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「虎千代、勝千代。我ら佐渡島に滞在している者に求められているのは『毛越寺に封印されている全ての魔獣を天に返す間の時間稼ぎだ』」
「吉法師、勘違いするな。時間稼ぎというのは、龍馬や東北の連中から見た対処法であって、何の伝達も無くこちらの事情も聞かずに事を起こせば、意図的に時間を浪費させる時間稼ぎではなく『意図的に時間を与えない押し付け』だ。言葉を間違えるな」
「う、うむ。……」
虎千代に時間を与えれば、時間を与えた分は説教の時間になる、と龍馬は思ったのだろう。それに、白のオロチを佐渡島に向かわせるのではなく『関東に向かわせろ』と虎千代なら間違いなく言うだろうし、決行もする。何故なら、数年前に白のオロチが蘇った際、巴が関東のオロチ討伐に出向いていなかったら、地震災害はともかくオロチ被害は無かったのだから。
「吉法師、勝千代。今回のオロチ騒動、この仕打ち、義に反しているとは思わないか?」
「う、うむ。そうだな」
「うむ。儂は義などどうでもよいが、関東座敷童が東北のケツを拭いてやるのが筋だと思うぞ」
そう、現在東北の座敷童が困っているのは、一首のオロチ程度で巴に頼った関東の八童と関東座敷童が原因であり、中部座敷童は東北と関東の尻拭いという『厄介ごとを押し付けられた』という事になる。本来は、白のオロチを関東に向かわせて、東北座敷童と関東座敷童で尻拭いしなければならなかったのだ。
龍馬が虎千代に伝達しなかったのは『東北に『恩』があるのは中部か? それとも関東か?』と聞かれるのをわかっていたからだ。そして、頼れるのは中部座敷童しかいない事も。
「火中の栗を拾うのは関東だろう? 何故、土壇場になって中部が拾わなければならない?」
「「…………」」
龍馬が相談したとしても、お前は義だの恩だのと堅い考えしかできないから、最初から言わずにいたのだ。と吉法師と勝千代は心の内で呟く。
「時間稼ぎというなら、このまま関東に白のオロチを持って行こうではないか、なぁ、吉法師、勝千代?」
「「…………」」
あっ、コレはマジで言ってる。と二人は怯えつつ、白外套の中では怒りで赤くなっているのに気づく。
「袖振り合うも他生の縁とは言葉どおり私らの仲だと思わないか? それとも、其処彼処でゴマをすって……いや、納豆をねっている落ちこぼれの八童に籠絡されていないだろうな?」
「虎千代、我が納豆で籠絡されるとでも思っているのか? 見くびられていたものだ」
「うむ、吉法師の言うとおりぞ」
「…………」
無駄に真剣な表情になっている二人を見て、今回のオロチ騒動には関わっていないかもしれないが、すでに何かしらのゴマすり、納豆はねられていると長い付き合いから判断した。
——吉法師の策は聞かずともわかる。
——だが、納豆バカをこのまま許すわけにはいかない。
虎千代は今回のオロチ騒動の責任を関東の八童に取らせるべく、
「このまま白のオロチを制しながら関東へ……」
しかし、吉法師はそれ以上言わせないとばかりに、
「勝千代。何故か、三郎の下から橙のオロチが離れないため、この場で時間稼ぎするのは可能だ。陸では厳しいがな」
「がはははは。ちんたらと遊んでいると思ったら、時間稼ぎとな! それだけ海は荒れ、人間に被害が生まれるぞ。まぁ、陸ではなく、この場でならなんとかなるがな。がはははは」
と勝千代も吉法師に続く。
「うむ、この場で時間稼ぎするのが良策だ」
「うむ、この場で時間稼ぎするのが良策ぞ」
「…………」
白のオロチの移動は中部に被害を広めると遠回しに言ってくる二人に、矢を照準して脅してでも決行したい気持ちになる。しかし、二人の手伝いがなければ関東に白のオロチを移動させるのは難しい。手の平を返すのは戦国の世では常套手段でもあった。経験もしている。決行すれば間違いなくこの二人は逃げる。この場は私情ではなく民主的に判断し、
「そんなことは百も承知だ」
言葉を挟んできそうな二人をひと睨みで黙らせると、
「この場で白のオロチと闘うため、すでに佐渡島の者たちが交通規制している。人間に気を使う必要はない。海も、三郎の能力で津波にならない。そろそろ、海水量の調整に霧を発生させるはずだ」
「「うむ、そうか」」
ホッと安堵の息を吐く吉法師と勝千代。虎千代はそんな二人を本気で殴りたくなるが、太鼓橋でソレは始まった。
「三郎が動いた」
虎千代の言葉どおり、太鼓橋を中心に濃い霧が発生する。
白のオロチの頭頂部にいる三人と【信濃】の管制塔の屋根にいる白黒から見える景色の変化は、まさに異常だった。自然現象ではありえないその景色は——太鼓橋を中心に発生した霧はこちら側の海岸に広がることなく、小木海岸を覆い隠すように包み込んでいく。
