第一章 見える側と見えない側
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三月一日——
「目撃証言が数多くある座敷童ですが、その存在は確認されているにも関わらず伝承や心霊現象としてしか残っていません。さて問題です。日本全国に『存在していた座敷童』はどうなったのでしょう?」
鮮やかなプラチナブロンドの髪に指を絡ませ、流暢に日本語を話す美人。
前髪をぱつんと揃えたナチュラルフェアリーボブから覗かせたグレーの瞳と整った目鼻立ちは、アイルランド人特有の美粧。
赤毛とそばかすというアイルランド人のイメージを一掃する彼女の透き通るような白肌からは、涼やかな柑橘系の香りを鼻腔から脳に届かせ、男なら恋、女なら憧れを与える。
服装は白を基調にした背広、袖と襟にはさりげなく波模様の刺繍が仕立てられ、目の置き場に困ってしまう膝上一○センチのスカートの裾にも同じ刺繍が仕立てられる。
首からは金のネックレスが下がり、ここが定位置ですと言わんばかりに羊が装飾されたロケットが、豊満な谷間に乗る。
思春期男子を冥府に誘う巨乳……いや、過度な妄想をお与えくださるお胸様だ。
彼女の視線の先にはソファに深々と腰を埋めた少年と一生懸命ご飯を食べる幼女。
学生服を着た少年は冥府に誘う巨乳には目もくれず、問いに対して淡々と返答する。
「文化と風習の衰退から人々は座敷童が見えなくなり、安定した御供物を失った座敷童は放浪を余儀なくされた。現代では、一部地域以外座敷童文化は無くなり、住処を失った座敷童はノラ座敷童になっている」
学生服を着た少年こと俺の名前は松田翔。
北海道生まれ北海道育ちの両親から生まれた生粋の日本人……なのだが、見た目は第一印象から負の印象を与えてしまう白髪、それもキューティクルが生まれつき反抗期な癖毛。切れ長の目が更に印象を悪くしている。
この容姿のおかげで先輩ヤンキーには目を付けられ、映画館や公的機関では年齢を疑われる。これでも一ヶ月後に高校入学を控えた中学生だ。
俺から見て正面には金髪女、右側にはパソコンを置く木製の机、三六○度見渡せば出入口以外は窓さえも本棚に閉ざされ、外からの自然光はない。天井を見ても蛍光灯を一本残して全て取り外し、薄暗さと本棚の圧迫感で居心地が悪い。おそらく、本棚にある古本や巻物に対しての配慮だろう。
この部屋は俺の正面にいる金髪女アーサー•横山•ペンドラコの仕事室。そして、彼女の職業は座敷童研究家だ。
そんな職業は無い、という突っ込みは通用しない。何故なら、妖怪研究家や超能力研究家またはコンサルタントのような無形のモノを仕事にする職業があるのと同じで、アーサーは自称座敷童研究家なのだから。
座敷童研究家が一般的な研究家やコンサルタントのように世間的に認められた職業かと言えば、自称と言ってるため無職というのは自覚しているようだ。
座敷童に依存したアーサーの病的な妄想によって生みだされた職業と受け止め、アーサーには【残念な女】の称号を与えればいいが、どう間違えたのか実質ニートの彼女にはもう一つの顔がある。
「合格です。座敷童管理省座敷童大臣として、松田翔を座敷童管理省の特務員に任命します」
(日本政府、色々と思いきったな)
座敷童に依存した残念な女はただの残念な女ではなく、国民の知らぬ間に作られた行政機関、座敷童管理省の大臣なのだ。
残念な女が大臣なのは総理大臣の任命責任なので個人的には気にならない。問題は座敷童管理省だ。
俺の今ある知識からまとめると。
【座敷童管理省】
アーサーの妄想世界の根城。と思いたいが、省が付いてるからには日本政府直営店、所謂、行政機関。
【座敷童大臣】
アーサーの妄想世界の通り名。と思いたいが、大臣とは各省で一番偉い人。
簡単にまとめると、アーサーは座敷童管理省で一番偉い人になる。
国民に顔向けできない秘密裏な組織となれば後付け設定盛り沢山だと思うが『わ〜い、今日から国家公務員だぁ』と喜ぶわけにはいかない。
大臣としてアーサーには国民の疑問に答える義務がある。
俺は頭の中で国会を開き『松田翔君』と議長に呼ばれる妄想までして、アーサー大臣に質疑する。
「高校入学を控えた中学生を入省させる行政機関はないだろ」
まずは軽い質疑をして、その後国税の使い道を……
「コレを受け取りなさい」
国民の質疑を軽く流したアーサー大臣。
(おいおい、なんてヤツだ。俺の妄想に少しぐらい付き合ってくれてもいいだろ。そんな空気も読めない残念な女が大臣になってんじゃねぇよ。それとも、納税義務のない未成年の言葉なんか聞く耳無しか?)
