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「井上さんもそんな大声を出すんだ」
四メートルぐらい体長になっている橙のオロチを見て声を挙げる杏奈に、翔は珍しいものを見るように見ていた。
動揺しているのは杏奈だけではない。彩乃や健を含めた大広間にいる一同が動揺している。特に、ヘビが苦手な小夜は橙のオロチを直視した瞬間、動揺を越えて気絶した。一同の動揺を代表するように、杏奈は更に声を挙げる。
「松田さん、オロチです! あっ、狸の置物の背中から小さい白ヘビが出てきました! 羽が生えてます、新種です!」
橙のオロチと五〇センチぐらいの白のオロチを交互に見て、冷静さを無くしている杏奈は、らしくない状況説明を翔にする。
翔は、自分なりの考えから杏奈に説明していなかった事を内心で謝罪しつつ、状況の説明をしていく。
「井上さん。こんな状況をさ、電話で説明しても警戒されるだけだと思って言ってなかったんだ」
「だ、大丈夫なのですか……いえ、佐渡島から平泉まで一緒に来ているので大丈夫ですね。……」
「うん。井上さんへの警戒よりも、八岐大蛇になる前のオロチを知らない座敷童がいるし、しずかに関したら知っててもオロチに喧嘩売ったりするからさ。おすそ分けの場を作ってもらう事で、オロチに手を出さない場を作ってもらったんだ」
「…………私には言ってほしかったのが本音ですが、……いえ、白のオロチが東北座敷童に生んだ被害や佐渡島にある座敷童の法律を守らない話を聞いてますので、……そうですね、心がわかる座敷童なら、私の気持ちから何かしら警戒されますね。すみません」
「いや、謝らないで。俺の判断が全て正しいというわけではないからさ。……」
橙のオロチを正面にすると、一同に対して危険性の無さを証明するように、綺麗に輝く橙色の鱗を撫でる。目をすぼめて気持ち良さそうにする橙のオロチに「みんなと友達に戻してやるからな」と言い、狸の置物の背中に張り付いて怯えている白のオロチに「怖がらせて悪かったな」と言うと、杏奈の方へ顔を向ける。
「井上さん。橙のオロチに乗っている狸の置物が三郎なんだ」
「……現代の作りよりも更に立体的と言いますか……傘や酒壺が本物みたいですね。……失礼しました、八童三郎さん、井上杏奈です」
「…………」
「…………嫌われましたか?」
「いや、三郎はコレが通常運転なんだ。喜怒哀楽で狸の表情が変わるから、今は『よろしく』って感じだよ」
「そう、ですか」
説明をされても狸の置物のとぼけた表情からは何も読み取れない。
翔は杏奈に「大丈夫だよ」と言ってから、橙のオロチに視線を向けて、
「橙のオロチは三郎に屈伏してるから危害は無い。俺たちには凶暴なオロチのイメージしかなかったけど、そのイメージは違ったんだ。そして、羽の生えた白蛇は、白のオロチ。……電話で言えなかった理由はコイツになるんだけど、『誰に屈伏しているか』を調べるのに安全な場が必要だったんだ」
チラと白のオロチを見ると、狸の置物の背中にへばり付いていた白のオロチが羽を広げてパタパタ動かす。重力を無視するように浮く姿に杏奈は「重力に縛られる生物が浮くための理屈を無視してますね」と黒縁眼鏡を右手中指で押し上げて興味津々に見る。
「あっ、少し風がある。やはり風の能力ですね。いや、この風は、能力ではなく羽からの風かな……?」
一拍の間を開けると、口元に軽く握った拳の右手人差し指を置いて、
「体重一キロとして、身体を浮かせ続けるために必要な揚力を得るには……それこそ先ほどのヘリコプターみたいな原動力からの運動量が必要になる。この小さな羽からの羽ばたきでは、浮遊は無理。でも、浮遊している。完全に理屈を無視してますね」
「第三形態の能力は残したままなんだけど、力はサイズに比例しているみたいだから、このサイズだと凶暴な風は作れない。風の能力で浮遊しているというよりは風を作る能力の過程から浮遊していると考えた方がいいかも。とりあえず、細かな理屈は後から調べるとして、今は、白のオロチは誰に屈伏したのか、だ」
「私を見てます。あっ、指先を舐めてくれました! もしかして……」
「絶対、井上さんではないから」
「…………」
「いやいや、そんな恨みを込めた目で見られても! 第一、井上さんは白のオロチを見たのも初めてでしょ。つか、白のオロチと闘って屈伏させた『人間なんて一人しかいない』し」
厨房へ視線をやり、文枝と真琴を視界に入れると「だから、周りに警戒されないために安全なこの場が必要だったんだ……」と言い、文枝に申し訳なさを含んだ視線を向ける。
「ばあさん。……あのさ……その……」
「オロチにも『気持ちは通じる』ようじゃな。ちとお仕置きがキツかったかの?」
