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座敷童のいち子  作者: 有知春秋
【中部編•想いふ勇者の義】
62/105

4

 山形県、山の麓の町。


 アメリカンタイプのバイクは峠道から麓にある町へと差し掛かる。

 道路の脇、用水路の横から広がる田園は町を囲う山の麓まで続き、少ない街灯を辿るとビニールハウスや瓦屋根の家が見えてくる。農村、隠れ里をイメージさせる風通しの良い風景はバイクのエンジン音をやまびこのように響かせ、余所者、或いはお客さんが来た事を住民に伝える。

 日が沈んだ後の峠道は対向車も減り、静まり返る町に入った頃には、いち子もおとなしく翔の膝上にちょこんと座っていた。

 ここまでの道中いち子のテンションに悪戦苦闘していた翔だが、ひと段落したからといって景色を楽しむわけにはいかない……のだが。

 翔は少ない街灯を頼りに風景を見渡し、看板、本日の宿泊所を探す。

 ふと田んぼの中で視線が止まる。

 お寺があるわけでもない田んぼの中に『先祖代々ここにあり』と主張するように三基のお墓が堂々とあった。感受性が高い翔は育った地域との文化の違いと内地のお墓事情を目の当たりにし、やはり、風景を楽しんでしまう。

「内地に来たら町中とか田んぼにお墓があるけど、こういう地域で育った人はお墓で肝だめしとかやったらどんな反応するんだろうな。通学路に普通にあるもんだから先人が見守ってくれているって感じか」

「うむ」

「いやいや、自分の家のお墓でも夜は普通に怖いから」

「うむ」

「お墓での夏の風物詩は全国共通って事だな」

「うむ」

「北海道育ちの翔には夏に感じるかもしれないけど、五月は春だからね」

「うむ」

 翔と達也がバイクの走行中でも会話ができるのはヘルメットにバイク用インカム、信機器を付けているからだ。もちろん、いち子の非実体の半坊ヘルメットにも付いている。だが、実体のインカムから非実体のインカムには声は届かないし逆も然り。いち子の声が実体のインカムから聞こえてしまったら、それこそ肝だめしのアイテムとして重宝される。

 非実体のインカム同士の通話が可能というのは座敷童デジタル化計画の一つ、非実体の携帯端末同士の通話と同じ理由になる。そして、先ほどからいち子が「うむ」と適当な返事を二人にしているのは、非実体のインカムを達也と翔のヘルメットにも装着し、通話を可能にしたからだ。これは新発見。

 非実体のインカムは人間も通話が可能なのだ。そして、非実体のインカムが人間に使えるということは、翔と達也は試していないが非実体の携帯端末でも通話が可能ということになる。

 だが、座敷童デジタル化計画の説明を杏奈がしていた時、画面をタッチしながら人間は非実体の端末には干渉できないと証明していた。

 それには理由がある。座敷童の不利益になる人間に対して翔が懸念していたのもあり、杏奈が翔を説得するプレゼンで非実体の端末で人間が通話できる事実を言うのは不利になると思い、人間も非実体の端末で通話ができる事実を伏せた。たしかに、杏奈は触れる分には非実体の端末に干渉できないと言っていた。後日、非実体の端末で人間が通話できる事実を杏奈に抗議しても『聞かれなかったので言ってませんでした』眼鏡クイッとするだろう。

 座敷童に不利益になる人間が非実体の端末で座敷童と通話ができる。という懸念を杏奈が故意に隠した?

 否、そう考えるのは尚早。

 杏奈は八慶と龍馬に懸念材料を提示し、座敷童デジタル化計画として確立できると判断したから、マニュアルを作っていない座敷童デジタル化計画を御三家の翔に開示できたのだ。

 その確立できると判断できた三つの理由が。

 一つ、座敷童は不利益になる人間とは関わらない。

 二つ、座敷童が落とした非実体の端末を人間が拾っても画面やボタンは無反応。

 三つ、一と二を補足するものだが、座敷童と会話ができたとしても、気持ちをいただく座敷童には相手にされない。

 この三つだけでも座敷童デジタル化計画としては充分なのだが。

 四つ、座敷童デジタル化計画の管理人、元八童巴は非実体の電波を通して端末の位置情報を取得し無効化できる。

 一•二•三でも充分なセキュリティなため杏奈は管理人の必要性を棚置きしていたのだが、御三家、特に松田家は不利益になる人間が座敷童に干渉するのを好まない……というよりは拒絶する。そのための四つ目であり、不利益になる人間、所謂『座敷童に不利益をもたらしても人間側では裁かれないと高を括るような人間(クズ)』への罰と見せしめが必要になり、その執行人として竹田家や座敷童デジタル化計画の不利益になるクズに裁きを与えられる者、雷を落とせる巴を表向きでは杏奈に伏せているが翔は管理人として巴を抜擢したのだ。もちろん、巴は管理の中に死刑執行人としての役割が含まれている事を理解しているし、死刑執行人として不利益な人間に雷を落とす事に迷いなど微塵もしない。小夜、竹田家に不利益なら敵と見なすのが巴なのだから。

 そもそも、マスコットではなく家の盛衰を司る座敷童は不利益になる人間に対して、たとえお世話になっている家主でも御立腹する。

 座敷童という呼称に利益しかないと思うなかれ。『盛衰』を司るのが座敷童であり『盛衰』とは成功を保証するモノではないのだ。

 翔は、非実体のインカムで通話が可能とわかった時に、ますます巴の必要性を感じた。

 それは、命で罪を償わせるのが妥当と思うほど座敷童に不利益をもたらす存在を嫌悪しているからだ。それは、いち子を守る松田家としてではなく、翔がそれほどいち子を大事に想い、座敷童を好きだからだ。

 おそらく、不利益な人間に命で償わせるという考えに賛同できる人間はアーサーしかいないだろう、と翔は思っている。だからこそ、アーサーを座敷童から遠ざける発言をするのだが。

 しかし、そんな大義を秘めていても一五歳の少年、肉体的にも精神的にも未熟で多感な時期。今現在、その大事に想っているいち子に不利益……いや、不便を与えそうになっているのは紛れもなく翔本人。