鳥瞰すると更にわかりやすく、小木海岸側は霧の白、吉法師らがいる海岸側は海と快晴の青、太鼓橋を境に真っ二つの景色になっている。
この異なる景色の原因を、橙のオロチの『水分を氷にできる能力』で説明するなら——
暖かく湿った空気と冷たい海面という環境を作る事で、霧は生まれる。移流霧と呼ばれる現象なのだが、移流という言葉のとおり海から陸へと向かって流れていく霧になる。
橙のオロチは第一形態なため能力は使えない。そのため、この現象は三郎の能力になるのだが、小木海岸とこちら側の海岸で景色を真っ二つにしている不自然な景色は、能力とはいえ即興で創れる景色ではない。あらかじめ、三郎が用意していた能力からの現象から創った景色になる。
白のオロチが現れる前、梓は波の変化に二日酔いを悪化させ、お濃は盛大に吐いていた。
この時、小木海岸の波は穏やかで、太鼓橋を挟んで、こちら側の海岸の波は荒らかった。その時に起こっていた不自然な現象が『水分を氷にできる能力』の過程にある水温操作から発生する波になる。
そして今、大気中の湿度——能力からの湿度操作——から『小木海岸側を霧景色』に『こちら側の海岸を快晴』に、真っ二つにした不自然な景色を創ったのだ。
三郎は、あらかじめ、移流霧の発生しやすい環境を小木海岸に作り、こちら側の海岸には移流霧が流れてこない環境を作っていたということだ。それをそのまま白のオロチと闘わない三郎からの手助けだと判断すると——
「にくい演出をしよるぞ、三郎め」
そう、勝千代が三郎を賞賛するとおり、三郎はこちら側の海岸で闘いやすい環境を作ってくれたのだ。
「これで太鼓橋にいる皆を心配することなく、白のオロチに集中できる。更に、津波という被害も、増える水量以上に霧を創り、その霧の水分量も『吐き出すところで吐き出せば』佐渡島に被害はない。正直、無茶苦茶としか言いようがない。能力の桁が違いすぎる」
「うむ、さすがは三郎。白のオロチとの闘いには参戦しないだろうが、心強い」
と三者三様に感想と賞賛を並べていると、突如、小木海岸側の空、正確には中空に漂う濃い霧の中で、こちら側から照らしている太陽光を受けて『何か』がチカチカと反射した。
「吉法師、なんの光ぞ? 雷か?」
「霧では雷は発生しない。不純物が太陽に反射しているのではないか?」
「まずい!!!!」
虎千代は声を挙げると、懐に右手を入れる。
「吉法師、オロチの背を小木海岸に向けろ! 勝千代、私とお前で吉法師の背を守る!」
懐から右手を出すと、右手に全身を隠す凪型の盾が握られる。更に、盾は三人を隠すように巨大化——その瞬間、ズガンッと銅鑼を叩いたような轟音が鳴り、衝撃が虎千代を襲う。
「なんぞ!」
勝千代は吹き飛びそうになった虎千代を大きな身体で受け止め、そのまま大盾を両手で支える。
反応が送れた吉法師は、大盾に炸裂したことで粉砕した『何か』の破片を浴びながら、右手に握る手綱を引き、白のオロチの背を小木海岸に向ける。
「虎千代、なんだ今の『氷』は!?」
「雹だ!」
「「雹だと!?」」
雹が発生する条件に欠かせないのは積乱雲。しかし、『水分を氷にできる能力』があれば、大気中に大量の水分があるだけで、能力として雹を作れる。
先ほど虎千代が言ったように——『津波という被害も、増える水量以上に霧を創り、その霧の水分量も『吐き出すところで吐き出せば』佐渡島に被害はない』——吐き出すところに『雹』として吐き出せば、海水量や大気中の水分量は人間側に被害が生まれない程度に保てる。
今の小木海岸の環境は、水分をふんだんに含んだ霧に包まれ、空には、積乱雲ではないが出来立てほやほやの雲がある。
白のオロチ、戦国の三英雄、昭和の三姉妹艦を含む戦艦や駆逐艦を無差別に襲う雹を創るのに、今の小木海岸の環境は十分な水分を含んでいる。
「ぎゃあああああああああああ。ヤメてヤメてヤメてヤメてぇぇぇえぇぇぇえぇぇぇえぇぇぇえ」
小木海岸側から降り注ぐ雹に絶叫を挙げたのは美菜。
「美菜、慌てるでない、オモチャはしまえば————」
お濃の声は、こちら側の海岸を埋め尽くす雹によって消される。
ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド————
次々と轟沈していく戦艦や駆逐艦に美菜の絶叫は止まらない、が雹が叩く音に消される。
お濃は、運悪くサッカーボールの球ほどの雹が頭に当たり、気絶。
白黒は回復した分の体力を使い電光石火。お濃と美菜の襟首を掴み、雹の届かない上空に避難した。
吉法師らは、美菜の絶叫を最後に、大量の雹が大盾に炸裂する轟音で聴覚器官を麻痺させていた。
