだ。
店主は場が和んできたのを見計らいある話を切り出した。ここから出てくる話は全てデマカセであり瞬間の思いつきで構成されている。
「実は私たちはこの土地の問題を解決するためにやってきました。生業からこの地域の行政などについてお教えいただけませんか。もちろん協力していただければ…」
「錬金術師どのは国から派遣された者なのかえ」
老婆が肉を口いっぱいに頬張りながらこちらを窺うように尋ねてきた。どこか厳しさを含ませている視線に足元の白猫ワシントンがにゃーと鳴いて間をつくる。
「息子を戦争にとられて国には怒っている」という意味の鳴き声だが、それを理解できるのは店主だけだった。
「いえ、いまから10年ほどまえに旅をしていた国外のさる高貴なかたが旅の途中に助けられまして…その時の恩返しにこの地方のことを調べましたら現状になっていたのです。そこで錬金術師の私が派遣されました。できればご内密にしていただければ…」
「10年前にそんなことあったんですか」
いいえ、ありません嘘ですのでと心の中で呟くが、顔は真顔のまますこし俯きそれらしく振舞う。
「それで土地の改善と…その時助けていただいたトンプソンという男性を探しているのですがご存じありませんか?」
祖母と母がおどろいたような顔でお互いを見合った。なにせこの狭い村で『トンプソン』という姓をもっているのはこの家だけなのである。だが豪農としての過去の栄光で与えられた性は、落ちぶれた現在は恥ずかしくて封印されている。
「主もご高齢であいまいなところもあるのですが、たしか『トーマス・トンプソン』と名乗っておられたと伺っております」
「それ私のお父さんと同じ名前だよ!」
葵は元気なマリエッタの髪をなでなでしてほほ笑んだ。ちなみに終始の会話は店主の言葉から想像して補完しているので実質は母と娘の名前しか情報としてはわからない。
「マリエッタちゃん、お父さん同じ名前なんだね。でもね名字は貴族や商人しか名乗ってはいけないんだよ」
祖母はことんと使い古された木製のフォークを置くと気まずく苦々しい面持でこの家の成り立ちを話しはじめた。
葵は食事も終わりかかっていたこともあり、ティーパックの紅茶を母と一緒に淹れはじめた。100個入りの残りを母にあげると身振り手振りで伝えるがいまいち意思疎通できていなかった。
「なるほどそれは話が早くて助かります。ではかつて豪農であったため特別に名字を与えられたという経緯をお持ちなのですね。それで御婆様の息子でありシャーリンさんの旦那様がトーマスさんだったと…」
老婆はすこしだけ誇りをとりもどしたような勇ましい顔つきになった途端に、ぼろぼろと大粒の涙をながしはじめた。
「それもこんなに落ちぶれてしまってはあの世で二人に合わす顔もない」
「お義母さま…生きてるだけで十分ですよ」
「では明日からまことに勝手ながらトンプソン家を再興させていただきます」
LEDランタンの光に雨の湿気から逃げてきたやぶ蚊が集まっていた。どうやら外の雨はいつのまにか止んで星空が顔をのぞかせていた。
「「「「え」」」」
4人は店主の思わぬ発言に何を言っているのかわからないという風にこちらを見ていた。
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それからほどなくしてマリエッタが母と寝るという事でベッドをひとつ貸してもらえた。そこには葵を寝かせて、店主は祖母と夜更かししながら家について話を聞いていた。
もしかしてワシントンが言ってた祖母が寝込んでいる、というのは栄養失調もだが気持ちの面が大きいのではないかというくらい活力に満ちていた。
雨上がりのぬかるんだ地面を店主と老婆が散歩していた。カエルや虫の音に包まれ、天を仰げば満点の星空。これが老婆でなければデートだったなとほくそ笑った。
「男手がなくなってから畑は荒れ始めてきたんじゃ。シャーリンもマリエッタも頑張ってくれてるのだが他の土地も同様じゃ」
「他の家の土地は干ばつ以外になぜ荒れたかわかりますか?」