「いやいや。墓どころじゃない」

 平泉を出発する時は、岩手県から新潟県まで六時間ぐらいで到着し、いち子好みの宿を探す余裕もあると思っていた。だが、対向車線を走行していたライダーがピースサインを向けてくる度に段々といち子のテンションが上昇、新潟県まで行くのを諦めた。それでも、山形県の大きな街までなら夜には到着できると思っていたのだが、いち子はそんなに甘くはなかった。

 翔の気合いは虚しくもテンションを上げたいち子には通用せず。途中、ホームセンターで子供用のリード——ヤンチャな子供の上半身にベルト巻いて突発的な行動に対処する利器——を買い、いち子と自分の右腕を繋げて拘束した。それが更にテンションを上げる切っ掛けになり、風を全身で浴びたいいち子が正月の凧上げよろしく状態になったのは言うまでもない。

 岩手県から山形県まで事故なく走行できたのは翔といち子のやり取りを危険視するのではなく、自分の運転技術内で無理のないスロー走行を心がけた達也のマイペースな性格が生んだ結果だ。

 気持ちが急ぐ翔とマイペースな達也の組み合わせは、いち子というヤンチャすぎる座敷童が間に入るとバランスが取れる。この座敷童を中心に保てるバランスが御三家には必要不可欠になり、三者三様のバランスが取れてこそ御三家という重責を背負えるのだ。

 意図せず翔と達也が御三家としての絆を深める結果になったのは、いち子の功績と言っても過言ではない。

 もちろん、隠れ里みたいな町で翔が本日の宿を懸念していても、達也は、正確には梅田一族は良いバランスを保てている。

 達也は翔の急な話題変換に疑問符を浮かべ、

「なんかあった?」

「泊まる場所だ。携帯は使えないし。初日から行き当たりばったりになるとは思わなかった」

「今、泊まる場所に向かってるよ。あと五分ぐらいで着く。さっきホームセンターに寄った時に言ったと思ったけど」

 さも当たり前のように言葉を繋げる達也だが。

「なんだと⁉︎」

 驚く翔はホームセンターに寄った時を思い出す。

 子供用リードを探し回るのに夢中で達也の話を聞き流していた。更に、先日、井上文枝にサプライズするための牛肉一頭買いした時も、健と彩乃の話を聞き流していた。

 翔は罰悪い表情になりながら達也を見る。達也はフルフェイスのヘルメットを被っているため表情の確認はできないが、苦笑している雰囲気があった。

「わ、悪い。聞いてたけど頭に入ってなかった」

「なんとなく聞いてないなぁって思ってた」

 はははと笑いながら軽く返答する。

 達也は梓に翔の事を「まだ高校生だって事を忘れないで」と言われていたため、達也なりに翔を観察していた。

 松田家の跡取り、いち子の世話役、特別の中の特別な存在が達也の中の翔だった。だが、改めて翔を観察すると、何のことはない妹に振り回される兄、ただの高校生に見えた。その衝撃は御三家跡取りの最年長である達也には大きなモノだった。

 数年前、泣きながらキノコ汁を作っていた小夜を自分が支えたいと思った。厳しい言葉を投げた父親を殴ったのも、小夜を妹だと思い、自分が支えてあげたいと強く思っていたからだ。そして今、翔にもその気持ちが芽生え、東大寺で松田家跡取りというレッテルに怖じけたのは良い思い出になった。

 最年長の自分が妹と弟を守って梅田家として活きたい。

 自分を見つめ直すための四国八十八ヶ所巡礼をしていなかったら、井上杏奈に出会っていなければ、嫌気がさして目を背けていた梅田家跡取りという立場の中に妹と弟を守って活きる道を見つけられなかったと実感した。同時に、自分の小ささを教えてくれた井上杏奈という女の子に感謝した。

 そして、その井上杏奈も妹や弟と同じ一五歳、女の子であると。

 梅田家としての意識。土の中で眠っていた種から芽が出たぐらいの、まだ外に出ない芽だが、ソレは妹や弟そしてこんなろくでなしの自分を梅田家として見てくれる女の子や座敷童が好きな大臣や特務員達と育って活きたいと、初めて梅田家としての自分に充実した気持ちになった。

「翔って夢中になると回りが見えないタイプだよね。いち子も夢中になるとそんな感じだし。やっぱりずっと一緒にいると似るんだね」

「先日も友人に同じことをしたから否定できないな。……泊まる場所って、どっか予約してたのか?」

(あずさ)と電話した時に県境にいるって言ったら、近場の旅館を予約しておくって。俺も使った事ある旅館だけど、ゆったりできる温泉と料理が最高だったよ。たぶんいち子も喜ぶと思う」

 少し前の自分なら梓の功績だと口に出していなかったな、と内心で思い、苦笑しながらチラッと横を見る。そこには、安堵している翔と無関心だがどこか自分を見ていそうないち子。この神童様に、梅田家として成長した気持ちを見てもらいたいな、と無関心な顔をいつかは振り向かせたい気持ちになった。

 翔は、梓と達也どちらの功績かなど考えていない……いや、考える余裕がない。

 翔の現状を簡単に言うと、一五歳の少年が旅先で予定外の事態になり、携帯情報端末を使えない状況で、旅館の予約や行き着くまでのルートの確保をできるかできないかという問いになる。答えは、最初から旅館の予約をしていればいい、予定外を予想しとけばいい、などなど客観視した上から目線で結果論を語る事はできる。しかし、『目的』が頭の中を支配している状況では一五歳の少年問わず大人でも難しい。

 今の翔を平均的な思春期男子として例えると、初めてできた彼女が他の男子と歩いていた時に、その彼女と一緒に歩いていた男子から「えっお前の彼女だったの? ただ仲がいいだけだと思ってた」と客観視からの結果論を述べられて頭に血が昇るぐらい周りが見えていない。

 翔は、野放しになった白オロチへ先手を打つことしか考えていなかった事に気づくと、ため息を一つ吐く。凝り固まった頭の中に、梅田家、達也という安心感が入ってきてスゥと頭の中が冷えていくのを実感した。