白のオロチに向けて右手を伸ばすと、ふわふわと浮いていた白のオロチはゆっくりと文枝に向かってくる。
「ばあさん。オロチは屈伏した相手の下に行くみたいだから、たぶん、ばあさんにやられた時はまだ屈伏まではしていなかったんだと思う。でも、佐渡島まで白のオロチを監視していた白黒の話だと、第二形態になっても能力を使わず、こっちの魔獣騒動が発生した時間にも誤差があった事がわかってから、白黒を敵だと判断した時に魔獣を呼んだ、と考えた方がしっくりきたんだ。第一形態から凶暴性をむき出しにするはずなのに……静かに佐渡島へ向かっていた。酪農家が育てていた家畜や海産物に被害はあったけど、あくまでも食事だったんだ。現実に、白のオロチが通ったのに自然災害が無い。ただ、本能のままに『友達の橙のオロチの元に向かっていた』だけなんだ」
ふわふわと文枝の周りを浮遊している白のオロチを目で追いながら、そんな時に、と付け加えると、
「さととかぼちゃが白のオロチに攻撃しちまって、白のオロチは凶暴化しちまった。そして、佐渡島で吉法師らに拘束されて三郎に容赦無くやられちまった。たぶんそこで、ばあさんの事を思い出して、『自分を守ってくれる者』だと思ったんだと俺達は予想してる」
ばあさん、あのさ……と繫げると、
「屈伏した過程はどうあれ、ばあさんには懐いて俺たちには懐かない。松田家で世話をしようとも思ったんだけど、白のオロチはいち子に怯えちまってるんだ。橙のオロチと仲が良い三郎にも、懐くというよりはいち子に怒られたくないから隠れ場所にしているみたいでさ。いち子は怒る気は無いんだけど、俺達じゃまともに世話をできない。だからさ……あのさ……言いにくいんだけど……」
「かまわん。いち子や三郎が許してくれるなら、ワシが『シロ』のお世話をする」
掌に乗ってくる白のオロチを優しく見つめると、小さな頭頂部を指先で撫でる。白のオロチは気持ち良さそうに目を閉じ、甘えるように文枝の指先を舌で舐める。すると……、
『キュロロキュロロ』
口から音を出す。
「「「!?」」」
大広間にいる座敷童はバッと一斉に白のオロチ、改めシロを見る。
「今、白のオロチが喋らなかったか?」
吉法師は隣にいる虎千代に確認する。
「喋るというより、言葉になっていないから鳴くと言った方が正しい。例えるなら、言葉の知らない赤子が真似るように喋っているような、そんな感じだ」
「ジョンも犬なのに声帯とは関係なく人の言葉を喋っていますから、白のオロチもジョンと似たような感じではないでしょうか?」
「座敷童は動物の言葉をわかるため神使は人の言葉を覚える必要はない。だが、人の神使や家族になるなら人間の言葉を覚える必要がある。杏奈の予想が正しければ、今のシロは言葉を覚えようとしている段階なのだろう」
吉法師の補足に翔は「そんな感じだな」と返すと、文枝を見る。
文枝は右手でシロを遊ばせながら、何かを探すように廊下を見ていた。
「ジョンはどうしたんじゃ? 佐渡島に行かせたはずなんじゃが」
「ジョンなら庭に生えているアイヌネギを、達也らと一緒に取ってる。いち子が、アイヌネギを育てるにはここの庭の土は合っていないから植え替えが必要だって言うからさ」
「そうか。東北の座敷童がいち子に献上するんだと言っておったアイヌネギじゃ。植え替えるのではなく、調理しようかの」
「ばあさん。ジョンに小豆飯おにぎりを届けさせてくれてありがとうな。やっぱり母さんの小豆飯があるのと無いのじゃ、いち子の機嫌は違う。助かった」
「良い経験じゃったな。慌てず、ゆっくりと、精進するんじゃ」
文枝は白のオロチを肩に乗せると厨房を後にしようと歩を進める。
「ばあさん。白のオロチを酒に浸けると、ばあさんの力に合わせた美味い酒にしてくれる。一応、橙のオロチでお茶やジュースを試したら、美味いお茶やジュースにしてくれた。酒を飲まないばあさんでもオロチのお茶を楽しめる。三郎みたいに純度を変えたりするにはもっと仲良くならないとダメだけどさ、身体に良いからたまに飲んでやってくれ」
「ワシは酒を飲めんのではない。いち子の浸けている酒や三郎が松田家に送っているダイダイ酒なら、翔坊の母親やばあさんと一緒に飲んでおる」
「…………初耳だ」
「好奇心で口にしたらダメな飲み物じゃからな。翔坊が成長するまで言わなかっただけじゃ。いち子やオロチの事だけでなく、翔坊の知らない事はまだまだたくさんある。知りたいのなら精進あるのみじゃ」
文枝は翔に微笑むと、厨房を後にし玄関へ向かった。
「書庫の本をもっと真面目に読んでおけばよかったな。……」
と呟くと、翔は大広間へ視界を向けて、死んだふりしているしずかを見つける。
「しずか。屈伏したオロチと闘おうとしたら、それはイジメになるからな。もし、いじめたりしたらいち子に怒られるぞ」
「…………っ」
ぎこちなく頷く。