店主は子供もいないしいいだろうと煙草に火をつけた。老婆は100円ライターを珍しそうに見ていたが錬金術師の魔法具だろうと深くは気にしなかった。
「いんや、ただ収穫の効率をあげるためにトマトやナスやピーマンなどの実がなりやすいものに切り替えたんじゃ。それと肥料が足りなくなって雑草も乾かして肥料にと努力はしてたんじゃがのう。なにが悪いのかとんとわからん」
「あーなるほど十分参考になりました。日照りもあったけど、予測ですが実が大きくならない、虫に食べられる、といったことがありませんでしたか?」
「さすが錬金術師様!!よくぞこれだけのお話でそこまでおわかりに」
ふかぁく煙草の煙を夜空にはくと泥の中をワシントンが白い体を汚しながら歩いてきた。
「飼い猫のワシントンですじゃ。代々トンプソン家には白猫が代々居ついておりましてもう何十代目になるのかさっぱりですじゃ」
こころの中で「「初代だよ」」と一人と一匹が突っ込みを入れていた。
「賢そうな猫ですね。ああ、それとこの土地は領主の管轄なのでしょうか?」
「ここから30トーイほど北に行ったところにある領主様の管轄ですじゃ」
「それで税はいかほどで…」
老婆はしわくちゃになった長年農業に従事しておおきい働き者の右手をばっと店主にむけて開いた。
「五公五民ですか…」
管理者と民が収入の半分ずつを手にする愚策だ。もっとも税収を小分けにして五公五民を民衆に認知させずに行うという方法もある。
どうやら土地だけでなく領主にも問題がありそうだなと更なる問題に頭をかいむしった店主。だがこれで方針は決まったと安堵もした。
「すこし諸々の改善のために準備がありますのでアネモネのことを頼めますか」
「まかせんしゃい。錬金術師様の助手さまだったら責任をもって預からせていただきます
」
「助かります。それではコレを渡しますので私のいう物を用意しておいてください」
そういうと店主は金貨のはいった麻袋を手渡して「あるもの」の用意を頼むと自動ドアで姿を消してしまった。
「すごい魔法じゃ…」
祖母は魔法とずしりと重い麻袋をもったまま泥のうえに腰をぬかしてしまった。
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ちゃらららららーん、ちゃららららー♪
「なんだついて来たのか」
「手伝えることがあればと思って同行させてもらった」
手足が泥まみれの白猫ワシントンがそこにいた。猫の手も借りたいがどうやって手伝ってもらえばいいのだと思案した。
「んじゃあーアネモネにメモとこの小瓶をもっていってくれないか」
店主は小さいメモ帳の切れ端にびっしりと小さい文字でこれからやってもらいたいことを書き連ねた。それと小瓶を小袋につめてワシントンの首にくくりつけた。
「これは?」
「そっちの世界の言葉が話せるようになる液体とこれから葵たちにやってもらう内容が書いてある。それでトンプソン家はだいたい復興する。あとは領主をなんとかすれば…」
「あの会話だけでもうそこまで出来るとは…感謝する」
「払う物はしっかりと払ってもらいます」
ひとりと一匹はにやっとするとそれぞれに現れた自動ドアに姿を消した。ワシントンは家に帰り、店主はとある墓地へと転移してきた。
ちゃらららららーん、ちゃららららー♪
ただただ広く年代を感じさせる墓地は不気味という形容詞を超えて恐怖を抱かせるものだった。朽ちた布きれやかしいだ木片が幽霊と錯覚しそうな雰囲気だ。
ここはトンプソン家の隣国にある数百年前に打ち捨てられた巨大墳墓であった。噂では莫大な財宝が眠っているとされているが、同時に不死者の巣窟であることも周知であったために探索に訪れるものは皆無であった。
風に吹きすさぶ草木の音が薄気味悪いが店主は大声を出して自分の存在をアピールした。
「おーい!ジャック!俺だー!!」
その瞬間にそこら中の墓石がガタガタと揺れて地面からは腐乱した手や骨が大量にうごめきはじめていた。疑うべくもなくファンタジーに代表されるアンデッドであるゾンビとスケルトンの群れだった。