「俺だけだったら行き当たりばったりで野宿するところだったな。達也。ありがとうな」

「いやいや。普段の翔を見れて俺も努力したい気持ちになったんだ。たぶんさ、翔と小夜ちゃんと俺は確執のない最高の御三家を作れるよ」

「?」

 脈絡のない返答に疑問符を浮かべる。何か変な物でも食べたのか、運転に疲れてナチュラルハイになったのか、と内心で思い、深くは聞かず「俺等には小夜の南部弁が聞き取れないという壁はあるけど、確執はないからな。大丈夫だろ」と軽く返答し、いち子の顔を覗く。

「いち子。もうすぐでご飯だぞ」

「翔。蝶じゃ」

「がぁあああああ⁉︎」

「うおっ!」

 翔の不意な絶叫に鼓膜が踊り、達也は思わず急ブレーキをかける。

 翔の眼前に向けられたいち子の小さな手には、蝶というには毒々しい羽を広げた大きな蛾が自己主張していた。



 旅館に到着すると、翔は外観の趣きを感じる前にいち子を抱えながら走る。眼前で蛾を直視した事による嫌悪感を取り除くために。

 早々に受付を済まし、部屋に案内される前に風呂場へと駆け込む。

 因みに、いち子が捕まえた蛾は翔の顔にへばり付いた後、風に乗って近場の街灯へと羽ばたいて行った。

 扉に使用中の札をぶら下げ、四畳半ほどの脱衣所に入ると、ショルダーバッグからいち子のお風呂セット、松田家で手作りしている黒石鹸•白石鹸•ヘチマが入った檜の桶を出し、タオル片手に浴場へと行く。

 浴場へ入ると、翔はさっそく嫌悪感を洗い流し始める。それも、いち子の身体も洗いながら。

 翔は左手で自分の顔をザッとお湯で洗い流すと白石鹸を両手で泡立て、右手でいち子のおかっぱ頭を泡立てながら左手で白髪を泡立てる。その手さばきは雑なようだが、いち子は微妙に頭を動かし翔はその動きに合わして痒い所を的確にそして絶妙な力加減で洗っている。

 神童いち子の入浴中の遊びは脱帽すると梓や杏奈に聞いていた達也だが、シャワーで頭髪の泡を洗い流している二人に遊ぶ気配はない。

 翔は黒石鹸でヘチマを泡立てると、いち子に向ける。いち子は非実体のヘチマを取って身体を洗い、翔は実体のヘチマで身体を洗う。もちろん、遊ぶ気配はない。

(いつ遊ぶのかな)と気にしながら茶髪を洗う達也だが、自分の知る情報どおり松田家で手作りしている黒石鹸•白石鹸•ヘチマを愛用する以外は普通。新情報で、いち子としずかは浴場で泡だらけになりながらスケートリンクのように滑り回ると聞いたが、その気配さえない。

 先日、座敷童管理省東北支署の浴場で、杏奈はいち子としずかの遊びに振り回され、梓もその光景を見て世話役の偉大さを痛感し、あのアーサーでさえ自重したと達也は聞いた。しかし、二人に遊ぶ気配はない。

 翔は、いち子の背中をヘチマで洗い終えると黒石鹸で両手を泡立てて更に顔に残る嫌悪感を洗い始める。すると、いち子は非実体のヘチマを両手で握り、翔の背中を洗い始める。

 達也が期待しているいち子の遊びは始まらない。ただの、普通の、何の変哲もない、兄妹の流しっこ風景。

「いち子。シャワーから出るお湯も温泉だな」

「うむ。とろりスベスベの贅沢(ぜいたく)美湯(びゆ)じゃ」

「高評価だな」

 泡を洗い流すと、翔といち子は期待を膨らませながら浴槽へ行く。

 大人六人は余裕で浸かれる檜仕立ての浴槽を前にして更に期待を膨らまし、温度を確かめるように右手を入れ、翔といち子は顔を合わせる。意思疎通したように頷き、片足を浴槽に入れ、一気に肩まで浸かる。

「「かぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」

 肌を刺してくるような感覚、湯温に適応しようと開いていく血管、毛穴が一気に開く。疲れや痛みや持病を癒してくれる効能は知らなくてもいいのだ。何故なら、温泉を管理する人の気持ちが一番の効能になるのだから。

「いち子、美湯ランクは?」

(じょう)美湯じゃ!」

「美湯ランクってなに?」

 二人の後に浴槽へ入り、聞きなれない言葉に疑問符を浮かべる。

 翔は掌にお湯を溜めて顔に残る嫌悪感を洗い流しながら、

「いち子の独断と偏見から、お湯に美の文字を付けるに相応しいか決めるランクだ」

「他のランクは?」

(ちょう)美湯•上美湯•(ちゅう)美湯•(しょう)美湯•美湯•温泉•(はん)温泉•お湯•水溜まり•入る価値無し。この一◯ランクで、美湯以上じゃないといち子は入らない。因みに、判定基準は温泉を管理する人の心とお湯の良さで決まる」

「奥が深いね。でも、ここのお湯は超美湯ではないんだね……残念」

「いち子評価では上美湯が最高ランクだから残念じゃないぞ。大好評リピート間違いなしだ」

「うむ。最高じゃ」

「温泉は良質でも、管理する人の気持ちで評価は厳しくなる。いち子評価の大半は温泉、良くて美湯だからな」

「安心した。でもさ、そうなると、超美湯ってどんな温泉か気になるね」

 達也は頭に乗せてあるタオルで顔を拭く。

 翔は天井を眺めると、

「厳島神社が干潮した時に水が湧き出ている場所があるだろ?」

「あるけど……人間も座敷童も立ち入り禁止だったよね。入れる超美湯はあるの?」

「厳島では地上に湧き出ているだけで、超美湯は地中や水中で湧き出ている。間違えないでほしいのは、人間が管理するから超美湯から上美湯にランクが下がるという解釈ではなく、人間が管理する上美湯には大自然でも創りだせない人それぞれの味があるという事なんだ。大自然が管理する超美湯には混じりっ気がないってだけだ。人間の気持ちをいただく座敷童は超美湯と上美湯どっちを喜ぶんだろうな」