翔はしずかとともえの死んだふりに呆れてはぁと息を吐くと、厨房へ向き直る。真琴と視線を合わせると無意識に罰悪い表情になる。
「久しぶりね」
「そうですね。井上さんから真琴さんがいるって聞いて驚きました。東北支署では色々とやってくれていたみたいで、ありがとうございます」
「あら、自分勝手な頑固者がお礼を言えるようになったのね。成長して何よりよ。それに、私は美菜と美代の家主なんだから手伝うのは当たり前、翔君が気にする必要はないわ。アーサーは別の部屋にいるけど連れてくる?」
「いえ。それよりも、なんでアーサーを退院させたんですか?」
非難するとまではいかないが、強い視線を向ける。
アーサーの両足骨折は数日で治るものではない。『炎症期』『修復期』『再造形期』とそれぞれに合った治療をする必要がある。たしかに『炎症期』からさとの能力で癒されているため、ある程度は回復しているだろう。だが、いくら回復していても今はせいぜい『修復期』に入ったところ。そう思うからこそ翔は、東北支署にアーサーがいる事を認められない。
「真琴さん。さとの能力があるとはいえ、完治する前に座敷童のいる東北支署になんかいたら、アーサーは無茶をする。在宅治療にするベきではないと真琴さんならわかっているはずじゃないですか?」
「私の目が届く範囲だとおとなしくなるから在宅治療にしたのよ。病室より安静にしているわよ」
「…………たしかに、真琴さんの前ならアーサーもおとなしくなりますね。その考えにはならなかったな……」
「院長が診察しに毎日来てくれるし、さとがいれば痛み止めなどの投薬治療も必要ない。病室にいるより安静で身体にも良いと思わない?」
「そう、ですね」
さとという治癒能力者だけでなく、院長が毎日来るため人間側からも経過観察ができる。何よりも、真琴というストッパーがいればアーサーはおとなしい。在宅治療法に納得できる理由が揃っている。
座敷童の世界に足を踏み入れて足を折ったなんて言うシャレは、今は笑い事にできても後々には永遠を生きる座敷童に不幸を与えてしまう。アーサーにはそんな結果を生む可能性があると思っている翔には、真琴という劇薬は人の話を聞かないアーサーには良薬だと思った。しかし、問題もある。
「でも、真琴さんの仕事はいいんですか? 美菜の話だと忙しいみたいですけど」
「文枝さんの会社から入ってくる仕事を止めてもらったから大丈夫よ。それに……座敷童管理省からも仕事が入ってるし」
「なんの仕事ですか?」
「東北支署を座敷童に認知してもらえる場にするのと、特務員への指導よ。美菜と美代がいるから認知される場にするのは簡単だけど、特務員への指導は大半の座敷童に認められる人間にしないとならないから大変ね」
「ボディーガード業はどうするんですか?」
「今は文枝さんがいるから東北中の座敷童が集まっているけど、いなくなったら平泉の座敷童しか残らないわ。その中で居候するのは少数だろうし、今までどおり、ボディーガードの仕事が入ったら美菜美代とやるわ」
「そうですか」
「人の心配より、翔君はいち子の世話役としてやらないとならない事があるでしょ。さっさと行きなさい」
翔の両肩をバンと叩いて大広間の方へ向かせる。
「よ、よう」
健の苦笑いと彩乃の無表情を見ると、気絶している小夜に布団を用意している杏奈を見る。視界を戻し、白黒が小夜の御膳台にある食事をつまみ食いしているのを視界の端に入れ、健と彩乃に向き直る。
「健、彩乃、おにぎりサンキューな」
「気にするな。これからは、俺達には先に言ってくれよ」
「学校をサボり、松田家の金で旅行できた。私としては、こんな事ならいつでも参加したい」
「うちの金で来たのか。……俺に請求が来そうだな」
後から考えよう、と内心で嘆息すると、布団で寝ている小夜と杏奈を見る。
「井上さん。詳しい事は後から話すけど、白のオロチはばあさんに屈伏したから危険はない。それに、東北座敷童と白のオロチには災害の時の因縁があるから、屈伏した今はばあさんといるのが一番安全なんだ」
「私は爬虫類への偏見はありませんので、おばあちゃんがお世話すると言うのなら私がとやかく言う事はありません。気になるのは、屈伏方法と……」
チラと死んだふりをしているしずかとともえを見る。
「屈伏方法は、はっきり言うと八童の家主になるより難しい。歴代の御三家にもできなかった事だから、ばあさんだから屈伏したと思った方がいいよ」
「そうですね。後は、いち子ちゃんの大岡裁きがどうなるかが気になります」
「大岡裁きって、そんな立派なモノじゃないよ」
翔は大広間に並んでいる御膳台の前で罰悪い表情をしている座敷童と、上座で海の幸と山の幸に瞳を輝かせているいち子を見る。
「さてと、いち子の世話役として、一仕事するかな」
いち子の御機嫌で左右する座敷童裁判が始まる。




