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新潟県、新潟港。
井上杏奈がわんこ蕎麦を食べている頃。松田翔といち子と梅田達也は新潟港の駐車場にいた。
「吉法師。さっき電話した時は滋賀県の梅田家を出たばかりだと言ってたのが、なんで数十分後に新潟港にいるんだ? それも俺達より早く」
「うむ。我は馬ではなく時代に合わせてバイクに乗っておるからな」
吉法師はヘルメットだと言わんばかりに虚無僧の深編笠を脇に抱え、ライムグリーンのカウルを輝かせたスーパースポーツタイプの大型バイクに股がる。
滋賀県から新潟港までの道中、虚無僧の格好をした小学生高学年の少年が、大型バイクで爆走している姿を見た座敷童が見える側の人間はどんな反応をし、どんな気持ちになったのかは言うまでもないだろう。それは翔も同じで。
「梓さんを行かせず、東大寺に電話して吉法師を呼んだ方が早かったな」
「翔。それを言ったら俺等の努力が無意味になるよ」
達也は翔の肩を叩き、それに吉法師の奇行は今に始まった事じゃないから、と翔に伝えると吉法師に視線を戻し、
「それで吉法師、電話で言ってた『誰かが接触してこなかったか?』の誰かは、この子なんだけど」
手を向けた先には、アイヌネギの酢味噌和えが入ったタッパを持ちモシャモシャと食べながら、いち子を肩車する巨乳、理子。いち子は非実体のアイヌネギの酢味噌和えが入ったタッパをリコの頭に乗せてモシャモシャと食べている。
理子は吉法師と視線を合わせると、
「川崎理子よ。吉法師って珍しい名前ね。吉が名前で法師はお坊さんって意味?」
「人間の時は織田信長。座敷童になり、幼名の吉法師を名乗っている」
「あんたの親、すごいわね。織田って苗字はいっぱいいても、さすがに信長とは付けられないわよ。どんな期待と気合いを込めて信長にしたのかわからないけど、名前負け間違い無しよ」
「…………、」
吉法師はリコが自分の知る弥生の血筋なら織田信長や吉法師という名前を聞けば何かしらの反応をすると思っていた。しかし、リコの反応はその辺の若い子、少しヤンチャな女子高生みたいな軽い反応、それも織田信長本人ではなく別人として見ている。過去の人間が座敷童として生きているとは思わないため、これが当たり前な反応なのかもしれない。
しかし、弥生の血筋は松田家の飛車であり忍。いち子の世話役でしかない翔では裏の事実を知らないという理由もあるため、素性を隠している可能性がある。
(この娘は、東大寺のオロチを封印した後に翔と入れ替わるように訪れた弥生の血筋では無いが……)
親子か親戚か近しい者だと疑う。
「織田信長本人だ。証拠もある……」
腰にぶら下げてある袋から尺八を出すと、
「愛用していた」
「何それ?」
「尺八だ」
「織田信長が尺八を愛用しているなんて聞いたことないわよ。それに織田信長なら、人〜〜間〜〜五ぉぉ十〜〜〜〜ね〜〜〜ん、でないの?」
「うむ。人間の時は、五◯歳までには座敷童になりたいと思っていた」
「まぁ、なんでもいいわ。あんたも座敷童なんでしょ。アイヌネギの酢味噌和え、食べる?」
吉法師が織田信長本人かはどうでもよくなったリコは話を変える。
「うむ。だが、タッパごといち子が持っているため我の分はない」
「私のリュックにあるから作ってあげるわよ」
リュックサックからタッパとアイヌネギと味噌と酢を出してアイヌネギの酢味噌和えを作ると、吉法師に割り箸とタッパを向ける。
「完成。織田信長。ありがたく食べなさい」
「うむ。かたじけない」
吉法師は非実体のタッパと箸を取り、アイヌネギの酢味噌和えをモサモサと食べる。
アイヌネギの酢味噌和えにこめられた気持ちは純粋。
座敷童だからわかる理子の気持ちから、疑うのがバカバカしくなる。
たとえ、忍として心身を訓練していたとしても、座敷童なら気持ちの揺らぎを見抜ける。そして、戦国の覇者として鍛えられた洞察力や危機感は、対象者が危険因子になる人間かを見抜く。
そんな吉法師が見た結果、理子には曇りがない。
そもそも、いち子が懐いているの時点で、翔に敵対する人間ではないという証拠になる。それは翔と行動を共にする達也にも敵対しないという事だ。
だが、例外はいる。
先代御三家に最年少で松田家当主と認められた翔の母親を筆頭に代々の松田家当主は『いち子を中心に物事を考える』。
一つの大きな目的を心の中心に置いてる人間は、気持ちの在り方に揺らぎがないのだ。わかりやすく言えば、翔のように、自分の行動原理はいち子を中心にあると思っていても座敷童管理省の活動に参加するのは、行動した時点で揺らぎになり、現在この場にいる時点でいち子に不便を与える行動になる。一つの大きな目的、いち子を心の中心に置いてるとは言えない。この気持ちの揺らぎが、翔が松田家らしくないと言われる理由になる。
心の中心にいち子を置いてる松田家当主レベルに、理子は心に大きな目的を置いてる可能性がある、かもしれないのだ。そして、アイヌネギの酢味噌和えには低い可能性であり得るほどの純粋な一本の筋が通った気持ちがある。
