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座敷童のいち子  作者: 有知春秋
【東北編•平泉に流れふ涙】
30/105

2

 

 大部屋では会食の準備をしている。

 御膳台の数は、ジョンの祭壇があった所に座敷童用に五台、向かって右側に人間用に一二台、左側に一二台。そして座敷童用の御膳台を並べた横にジョン用の御膳台。

 今は誰も御膳台を前にしていなく、杏奈とアーサーと井上のばあさんが準備をしている。


 三十分前……


 龍馬と特務員が大部屋を出て行った後、井上のばあさんとお坊さんが大部屋に来た。

「住職は御飯を食べずに帰るようじゃ。杏奈、挨拶するんじゃ」

「う、うん……」

 表情に戸惑いを浮かべた杏奈は額に汗を溜め、視線を上下させる。

 いち子が井上のばあさんの元に行くのを横目に、俺とアーサーも杏奈と同じく視線を上下させて動揺する。

「ありがとう、ございました」

 杏奈は戸惑いながらもお礼をする。

 そんな杏奈に対して住職は微笑みながら言葉を繋げる。

「死者は死亡した日を含めて七日ごとに七回、あの世で生前の罪を裁く審判があるとされています。それが終わるのが四九日目。すべての審判が終わった故人の魂は、ようやくわが家を離れていきます。ジョンも人と変わらず審判を受け、あの世に旅立ちました。四十九日は故人にとっても残った方々にとっても気持ちの切り目の日です。これからは想いを感謝に変え、ジョンや御先祖様に手を合わせて下さい」

 住職は両手を合わせて会釈をする。

「はい、……ありがとうございます」

 杏奈は動揺しながら一礼する。

 その下げた頭の先、視線の先には相撲の横綱が締める雲竜型のしめ縄を巻いた茶色い何かに抱きつくいち子。

 俺とアーサーも住職に一礼しているが、その視線はいち子と茶色い何かに向けている。

 井上のばあさんと住職が大部屋を後にすると、いち子を乗せた茶色い何かは二人の後を付いて行った。

 大部屋に取り残された俺と杏奈とアーサーはゆっくりと頭を上げて顔を合わせる。

「杏奈ちゃんのお父さんは新しい土佐犬を飼ったの?」

 アーサーが言ったとおり茶色い何かとは土佐犬だ。

「いえ……、父からは何も聞いてません」

 杏奈は黒縁眼鏡を右手中指で押し上げる。

「熊に殴られた顔や背中の裂傷痕はジョンと同じだったな」

 俺には、熊やオロチと闘った若かり頃の逞しいジョンと瓜二つに見えた。

「……私もジョンに見えました」

 杏奈も、額から左目を通り頰まで刻まれた裂傷痕や筋肉質な背中や四肢の歴戦の傷痕から、若かりし頃のジョンそのものに見えた。

 若かりし頃のジョンを知らないアーサーは遺影に視線を向ける。

「昔の任侠映画みたいな顔の傷は同じ位置にあるわね。遺影のジョンはシワシワだけど」

「熊を倒した時に土佐犬オーナーが種付けに殺到したからな……きっとジョンの子供だ」

「ジョンの子供のオーナーからはお葬式の時に香典を預かってますが、四九日に来るとは聞いてません」

「土佐犬って傷痕まで遺伝するわけ?」


『いたぜよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ』


 龍馬の大声と共に廊下をズダダダダダダダダダダダダダダダダと走る音が屋敷中に響くと、俺達の前をいち子を背中に乗せた土佐犬が走り抜け、その後ろを龍馬と特務員二○人が追う。