表面では平常を装い、内心では憎たらしくアーサーを見やる。すると、黒革の手帳と【座敷童管理省•特務員松田翔】と記載された顔写真付きのカードを背広のポケットから出し、俺に向けてきた。
「おい、この証明写真はいつ撮影した?」
見覚えのない証明写真。それも、海で沈む夕陽を眺めながら黄昏れたように切ない表情をしたワンショット。同級生にこんなの見られたら「青春してんじゃん」とか言われそうだ。
「受け取りなさい」
国民の疑問に一切耳を傾けないアーサー大臣。
(この女には人の話に応えるという機能はないのか?)
殴りたい気持ちを抑えこみ、今はとりあえず残念な女の一方通行な会話に合わせるしかない、が言いたい事は言わせてもらう。
「アーサー。俺は生まれた時から【いち子】といるんだ。今更、座敷童管理省の特務員にされても迷惑だ」
人の話に耳を傾けない残念な女と歩調を合わせて働くなんて真っ平御免だバカやろう、というのは内に秘める。
「なんですって?」
ピクッと眉間に皺を作ったアーサー。
(内心が表情に出ていたか……いや、残念な女でも一応は組織のトップだ。罵倒した内心を読み取ったかもしれないな)
威圧を含んだグレーの瞳から逃げるように、視線を左隣に移す。
そこには、白桃の甘い香りを醸し出した三頭身の可愛い幼女。
小豆飯が山盛りになった飯椀を左手に持ち、右手で箸をグー握りしながら煮物の椎茸をオカズに一生懸命食べている。
名前はいち子。
顔立ちは黒髪のおかっぱ頭からくっきり二重の大きな瞳を覗かせ、ほんのりピンク色のプニプニほっぺたに付いた小豆が可愛さを倍増させる。
服装は、裾から襟まで徐々に白からピンクにグラデーションされた白桃をイメージした小袖、緑色の帯を締め、朱色のちゃんちゃんこを羽織る。
癒しを与える。という部分だけなら幼児の大半は座敷童に見えるが、現代に王道の座敷童ファッションをそのまま着こなしたいち子は誰が見ても【座敷童】。
物心付いた時に『あれ、いち子は小さいままだな?』と父親に聞いたら『これからは兄としていち子の面倒を見るんだぞ』と言われ、俺の中では座敷童いち子という存在よりも姉から妹になった松田いち子になっている。
生まれた時から家族同然に座敷童と生活しているからこそ、座敷童管理省の存在は胸くそ悪い。
俺はすぅと息を吸い込み、視線を威圧を含んだグレーの瞳と合わせ、内心をそのまま言葉にする。
「この際はっきり言うが、座敷童管理省の管理の意味がわからない。座敷童の御利益にあやかって利用しようとする魂胆が見え見えだ。それに、特務員ってなんだ? 座敷童は特務で世話する存在なのか? 俺から言わせてもらえれば座敷童管理省というのは存在自体根本からして間違っている。国が座敷童を語るなら国会議事堂に座敷童が住み着いてから言え」
内心をそのまま言葉にしたため、先程とは違って表情に胸くそ悪さが出ていたと思う。だが、俺の本音だ。言い足りないぐらいだ。
胸くそ悪さを口に出した俺に対して、『脂ぎったオッサンやオバサンのような御都合主義者と私を一緒にするな』と言わんばかりに眉間の皺を深くしたアーサー。
「私が初めて日本に来たのは六歳の時……座敷童の話を聞いて心を奪われたわ」
アーサーは眉間の皺を無くして表情を元に戻すと、過去を思い出すようにグレーの瞳を天井に向ける。
「その話は長くなるのか?」
間髪入れずこれから始まるであろう残念な女の過去話を止めようとしたが、通常運転だと言わんばかりにアーサーの口が動く。
「帰国後は座敷童の本を買ってもらうために親の手伝いを率先し、思春期はアルバイトで旅費を稼いでは座敷童を探すためにアイルランドと日本を往復したわ……何度も……」
ふぅと息を吐き、天井に向けていたグレーの瞳をゆっくりと閉じる。
「お前の過去に興味はない」
俺はもう一度語りを止めようとした、がアーサーの一方通行な語りは止まらない。
「ただ座敷童に会いたい一心で日本に来てただけなのに、何かの運び屋と勘違いされて入国審査に引っかかり、散々犯罪者扱いされた挙句、領事館に軟禁された時もあった」
アーサーの怒りは口調にも現れ、ギリギリと歯軋りを鳴らし始める。
「冗長だ。貴重な体験談はいいから現実に帰って来い」
人の話を聞かないならバカにして現実に戻そうとしたが、効果はない。せめて二文、希望は一文に纏めてほしいが、アーサーの過去話は冗長を極めそうだ。そんな事を考えていると俺の耳に二次元的な天の声が届く——
閑話休——
