終章 おすそ分けの儀式
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白のオロチが沈黙してから四日後、毛越寺大池が池の魔獣騒動も昨日に終着した。幸いしたのは中尊寺大池跡から蘇っていた魔獣も全て天に返せた事、なのだが、ソレは結局のところ一時的なモノになる。
魔獣を全て天に返しても大池が池か大池跡のどちらかに白のオロチを封印すれば、迷える神使がオロチの保護を求めてやってくるため、長い目で見ると魔獣は本当の意味でいなくなる事はない。
細かな事を気にしていたら一時的な終着に思えるかもしれない。しかし、龍馬の思惑から外れながらも、魔獣騒動という展開になったのは、先日までの東北座敷童には良いきっかけになり、結果的には僥倖になったのかもしれない。
場所は平泉、座敷童管理省東北支署。
しずかの能力により平泉へ流れてきた雲は自然に任せるようにゆっくりと北上を始め、一週間の天気予報をバカにするように雨を落としている。
昨日に魔獣騒動が終着し、文枝に傷を癒してもらった座敷童は、普段なら身体を持て余して雨風関係なく遊び回るところだが——外で遊んでいる座敷童はいない。
先日までは大人数の座敷童でごった返していた東北支署には今、平泉の座敷童と東北の主力と言われている座敷童そしてしずかと龍馬しかいない。
キャンプ場のようにテントが敷き詰められていた庭は、どこかの山から抜いてきたアイヌネギが満遍なく敷き詰められている。
廊下や階段は汚れ一つなく綺麗にワックス掛けされ、二階の客間では、指先にしつこい土汚れを残している平泉の座敷童が深刻な表情をしながら特務員と一緒に『器をひっくり返している御膳台』を前にしている。
いつもは暴れると形容して良いほど遊んでいる座敷童が、東北支署を隅から隅まで掃除し、庭には誰かへの献上品のようにアイヌネギを植えている。
東北支署にいる座敷童は今……否、平泉にいる千を越える東北座敷童は今、『食う』『遊ぶ』『寝る』の三原則を封印し本当の意味で静まり返っている。
東北支署の大広間では、騒動の終着を祝うための宴会料理が文枝と真琴の手によって用意されている。
特務員の手伝いが無いのは『下手な物を献上するわけにはいかない!』という東北座敷童全員一致の言葉からなのだが。
東北支署の大広間。ロの字に並べられた御膳台を前に、東北の主力と言われている座敷童はピリピリとした空気を作りながら座っている。
上座は誰かのために空けられ、御膳台には東北各地から集められた山の幸や海の幸からの料理が豪勢に飾られている。
上座から見て左の下座は二列になっており、前列には暗い雰囲気の八慶、金時、貫太が座り。後列には、東北最強派閥【大悪童】の五人と金時の付き人五人が座っている。全員の御膳台には料理が乗っていなく『茶碗を含めた器はひっくり返されている』のだが、貫太の隣から並んでいる七膳の御膳台には豪華な料理がある。
上座から見て右の下座も二列に御膳台が並び、前列にいる美代と龍馬はピリピリした空気など関係ないと言わんばかりに豪華な食事をモクモクと食べているのだが、後列にいる巴四天王の御膳台はやはり『器はひっくり返されている』。
食べる事に関しては貪欲になる座敷童の御膳台に料理が無いのは、反省の心を見せるため。
東北支署は今、否、竹田家や貫太の家主の家や座敷童と繋がりのある家に行っている東北座敷童は今、反省の心を見せるために断食の構えでいる。(美代と龍馬以外)
座敷童らしくない反省の心から、ピリピリした空気になっている大広間。杏奈と小夜と彩乃と健は、ロの字に並んでいる御膳台の最下座、廊下側で食事をしている。
杏奈は携帯情報端末の時計を気にしている以外は普段と変わらない。その隣の小夜は、普段ならがむしゃらに食事を楽しんでいるのだが、ともえを心配し、箸の動きが重くなっている。彩乃と健はヨダレを垂らしている巴四天王へ向けて、これ見よがしに食べ姿を見せるという性格の悪い遊びをしているようだ。