「我々の眠りをさまたぁーヒマジン様!?」
総勢で数十を超える腐乱死体と骨が店主に土下座し始めた。よく目を凝らすと半透明の幽霊やグレムリンとよばれる羽を生やした悪魔も同様に地面に臥していた。
「ジャックいる?」
「じゃじゃじゃーん♪」
すると眼前の地面が隆起しはじめて一体のスケルトンが出現した。しかもジーンズに革ジャンという格好である。腕にはシルバーリング、口にはピアスがついていて場違い感が否めない。
他のスケルトンに比べると若干だが枯れた皮膚が張り付いていることだろう。それもそのはず彼はスケルトンではなく、この墳墓を支配する高位アンデッド―デミリッチと畏怖される存在。
「よお元気に死んでるか?」
「ひまじん様こそ死んでるような生活ですか?」
2人は、はっはっはと高らかに笑いあうと腕を組んで墓所の地下にあるジャックの私邸へと消えていった。
地下50階の大地下墳墓の私邸の内装はだいぶ風変わりであった。端的に説明するならば現代のクラブハウスを完全に模写していた。
ジャックはかつての客であり現在の友人。数年前に大量の依頼をしてきたジャックの内容は「冒険者が来すぎて配下が不眠症」「基本不死なので暇で死にそう(既に死んでいます)」「たまには五感を満たしたい」「旅行に行きたいがこの見た目だと問題」など碌でもないもののオンパレードだった。
途中から悪乗りしはじめた店主と馬が合い、謎の友情が生まれて今に至る。支払いは『借り』という形で残していた。今回はその借りを知恵か力で返してもらおうと思い来訪した。
「生ける友人に乾杯」
「くたばってる友人に乾杯」
チンとグラスで久しぶりの来訪を乾杯した。ウェイトレスの美しいゴーストが灰皿を差し出しくるとジャックは葉巻を口でちぎって指から出した魔法で火をつけた。店主も便乗して火種を拝借する。
とりあえず本題に入る前に近況報告をする2人。
店主はボロ小屋から倉庫を借りて、コックを雇ったということ。ジャックはダンジョンの床をぶち抜いて常夏のリゾートを完成させたと喜んでいる。魔法で風景も海水も完璧に再現しているということだ。
「それはそうと用事がありそうな雰囲気だったのですが?」
「ああそうだった」
この会話を交わしたのは飲み始めてから一時間後のことだった。やっと事情を話して領主の件を相談するとジャックの結論はなかなかに安直な意見が飛び出した。
「魔法で操っても、アンデッド軍団で滅ぼしてもオーケーだぜ兄弟」
「うっわーさすが生前ネクロマンサーだけあって思考がエグイ」
ちなみに平然と話しているが、大墳墓に改革を与えた会話を聞こうと周囲には溢れんばかりのアンデッドで満たされていた。それどころか味覚まで与えられたアンデッド達は到る所で酒盛りをはじめている。ジャックの私邸だが「楽しければOK」という新しい法律のもと慣れた皆は楽しそうにしていた。
「なんかこう平和的に、なんていうかスマートにいけない?」
「呪って発狂させるとか…」
「「うーん」」
「とりあえず国のことだったらランスロットの兄さんに尋ねたほうがいいんじゃないでしょうか」
そうだと柏手を打った店主はたぶん寝ているだろうランスロット王(第一話参照)をベッドごと強制的に転移させる。王妃とは別々なのか1人でだらしなく寝ていた。
ランスロットはジャックのことは知っていたが、実際に地下墳墓に来るのは初めてなので起きたときを考えると悲惨だなと憐れむ店主。
呼びつけたのに起こすのも悪い気がしてジャックと飲み明かすことにした。
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数週間後、小瓶の液体を飲んだ葵は異世界語を話せるようになっていた。あまったのをワシントンまで飲んだので言葉を発して全員の度胆を抜いていた。
メモの指示に従って骨を焼いたものを畑にまいた。これは土地の酸度を中性にするための作業だと葵にもわかった。それと連作障害についてもトンプソン家に勉強させて、三圃式農業の方法も教え込んだ。その際に家畜として鶏・豚・牛・ヒツジなどをそろえた。
