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大の文字が描かれた束稲山と関山中尊寺を見渡せる座敷童管理章東北支署に到着したのは一九時。
観光地とはいえ……いや、観光地だからこそ中尊寺への参拝時間が過ぎれば大半の店は閉まり、街全体の光は街灯と少ない民家からの灯りだけになる。
俺といち子はバスから降りて荷物の収納場所に行く。路面に下ろしてあるショルダーバックを肩に担ぎ、辺りを見渡して感じたのは寂しげな田園風景よりも……
「なんだこの生温い風。気持ち悪りぃな」
北海道は東北と同じ北国にされる事はあっても、本格的に春を感じるのは五月から。桜が咲き始めるのは『早くて連休中、遅くて末だな』という北海道の人間の感覚では、内地の方々とは体感温度が極端に違う。それは座敷童も同じ。
「翔、甚平所望じゃ」
いち子の額からはベトベトした汗が溜まり、小袖が気持ち悪いのか甚平を所望する。
「風呂に入ってからな。……」
ふと、もう一人の北海道在住の座敷童を見やる。
「ムシムシする……で、ありん、す」
項垂れているのはしずか。服装が直垂なため小袖のいち子よりも気持ちが悪そうだ。
「ばあさん。しずかといち子を風呂に入れてくるから、しずかの着替えを用意しといてくれ」
「わかった」
「八慶と八太は……大丈夫だな」
二人を見て、褌一丁を越えるクールビズは無い、と内心で納得してしまう。そもそも奈良県在住にはこの程度の湿度は涼しくて過ごしやすい。俺は残り一人の座敷童に視線を向ける。
「龍馬は……、どうした?」
視線の先では龍馬が明後日の方向を見ていた。何か思いふけているようだ。
「八慶、八太」
龍馬は俺の問いを流して八慶と八太を呼ぶと、
「ちぃと金鶏山まで付き合うてくれんか?」
「うむ。私も行こうと思っていた。八太、お前はどうする?」
「俺は、〜……、いかない」
言葉を濁すだけでなく表情も曇らせる。活発な八太には珍しい反応だが、事情を知る俺としては……
「八太、」
俺は八太の頭を撫で回しながら、
「いち子としずかは井上さんと風呂に入ってもらうから、俺と一緒に入るか?」
「……、翔はいち子の世話役だ。俺の家主で……」
「気にすんなって」
「八太、ワタキの代わりに翔を風呂に入れてやるんじゃ」
俺の言葉に続けていち子が八太に言う。気になる発言だが棚置きして続ける。
「いち子もこう言ってるんだ。遠慮するな」
「……、……」
「八太。翔殿といち子の気持ちだ。ありがたく甘えておけ」
八慶は叱責するわけではなく表情を優しくしながら言う。
「兄者が言うなら仕方ないな……」
八太はバッと俺を見上げると、いつもの活発な表情に戻し、
「翔! 俺が風呂に入れてやる!」
「おう! 風呂に行くぞ! 井上さん、いち子としずかをお願いね」
「はい、……」
俺と八太は門を通り座敷童管理省東北支署、日本家屋に向かう。
「八慶君?」
井上さんは視線を八慶に向けるが、八慶と龍馬はすでに歩を進めていた。
「ワシ等はそのまま巴に会いに行くきぃ!」
言うが先か、龍馬と八慶は関山中尊寺と毛越寺の中間にある金鶏山に向かって走って行った。
「…………」
俺と八太が玄関を前にすると、アーサーが走って後を追ってきた。
「鍵開いてないわよ」
「……、……!」
俺は気づく。広い庭や玄関までの道には太陽光で発電しているであろう機械的な小さな灯籠が灯っているけど日本家屋の室内は暗く、無人を思わせる。
「雇ってる人とかいないのか?」
「ハローワークに座敷童が見える人募集って書けると思うわけ?」
ポケットから一般的によく見かける金属製の鍵を出すと鍵穴に挿し、右に回して施錠を解く。鍵を抜いて、横開きの扉を開くとガラガラガラと音をたてながら全開する。すると、旅館の玄関を思わせる広い空間がパッと明るくなり、更に奥に続く廊下の蛍光灯が次々と点灯する。
「自動で明るくなった……」