そして、今回の騒動とは違う理由で、この場の誰よりも脅え——ある意味吹っ切れている二人がいる。
ロの字に並ぶ御膳台の中心に御膳台が二膳ある。その御膳台には、食事以外のモノが置いてあるのだが、これから上座に座る者へ献上するような、そんな意思が込められている物品……だと思う。
左の御膳台には浴槽に浮かせて遊ぶ玩具、【あんな】と書かれた巨大ヒヨコ。
右の御膳台にはピラミッドのように積み上げられた、【南部煎餅】と書かれた桐の箱。
南部煎餅は献上品として問題ないが、名前付きのヒヨコはいささか。厳しい言葉を使うなら、吹っ切れるにもほどがある。
献上品(巨大ヒヨコ)が余計な激怒を生まれないか心配になっている一同の視線は、そんな御膳台の前で廃人化している二人の幼女に向けられている。
ともえは南部煎餅がある御膳台の前でうつ伏せになり、激戦の中で無念に倒れたような、そんなしょうもない死んだふりをしている。
そして、ともえの隣では……。
仰向けになったしずかが巨大ヒヨコに向かって『親方様ぁぁぁぁぁぁ』と絶叫しているような、吹っ切れるにもほどがある、ふざけているとしか思えない死んだふりをしている。
白のオロチや魔獣の騒動は終着を見せても、しずかとともえは井上文枝の前で喧嘩したため、裁判が残っている。もちろん、井上文枝がいる時は喧嘩をしてはならないという法律がある以上は、一部の……大半の東北座敷童も、騒動中に喧嘩していたという事実が露見したら、もし既に露見していたら、二人と同罪になる。
東北支署が隅から隅まで綺麗なのも、庭にアイヌネギが植えられているのも、美代以外の東北座敷童が断食の構えになっているのも、全ては座敷童の長、【神童】いち子へ向けた反省の心と御機嫌取り。
そう、全てはいち子の御機嫌一つで処罰が決まるのだ。
しずかとともえの喧嘩に関しては、白天黒ノ米が没収された時点で処罰は決定しているようなもの。
八慶と金時の喧嘩も、この場ではいち子の真意はわからないし、もしかしたら、喧嘩に関わった大半の座敷童も処罰の対象になるかもしれない。
「はぁ〜……」
いち子の御立腹に脅えている雰囲気とその体たらくに、普段と変わらない美代はため息を吐くと、箸を置く。
「なにこの空気? なんで食べないの? 器までひっくり返していたら、『自分たちは悪いことしてました』って言ってるようなもんだよ」
美代は一同を見回すが、うつむいているだけで誰も口を開かない。そんな連中に「バッカみたい」と吐き出すように言うと、
「八慶、これから八童になるっていうのに情けないよ。そんなんじゃ、やっぱりわたしは貫太を推薦するよ。文句ある?」
「…………」
「……ふぅ〜ん、黙っちゃうんだ。まぁ、八慶はもぅいいや。金時、いち子が帰って来たら八慶と喧嘩できないよ。今のうちに喧嘩しなよ」
「…………」
「……ま、マジで反省してる。……」
金時はもういいよ、と言いながら貫太を見やると、
「貫太、『俺が俺たちが八童だ』って言ったんだから堂々としてなよ。はっきり言って、他の連中はともかく、貫太はいち子に怒られる理由はないんだし」
「いや、八慶と金時の喧嘩は本来なら俺が止めないとならなかった。そんな俺に飯を食う資格はない」
「ご飯を食べる資格なんて誰にでもあるよ。てゆーか、今回の騒動は龍馬が原因なんだよ」
隣で何事もないように食事をしている龍馬をチラと見ると、
「龍馬ぐらいずうずうしくなれとは言わないし、しずかとともえみたいに死んだふりができるぐらい図太くなれとは言わないよ。けど、少しはいち子の御立腹に免疫持ちなよ。これだから八岐大蛇を知らない世代はヘタレだって言われるのよ」
「八岐大蛇を知らない世代?」
と杏奈は疑問符を浮かべる。罰悪い表情になっていく一同に好奇心が先行し、詳細を聞きたい気持ちから美代を呼ぼうと視線をやった。だが、その美代の視線が自分の方に向いて、話は後だと言うように笑みを作られる。更に、美代は携帯情報端末を見てくるため、杏奈は好奇心からの質問を断念した。
——美代ちゃんに詳細を聞きたかったのに……。
