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井上のばあさん宅、玄関前。
俯せで倒れた三人はピクッピクッと身体を痙攣させる。
「……あの……くそ……犬……」
「さすが……土佐犬……ぜよ」
「ジョン……更に強くなったな」
玄関を出た瞬間、ジョンに奇襲した俺と龍馬は間髪入れずワンパンで倒され、八太はジョンの牙が頭に食い込み何もできずに倒された。
二秒にも満たない戦闘(?)の結果、八太の頭にはジョンの歯型がくっきりと残り、龍馬は右頬と左頬を腫らし、俺は鼻血を出す。
「龍馬、八太。ジョンは全盛期以上の力を手にして帰ってきた。このままだと、ここでの俺等の立ち位置が最下層になる」
犬は飼い主を上位に家の中での偉い順番を作る。それは神使であっても変わらない。
おそらくジョンが現在作っている順位は、一番にいち子かしずかを起き同列に井上のばあさん、二番に八慶、三番にジョン自身。犬は自分より下の順位の人間は認めないため、井上のばあさんの孫であっても白パンツを卒業しない限り杏奈は四番、基準がパンツならアーサーは上位に食い込みそうだがおそらく現段階では五番、問題は俺達三人。開口一番からナメられてた事から順位さえ付けらてないだろう。
「すでに最下層な気もするが……じゃが、今は神使じゃからな、生前のようにはいかん。なんとかせんといかんぜよ」
最下層を自覚している龍馬。生前のジョンから思い当たる節があるようだ。そんな龍馬に共感するように八太は頷くと俺を見上げる。
「どうすんだ?」
「そんなのは決まってるだろ。神使の弱点は使い主だ」
俺は悪どく口元を吊り上げ、
「いくら強くても使い主が危なくなった時は隙ができる。ソコで叩き潰す」
「……卑怯の極みじゃな」
「俺が八重を倒す!」
「いち子の神使だと意味がないぜよ」
神使唯一の弱点を利用する俺と打倒しずかに燃える八太に呆れた龍馬、だが、俺の作戦はいち子やしずかに被害が生まれるモノではない。あくまでも打倒ジョンだ。
「どっちにしても八太はしずかに間髪入れずやられる」
八太のムッとした顔を無視しながら続ける。
「まずは、俺がいち子としずかを担いで誘拐するから龍馬と八太で慌てたジョンにワンパン入れろ。そして、間髪入れず逃げる。頭に血が上ったジョンは二人を追いかけるが、玄関で待ち構えた俺がいち子としずかを囮にワンパン入れて逃げる。ヒット&アウェイだ。手も足も出ないジョンは俺等の作戦に跪くしかない」
「卑怯な上に小物ぷりが半端ないぜよ」
「卑怯でも小物でも勝てば正々堂々と官軍を名乗れる。戊辰戦争ここにあり、だ」
「いやいや、官軍は勝ってから名乗れるもんじゃないぜよ。お互いの大義を御天道様が判断し選ばれた方が官軍になれるんじゃ。官軍になっても負ければ御天道様を唆した賊軍じゃし、勝ち方も大義に反した勝ち方なら勝利の後に賊軍に変わる。官軍は勝ってから名乗るもんじゃないぜよ」
「俺は殴れればいい! やるぞ!」
「八太の言うとおりだ。龍馬、変なところに堅いぞ。俺等は殴られた分を殴り返すという大義名分がある。それに、今の俺等がハードボイルドジョンに勝つには奇襲しかない」
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大部屋へと戻った俺に待っていたのはアーサーからの怪しみを込めた視線だった。
「なんだ?」
「何秒でやられたのよ?」
「何秒? 一発でやられてんのに何秒かなんて数えるわけないだろ」
「堂々と雑魚っぷりをアピールするわね」
「一発でやられた俺が雑魚なら一発も受けないでやられた八太は稚魚になるな」
「物は言いようね」
「真実を言ったまでだ」
俺は御膳台を前に座る。アーサーからの追言はないため——正確には疑惑を向けられたまま——八太と龍馬に視線を向け、アイコンタクトをする。