「上美湯だね」

「人間には創りだせない自然の恵み。自然には創りだせない人の気持ち。気持ちがわかる座敷童だから美湯ランクを本当の意味で楽しめるんだ」

 そして、と加え、

「座敷童の楽しみは風呂だけではない。絶品•最上•特上•上々•上•並•下•食う価値なし。この八つのランクは、料理に至るまでに関わった人間の気持ちと味を独断と偏見で評価する。食材が良くても調理人に気持ちがなければ食べないし、逆も然り」



 達也が期待していた浴場で滑り回るというイベントはなく、長風呂でもない入浴を終わらした三人は旅館【こよか】の浴衣に着替えて受付に向かう。

 翔は嫌悪感で旅館の趣きを見る余裕はなかったが、改めて内装を見渡すと特別な趣向はない普通の家に感じた。しかし、翔が普通に感じてしまうという言葉の裏を返せば、松田家や井上文枝の家と類似している事になり、それはいち子やしずかが居心地良いと感じる家になる。

 普通だが普通ではない和風旅館。

 二階まで吹き抜けになった玄関と二階へ続く大階段があるロビーは太い柱と天井を飾る梁が歴史を感じさせ、隅々まで行き届いた掃除と無駄な趣向がない空間は外の澄んだ空気をそのまま残す。

 玄関ロビーの端にひっそりとあるカウンターが受付になり、着物にエプロンをした女性、女将さんがいる。

 人生を物語る顔のシワは彼女の優しさで深まり、苦労してきた手は古き良き女性を感じさせ、ホッと安心感を与えてくれる。温泉は身体を温めるが、女将さんの存在は心を温めてくれる。

「お風呂はいかがでした?」

「上美湯じゃ!」

 いち子は女将さんを見上げる。

 女将さんはいち子のおかっぱ頭を優しく撫で、

「よかった。お風呂の後はご飯にする?」

「うむ、ご飯所望じゃ!」

 大階段を上がり、部屋へと案内されるまでの間、この旅館【こよか】にも昔から女の子の座敷童がいて、今は友達と岩手県平泉へ遊びに行ってる事を知らされる。そして、女将さんだけでなく旦那さんと息子夫婦も座敷童が見える側の人間だと。

 翔は、座敷童が常駐し家族全員が座敷童を見えていると聞かされた時は驚いた。しかし、翔はすぐに(梓さんが座敷童と無関係な場所を予約するわけないよな)と改めた。そして、いち子の口に合うか不安になっていた料理も、座敷童が常駐しているなら気持ちのこもった料理が出されるだろうと安堵する。

 部屋は、座敷童界の神童が訪れるという事で一番良い部屋——この旅館に住む座敷童の部屋——といっても、どの部屋も八畳の和室で同じ造りになり、二階からの景色が良いだけ。特別豪華なわけでもない座椅子とテーブルがある一般的な旅館の一室だ。

 旦那さんと息子夫婦が運んできた料理は一品一品は質素だが、全て竹細工の食器に飾られ、贅沢を感じる。

 昼間に旦那さんが釣ってきた川魚は無駄に手を加えずにじっくりと素焼きされ、息子さんが採ってきた山菜の天ぷらは女性の肌に薄い衣を纏わしたような芸術性を感じる。

 他にも感受性を刺激する料理はあるが、翔が一番気になったのは目の前の七輪で焼いている原木シイタケだった。

 傘の裏から湧き出る妖精の涙にひとつまみ分の塩を振りかけると、結晶がチカチカと光りながら溶けていく。バターや醤油などいらない。自分達が育てたシイタケに自信があるからこそ、妖精の涙とひとつまみ分の塩だけなのだ。

「なまらすげぇ」

 感嘆の息を漏らした翔の隣で、ヨダレを垂らしたいち子はオヒツの蓋を取り、中をジッと見ると女将さんにキラキラした瞳を向ける。

「絶品じゃ!」

「食べる前に絶品じゃ、か。……女将さん。ありがとうございます」

 翔は一礼すると苦笑いを作りながら、

「俺はまだ、料理を見ただけで感謝じゃって言われた事なくて……さすがです」

「年の功ですよ。私等も若い内はカヨコ……うちにいる座敷童に気を使われていましたから」

 女将さんは竹の器、いち子のお椀に小豆飯を盛ると翔のお椀に手を伸ばす。

 いち子の元気発剌ないただきますから食事は始まり、座敷童の御利益に甘んじることなく積み上げてきた努力の一品一品を堪能した。

「明日はお弁当を作っておきますね」

 女将さんは布団を敷くと、優しい笑顔のまま部屋を後にした。

「文枝さんと似た安心感があったしょ?」

 達也は布団の上に腰を下ろし、翔に視線を向ける。

 布団の上に俯せになった翔の背中では、枕を抱いたいち子が転がっていた。

「ばあさんは特別だと思っていた俺の世界は狭いんだなって思い知らされた」

「俺から見たら座敷童が家にいる時点で特別だし、翔なんていち子の世話役だから特別の中の特別だよ」

「ばあさんや女将さんみたいな安心感を与えられない世話役なんて特別でもなんでもない。いち子に気を使われまくってるし」

「そうは思わないけどなぁ」

「いつもなら俺の背中なんて洗わないで遊んでるし、今だって背中で転がりながらマッサージしてくれている。母さんやばあさんがいないから俺に気を使ってんだ」

「そうなんだ。……」

 いち子が浴場で遊ばなかった理由を知り、

「でもそれって、今日一日が普段とは違う一日で楽しかったからじゃないかな。道中でアレだけ遊んでいて、旅館では遊ばないってことはないし。今日一日、翔と遊んで満足したから背中を洗ったりマッサージしたりしているんだよ」

