ショクキングは三つ星シェフ?
祝日というのは得てしてギルドメンバーの集まりが悪い。
廃人とよばれるヘビーユーザーにおいては常時ログイン状態のイメージが強い。だが店主のギルド『星猫の庭園』の祝日はまったく人が集まらないのが定番だ。もっともメンバー数が50人ほどの内、現在も活動しているメンバーは10人に満たない。
開店休業状態の『雑貨屋ひまじん』店主はカフェテリアに予備のノートパソコンをわざわざ持ってきてメンバーと会話していた。
【ひまじん:閑古鳥鳴いてるから大丈夫】
【ショクキング:それダイジョブクナイ】
【六花:大丈夫じゃないですね(^_^;)】
万年バイト学生のショクキングと自称OLの六花と座談会をしていた。もっとも店主はネットゲームの人間は「全てオッサンと思え」という考えなので女性に優しいなどはない。
【六花:この組み合わせって珍しいですよね】
【ショクキング:自分がいないパターンが多いですから】
【ひまじん:24時間います】
【ショクキング:さすが働くニート。仕事をくれ】
【ひまじん:住み込みで食事つくってくれれば雇う。ただし時給700円、てかカフェテリアが死んでる】
【六花:カフェもあるのですか?たしか倉庫でやってるはずでしたよね?】
【ショクキング:最低賃金って単語ぐぐれ、むしろ、やふれ】
【ひまじん:仮眠所もあれば風呂もあったりして(笑)】
煙草に火をつけて咥えながら昼食の使い終わった皿をカウンター越しに台所へ詰める。文字通り皿とコップで埋め尽くされていた。店主のずぼらな性格上、使える食器が無くなってから洗うのは常である。
【ショクキング:ねねマスター様】
【ひまじん:やだ様とか気持ち悪い。脳みそ食中毒?】
この会話だけ「ささやき」「小声」「ウィスプ」など呼ばれる1対1で会話できる機能で送られたメッセージだ。2人はこのゲームの初期あたりからパーティーを組むことがあったので気心が知れている仲だ。
【ショクキング:こういうのネトゲだとあーあー】
【ひまじん:何オフ会したいとか?密室でヤニカスの力見せつけようか】
こちらとは別に六花とも会話を続けているので二重会話になっているが、そんなタイピング朝飯前である。ショクキングも同じように六花と話している。
【ショクキング:んと…】
【ひまじん:面倒くさいの好きじゃないってのわかってるだろ】
【ショクキング:あい。。。】
【ひまじん:オフ会はしないし音声会話もしない】
【ショクキング:それはわかってる】
これ以外の内容で言いづらいこととは何だろうと考えてしまう店主。ゲーム内で数個しかない装備も我が物顔で借りていく奴だ。もしかして新しい課金装備でも欲しいから出たら貸して、とかでこんな雰囲気にはならない。
【ショクキング:新しいバイト決まるまで雇っていただけないでしょうか?】
店主がギルドメンバーと現実世界で絡むのを好んでいないのを知っていたので切り出しづらかったショクキング。これで居心地の良いギルドを追い出されても嫌だったのだが選択肢が非常に少なかった。いや、ほぼ無かっただろう。
そして返答までの時間は5秒。ものすごく長く感じて、嫌悪感に何と打ち返していいのか悩んでいるのだろうかと想像した。
【ひまじん:wwwwwwwwwwwwwwwwwww】
『w』は笑うことを意味する日本のスラングだ。海外だと『lol』などとなり、Laughing Out Loudの頭文字をとった「声を出して笑う」「大笑い」という意味だ。
目下のところ怒りではなく笑っている事に安堵した。だがショクキングはタイピングすることに戸惑っている。
【ひまじん:とうとう我が軍門にくだる気になったかw】
あまり「w」を使わない店主がわざわざ使っているということは、こちらが話しやすい雰囲気を作ってくれているのだろう。ショクキングは勇気を振り絞って実情を話し始めた。
【ショクキング:バイト先潰れて所持金もあんましない&アパート滞納で追い出された】
【ひまじん:ヘビーだな。親は?てかネカフェにいる…だな】
【ショクキング:孤児っす、何でもするマジデボスケテ】
※マジデボスケテ=本気でボス、助けてください。
【ひまじん:人生ヘルモードかよ】
店主は新しい煙草に火をつけた。