そして『雑草を抜かない』ことを一番のポイントとしていた。さすがに葵も意味がわからなかったが指示に従っていた。
「ふぅーおなか空いたなお昼にしようか」
「アネモネおねーさんの料理大好き!はやく行こう」
作業しやすいように髪を束ねている葵は日焼けした腕で額の汗をぬぐった。置いてきぼりにされた時は怒りを覚えたが、この健康的な暮らしになれてきたら感謝するようになりはじめていた。
少しだけ緑が多くなった風景の中にもう見慣れてしまった小屋がみえてきた。トンプソン家である。煙突から煙があがっていることに気付いたマリエッタは誰かが料理していることを察知し葵の手料理を食べられないことに残念がった。
「「ただいまー」」
「おかえりなさい二人とも」
「今日はババの新作手料理じゃ、手を洗って待っておれ」
皿には湯がいた肉におろした大根とシソのような香る葉を刻んだものがあった。もちろんヒントは葵からではあるが、楽しそうに料理している祖母を見ているとこちらまで安心するなと思う葵。
「「「「「いただきます」」」」」
ワシントンもドッグフードが切れてしまい、人間の食事を一緒に食べていた。美味しいものに目覚めたというのもあるが、まだ痩せた土地にネズミが魅力をみいださないのか食べるものに困っているという事実もある。
「そういえば今日市場で例の話聞いてきたんだけど…」
母が聞いてきた話というのは店主が去った2日後のことだった。領主様が突然現れた大量のアンデッドの進行に民を見捨てて逃げ出したのは。もっとも住民のほとんどは領主宅を挟んで町の反対側に現れたので当初はそのことすら知らなかった。
それが知れたときは住民は大パニック。それどころか領主を探してアンデッドが徘徊してまわるという異例の事態に領民は息をひそめていた。あまりの多さに震えていた住民だったが数日もすると慣れきっていた。
なぜならスケルトンが「ちわーす領主さんいないっすかー?」とかゾンビが「申し訳ないがこちらに領主はいらっしゃらないでしょうか?え、いない?失礼しました」とか明らかに人間がイメージするアンデッドではなかったのだ。
しかし、国としてこの混乱を許しておくわけがなかった。
領土奪還とメンツのために騎士に一般公募した兵もふくめて2万人もの一団で開戦することとなった。驚くことに開けた土地でそれらを待機していたアンデッド軍団。しかも名乗り口上が『税に苦しめられたこの恨み~』ではじまったものだからさあ大変。
あちらの将軍とさびれた法服を纏ったジャックが平野のど真ん中で座り込んで会議を始めてしまった。
実はランスロットの情報でトンプソン家の住む国はそもそも五公五民の税率ではなく、三割税だったとのこと。領主別に税課の差異はあるものの五割はやはり過剰徴収、つまり私腹を肥やしていたことになる。
日常茶飯事のことだが、その恨みを抱いたアンデッドが大群で挙してきたとなれば問題だ。
「では国の方針である三割に税を戻し、さきほど申された者に領地を与えれば不問にしていただけると」
「至高のデミリッチであるジャックの名にかけて」
二人は握手と密約を交わして一斉に逃亡した領主を探した。結局は森で震えていたところを捕縛され領地を取り上げられた。後任の者はおいおい決めるとして、アンデッド軍団はいずことなく消えていった。
そして翌日の今日に至る―
ヒヒーン!と昼食のあと片づけをしているトンプソン家の前に軍馬にのった伝令兵がやってきた。ドンドンと勇ましくノックされ建てつけの悪い扉がギシィと余韻を残した。
「はい、どちらさまでしょうか」
そこには正装に身を包んだ伝令兵が直立不動していた。手には国の紋章印がある羊皮紙をたずさえている。
「トンプソン家か!?」
「は、はい」
怒鳴るような問いにたいしてシャーリンはすこし怯えて返答した。
「新領主様デルモンド伯爵様より伝令である!こころして聞かれよ!!」
他の三人と一匹もなんだなんだと集まってきた。