「そうなると、普段は満足していないから背中を洗わないしマッサージもしないってなるな」

「普段は普段、外出は外出、いち子は翔といて毎日満足してるよ」

「うむ。ワタキは幸せ者じゃ」



 翌朝。太陽が昇る前の空は薄暗く、街灯が歴史を感じさせる和風旅館を照らしている。

 玄関前では、アメリカンタイプのバイクが重低音を規則正しく鳴らし。サイドカーに乗った翔の腕の中では、いち子が毛布に包まりながら熟睡している。

 達也は、女将さんから渡された弁当入りの風呂敷袋をサイドカーの逆側にある収納箱に入れる。

「ありがとうございます。また来ます」

「お待ちしております」

 翔が女将さんとお礼の言葉を交わすと、達也は女将さんに会釈し、出発。サイドミラーに手を振る女将さんが写っていたため、達也は左手を挙げて応える。

 ほどなくして交差点を左に曲がると、翔は達也の方へ向き、

「時間は四時。達也、海側から新潟県に入りたいな」

「海側から?」

「オロチは佐渡島の封印箇所に向かうから、海を渡る。俺等は先手を打つつもりだけどオロチの方が一足早い場合、海側を走っていたらソレに気づける」

「オロチの方が早かった場合は?」

「……、その時は三郎任せだな」

「…………、」

 一拍置いてから返答する翔に違和感があり、チラッと翔を見る。いち子を抱く手に力を入れていた。少なからず翔という人間を知った達也には、今の翔の言葉は嘘だと感じた。

「三郎任せ……か」

「佐渡島に座敷童は一人、八童の三郎しかいないからな。厄介なのは、白オロチに共鳴して佐渡島のオロチが蘇った時だ。三郎は、佐渡島のオロチが蘇っても中部の座敷童問わず、自分以外の座敷童が佐渡島のオロチと闘う事を『法律』で禁止し、座敷童が佐渡島に常駐する事すら禁止しているからな」

「梅田の書庫にはなかったけど、松田家には三郎が一人で佐渡島にいる理由が書いてある本とかある?」

「無い。ガキの頃、佐渡島……三郎の家に行った時に母さんが『三郎なりに佐渡島のオロチから座敷童と佐渡島を守るため』だと言ってた。ガキの頃はソレで納得したけど、今は三郎の法律が佐渡島で二首になる可能性を高くしていると思っている。達也はどう思う?」

「座敷童をオロチから守るなら本末転倒だけど『佐渡島のオロチだけ』から座敷童と佐渡島を守るなら筋は通っている、かな」

「同意見だ。予想に予想をのせるなら、三郎は佐渡島のオロチに因縁があり、一人で闘う理由がある。厄介な法律をいち子は了承しているため、三郎の因縁はそれだけ深いって感じだな」



 ********************



 奈良県、東大寺。


 翔と達也が旅館【こよか】を出発した頃、昨日に奈良県東大寺へと向かった梓は、すでに東大寺南大門の前にいた。

 彼女は花巻空港で達也から事情を聞いた後、予定を大きく変えた。

 元々の予定は、花巻空港から伊丹空港に向かい、大阪府で一泊した後、奈良県東大寺に向かい、滋賀県の梅田家で達也と待ち合わせるだった。

 だが、達也から事情を説明された時、梅田家で待ち合わせる予定だったのが変更され、一日遅れで石川県金沢市の兼六園で待ち合わせる事になった。それは白オロチに先手を打つのが遅れる事を意味し、白オロチの脅威がその分上がることを確定したものだった。しかし、白オロチが佐渡島に向かっているとわかっていて、先手を打てる可能性を下げるような愚行などするわけにはいかない。

 梓は、翔や達也が悠長に構えているとは思っていないが、当初の予定さえ穴開きが多く『まるで子供が考えたような雑すぎるプラン』だと思っていた。だが、その予定プランには何か考えがあり意味があると思い、自分の内心を問う事はしなかった。しかし、その予定プランは『まるで子供が考えたような雑すぎるプラン』のように予定日という根本から変更され、このままでは自分達の行動全てが先手を打てる可能性を下げるような愚行に成り代わり、脅威という穴は広がっていくだけと梓は考察した。

 子供なのだ。自分の、自分達の十段上にいる存在だと思っていた松田家跡取り、いち子の世話役は精神的にもまだ未熟な高校生なのだ。

 松田家という名前で翔を見て、本人の中身を見るのを怠っていた事に気づいた。思えば、翔と杏奈が巴の策略——二人の年齢に合わした冷やかし——で判断を鈍らしていた。あの時、冷静にいられたのは自分達大人だった。そして声に出して自分の立場を主張したのは大臣であるアーサーだけだった。

 一五歳の少年少女なのだ。自分達は、精神的にも未熟な子供に甘えていたのだ。松田家という名前に。井上文枝の孫という立場に。

 梓は予定プランを大きく変える事を即決し、飛行機の中で最短で新潟県の佐渡島へ行くプランを考えた。

 精神的に未熟というだけで翔を蔑ろにするわけではない。半歩でも一歩でも先に進めるなら、それが先手を打つための最優先なのだ。

 梅田家の力を松田家に誇示したいとは微塵も思っていない。本来なら、松田家ではなく梅田家が一首のオロチに対応しなければならないのだから。

 なんのために梅田家は座敷童管理省を作ったのだと悔しくなった。

 松田家や竹田家に甘えるためではなく、自分が、自分達大人が、梅田家が最前線で座敷童を守るために座敷童管理省はあるのだ。

 松田家の跡取りに甘え、井上文枝の孫に甘え、半歩後ろ一歩後ろで座敷童を守るのは『大人の仕事』ではない。ましてや、御三家の一角、梅田家の役割ではない。

 梓は伊丹空港へ到着した直後、梅川家が団長を務めるサーカス団に連絡し『お濃に対応する車』を東大寺に向かわせ、タクシーで東大寺に向かった。レンタカーを借りて自分が運転する車で東大寺に向かう必要はないのだ。今回の事案は野放しになった白オロチの討伐。座敷童管理省の金庫番、杏奈には事後報告すれば経費になる事案なのだ。そのための座敷童管理省の予算なのだ。そして、タクシーで寝ておけば変更された予定プランでは一日遅れる予定を一日早くできる。それだけではなく、当初の予定プランよりも早く滋賀県の梅田家に到着するし、兼六園にも早く到着するだろう。