リアルとは干渉しない、それがルールでありこれからもそうするつもりだった。ただ…このネットゲーム『エクスプローラーズ』のクローズドβからの日本人仲間であり、かれこれ数年。そのうえ雑貨屋でバイトも募集していて、かつ天涯孤独ときてる。
雑貨屋は「一応」都内ということにしている。それを知っている上でのショクキングの発言だが、店主としては生活環境やスキルを知らずに気軽に雇うとも約束できなかった。
【ショクキング:さーせん】
別窓で謎の文字だけの画面を操作して何かを調べている店主。
【ひまじん:そこ出て左に7件目に喫茶店あるから待ってて、奢るから】
【ショクキング:え!?こっちの場所なんでわかるの?】
【ひまじん:ひまじんだから。目印は携帯見ればわかるよ。んじゃ現地でノシ】
■■■ひまじんさんがログアウトしました■■■
気づいたら六花も忙しいのか会話が途切れていたので店主もそのままゲームから離脱した。問題として可能性は低いが年上だったりしたら嫌だなと思いつつ、それはないだろうと思いなおす。
一瞬だけ自分のスウェット姿を眺めてから「まあいいか」と思い、例の自動ドアを召喚した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ちゃらららららーん、ちゃららららー♪
店主はビルとの間にある狭い路地から出てきた。
そのまま隣のビルに併設された喫茶店へと入店した。からんからんという鈴がなり、雑貨屋とも最近のとも違う昔ながらの喫茶店。炒ったコーヒーの立ちこめる明治のような内装が落ち着く店だなと店内を眺めた。どうやら店主以外の客がいないところを見ると先に着いたらしい。老齢の店主らしき人に声をかけら、待ち合わせだと伝えると一番奥の卓についた。
とりあえずコーヒーを注文した。いつもインスタントばかりなので久しぶりのまともなコーヒーに興味がそそられる。
二人掛けの小さなテーブルに目印となるスマートフォンを下向きにして置いた。携帯カバーにはネットゲーム「エクスプローラーズ」の旅をしている冒険者が油絵テイストで描かれていた。これはわかる者にはわかる目印になる。
からんからん。
年配のサラリーマンがカウンターへとついた。まさかとは考えたが、すぐにカウンターへついたのでショクキングではなさそうだ。ふと、ハトが飛び出てきそうな時計に目を投げかけると正午近い。そろそろ混みはじめる時間帯だ。サラリーマンも一足早い昼食なのだろう。
からんからん。
一目で違う。おばちゃん2人が場に似つかわしくないほど喋りながら入口近くのテーブルへと腰をおろした。どこかで買い物したらしい紙袋を開いてなにやら談話していた。
ショクキングのいたネット喫茶からかなり近い場所を選んだつもりだったが、本人が来る前に湯気だったコーヒーが到着した。店主は角砂糖をひとつだけそっと沈めると溶けて自然に崩れ始めてからスプーンで混ぜた。猫舌なのでまだ味見すらしないで放っておく。
からんからん。
十代後半の女性が入店してきた。これも違うだろう。ジーンズにTシャツとは今どきにしては色気もへったくれもない子だなと思った。もちものも背負いバッグという組み合わせに大学生だろうかとあたりをつける。
あまりにヒマだったので熱々のコーヒーに挑戦することにした。カップを持ち上げふーふーと息をかけるが湯気は立ちのぼることをやめない。コーヒーの表面にまとわりつく薄い湯気が表面で逃げ回る。
(ああ禁煙じゃないのかここ)
脇にあった灰皿に空いた手を伸ばしながら、行儀悪くコーヒーに口をつけた。たぶん1mmも啜っていないがあまりの熱さにその挑戦は中断された。
煙草を無造作にとりだして100円ライターの火打石をこすり紫煙をたなびかせた。ジジッと乾いた葉が燃えていく。
「こんにちわ」
目線をあげると先ほど入店した女性が立っていた。垂れた髪を耳元でかきあげている彼女は間違いなく店主に用事があるようだ。相席するには店内の席はじゅうぶんに空いている。
「こんにちは。なにか用でしょうか?」
「間違っていたらゴメンなんですが、「ひまじん」さんでしょうか」
どうやら驚いたことにショクキングらしいこの流れ。てっきりバイトに明け暮れる男子学生を思い描いていたので文字通りハトが豆鉄砲を喰らった感じの顔になっていた。そのタイミングで正午を知らせるハト時計がぽっぽーぽっぽー♪と店内に時間をお知らせしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