(数多い人間を見てきたが、このような人間は松田家や龍馬……アーサーぐらいしか見た事がない……)
モシャモシャと食べながら達也へと視線を向け、
「達也、モグモグ、理子は、モグモグ、何者だ?」
理子を弥生の血筋として疑うよりも、達也から見た理子、今までの行動を聞き出そうとする。
達也は吉法師の疑問にあっさりと、
「何者って言われても、コンビニで出会った女の子としかわからない。この際、学校を二、三日休んでもいち子の可愛さには価値があるからって、付いて来た」
「二、三日ということは佐渡島にも付いてくるのか?」
「そうみたい。オロチが佐渡島に向かっているから危ないって言ったんだけど、俺等と合う前日に、森の中でオロチと一緒に寝てるんだよね。オロチの危険性を説明しても佐渡島の山菜をいち子と取り尽くすって」
「…………、」
弥生の血筋だと疑いを深める。多少大きな大蛇なら兎も角、図鑑にも載らない変異体の蛇、怪物と言っても過言ではないオロチと一緒に寝られるのは『オロチが人間を餌として認識していない』事を知っていた可能性がある。
(しかし、松田家を影から守るのが弥生の血筋。いち子や翔と行動を共にするというのは、らしくない……)
と思いながら、
「翔。いち子と三郎に会いに行くのか?」
「万が一、二首になった時のために三郎の協力が欲しいからな。それに魔獣は毛越寺と中尊寺にいるから、できれば白オロチを四◯メートル以内に沈黙させられれば……」
「うむ。無理だ」
翔の言葉を否定で切ると、苦笑いする翔に理由を説明する。
「魔獣はオロチの意思によって現れる。そして、オロチが第二、第三形態と成長することで、魔獣も変貌する。そして我の経験則からでは、魔獣進出のボーダーラインは四◯メートル。前夜の時点で三◯メートルなら、小木海岸で待ち構える我の前に現れた時には、良くて第二段階。海流にのる魚が豊富なら、自然と成長するよりも食い漁った分は成長するため、第三段階になっている」
「だよな。……」
「危害を加えなければ魔獣を呼び出さないと思うが、それは希望的観測。運が良ければ第二第三でも呼び出さないと、思う、としか言えない。前例が無い事は未知なのだ。翔、言ってる意味がわかるか?」
「わかる。けど、ばあさんをオロチや魔獣と関わらせたくない。なんとかならないか?」
「オロチが四◯メートルだと仮定し、魔獣を呼び出したとする。魔獣が蘇ろうとも平泉にはしずかや巴や八慶や八太がいる。文枝殿がいるなら東北座敷童も集まっているだろう。文枝殿の事は心配することない。翔や達也が秘密裏に行動していた事がバレるため杏奈に怒られるだろうが、そんな些細な事を気にしている暇があるなら男らしく行動した理由を話し、杏奈に怒られろ。尻尾切りが無かった事を御三家として確認しなかった達也と翔と小夜の責任なのだからな」
それはもちろん座敷童管理省も同じだが、と繋げると、
「座敷童管理省には御三家のような過去の経験を記した書物はない。経験則が無いということだ。そんな組織に、今回の失態の責任を取らせるのは、お門違い。責任はやはり御三家の三人にある」
御三家ならば、と加えると、
「八慶と龍馬が封印したから、大丈夫、ではないのだ。尻尾切りの有無、封印が弱っている箇所や細かな亀裂の確認。各地のいち子の封印に合わせて封印する能力がある座敷童に補修させ。全ての不安と今後の不安要素を改修、確認に確認を重ねてやっと『封印したから大丈夫だ』と言えるのだ」
長い説教になったな。と言うとふぅと息を吐き、落ち込む翔と達也を呆れるように見ながら、
「座敷童側から見れば、今回の騒動は達也、翔、小夜、杏奈に非は無い。逆に、梓を使って我とお濃に早々と伝えてくれたのは賞賛に値する。お前達に非があるとすれば、人間側、御三家や座敷童管理省としての意識的な問題に非があるだけだ。自分達の汚点をぬぐいたいのなら、杏奈に現状までの事を伝え、早急に魔獣に備えさせるのだ」
懐からペットボトルを出してお茶を飲む。
翔は愕然と肩を落とし、ため息を吐く。
「そうなる、よな。おにぎり女の話から、予想以上にオロチの成長が早いってわかった時に連絡するべきだった。俺は東北での魔獣被害を大きくする可能性を増やしていただけだな」
「東北には今回の失態を生んだ龍馬がいる。自分の手に負えなくなれば八慶となんとかする。しずかや巴や東北座敷童の知る所になるのは考えるまでもない。そんな時、魔獣に備えていなかった座敷童を見た文枝殿がどんな行動をするかは明らか。今後、このように秘密裏な行動を起こす場合は冷静に考えてから判断し、自分達がオロチに関わるからにはオロチから波状するであろう最悪を常に想定し、最善に行動するのを心がけるのだ。そして、自分達は御三家というのを忘れるな」
「わかった」
翔は頷き、ため息を吐くと、苦笑いをしながら、苦笑いする達也に視線を向け、ポケットから携帯情報端末を出す。
「達也。俺は井上さんに連絡する」
「俺は梓に連絡するよ」
(まだまだ子供だな。我の隠居が長引きそうだ)