チラと携帯情報端末に目をやると、
——そろそろ到着する時間……来た。
端末の画面にメールマークが表示されると、マナーモードの振動を切るようにメールマークを押す。松田翔とのメール画面を開くと、業務的なやりとりの下に【こっちの準備はOK。そっちの準備はどうかな?】というメッセージ。杏奈はキーパットを開いて【一五秒後にスタートします】とメッセージを作ると、送信ボタンは押さないでチラと美代を見る。
杏奈の何かを含む視線に美代は小さく頷くと、うつむいている一同を改めて見直す。「まったく情けない」と言いながら、にやけそうになる表情筋を無理矢理固め、杏奈に向けてGOサインのようにバチと瞳を向けて頷く。
黒縁眼鏡を右手中指で押し上げるのをOKサインとし、杏奈は携帯情報端末に視線を落とすと、送信ボタンを押して、先ほど作ったメッセージを送る。素早く画面の左上にある【<】マークを押して前画面に変えると、更に指先を横に流してスライド。待ち受け画面になり、南部弁通訳アプリの隣にある【♬】マークを押す。音楽の題名が表示される。
——こういう小さな遊びもいち子ちゃんのワガママなのかな。
と思いながら、端末が無線接続——リモコン機能——になっているのを確認すると、数多くある題名の中からクラッシック音楽、胸を踊らせる曲調で楽劇を飾り、軍隊映画や動画配信ではヘリコプターの進発時に使われる事が多い、とある曲の題名を押す。
松田翔に返信してから一五秒。東北支署のいたる場所——杏奈と美代がいつの間にか設置したスピーカー——から、その曲は大音量で始まった。
第一小節、第二バイオリンとチェロの軽快なリズムが流れると、
「なんだ!?」
誰が発した言葉か。
「なんかの音楽だ!」
誰が応えた言葉か。
「ワルキューレだ!」
誰が答えた言葉か。
と一同の動揺する声が聞こえたのは第一小節まで。第二小節、オーボエ•イングリッシュホルン•クラリネット•第一バイオリンなどが加わると、誰の言葉も大音量が呑み込んでいく。
畳に両拳を付けて軽く頭を下げる八慶と金時と貫太。
額から大量の汗を流しながら死んだふりを続けるしずかとともえ。
金時の付き人は【大悪童】の五人と一緒に動揺し、巴四天王はワタワタと挙動不審になっている。
そんな大広間に——
バラララララと耳障りなプロペラの回転音が届く。一機目、二機目、三機四機……と順にプロペラが回転を始めているようだが、合奏の大音量とプロペラ音が交わった音量では何機あるのかわからない。
一同の動揺に美代は吹き出し、しずかとともえは変わらず死んだふりをする。そんな中、八慶•金時•貫太の会釈した姿勢を見た他の座敷童は一斉に正座の姿勢になり、ザッと膝を擦って後ろに下がると、ははぁ〜と平伏する。
雨音をかき消す合奏の中、玄関の方向から届いてくるプロペラの回転音は、ゆっくりと大広間へ近づいてくる。
数機のラジコンヘリコプターで作る風が、廊下を通って大広間にいる一同の頰を撫でると、ほぼ同時に一機の軍用ヘリコプターが大広間に入ってくる。
【UH-1】愛称ヒューイ。(ラジコン)
杏奈の頭上を越えて軽快な動きで大広間に入ってくるヒューイ。更に、二機目三機目と踊るように入ってくる。
畳と天井のちょうど中間あたりで、三機のヒューイが編隊を組むように三角形になりホバリングを始めると、ゆっくりと大広間に入ってきた四機目が後ろに付いて、編隊はひし形になる。
しかし、廊下から届くプロペラの回転音はまだある。
ブブン! と前傾姿勢で勢いよく大広間へ入ってきた五機目六機目は、ひし形編隊の周りをアクロバット飛行する。大広間中を無尽に動き回ると、クルッと横回転しピタッとひし形の編隊へ加わる。
隊形は二等辺三角形になり、六機はホバリング。数秒経って、そろそろ着地して終わりかなと思った時——
ズババババババと無駄にやかましいプロペラ音を鳴らし、とんでもないスピードで七機目八機目が大広間へ突入してきた。