眉間をうすく八の字にしている質素な美人のこの女性がショクキング。
どうやら親なし友達なし仕事なし金なし宿なしの5コンボ達成中らしい。話を聞くと、バイトをしながら学費を溜めてダイケンというのをしてからトーダイという学校に通っており、学費を払って無一文になった瞬間にバイト先が倒産。しかも住まいは日借りだったらしい。昨夜はまだ寒いのでネット喫茶で夜を明かしたというところまで確認した。
「完璧」
「お願いします!雇ってください」
両手を拝むようにして頭をさげている。だがちょっと困ったことになった店主。
「男の子だと思ってたから受けようとしたんだけど…」
「食事なら小さい頃からやっててバイト先も定食屋だったから何でも作れます。掃除洗濯も当然まかせてください」
「それは嬉しいんだけど…住み込み…」
店主側としては問題はないが、さすがに年頃の女の子とあの薄暗い倉庫で暮らすとなると大人として快諾しにくい事実。別に噂になろうが大した問題ではないのだが、所作のひとつひとつがお互いに気にしそうだ。
「あっ、もうそんなこと言ってられないくらいヤバイです」
ぐー、とお腹もそれを証明していた。本当に切羽詰っているのかもしれない。
店主は片手をあげてマスターを呼びつけると勝手に注文をはじめた。するとマスターが内容ではなくて注文自体を間違ってないかチェックしている。店主はいいから、と言うと、マスターもわかりましたといって下がっていった。
「おひるごはん奢るから気長にいこうか、って時間とか大丈夫?」
「春休みなんで時間だけは山のようにあります」
「ところで本当に本当に本当にショクキングで本当に本当に本当に住み込みでいいの?」
「こちらは未使用商品ですが売却しますか?はい」
エクスプローラーでは店にアイテムを売却する際に、未使用品や未鑑定品の場合さきほどのようなメッセージが表示されている。ショクキングはそのメッセージを使って自分は清い状態ですよ、というアピールをしたのだ。思わずにやっとした。いやらしい意味ではない。
「あんま気にしないとこは本人なんだなって思った」
ここまで来ると本来の砕けた話し方でいいだろうと店主は営業モードを解除した。
「ふふふー。ひまじんさんも本人ぽいですよ」
「ところでさ俺永遠の二十歳なんだけどショクキングも同い年くらい?」
「誕生日の関係で17。でも大学は卒業証書欲しいだけで通っててあんまり興味ない」
「あれ大学ってその年齢で通えるんだっけ?俺幼稚園卒だから驚いた」
「ははははは義務教育すらしてないんだ」
すると話の途中でマスターが料理を二人の前に置いた。どちらがどちらとも聞かずにだ。おもむろにマスターは「失礼します」と両隣のテーブルをふたりのテーブルにつけはじめた。ショクキングは不思議そうに見ている。
「オムライスとナポリタンか。好きな方から食べていいよ」
「ひまじんさん好きなのとってください。おごってもらうんですから♪」
一部イントネーションが強調されていたが、それを真似て言い返してみた。
「食えるかな」
ショクキングが決めあぐねていたので食べたそうにしているオムライスを渡してあげた。すでにヨダレがあふれそうになっているショクキングは部活帰りの高校生のようにがっついた。
「あれ食べないんですか」
「ショクキングがもう食べれないって音をあげたら食べ始める。俺の趣味のひとつ『喜ぶことで困らせる』を披露しまーす」
「まだ頼んでるなら遠慮はしませんよ?」
二人はにやりとすると、店主の押しつけた皿を引き寄せるショクキング。
「食べながらでいいんだけど、春休みでガッツリ働いてくれるかんじなわけ?」
「次の学費溜めながら生活費も捻出しないといけないので出来るなら助かります」
「じゃあ時給700円でいいなら頼もうかな」
「住み込み食事つきなら最低賃金割ってても万々歳です」
「お金渡すから食材買ってきたりとか全部任せるんだよ。それから俺のも作ってほしい」
「余裕」
ショクキングは親指を立ててにっこりと笑った。その間にビーフシチューやらペペロンチーノやらどんどん料理がやってきた。テーブルの端には飲み物が置かれ始めた。