 早く到着したからといってその時間を達也を待つだけには使わない。最優先はオロチの討伐であり、その戦力はお濃であり達也ではない。言葉を変えると、達也と行き違いになってもオロチの討伐に支障はない。もちろん、その辺の対応もするが。

 予定プランを大きく変更した梓は、昨日の夜中には東大寺に到着し、吉法師と翌日の朝四時に待ち合わせを約束した。

 現在、朝の四時五分。梓は右腕の時計に目をやり、舌打ちすると、

「あのヘタれ……」

 南大門を睨み、遅刻している吉法師にローキックをくらわす思案を始める。


 昨晩、東大寺南大門。


 タクシーで熟睡した梓の頭髪は寝癖でボサボサになり、飛行機とタクシーを乗り継いだことによる疲れは熟睡していたとはいえ目の下にクマを作っている。女子力低下中で見窄らしく、上半身の関節と筋肉は固くなり疲労を訴えている。だが、頭は冴えている。

「吉法師とお濃様に緊急の知らせがあるため、今すぐに二人を呼んできてください」

 南大門の前。正面にいる青年の座敷童、虚無僧に吉法師とお濃へ対面するための交渉を始める。

 交渉。正確には吉法師とお濃への取次ぎを虚無僧に頼んでいるのだが、何故、吉法師やお濃に会うために交渉や取次ぎが必要なのか……

 そもそも、簡単に会えるなら門番などいない。そして八童や八童レベルの座敷童に会えるのは同じ八童か八童レベルの座敷童。座敷童の世界にも上下関係があり政治もあるため、取次ぎが必要なのは人間の世界と同じだ。八童や八童レベルに簡単に会える環境こそ、特別の中の特別なのだ。

「梅川殿。夜分にそう言われても二人は就寝中。それに、緊急と言われても、その内容を聞かねば我々も対応ができかねます」

 虚無僧、門番は梓の非常識な取次ぎを断る。

 梓には詳しい事情は言えない。それは、龍馬と東北の八童に推薦された八慶がオロチの封印に失敗した事から説明しないとならないからだ。特に、これから八童になる八慶の信用に関わる。あくまでも龍馬や八慶と近しい関係にある吉法師だから汚点になる事を言えるだけで、座敷童全体に関わる八童という立場が危うくなることを梓の口から出すのは憚られる。

「それなら直接取り継ぐので、後から吉法師に怒られてください」

「夜間は立ち入り禁止ですが?」

 梓の子供じみた発言に呆れながらも応対するのは彼に門番としての良識があるからだ。

 門番とは、ドラマや漫画で見られるような訪れる相手を無礼千万に突っ返す役所ではなく、主人の代わりに訪れる相手へ配慮するのが門番なのだ。それも、気持ちをいただく座敷童が門番になれば、訪れる相手の不信や有事の緊急性など手に取るようにわかる。

 今の時点で、虚無僧は梓が口にする緊急性に嘘はないと確信している。それなら何故、吉法師とお濃に取次ぎをしないのか?

 緊急性がわかっても内容がわからなければ、梓個人に緊急性があるだけで吉法師やお濃には関係ないかもしれない。気持ちはわかっても内容まで理解できるような読心術とは違うのだ。

 内容は言えない梓と内容を聞いてから判断する門番では平行線のままになる。それは梓にもわかっているため、わざと子供じみた発言をするのだ。

「中にいる人間に知り合いがいます。座敷童側の緊急事態を人間側から知らされたら、困るのは吉法師だとお忘れなく」

「その座敷童側の緊急事態は、人間には教えることができて、我々座敷童には教えることができないと?」

 子供じみた発言に対して正論を言う。

 門番には梓の緊急性がわかり、梓も門番が緊急性は理解しているとわかっている。そのため、門番には『取次ぐための内容』とまではいかないまでも吉法師やお濃に『取次げる言葉』が必要になり、内容を話せない梓にしてみれば取次げる言葉を門番から『交渉』として引き出さなければならない。

「正確には、人間から座敷童になった吉法師やお濃様のような座敷童には教えられます」

「松田家からの【御依頼】ということですか?」

「…………?」

 松田家の御依頼? 聞いたことのない言葉に梓の脳裏に疑問符が浮かぶ。

 松田翔の名前を出せば緊急性にハクが付くのはわかっている。だが、取次ぐための内容を言えないという現状から、松田翔の名前を出しても信憑性に欠け、気持ちがわかる座敷童に対して不信感を重ねてしまうのだ。現在、梓は松田翔の予定プランから外れ、自分の予定プランの上を歩いているのだから。

 しかし、松田家からの御依頼という聞いたことのない言葉には『松田翔からお濃を連れてきてくれ』と言われいる梓には有効な言葉を出せる。しかし、有効でも、梅田家の後見人である梅川家の人間が取次ぐ内容を言えないまま、松田翔という名前を交渉材料として使えるものか? それこそ行き当たりばったりの子供じみた発言としか思えないし、松田翔の名前を借りた後の交渉は破断か承諾どちらかしかない。

 だが、梓は当初の予定プランから半日は早く東大寺に到着している。

 自分の考えた予定プラン通りに進めるのが理想だが、やはりあくまでも理想なのだ。明日の朝、吉法師とお濃に会えばいいと思えば松田翔という交渉材料、諸刃の剣を振れる。

「松田家、神童いち子の世話役、松田翔から吉法師とお濃様への伝言を預かっています。それ以上は、言えません」

「世話役からの伝言、ですか。それは御依頼とは違いますね」

「…………」

 私が松田家当主から御依頼を預かるわけないだろ! ローキックくらわすぞ! と門番に遊ばれたと思い、眉間をピクピクと動かす。

 もちろん、梓がイラッとしてローキックをくらわせたい気持ちは、門番に敵対心として見抜かれている。だが、良識ある門番は、緊急性を内に秘めながら諦め半分に諸刃の剣を振った梓の気持ちもわかっている。