ソレを合図に、俺と八太と龍馬は御膳台の食事を一気に食べる。
「ごちそうさま」
先に食べ終わった俺はゆっくりと立ち上がると、ジョンの背後を回っていち子の後ろに座り、胡座をかいた足元にいち子を乗せる。
「いち子。美味いか?」
「モグモグ、うむ、モグモグ、絶品じゃ」
「明日の小豆飯が楽しみだな」
一生懸命食べているいち子、顔を軽く前に出しチラッとしずかを見ると同じく一生懸命食べている。そのまま視線を戻し、八慶の隣にいる八太とその隣の龍馬に視線を止める。
(八太、龍馬、いち子としずかが食べ終わった時が合図だ)
「八太、美味かったか?」
(わかった)
「ごちそうさま。ばあちゃんの飯は絶品だ。なっ龍馬」
(了解ぜよ)
「ごちそうさま。絶品じゃ絶品じゃ。美味かったぜよ」
八太と龍馬は食べ終わり何食わぬ顔で会話を始める。官軍の在り方を語っていたが、なんだかんだで殴られた二発分は等価交換で返す気でいる龍馬だった。
俺はいち子としずかの御膳台に視線を移す。二人とも残り一口の黒飯を飯椀に残しておかわりアピールしている。そんな旅館での作法をいつ覚えた、と言いたいがおそらくアーサーか杏奈だろうな。
俺は、飯椀と箸を持ったままのいち子を右腕で抱き上げながら立ち上がる。ふぅと一息吐き、飯椀と箸を持ったしずかに視線を固める。
「よっしゃあ!」
畳を蹴り、一足でしずかの背後に行くと左腕を鎌のようにしてしずかを抱き上げる。そして、そのまま開いた襖に一直線に走る。
その瞬間——
八太は左手を広げて右手を強く握り締めながらジョンに飛び込み、龍馬は懐に右手を入れてリボルバー式の鉄砲を出す。
「「ジョン覚悟ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」」
八太の狙いはジョンの顔面、龍馬は右前足、二人のタイミングは見事に合わさる。
が……
ズガンという打撃音の後、ガブッと噛まれた音が一同の耳に届く。
その光景は、龍馬の鉄砲は不発に終わり右腕ごとジョンの右前足に踏まれ、八太の放った右拳は顔面には届いたがソコは口の中だった。
「ぬおぉぉぉぉ! 作戦失敗じゃぁぁぁぁ!」
「クソ! 離せ!」
八太はジョンの喉元に左拳を放つ。
ジョンは龍馬の右腕を踏んでいた右前足を八太の顔面に放ち、八太を大部屋の端まで殴り飛ばす。そのまま半回転して後ろ足で龍馬の背中を踏み、その場で大きなアクビをする。
「コラッ! 土佐犬が土佐者に乗るとはどういう了見じゃ!」
『土佐者が土佐犬に銃口を向けるとはどういう了見だ』
「アホか! ワシの鉄砲は空砲しか入っとらんわい」
『そんなのは匂いでわかる』
「ぬおっ! バレておったか! 八太! 翔! 助けるんじゃ!」
龍馬の見る先では、大部屋の端で八太が左頬を異常に腫らして気絶。開いた襖に視線を向けるが、残念。一目散に走って玄関前で待機してる俺にはその声は届かない。
急に誘拐されたいち子としずかは一口分残してあった黒飯を食べる。
「モグモグ、なんの遊びじゃ?」
「モグモグ、龍馬がジョンに捕まり八太が殴られたでありんす」
「なに⁉︎」
俺はしずかの発言に驚愕する。
しずかは八慶の御膳台にある煮物を狙っていたため、視線は八慶の御膳台に終始向けていた。龍馬と八太がジョンに奇襲したのを視界の端で見えていたようだ。
「二人はやられたのか⁉︎」
「ゴクン、わからないでありんす」
「翔、ミカン所望じゃ」
いち子は俺の学生服のポケットに左手を入れ、みかんを出すと半分に割りしずかにその半分を渡す。友情ココにありだな。そんないち子も可愛いが……そんなやり取りよりも。
「神使は使い主から離れないはずだろ。ジョンはいち子としずかどっちの神使なんだ?」
「わっちの神使ではないでありんす」
「シンシってなんじゃ?」
「巴の白黒と一緒でありんす」
「友達じゃな」
いち子には神使という概念はない。座敷童の側にいる神使は全て友達として認識してるからだ。