何かアクロバットを決めるかと思いきや、そのまま上昇して行き、二等辺三角形の編隊をぶっ越えて、ズガンッと天井に激突。機体はへし曲がり、プロペラは根元から弾け飛ぶと、そのまま六機のヒューイを巻き込みながら下降。大広間の中心、しずかとともえに向けて墜落していく。
一機のヒューイがしずかの額に見事墜落。「グッ!」と声を漏らすものの、しずかは痛みに堪える。
ともえの眼前をプロペラが掠り、畳に突き刺さるが、ともえは微動だにしない。
畳に墜落したヒューイのプロペラが弾け飛び、会釈をしている八慶の頭頂部に向かうが、八慶は二本の指で飛んできたプロペラを白羽取り。
畳の上で跳ね回っていた機体は勢い余って飛んで行くと、その先には大銀杏。本気で反省中の金時は、ズガッとヒューイが頭に当たっても微動だにしない。
なんとか墜落を免れたヒューイは機体を立て直そうとするが、ブンブンと風を切りながら貫太のところに。コレも処罰の一つ、と貫太は目を閉じて衝突してくるのを待つ。しかし突然、ヒューイは機体を整えてホバリング。貫太の前にある御膳台に着地する。
コレが八童、コレが東北の主力だと言わんばかりに動揺を見せない五人。【大悪童】の五人や巴四天王や金時の付き人も、コレが八童レベルだと言わんばかりに正座の姿勢を崩さない。
そんな墜落現場、大広間に——
「やっぱり室内での編隊は無理があったね」
「けして、いち子とさとの操縦がヘタだから失敗したのではない」
「うむ。雨が降っていなければ、いち子とさとも大空の下で練習の成果を見せられたはずだ」
死んだふりしたしずかが雨という言葉にビクッと反応すると、ラジコンのコントローラーを持った美菜•虎千代•吉法師が大広間に入ってくる。更に、
「がはははは。次の機会ぞ! 練習あるのみぞ、がはははは!」
「わらっちは墜落しなかったぞ」
「かぼちゃは貫太の前にちゃんと着地させたな。さすが俺の子だ」
三人に続いて、コントローラーを持った勝千代•かぼちゃ•八太が大広間に入ってくる。更に——
大広間から見える廊下、厨房の前に白髪が現れると、平伏している一同はゴクッと喉を鳴らす。
「いち子、さと、お前らがヘタくそだから、井上さんと美代が用意してくれたワルキューレが台無しだ。井上さん、いち子の遊びに付き合わせて悪いね」
「いえ、スピーカーの設置は座敷童デジタル化計画に必要な設備投資なので。それに楽しめました」
杏奈が廊下にいる翔に答えると、落ち込んでいるいち子とさとがとぼとぼと大広間に入ってくる。
翔は上座に向かって行くいち子を見ていると、どこに座ったら良いか迷っている八太や吉法師らが視界に入ったため、
「八太一家は貫太の隣だ。その後に虎千代、勝千代、吉法師の順に座るんだ。後から来る酔っ払いは上座に来るだろうし、来なくてもその辺で飲ましていればいいだろ」
「松田さん。その虎千代と勝千代とは……もしかして……」
「井上さんを驚かそうと思って黙っていたんだけど、たぬきフードが上杉謙信、五分刈りの浴衣が武田信玄。虎千代に関しては俺も初めて知ってさ、上杉謙信が女だったなんて驚いたよ」
「女だったのですか!?」
「虎千代は座敷童管理省の話も聞きたいみたいだからさ、吉法師をまじえて今後の相談でもしたらいいよ。それと、スペシャルゲストだ」
翔はゲストを紹介するように廊下へ向き直り、杏奈は翔の視線の先へ視界を向けた。
厨房にいる文枝をジッと見ている二つの影が、杏奈の視覚から情報となって脳に入ると、自動処理を開始する。
廊下を這いずっている橙色の大蛇。【……】
大蛇の頭にカラス。【白黒】
お土産(狸の置物)を背負っている。【unknown】
その情報を理解するために三秒ほど思考の中で吟味すると、カチと秒針が動き出したように驚愕する。
「オロチがお土産を持って現れました!?」
「「「!!?」」」
意味がわからない、というのが本音だが、杏奈の言葉に一同は廊下を見る。すると、頭に白黒を乗せた橙のオロチと狸の置物が厨房の前に姿を現わした。
「「「三郎!?」」」
一斉に言い放つ。が、狸の置物=三郎という情報が無い杏奈は、
「えっ!? 八童三郎とはオロチなのですか!?」