「が……一つ聞きます。深夜に吉法師とお濃を起こしてまで伝えなければならないという松田家跡取りからの緊急性ある伝言とは、梅川家が梅田家として吉法師とお濃に伝えなければならないと判断する事は、梅川梓殿にはできますか?」

 門番は取次げる言葉が欲しいのだ。梓の緊急性という気持ちに嘘はないのだから。

 吉法師にローキックすることしか考えていなかった梓にしてみれば、大袈裟かもしれないが晴天の霹靂だ。門番の問いには交渉成功が含まれ、梓は取次ぐ言葉に梅田家という責任ある立場を乗せるだけになったのだから。

「松田翔からの伝言を梅田家が預かり、私は梅田家から指示を受けてここに来ました。梅田家として伝えなければならないと解釈してください」

 達也から予定プランの変更を聞いているため嘘は言ってない。

「わかりました」

 深編笠の中で微笑する。

 言葉遊びと言えばいいのか、梅田家や梅川家の判断とは本来なら梅田家当主や梅川家主人の判断になる。問題が発生した場合、門番は『松田翔からの伝言を梅田家当主が預かり、梅川家が伝えにきた』と言い訳し、梓は『松田翔からの伝言を梅田達也が預かり、自分が伝えにきた』と言い訳ができるようにしたのだ。

 梓が吉法師やお濃にしか内容を話せないからこそ、門番は緊急性がある前提に、継接ぎで隠したような子供じみた言葉を吉法師とお濃に取次げるのだ。

「それでは吉法師とお濃に【松田家からの緊急性ある極秘の伝言を梅田家の変わりに梅川殿が伝えにきた】と取次ぎます」

「梅田家は松田家と行動を共にし、梅川梓が伝えにきた。と加えてください」

「かしこまりました」

 門番は踵を返して東大寺大仏殿の方へと行く。

 南大門で待つこと一◯分。

 頭髪を濡らし、白色の浴衣を着た吉法師が梓の前に来た。

「吉法師。あんたはアポ無しで会いにくるのに、なんで私が会いにきたらめんどくさい取次ぎが必要なのよ?」

「我が望んでいるわけでない。それが立場というモノなのだ」

「立場ある者が大仏池で水浴び?」

「立場があるため、昼間の水練は憚れる」

「まぁいいわ。ローキックは勘弁してあげるからちょっと来なさい」

 梓は吉法師を門番から離れた位置に誘導する。

 吉法師は後に続き、両手を袖に入れ、腕組みをすると、

「先日、八太が訪れ、さとを外に出すとはしゃいでいた。門番にも話せない緊急の伝言とは、さとが変わり果てた平泉に動揺し暴れでもしたか? お濃も、馬ではなく車やバイクが走り回る光景に驚愕し、暴れていた」

 はははと笑う吉法師。さとに会った事はないが、さとを知る座敷童に災害クラスの座敷童だと聞いている。

 梓は緊急性を世間話レベルに思っている吉法師に真剣な顔を向け、

「時間がないから簡潔言うわね。数日前に東北のオロチが蘇り、文枝さんが倒して龍馬と八慶が封印した。でも、オロチは龍馬と八慶の目を盗み、尻尾を切って逃げた。気づいたのは今日の昼。私は世話役に、お濃様を佐渡島に連れてくるように言われてる」

「…………、」

 本当の緊急事態ではないかと表情を引き攣らせ、額から一滴の汗を流すと、

「巴は?」

「前回、オロチが蘇った時に八童としての力を失い、今は八童を引退して座敷童管理省の仕事を手伝ってる。次の八童は八慶が推薦されている。今、白オロチの対策に動いているのは世話役、神童いち子、達也と私のみ。龍馬と小夜さんは、巴と八慶、文枝さんと座敷童管理省にオロチが野放しになった事実を知られないように、平泉に残っている」

「巴が八童を引退……か、」

 東北で縄張り争いが始まる。と思いながら、

「八太は?」

「八太は、さとが大臣を家主にしたから大臣とさとが無茶しないように監視してる」

「…………、」

 オロチが野放しになり、巴が八童を引退し、さとがアーサーを家主に。緊急性ある伝言ではなく、一つ一つが歴史書に残るであろう緊急事態としか吉法師には思えない。そして、緊急事態が三つも重なっている。

「達也が前に進むようになり、杏奈が座敷童管理省の進む先を作り、我は隠居し、その成長を見ていくと思ったが……」

「吉法師は隠居ジジイになってていいからお濃様を呼んできて」

「梓。親しい仲にも礼儀あり、という言葉がある」

「今さら堅いこと言わないでよ」

「そういう意味ではない。……まぁよいか。それでは明朝四時に改めて来るのだ」

「四時?」

 疑問符を浮かべ、踵を返そうとした吉法師の肩を掴み、

「今。今すぐに佐渡島に向かう」

「梓。親しい仲にも礼儀あり、だ」

 首を左右に振り、肩にある梓の手を払う。

「お濃様を起こして佐渡島に向かうだけじゃない」

「お濃を起こして佐渡島に向かうだけだ。だからこそ明朝四時なのだ」

「なんで四時?」

「親しい仲にも礼儀あり、だ」

 親しい仲にも礼儀あり。それは夫婦の間にもある礼儀なため、寝ているお濃を起こすことは吉法師にはできない。もし、お濃を起こすことができれば最初から一緒に南大門へ来ているのだから。

「車で寝ればいいじゃない」

 今は半歩でも一歩でも先に佐渡島へ向かいたい。緊急性の高さ、緊急事態をわかっているなら、

「起こしてきなさいよ」

「普通に起きても寝起きが悪いお濃を故意的に起こせば、東大寺が倒壊する」

「…………、」

 お濃がオロチの腹の中から出てきた時を思い出す。倒壊または深夜の騒音が東大寺を襲えば佐渡島に連れて行くところではない。吉法師はソレを懸念していると梓は理解し、

「四時に起きるの?」

「四時には東大寺からは運び出せるようにできる」

「東大寺からはって……、」

 道中を安全に、お濃が起きた時の保証がない。それは薄い氷の池をビクビクしながらゆっくりと歩くようにキャンピングカーを運転し、現代の景色に慣れないお濃に対応しなければならないということ。