「さすがの私も訴えたわ。でも、小娘が語る座敷童ロマンなんて全く無視よ。終いには薬物検査と精神鑑定。陰謀よ、私と座敷童を引き離す陰謀よ」
(誰だ、こんな残念な女に入国を許可したヤツは)
二次元的に俺の耳元で囁かれた天の声は冗長修正魔法【閑話休題】だった。しかし、アーサーにはその魔法さえ通用しない。このままではアーサーの過去編に突入してしまう。
「そんな話はいいか……ら」
「私は陰謀企む入国監査員や領事館の連中に復讐を誓い、帰国後は猛勉強して堂々と日本に留学してやったわ」
人の言葉は受け入れず、ふつふつと湧き上がる怒りの中に『してやったり』というように口端を吊り上げる。
(なんだこのドヤ顔……)
不快感を生みだす表情に殴りたい気持ちを抑え込む。
このまま凝視してたら俺の理性が持たないため、タブレット式の携帯端末を出し、読み終わっていない有料小説を開く。
「そしたらどうなったと思う?」
(知らねぇよ。そんな話は友人か彼氏にしろ。そして、冗長という文字を原稿用紙三○○枚分手書きで書け)
「座敷童は日本文化なのに今度は大学の連中が私を変人扱いよ」
(悪かった。お前は彼氏はおろか友人もできない残念スキル保持者だったな。気づかなくて悪かった)
「教える側の教授や講師も色物扱いしてたわ。……聞いてるの?」
「聞く気は無いが耳には入ってる。安心しろ、アーサーは現在進行形で変人の色物だ」
「そうね。今だに変人扱いされてるわ」
「…………」
今のは俺が置かれている状況から「現在進行形で変人の色物」と言ったつもりだが……アーサーには違う意味で受け取ったようだ。
(誤解を生む言い回しだったな。それに、友達ができないレベルの残念スキルを見誤った罪悪感もある。今回だけは仕方ないから聞き役になってやるか)
アーサーの一方通行は俺にはどうすることもできない。そんな俺の耳元で再び天の声が囁く——
……閑話休——
「大学院卒業後は座敷童研究で座敷童を探し回るという将来設計を作り、日本に骨を埋めようと永住許可を申請したわ。そしたら一○年以上在住してからでないと永住権は申請できないと言われ、高度専門職ビザを申請したらいつまでも許可が下りない。領事館と法務局の陰謀よ」
(ワイドショーで見る外国人あるあるはフィクションじゃなかったのか。でも……)
冗長、簡単に説明すると物語の進行とは関係ない長話をしている事を意味する。
アーサーの過去話は、今現在俺がタブレット端末で開いてる二○○○文字前後の短編小説に匹敵する。
このまま過去話から『アーサーの足跡』に進行しないだろうか、そんな事を考えていると、天の声が言い訳をするように『いい方法がある——』とアーサー攻略を囁く。
天の声に同意した俺は呆れを含ませた表情をアーサーに向け、ため息を一つ。
「はぁ……」
「?」
そんな俺の行動に疑問符を浮かべたアーサー、俺は会話の主導権を取りに行き、自覚のない残念な女の攻略を開始する。
「陰謀じゃない。座敷童を探し回る仕事が無いからだ」
アーサーがどういう経緯で日本に来たかはわからないが、不法入国や犯罪経歴など余程の理由がない限り就労ビザは申請が許可される。それは高度専門職ビザにも言える事で、大学院卒業という学歴があるなら『専門職に就職さえしていれば』容易なく申請は許可される。
しかし、それは一般的な外国人に当てはめた常識であり、アーサーの常識は前衛的とも言える。
「私の独立の意思をバカでもわかりやすくレポートにまとめて提出したわ」
「法務大臣もビックリだな」
レポートを提出された法務局の人はどんな気持ちになったのだろう……その人に比べたら今の俺は楽な方かもしれない。と内心で思うのだった。
そして、今こそ天の声の出番。
時空間転移魔法【流れる月日】発動。
一○分後……
「私がどれだけ努力を重ねてきたと思ってるの‼︎」
領事館と法務局の陰謀だと言い張るアーサー、怒りをあらわに身を乗り出す。
(この女、本気でめんどくせぇな)
俺はソファの背もたれにべったりと背中を押し付け、頭を後ろに顎を上げ、視線を天井に向けながら『勘弁してくれ』と全身でアピールする。
冗長修正魔法【閑話休題】と並ぶ時空間移動魔法【流れる月日】も一○分しか通用しない。
俺は、はぁと深いため息を吐くと、天井に向けていた視線を下ろし、アーサーを見やる。そして、いい加減にしろ、と一言……言おうとしたが。
(こいつはヤバい! 一言でも発したら、恨み辛みが襲ってくる!)