「吉法師、けして小木海岸に向かせるな!」
「勝千代! 一人で盾を持っていられるか!?」
「虎千代! オロチが暴れすぎぞ! 吉法師を手伝え!」
聴覚器官を麻痺させる轟音の中、言葉は会話にはならない。だが、戦国の三英雄ともなれば、会話などしなくとも——
虎千代は吉法師の握る左の手綱を両手で掴み。
吉法師は右の手綱を両手で握り。
二人は背後にいる勝千代に絶対の信頼を置いているように、手綱さばきに専念する。
大盾に炸裂する大量の雹。大きさなど見ている暇などない。だが、大盾から伝わる威力から、だいたいの大きさはわかる。
勝千代の表情が、苦虫を噛んだようになる。
ソフトボールの球ほどもある雹が雨霰のように降り、サッカーボールの球ほどもある、砲弾と言っても良い雹が大盾の形を変えていく。
白のオロチは防御姿勢を取るためにとぐろを巻いていくが、右羽には穴が空き、左羽は根元から千切れ、純白に輝いていた胴体は鮮血に染まり、再生が追いつかない傷口に間断なく雹が襲う。
いつ終わるかわからない雹の嵐。
まさに災害。
あきらかなオーバーキル。
「三郎は怒っているのか!」
と吉法師。
「一人で闘うヤツはコレだからいかんぞ!」
と勝千代。
「コレが八童の、いや、神童の懐刀、【神鬼】三郎の闘いかっ」
と虎千代。
【神童の懐刀】とは——
いち子と一緒に八岐大蛇と闘える座敷童。
しずかの目指す立ち位置であり、巴にも与えられていない、座敷童の最強戦力。
その神童の懐刀に与えられるのが【神の称号】。
【神鬼】三郎。
樹海を荒野に変え、山の形さえ変えてしまう戦略級能力から【鬼】と呼ばれていた。
しかし、心までは【鬼】ではない。
佐渡島に法律を作って他の座敷童と距離を取るというのも、誤解なのだ。
橙のオロチと闘わせないのも、八童レベルの実力がないと『水分を氷にできる能力』で返り討ちになるからなのだ。
そして、八童や八童レベルを入島制限するのも、いち子以外は、何故か佐渡島を荒らしてしまうのだ。
そう、八童や八童レベルはオロチよりも危険なのだ。
力のない座敷童は自由奔放なだけだが、力のある座敷童の自由奔放は傍若無人という言葉に変わってしまう。そのため、人間と一緒に生活するには抑止力という法律が必要だった。
霧の中から雹を飛ばしている三郎。
ただ佇むだけだが、周囲の霧は固形化し、意思を持つように飛んで行く。足元では、海面から湧き出るように濃い霧が発生し、周囲の薄くなった霧を呑み込んでいく。
三郎はそんな作業をしながら、思いにふける。
——自分には、いち子みたいな統率力はない。
——自分には、巴のような抑止力になれない。
——自分には、さとみたいな無責任になれない。
——自分には、しずかみたいに好き勝手できない。
——でも、オロチからみんなを守ることはできる。
——だから、佐渡島をオロチがオロチでいられる最後の場所にしないとならない。
——オロチが八岐大蛇になれば、今のいち子や自分ではみんなを守れないから。
三郎が佐渡島に一人でいるのは、全てみんなのため、オロチを八岐大蛇にしないためなのだ。
平和な世の中が続いても、一回の自然災害で不幸が蔓延する。そして、八岐大蛇が起こす災害はまさに天災。比較できない不幸が蔓延する。その不幸を三郎は見てきたから、オロチがオロチでいられる最後の場所として佐渡島を選んだ。
三郎は佐渡島に来るなとは言っていない。
法律を作ったことで孤立していると勘違いされているだけなのだ。
人間と座敷童が共存するには巴のような抑止力が必要だったから、口下手な三郎は法律という手段をとったのだ。
人間に迷惑をかけないだけでいいのだ。
迷惑かけたら反省するだけなのだ。
反省しないから入島制限にして、入島制限しても暴れに来るから入島禁止にしている。
反省してくれたら、いつでも解除するのだ。
人間の法律の方が難しく、厳しい。それでも人間は法律の下で秩序を守っている。でも、三郎が作った簡単な法律を一部の座敷童は守れない。
三郎の脳裏には、しずかとさとを筆頭にお濃や八慶や八太、巴四天王や大悪童の五人などなど、主に八童や八童レベルの座敷童が浮かぶ。
——どうしようもない連中だ。
——でも、遊びに来てくれるのは嬉しい。
——今日はいち子もいる。松田の翔……大きくなったな。
——あの八太の弟子はまだまだ強くなるだろうな。
——もっと遊んでもよかったけど、吉も虎も勝もまだまだ弱いから鍛えてあげないとならないんだ。
三郎流の修行。その結果が、止まない雹という災害。厳しい修行ではない。
——オロチと闘うのは誰でもできる。
——でも、八岐大蛇は違うんだ。
——八岐大蛇の攻撃はこんなものではないんだ。
——オロチも……。
——あれ?