「私は佐渡島まで無事に行けるの?」

「…………」

 無表情になり、コクッと頷く。

 吉法師の頷きは無事に佐渡島へ行けるというお墨付きではない。頑張れ、と含ませているだけだ。

「吉法師も来なさい」

「我は近畿の八童代行なため、東大寺で眠るオロチに備えないとならない」

「北海道にもオロチはいるのに神童いち子やしずかは自由に遊び回ってるじゃない。近畿みたいに他にも座敷童がいるわけじゃないのに」

「まぁ、そうなのだが。……」

 二人が遊び回れる環境を松田家が作っているだけだ、とは口に出さずに、

「梓。お濃が安眠できる車を用意しているのか?」

「お濃様に不便がないようにマイクロバスをキャンピングカーに改造したのを用意してる」

「梅川家が使っていた車だな。うむ、アレならたぶん大丈夫だろう。明朝四時に出発する」


 そして時間は、朝の四時一◯分。


 吉法師にローキックを入れる予定の梓は南大門の先へと視線をやる。

 木製の引き戸を取り外したような板を虚無僧四人が持ち、ゆっくりとゆっくりと南大門前へ向かってきていた。

 板の上には、布団で簀巻きになったボサボサ頭の少女、お濃がヨダレを垂らしながら熟睡している。それを横で見ている吉法師の凛々しい顔には、爪で引っ掻かれたような痕がある。おそらく、お濃を簀巻きにするのを何度か失敗し今の今まで苦戦していたのだろう。梓は吉法師にローキックを入れるのはまたの機会にしようと自重する。

「吉法師……」

「…………」

 右手人差し指を鼻先で立て、会話を拒否する。梓が了承の意を頷きでするとチラッとお濃を見て、虚無僧四人に頷く。

 ゆっくりとゆっくりとお濃が起きないように駐車場、キャンピングカーへと運ぶとさっそく問題発生。

 板の上に簀巻きになったお濃がいるのだが、マイクロバスの扉が板の幅よりも狭い。このままでは、なんやかんやでお濃が起きて東大寺が倒壊する。

「吉法師。どうするの?」

「うむ。扉を開けるのだ」

「わかった」

 梓は運転席側に回りこむ。

 一般的な乗用車ならキーレスエントリーで開錠し、扉を開く。だが、マイクロバス——梓が用意したキャンピングカー——は運転席と助手席はキーレスエントリーで開錠できるが、側面にある横開きの扉はエアー式になっている。エアー式の扉を開ける方法は何種類かあるのだが、一番手っ取り早いのが、エンジン始動。

「「「「「!!!!!」」」」」

 吉法師と虚無僧四人の心音が跳ね上がる。

 ディーゼル車のキャンピングカーにもなればキュルルンとエンジンスターターを鳴らした後、ドゥドゥドゥとエンジンが始動すればそれなりの音量になる。そして、エンジンさえ始動すればボタン一つで、プシューッとエアー音を鳴らしガッガタンと扉が開く。

「「「「「!!!!!」」」」」

 吉法師と虚無僧四人は跳ね上がる心音を聞きながらお濃を見る。

 板の上で簀巻きになったお濃は眉間にシワを寄せ、エンジン音から背けるように寝返りをうつ。その表情は、喫煙者の吐き出す煙を煙たがるような感じだが、目を瞑っている寝顔。お濃は起きていない。

 安堵している吉法師と虚無僧四人の元に戻った梓は五人の不信感ある視線に疑問符を浮かべ、

「なに?」

「普段なら起きている」

「危なかったわね」

「…………、」

 危機感の薄い梓にこれ以上言っても意味がないと思い、お濃を車内に入れる前の注意点を伝える。

「我がお濃を車内に入れたら扉を閉めろ。高い可能性で起きるため、耳を塞ぐのを忘れるな」

「わかった」

 梓が頷くと虚無僧は側面の扉近くに板をそぉっと下ろす。

 吉法師は虚無僧四人を遠ざけると、足音を消しながらお濃の横に行き、一旦、車内を見る。

 扉の横に家庭用キッチンがあり正面にテーブルとソファ、無駄な物は一切ない広々とした空間。その最奥に大人三人が横になっても余裕があるベッドがある。

 一通り車内を確認した吉法師は、梓が扉の横にある小さな蓋を開いて中にあるボタンに指先を添えたのを見る。

「なんだそれは?」

「このボタンで扉の開閉ができるのよ」

「何故、最初からソレをしなかった?」

「エンジンが始動していない状態で、ボタン一つで扉を開けられたら、車内の物を盗んでください、寝泊まりしてくださいって言ってるようなものよ」

「そういうことか。誤解していた。すまなかった」

 適当な謝罪の言葉を並べると、お濃に向き直る。深呼吸するように息を吸うとそのままピタッと止め——

 刹那、簀巻きになったお濃を頭上に担ぎ上げ、車内へ左足を乗せると、最奥にあるベッド目掛けて、簀巻きお濃を投げる。瞬間、バッとアスファルトを右足で蹴り、後退しながら、

「梓、閉めろ!」

「あんた、今、自分の嫁を投げなかった?」

 梓は呆れながらボタンを押して扉を閉める。

「耳を塞げ!」

 吉法師は両手で耳を塞いでいるため梓の声は届かない。

「…………」

 梓は言われるがまま耳を塞ぐ。

 車内からドンッと打撃音がすると、ブチブチビリリリィと縄と布団が千切れる音が続く。一拍の後、ポポンと鼓の音が一同の耳に届くとポポポポポポと苛立たしげに連打する音が続き、段々と、何故か鼓を叩いてるのにドラム缶をぶっ叩いているような騒音に変わる。

「お濃様の鼓はさとの横笛と同じ神器なのに……」

 梓がアーサーの監視をしている時、病室でさとが横笛を吹いていた。その音色は言葉のとおり音に色が付き、心から癒される音だった。しかし、お濃は真逆の騒音。横笛と鼓の差か、奏者の差か、神器の差か、おそらくは奏者の差だろう。


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