「ただいまこの時をもってこの家より視界にはいる全ての土地をトンプソン家のものとし、その性をもって男爵位とするが、いっさいの権限はないものとする。またデルモンド家の統治下にあるかぎり未来永劫に税を課さないものとする。以上!!」
伝令兵はそれだけを伝えるとシャーリンに羊皮紙を手渡し去って行った。
祖母は号泣し床につっぷしてわんわんと泣きじゃくっていた。母は何を言われているのか魂のぬけた状態である。
「アネモネこれって税金なくなるってことかな」
「なんかとんでもない事に巻き込まれたかもね…」
「神様ですね」
喋れるようになったワシントンが店主の仕業だと読み取っていた。畑には新しい芽がではじめてきた。その多くは販売単価が大きくものすごく気に入った香辛料を栽培することにしていた。もっともその面積はいままでの数倍の広さになってしまったので大変である。
ちゃらららららーん、ちゃららららー♪
「あっやっと帰ってきた暇人さん」
「おかえりー錬金術師様」
「お疲れ様でした神様」
置いてけぼりにされた葵はあきれたようにぼやくと、頭をかりかりと掻いて畑を見回していた。祖母と母は抱き合って泣いていたので放置することにした。
「たっだいま。今回は面倒くさかったけど、畑も復活してきてるみたいだしお役御免かな」
煙草に火をつけるとため息とともに煙を空中に霧散させると畑に放牧している家畜の方向へ散歩を始めた。それに葵とワシントンとマリエッタが随行する。
「ところでー石灰とか三圃式農業とかはわかったんだけど雑草残すのだけがわかんなかったなー」
「豚さんと牛さんの御飯でしょ?」
「ワシントン、昔は除草していなくなかったか?」
「言われてみれば確かに…」
長い時を生きて農家の傍で色々と学んできたワシントンですら意味はわからなかった。それは家畜の餌としてだけでなくある明確な理由があった。
「土中の湿度を保つためと、雑草がたくさんあることで農作物の害虫被害を減らす方法だ。もともと保水力がない土地だからそうやってきたはずなんだけど、ほら男手減った時に農法も廃れてしまったんだろう…」
「「え」」
「お腹減ってて目の前に御飯があったら食べるだろう。けれどもお腹いっぱいの時にご馳走出されてもたくさんは食べられないだろう。そういうことさ」
「錬金術師様ってなんでも知ってるね」
店主はぐしぐしとマリエッタの頭を撫でまわすと、光の無い眼を白猫ワシントンへと投げかけた。―ワシントンの猫生の終焉である。
すぐに土に還る可能性は低そうだがそれでもせいぜい10年も生きれれば幸運だろう。白猫は感謝と猫生の終わりを噛みしめて「ありがとうございました」とこうべを垂れた。
「ん、どうしたのワシントン?」
「いえ、すこし目にゴミがはいっただけです」
何も知らないマリエッタに猫らしくもない誤魔化しをするワシントン。眼前にはいつのまにか指しだされていたビー玉のようなガラス球があった。
「鼻をちょんと触れるだけでいいです」
濡れた鼻跡がガラスに残る。これといってワシントンにもガラス球にも光るなどの変化はなくあっさりと終わった。
「毎度ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
こうして幸福の呪われた白猫は「ただの人語を話す白猫」となってトンプソン家でご奉仕することになった。
葵は学校が再開するまでまだ一週間ほどあるのでトンプソン家に滞在して手伝いたいと申し出てきた。店主は面倒くさそうに自動ドアの出現する方法や手順を教えて「勝手にどうぞご自由に」と言って帰ることにした。別れ際に「夕飯は俺の分も」と付け加えられた。
それ以降トンプソン家は香辛料を主軸としたスタイルで名をあげるのはまたのお話。
―後日談
薄暗い倉庫で『祝福された呪いのつまったガラス球』をつまんではニヤニヤしていた店主がふとあることに気づきガックリと肩を落とした。その顔は苦虫を奥歯ですりつぶしたような顔だった。
「クソ猫がっ『ネズミを捕り続ける限り永遠の命』って…」
その晩にガラス球をおもいっきり白猫あらためクソ猫にぶつけて呪いを返してやったとさ…ちゃんちゃん、おしまい。