「龍馬⁉︎」

「話は捕まえてからじゃ!」

 奥座敷の方へ走って行った一同、ほどなくして奥座敷からしずかと八太の声が届く。

「ジョンでありんす!」

「クソ犬だ! ぎゃぁぁぁぁぁ……」

 八太の絶叫が響き渡ると、奥座敷の方から雲竜型のしめ縄を掴むいち子としずかを乗せた土佐犬が、八太の頭を咥えたまま廊下を走り抜けて行った。

 龍馬と特務員はその後を追うが逃げ足が速く翻弄されている。

「特務員! ジョンを捕まえるんじゃ!」

「「はい!」」

 龍馬が指示だけ出して歩き始めると、その後ろから少年の姿になった八慶が呆れながら現れた。

「龍馬、追いかけるから逃げるんだ。腹が減れば戻ってくる。放っておけ」

「そうはいかんぜよ。土佐犬の『神使(しんし)』は土佐生まれのワシがお世話する運命じゃき」

「残念だが、神使になった動物は使い主の神使だ。どう転んでも龍馬の神使にはならない」

「そんなもん前例がないだけじゃ。同じ土佐生まれじゃき、ワシの神使にするぜよ」

 会話をしながら大部屋に入った八慶と龍馬。

 俺は『神使』という言葉に聞き覚えがある。

「ジョンが神使に……いや、しずかやいち子とすごして井上のばあさんに世話されてれば可能性はある。実際にあの土佐犬がジョンなら『見えてる』し……」

「松田さん? 神使とは神の使いの事ですか?」

 杏奈はジョンの生死や蘇りよりも座敷童の知識に精通したモノだと判断し、ジョンが現れた喜びを抑え、知識の取得に専念する。

「そう……。いや、座敷童の場合は少し違う」

「違うとは?」

「俗に言う神使は神様と現世の橋渡しみたいな感じだけど、座敷童の神使は座敷童の遊び相手なんだ」

「ジョンはしずかちゃんやいち子ちゃんと遊びたくて神使になって戻ってきたという事ですか?」

「いや、遊びたくて戻ってきたというのは結果論なんだ。神使になるには……うおっ! コレは秘伝だ⁉︎」

「やはりそうですか。松田家の書庫には神使の本が無かったので……八岐大蛇の櫛のように私達は知ったらダメな事なのですね?」

「ダメだ。龍馬みたいに神使を欲しがる座敷童が多い。多いくせに神使の世話をしない座敷童ばかりだ。それだけなら人間側が世話をすればいいだけだが、最悪なのは座敷童がいなくなった神使……東大寺のオロチ戦の時に見ただろ?」

「東大寺の時、ですか……?」

 杏奈は視線を逸らして二秒ほど考えると、

「魔物のような猪、鹿、鴨の事ですか?」

「神使は使い主の座敷童がいなくなると魔物化する。東大寺のは、オロチにやられた座敷童の神使が行き場をなくして魔物化したんだ。使い主の座敷童がいなくなった神使の成れの果てって事だ」

 神使の成れの果て、それはそのまま杏奈の不安材料になる。案の定、杏奈の表情が曇り。

「ジョンは……」

 言葉を詰まらせる。その中には、東大寺で倒した魔物が元々は座敷童と遊んでいた神使だという事も含まれる。杏奈が魔物が最初から魔物では無かった事を知った瞬間だった。

 杏奈の予想どおりの反応に俺は『表面上』だけの安心感を与える。

「ジョンはしずかかいち子の神使になってるはずだから魔物化の心配はない。もしも二人がやられた時は松田家が責任持ってあの世に還す。けど……」

「けど?」

「いち子の神使なら松田家で子々孫々世話ができるけど、しずかの神使だと問題が出来る」

「問題とは……?」

「その時は松田家に来るだろうから問題ない。問題なのは、もしも違う家に行った時だ。神使は座敷童でいうところの常駐型だから、しずかとジョンの二個一で世話の出来る家じゃないとその家は衰退する」

「おばあちゃんがいなくなったら……しずかちゃんはこの家から出て行きますか?」

「今のままだと……しずかは井上家から出て行くかな」

 出て行かない、とは言えない。そんな気休めは座敷童の知識が欲しい杏奈には迷惑なだけだからな。だからこそ真実のみを告げる。

「井上さんには懐いてるけどソレは八慶や八太が俺に懐いてるのと同じ。一緒に住むとは違うんだ。……まぁ、しずかは松田家に来るから心配ないよ」

 杏奈が心配しているのはジョンの魔物化。しかし、今はしずかが井上家から出て行く事も心配の種になっている。

 それは井上家の衰退が心配という意味ではない。

 杏奈には、井上のばあさんと同じぐらいの経営能力や人脈など無いに等しく、しずかの御利益以上の努力を同じくできるかと言われれば、一五歳ではその答えには行き着けない。

 現段階の結果は、しずかが出て行くのは当たり前、そもそも、座敷童がいたとしても天才と呼ばれた杏奈が井上のばあさんの会社を継いだとしても、衰退は余儀無くされるのは必定。