「すげーな……」
玄関を開けただけで明るくなる近代的な日本家屋に口を開けながら惚けていると……
「アーサー。ご飯の材料はあるのか?」
背後から届く声音に振り向くと、背中にいち子としずかを乗せた井上のばあさんがいた。
アーサーは気まずい顔を作り。
「来週ここに来る予定でしたので……今からスーパーに行って買ってきます」
「ふむ、ちょうどよかった。バスに食材を積んであるんじゃ。下ろすのを手伝ってくれんか?」
「材料? 用意してたのですか?」
「しずかは出掛け先の食材を食べたがるからのぉ」
井上のばあさんはキャリーバッグを玄関に置くとバスに戻っていく。
「アーサー、まだまだ修行が足りないな」
「……、……手伝ってくるわ」
アーサーは井上のばあさんの背中を見ながらはぁとため息を吐くと、哀愁漂う背中を向けてとぼとぼと井上のばあさんの後に付いて行った。
「八太。俺等は風呂にお湯を溜めがてら探検でもするか?」
「おう!」
俺は靴を脱ぎ、八太は下駄を脱ぐと正面の廊下を前にして左に視界を移し、右に移して正面に戻す。
「八太、風呂はどっちだ?」
視界を動かしたとおり右側左側正面に廊下がある。
「こっちだ!」
八太は強く断言すると、左側の廊下に歩を進める。
三○分後……
「八太、まさか露天風呂とは思わなかったな」
「ジメジメした夜には冷泉が一番だ」
腰にタオルだけを巻いた俺と八太は露天風呂を前に仁王立ちする。
周囲には機械的な灯籠で照らされた芝と花弁を落とす桜、そして明日に満月を控えた月が露天風呂に映る。風情を感じる光景に日本人で良かった……と心から思う。
風情を感じている俺と八太の背後から。
「お風呂湧いたわよ」
アーサーの声が耳に届く。
「アーサー、お前は日本人をわかってないな」
はぁとため息を吐き、呆れたように言葉を繋げる。
「こんな立派な露天風呂があるんだ。人工的な風呂なんて入ってられるか」
「冷泉だ!」……八太は水面に足を付ける。
「冷泉と言われれば、湧き水だから効能を調べれば冷泉かもしれないけど……そこは露天風呂でなく池よ」
「いや、露天風呂だ」
「そうだ。冷泉だ」
お風呂を探して三○分、俺と八太が行き着いた場所は庭の中心にある露天風呂。アーサーがなんと言おうと露天風呂だ。
「湧き水だし排水もちゃんとされてるから水風呂と変わら……」
「ひゃっほぉぉぉぉぉぉぉぉぉう!」
アーサーの横を走り抜け、露天風呂に飛び込んだのは達也。その手には檜の桶にお風呂セット。ザバァンと深さが不明な露天風呂に浸水、意外と深かったのか地面には強打せず「ぷはぁ」と上半身を出して顔をバシャバシャと洗いだす。
「八太! 松田家! 気持ちいいぞ!」
「よっしゃ!」
「俺が先だ!」
ザバァン、ザバァンと俺と八太も露天風呂に飛び込む。
「うおぉぉぉぉぉ! 露天風呂最高‼︎」
「冷泉最高だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
庭の池を露天風呂という白髪の高校生と冷泉と言い張る座敷童。ここまでならアーサーも子供の遊びと思えるが、成人を過ぎた達也まで「大臣、露天風呂を冷泉にするなんて思い切りましたね」と言い放つ。アーサーはカルチャーショックに呆然とする。
「大臣。露天風呂なんて考えましたね」
アーサーの背後から現れたのは体格の良い特務員加納さん。膨らんだ胸筋と割れた腹筋そして血管が浮き出た両腕両足はバンプアップを終えたボディビルダーを思わす。その手にはお風呂セットが入った檜の桶。
「池よ。露天風呂じゃないわ」
「またまたぁ、立派な露天風呂じゃないですか」
加納さんは右足を入れ、冷たい水を物ともせず露天風呂に入ると、
「冷泉とはなかなか拘ってますな」
「日本家屋の庭にある池は露天風呂なの?」
「はっはっはっ、またまたご冗談を」
「アーサー、日本をわかってないな。池は池、露天風呂は露天風呂だ」