天の声も危機を感じたのか『この度は——』と緊急避難魔法【作者入院】を詠唱し始めた。
禍々しい暗黒のオーラ的な何かを全身に纏うアーサー、睨みつけるグレーの瞳や握り締めた両拳には殺意。俺と天の声の唾を飲み込むゴクリという音が室内に響くと、アーサーはゆっくりと立ち上がり。
「旅費だけでバイトをどれだけしたと思ってるの? 高校や大学から推薦留学を手にするために、どれだけ勉強したと思ってるの? 当時の睡眠時間、バイトと勉強で月一○時間よ!」
殺意ある眼光のままアーサーが立ち上がると天の声は緊急避難魔法【作者入院】の詠唱を切り止め、我が身可愛さに逃げる。
天の声を退けたアーサーは前屈みになり、頷きのみを返していた俺の白髪頭に黒革の手帳とカードを乗せ、両手で学生服の胸ぐらを掴む。
「それがなに? 生まれた時にはいたですって? 何その出会い方? 物語は出会い方で読者を引き込むのよ? 恋愛小説ならボツよ」
(いやいや、お前の残念ぷりでボツだろ!)
「私みたいに努力を重ねて、やっと出会って、国境を越えた愛を語れるのよ」
アーサーは学生服の胸ぐらから両手を離し、ソファに腰を下ろす。ふぅとひと段落したように息を吐き、両腕を胸下で組む。
(やっと満足したか)
と思ったが、ソファに深々と座ったアーサーを見て尚早だったと改める。
ひと段落したように息を吐いたのは、恨み辛みが湧き出た蛇口を閉じたわけでなく、全開に開く前のひと休憩だった。
「何の努力もしないで私の座敷童と小豆飯を食べて。私の座敷童と遊び。私の座敷童と一緒にお風呂入り。私の座敷童と一緒に寝て……この泥棒猫‼︎ 何様⁉︎」
殺意を含ませた眼光で鋭く睨み付ける。
(……こ、コイツは……)
俺は額から一滴の汗を流す。アーサーの眼光で怯えたいところだが、今の発言で俺の中でのアーサーの評価が急下降、
(……ただのバカだ。コイツは、ただの残念な女だ)
恨み辛みからの眼光なら俺は怯えていた。しかし、アーサーの言葉には恨み辛みよりも俺に対しての羨ましさが込められている。それだけでなく、ストレス発散してスッキリしたのかチラチラといち子を見て癒されてる始末だ。
この女は不幸な身の上話を長々としていたが、要約すると俺が無条件で座敷童と生活してる事が気にくわないだけ。
とりあえず、一方通行な過去話が再会されないため、ひと段落した事に安堵する。そして、簡潔にまとめる。
「アーサーが言いたいのは、座敷童と一緒に生活してる俺が羨ましいという事だな。でも……」
アーサーは勘違いしてる。後々の誤認に繋がるため話の筋を変えるついでに訂正しておく。
「小豆飯を食べてるのはいち子だけだ。俺は白米派だ」
頭に乗った黒革の手帳とカードを取る。
「喧嘩売ってんの?」
「おいおい。喧嘩の安売りをするのは、同じ色の服を着て街を徘徊する青少年の集団、か、フランスパンを頭に乗せてバイクで公道を走る青少年の集団だろ。喧嘩で自分を誇示するような自意識過剰な脳筋と一緒にするな。俺が言いたいのは……」
現代に小豆飯を毎日食うヤツが座敷童の他にいるのか? と語を繋げたいが、残念な女なら食べてそうなので内に秘める。
「いや、それより、座敷童管理省の……」
興味のない座敷童管理省の業務内容に話題を変えようとしたが、可愛い雛鳥のような声音が耳に届く。
「アーサー。小豆飯所望じゃ」
ほっぺたに小豆を付けたいち子。爺さんのような喋り方が更に可愛いらしい。
それに……いや、いち子の可愛さを描写するとなれば一挙手だけで短編小説を書けるため、一文で纏める。
小さな左手に持つ飯椀を掲げた【おかわりポーズ】、そんな上級魔法を残念な女に見せたら鼻血を出して卒倒しちゃうだろ。