 杏奈の中では、祖母の井上のばあさんが亡くなった場合はしずかがいてもいなくても井上家は衰退する、と確信しているのだ。

 それでは杏奈は何を心配しているかというと、『愛着』になる。

 愛着という二文字の漢字には繋がりも含まれ、井上家にしずかがいるから座敷童が集まり人が集まる環境になる。

 教科書とノートしか自分の前になかった杏奈の人生で生まれた繋がりは、しずかを中心に出来上がっているのだ。

 自分で作った環境ではない事は理解している。祖母が作った環境にしずかが住んで生まれた繋がりだと理解している。

 理解しているけど……愛着は頭で理解しても捨て切れないから愛着になる。

 俺も杏奈と同じ気持ちになる時がある。いち子が不意にかくれんぼを始めていなくなった時なんか、俺から離れていったのではないか……と考えて心配で心配で胸が苦しくなる。

 しかし、常駐できないという理由で今までの繋がりが失われるのは無慈悲かもしれないが、座敷童の現実でもある。

 俺と杏奈は少なからず同じ環境にいるという事だ。

 杏奈はこの先、しずかのお世話を井上のばあさんから継ぎたいという気持ちがあり、心配なのは祖母と同じくできるだろうか、という不安になる。松田家の俺の立ち位置と同じだ。

「松田さん……常駐型の座敷童、いえ、しずかちゃんのお世話はどうやるのですか?」

 黒縁眼鏡の奥では自信のなさから視線を泳がせている。

 この場では気の利いた事を言えばいいかもしれないが、こと座敷童に関したら気の利いた言葉はただの気休めにしかならなく、ソレが座敷童が家を出て行く切っ掛けにもなる。俺は母親から教わった事実のみを言う。

「さっきも言ったとおり常駐型は衣食住があれば家に常駐する。ソコに座敷童に対しての気持ちがないと意味はないけど、気持ちが無いとお供えしないから衣食住があれば十分。見える側なら座敷童さえ懐けばお世話ができる」

「……しずかちゃんの場合は?」

「八童クラスの座敷童の場合は『オロチに対抗できる力』が必要になる。ソレは家主の座敷童に対する気持ちになるんだけど……コレが難しい」

「教えてください。書庫には座敷童が家主を選ぶとしかわかりませんでした」

「そのままだよ。座敷童が家主を選ぶんだ」

 意地悪しているわけではない、書庫にある書物に書いてある事が全てなんだ。

「オロチに対抗できる力を維持するお世話の仕方が不明です」

 千差万別という言葉があるとおり、座敷童も千差万別、人間の子供と同じなのだ。同じ子供なのに人によって同じ育て方ができないのと同じ。

 だから、書物には座敷童が家主を選ぶとしか書けない。

「井上のばあさんがしずかのために毎日やってる事、しずか以外の座敷童のためにやってきた事、その大小関係ない実践の積み重ねが信頼を生み、この家主なら『自分を守ってくれる』と思ったら八童は常駐する」

「普通の常駐型座敷童は衣食住のお世話で守り、八童クラスは衣食住の他にも他の座敷童をお世話するという事ですか?」

「八童はオロチからその地域を守る座敷童だから、自ずと他の座敷童も守る事が含まれる。けど、それは一緒に住んだ後の結果でしかない。座敷童側が守る力が必要で家主を選んだ結果だ。八童だからといって人間側から他の座敷童のお世話をする必要はない。家にいる座敷童への気持ちが第一……正直言うと、ばあさんは例外なんだ」

「例外とは?」

「東大寺のように人の気持ちが集まる場所が八童の住処になって力が出せる。八慶や八太の力の源は東大寺南大門の仁王像になり、龍馬や吉法師の場合は生前の実践が生んだ結果で各地に気持ちが集まる場があり八童クラスの力を出せる。だが、ばあさんは、大人数の気持ちが集まる建造物以上の気持ちをしずかに向けている」