「ジョンはいち子の神使ってことか……?」
「いち子の神使でもないでありんす」
「?」
俺はしずかの言ってる意味がわからず疑問符を浮かべ、
「……どういうことだ?」
「座敷童は動物が何を言ってるかわかるでありんす。でも、ジョンは喋ってるでありんす」
しずかの言うとおり座敷童は動物の言葉がわかる。その理屈は見える側の人間が座敷童と会話ができるのと同じだ。だが、ジョンは人間の言葉を喋っている。そこから予測できるのは一つ。
ジョンは動物の言葉がわからない人間の神使として帰ってきた事を意味する。
「マジか⁉︎」
「ジョンは動物の言葉がわからないばあちゃんの神使でありんす。ばあちゃんは神様でありんす」
「マッ! ジッ! かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
いち子としずかを担いだまま屋敷内に走り込み、大部屋に向かう。開いた襖を通り抜け大部屋に入って井上のばあさんの前に行く。
「ばあさん! ジョンはぁ、⁉︎」
背後からバゴンと右頬に肉球が炸裂。
殴られた瞬間、首を左に回しながら畳を蹴って打撃の衝撃を身体全体で逃す。
一回転する前に、いち子としずかを天井に向けて投げる。二人はそのままジョンの背中に着地。
俺は、気絶した八太に激突する瞬間、身体をねじり畳に右手を叩きつけて八太との激突を回避。壁に左手を付けて壁への激突も回避。
「何しやがる!」
『母上様と客人は食事中だ』
「……、」
井上のばあさんに視線を向け、アーサーと杏奈と特務員の順番に視線を向ける。アーサーは呆れ顔を作り、杏奈は黒縁眼鏡を右手中指で押し上げ、特務員は食事の手を止めてる。
井上のばあさんは『騒動』がわからないため普通に食事をしている。
「まぁそうだな。食事中は静かに、だ」
『お前達三人、特に坊主は気を使え。母上様は座敷童や神使は見えないが坊主の事は見えてるんだ。母上様から見たら坊主一人で走り回って飛んでるように見える』
「そうだな。少しはしゃぎすぎた。龍馬、八太……八太は寝てるな。ジョンとの勝負は次の機会におあずけだ」
「勝負になってないわよ」
アーサーは客観的に見てジョンの圧勝としか思えなかった。
「アーサー、俺の体捌きが見えないようじゃまだまだ修業が足りないぞ」
「どういうこと?」
疑問符を浮かべたアーサーだが、その答えは見えていた杏奈が捕捉する。
「松田さんの死角、背後からジョンは右前足で攻撃。松田さんは右頬にジョンの右前足が当たった瞬間、首をひねって身体全体でダメージを軽減、畳を蹴ると同時にいち子ちゃんとしずかちゃんを真上に投げて壁際まで飛び、気絶した八太君に激突する瞬間、身体をひねって右手を畳に叩きつけ、壁への激突を左手で回避。異常な身体能力です」
「……、……強いの?」
「強さの基準を勝敗に拘るなら東大寺の時も含め、勝つ気がないので弱いです。逆に言えば、勝つ気なら勝てるという事になりますが、遊びの範囲内なので強いか弱いかの判断は倒す相手がいないとわからないです」
「今のところ逃げ足だけは早いって事ね」
「はい」
「どんな解釈だ」
まぁ、そういう風に見えても仕方ないんだけどな。そもそも松田家やいち子の相手は一首のオロチでないし、勝ち負けに拘る人間相手に強さを見せれるもんじゃないし。
ピリリリリ、ピリリリリと携帯電話の着信音が大部屋に響く。
井上のばあさん以外、一同は胸ポケットに手を入れ携帯端末を取り出し、画面を確認する。
「あら、特務員梅田からだわ」
着信音はアーサーの携帯端末から鳴っていた。
アーサーは立ち上がり大部屋を後にすると廊下で通話ボタンを押す。
「もしもし——————」
玄関に向かいながら話すアーサー。
アーサーの声が聞こえなくなると、特務員一同は顔をあわせる。
「達也……生きてたんだな」
「奈良から四国に行って八八箇所巡礼だから……そろそろ終わってる頃じゃないか?」