——オロチが屈伏した。
——弱っていたのかな?
白のオロチはとぐろを巻きながら再生を繰り返すが、一五〇メートルあった身体は目に見えて縮んでいく。
再生を優先した結果の縮小だが、三郎が訝しむとおり屈伏するには早い。
文枝のように縮小するしかない切断系の攻撃なら、傷の再生ではなく切断部の再生になり縮小していく。だが、白のオロチは体格を維持しての再生はまだ可能なはずなのに、縮小を始めた。それは戦闘を諦めた証拠になり、屈伏していることになる。
——あれ?
——第二形態の体格になったのに、『第三形態のままだ』。
白のオロチは第二形態ほどの体長になっても第三形態の証、羽は無くならない。力は弱っているだろうが、まだ、第三形態の力を失っていないということだ。
——橙みたいに、八岐大蛇になる前の白に戻った?
——なんでだろう。
——誰かが『白を友達にしてくれた』のかな。
——んっ?
——これはいち子の気配だ。
三郎は濃い霧の中にいるいち子の気配を探す。
いち子は三郎の方に手を振り、自分の位置を教えていたため、三郎がいち子を見つけるのは簡単だった。そして、降っているその手には、
——酒呑童子。
——大盤振舞いしてくれるのかな?
三郎は吉法師らへの修行よりも、いち子の持っている酒呑童子に興味を移す。
すると、雹はピタリと止む。
永遠に続きそうだった大盾からの轟音は、ガンッとひと泣きして終わる。
とぐろを巻いて防御姿勢になっている白のオロチの回りには、流氷のように海面を埋める雹が溜まっていた。
「どうやら三郎の怒りはおさまったようだぞ」
「うむ。それにしても、オロチがおとなしくないか?」
「このサイズだと、もうひと暴れするぐらいの力は残っているはずだぞ」
「吉法師、勝千代。おとなしいなら、このまま待機だ」
気力なさげに、とぐろの中でぐったりする白のオロチの姿は、心なしか哀愁を感じる。
蛇には声帯や聴覚器官は無いため、動物と会話ができる座敷童でもオロチと意思疎通を図るのは難しい。それこそ、座敷童が見えなかった時の文枝のように、独り言のような気持ちの会話をするしかない。
もし、今、白のオロチと気持ちの会話ができる者がいたとしたら、オロチの言葉を聞けたのかもしれない。
——毛越寺では、池から顔も出せずに小さくなれた。
——海では、寝る前に脱皮しようと意気込んで準備していたら、不意打ちされた。
——佐渡島に来てみれば、自由を奪われて、雹の嵐に襲われた。
——もう、いやだ。
——寝る。
自暴自棄にだってなるさ。オロチだって生物なのだから。
「虎千代、確認を頼む」
「わかった」
吉法師は虎千代の手にある手綱を取り、虎千代は吉法師と繋がっている縄にぶら下がる形で白のオロチの顔を覗き込む。
「寝ている」
「なんぞ、オロチも寝るのか?」
「当たり前だ」
「毛越寺では文枝殿に倒され、中尊寺では尻尾切り。佐渡島までの道中で急激に成長し、昨晩、脱皮して第三形態になった……が、成長するにも負担はある、脱皮後なら特に。その負担も休めば回復するが、白のオロチはほとんど休んでいない」
「弱っている状態だった、ということか」
「うむ。体長だけ大きくなっただけで、封印から蘇ったばかりの寝起き状態と同じく、本来の半分の力も出せなかったはずだ。我らもまだまだだな」
「……反省は後にしろ。吉法師、私は太鼓橋に戻り、平泉の状況を確認してもらう」
「うむ」