「……龍馬君がおばあちゃんの事になると紳士になるわけね」

 アーサーは納得する。

 納得するしかないのだ。井上のばあさんは有言を実行してる人間なのだから。

 俺は偉大な祖母を持ちプレッシャーに表情を曇らせた杏奈を見やる。

「しずかがいるから常駐型になれないだけで、どの座敷童も井上のばあさんと一緒に住みたいと思ってる。それに、八慶と八太がここにいるのも、吉法師がばあさんを見える側にするのに賛成だから二人が帰ってくるまで東大寺にいるんだ」

「影響力がすごいわね」

「大昔、大半の人が座敷童を見えていた時代ではソレが普通だったんだ。人口が少なかったし現代のように裕福じゃないから気持ちにも余裕がなく全員が全員八童クラスの力があったわけじゃないが……ソレを見えない側のばあさんが現代で実践してる。だから、ジョンが神使になれたんだ」

「神使になるには家主……飼い主の愛情と座敷童の愛情が必要ってわけね」

「それだけじゃ無い……いや、これ以上は言えない。とりあえず、八童クラスの座敷童が常駐する家は『基本的』にそんな感じだ。しずかやいち子の場合だと何かと細かいワガママを聞いてやるのも含まれるし、好みはわかるけどコレが確実というのが無い。……他の八童にも言える事だけど、八慶や八太も気兼ねなくここにいるし、龍馬も遊びに来てるから井上のばあさんは八童クラスが何人いても全員が居心地がいい。例外としか言えないし真似をしようとしてできるもんじゃ無い」

「どうすればいいのよ?」

「とりあえず、普段のばあさんと同じ事をするところから始めるんだな。それがしずか好みだし。いち子や八慶や八太の好みや龍馬の好みはまた別だが、ばあさんのお世話は見たとおり大半の座敷童に受け入れられる最上級のお世話だ。オールマイティって事だな。座敷童の世話をしたいならばあさんは良い見本だ」

「……弟子入りしてくるわ」

 アーサーはそのまま大部屋を後にした。

 予想どおりの展開だ。大半はアーサーのために言ったからな。問題は杏奈だ。

「井上さん? 座敷童の世界を知れば見える側はその裏側も見て行く事になる。それを前提に、『俺はまだいち子の世話役なだけだ』……井上さんと同じく勉強中って事だよ」

「……、そんなに難しい事をおばあちゃんはしてたんですね」

「難しい事じゃない。座敷童には人間の人生は短い年月だけど、寿命がある人間には長い年月だ。その短くて長い年月で、少しずつお互いを知り、歩み寄り、一緒に住むんだ。ばあさんの元にだって最初からしずかがいたわけじゃない。大小の実践を積み上げたばあさんと一緒にいたいとしずかが思ったから、松田の居候から井上家の座敷童になったんだ。この辺は簡単に考えた方がいいかな……見える側なら大小の実践を作りやすいし」

「なるほど……」

「見えない側のばあさんだからすごいんだ。たぶん、見えていれば松田や竹田以上だ。ばあさんの跡を継いでしずかといたいなら……それとなくしずかを観察して他の座敷童を観察して学ぶといいよ。俺もそうしてるし」

「はい。……私もおばあちゃんに弟子入りしてきます」

「座敷童管理省のマニュアルを作る参考にしたらいいよ」

「はい」

 杏奈は悩む事を止めて実践あるのみというように厨房へと行った。

「……まぁ、こんなんでいいか?」

 俺は八慶と龍馬を見やる。

「ワシは杏奈ぁを座敷童の世界に入れるのは反対なんじゃがなぁ」

「うむ。八重が松田家に世話になり、『家主の負担が少ない』龍馬が井上家の座敷童になれば解決するからな」

「よりによってしずかの家主とは……ワシにはめんどくさくてできんぜよ」

「そのとおりだ。本来、八童とはいえ家主を尊重する座敷童は手がかからない。いち子と八重は座敷童の中でも異常にめんどくさいワガママ座敷童……杏奈殿に龍馬を進めた方が良いと思うが?」

「たぶん、井上さんの目標はばあさんなんだ。満足するまでやらせてやりたいだろ。……龍馬? ソレを見届けてからでもいいだろ?」

「かまわんぜよ。どのみちワシは常駐型になっても家におらんし、今と何も変わらん」



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