「んじゃあさ1か月分と同じ分だけバイト決定祝いで渡そうと思ってもってきた」
おもむろにポケットに手をつっこみ封筒をとりだした。ショクキングも一旦食事の手をとめて差し出された封筒を礼をいって受け取る。
「え、本当にいいの。受けとっちゃうよ私。がめついよ」
「半分は食費だから。足りなかったら言ってくれれば追加するから」
中身の枚数を数えようとしたショクキングは封筒をあまりの大金に驚きテーブルの下に隠した。そのタイミングで料理が置かれていく。もうテーブルの領土は限界値に達していた。
「え、どんだけ頼んだの?てかお金、これ、おおすぎ、時給7000円の間違いじゃない?」
ショクキングは目の前にいる人間がネット上の「金貨1000枚稼いだ」「今日は数億かな」というネタが真実なのではと疑問を抱き始めた。
「いや間違いなく時給700円だよ。700×24×30日に深夜手当とか休日の計算にいれればそれくらいいく。あと細かいのは切り上げた。てかビーフシチューもーらい」
そして20分ほどの時間で食べる食べるその量、飲みまくり空になるグラスの数々に圧倒されていた。ショクキングもその体格に似つかわしくなく二人前完食したが目の前の男はすでに10皿以上を終えてなお新しい皿に手を伸ばしていた。
「喫茶店って量が少なくていけないな。あっそうだカフェテリアの量はもっと多めにしよう、そうしよう」
ぽかーんとしながら封筒を恐る恐る背負いバッグにしまいこんだショクキング。そういえば雑貨屋というのは何をテーマに販売しているのだろう、と気になり始めていた。単価が安くても数千万円すると言っていた記憶がよみがえる。
そのことを伝えると「ごちそうさま、んじゃ行くか」と言ってこれまた物凄い金額の支払いを済ませ店をあとにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ちゃらららららーん、ちゃららららー♪
「え、あ、何いまの自動ドアなに?ど○でもドア?」
「まあだいたい合ってる。とりあ一服でもすっかってショクキングどうしたの」
渡されたお金と食べる量、そして自動ドアにこの広い倉庫にショクキングの思考が追いついていなかった。ネットゲーム仲間に恥を忍んで頼ったがとてつもないことに巻き込まれた感がある。
「現実…だよね?」
「ほっぺたつねって引きちぎってやろうか。ところでショクキングっていつまでも呼ぶのもなんだな。俺は名前いっぱいあるから本名がわり『ひまじん』のままだと助かる」
「あ、私、三星葵。苗字は孤児院の園長先生からもらったの」
「変わった苗字~それで料理できるとか美味そう」
「そこまで期待しないでほしーんだけど(笑)」
すると手招きされた葵は倉庫の中央あたりにつれていかれた。
「さっきのパソコンあったところが受付、カフェもあったでしょ」
「うん」
「ここいらが売り場で奥がお風呂とか寝るとことか。とりあえず仮眠室一回も使ってないからそこ使って。そのうち2階に個室でもつくるから」
「うんうん」
「あと見慣れない物かなりあるけど触らないほういいよ。責任持てないから」
「え?」
店主が指さしたあたりには本物の剣などが陳列されている。その付近には液体が満たされた試験管らしきものもある。
「あれって仮装用?」
「いや本物の伝説の剣シリーズ」
ちゃらららららーん、ちゃららららー♪
「接客してくる。初仕事はカフェ汚いから使えるようにしてほしい」
それだけ言い残して店主は去ってしまった。ちょうどお客が棚の影でわからないが、棚の商品の価格をみるに相当なお金持ちなのだろう。安そうなのですら数十万もしている。
これなら札束をふたつも気軽に渡せるはずだと納得するも、その商品に本当に価値があるのか謎の商品ばかりだ。
現に目の前の「医薬品コーナー」にはサプリの入っていそうなプラスチックボトルが数個。どちらかというと面積的に棚の領域のほうが広い。
倒れているボトルをひとつ取り上げてラベルを読んでみた。
「癌特効薬、毎食後に1粒、一日で完治します」
ジョーク商品か詐欺商品のような謳い文句に更に謎は深まっていった。とりあえず、お金の分はしっかり働かなきゃと洗いものに占拠されているとは知らないカフェを目指した。
こうして葵がさらりと雇われることになったが、ここがトンデモナイ所と知るのはもう少しあとのお話。