第二章 神使
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五月二○日——
井上のばあさん宅、裏庭。
新芽が生る桜の木、奥座敷を囲う染井吉野の中に背の低い枝垂れ桜が一本。
その枝垂れ桜を背にして【ジョン】と刻まれた豪華な墓石がある。
この枝垂れ桜を植えた位置には元々ジョンの小屋があったため、この場にジョンのお墓を建てた。
「ばあさん。ペットの墓にしては気合い入れすぎじゃないか?」
「ジョンは病気もせず、食事もしずかの余りじゃった。息子の送ってきたお金が余っておったから墓に全部使った」
「その金で高知に土地買えたんじゃないか?」
「ジョンのお金じゃ。ジョンに使わないと浮ばれないと言って息子がそうしたんじゃ」
「そうか……」
井上のばあさんの息子、杏奈の父親らしい一面だと俺は思った。
俺達は今、ジョンの遺骨をお墓に納骨している。実際に納骨してるのはお経を唱えたお坊さんなのだが、ペットの葬儀やお墓にも人と同等かそれ以上の感謝を向けるのは井上家ならではだと思う。いや、俺が知らないだけで愛犬家というのはお金が許すならこういう風に感謝を伝えたいのかもしれないな。
お坊さんがお経を唱える横では、いち子としずかと八太が納骨を覗き込み、その背後では八慶とアーサーが両手を合わせてお経を復唱している。
ジョンの遺影を持った杏奈は正月にジョンと遊んだ事を思い出して目に涙を浮かべている。
井上のばあさんは涙こそ浮かべてないが毎日の散歩を思い出してるだろうな……俺だってジョンとの一五年間が走馬灯のように流れてる。
「ジョン……ありがとうな」
静かに行われているジョンの四九日、肌寒い風が流れる裏庭にお坊さんのお経と復唱する八慶とアーサーの声だけが響く。その裏庭に……
『ワ、シ、ぜ、よぉぉぉぉぉぉぉぉ! あ、そ、び、に、来たぜ、よぉぉぉぉぉぉぉぉ 』
一同のしんみりのとした空気をぶち壊す土佐弁が耳に届く。
確認しなくてもわかる土佐弁の主は坂本龍馬こと座敷童龍馬。
俺を含め杏奈やアーサーが振り向くと、井上のばあさんもそれに吊られて振り向く。
龍馬の姿は見えない。おそらく、玄関から室内に向けて叫んでいるのだろう。
「うるさいのが来たな」
「誰か来たのか?」
井上のばあさんには龍馬が来た事がわからない。もちろんお経を唱えてるお坊さんも気づいてない。八慶は完全に無視してお経の復唱をしている。
俺は簡潔に伝える。
「龍馬が来た」
「そうかそうか。賑やかになるのぉ」
井上のばあさんは龍馬が来た事に喜んで微笑んでるが「うるさいのが来た」と言ったとおり、静かに行われていたジョンの四九日が嵐の前の静けさになった事を意味する。
いち子としずかと八太は納骨を覗き込んでいたが、龍馬の声に誘われるように走り出し、玄関に向かう。
八慶はそんな三人を気にした様子なく、その場でお経の復唱をしている。三人の性格上、お経を聞いてるだけの暇な時間に堪えられないのは最初からわかっている。敢えて、俺も引き止めはしない。
「とりあえず、三人は龍馬に任せてジョンの四九日だ」
「大丈夫でしょうか?」
杏奈は心配そうな顔を作る。
いち子•しずか•八太の悪ガキ三人組に龍馬が加われば更に悪化するとしか杏奈には思えない。
杏奈の中の龍馬という存在が悪ガキに枠組みされてる事になるのだが、真面目な龍馬を見てないから仕方がない。
「龍馬はアレでも面倒見がいい。大業を見失わないし座敷童側からの信頼も吉法師よりある」
「吉法師さんよりとは言い過ぎです」
間髪入れず否定すると、
「ですが、特務員が一人も脱落者がいないと聞いてるので『そういう面』は歴史どおりなのかな、とは思います、ですが……」
杏奈の中では尊敬する偉人ランキングで同じ土佐生まれの坂本龍馬が高ランクだった。しかし、杏奈の中の坂本龍馬像が脳天気な座敷童龍馬に一掃され、今では尊敬はしてるが偉人ランキングの下位まで急降下している。
杏奈の気持ちはわからないでもない。俺も座敷童龍馬に出会った時、坂本龍馬と同一人物だとは思えなかった。それは織田信長こと吉法師にも当てはまるのだが、杏奈には追い追い知ってもらった方がいいな。
「松田の先祖がスカウトした数少ない人間の一人だ。まぁ……心配なら、アーサー?」
杏奈からアーサーに視線を向け、
「納骨が終わったら会食だ。特務員もいると思うし大部屋に案内してやれ」
「わかったわ」
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納骨が終わり俺と杏奈と八慶は大部屋に行く。井上のばあさんはお坊さんと話があるという事で住居スペースに行った。ジョンの魂入れは住居スペースにある井上家の仏壇でしたからお布施をそこで渡すんだろうな。
大部屋には片付けてない祭壇がある。魂入れや納骨を終わらした後に葬儀屋さんが取りに来ると言ってたから昼にはこの祭壇ともお別れだ。
そんな祭壇の前で……
藍色の甚平を着た龍馬が四つん這いになり、その周りを特務員二○人が正座して両手を合わせている。
俺と杏奈と八慶は特務員の後ろで呆れた顔を作ったアーサーの元に行く。
「どうしたんだ?」
だいたいの予想はできてるが念のために聞く。
「おばあちゃんが亡くなったと思ってるのよ」
「だろうな。なんで真実を言わないんだ?」
「しずかちゃんと八太君が龍馬君にドッキリするって。いっちゃんは何故か本当に亡くなったと思ってるけど……」
いち子は四つん這いになった龍馬を慰め、しずかと八太は含み笑いをしながらわざとらしく泣いたふりをしている。
いち子のブレないど忘れは置いといて、しずかと八太の悪ふざけは予想どおりの展開。
しかし、やって良い事と悪い事がある。
こんな人の死を連想させたドッキリなど悪ふざけでやっていい事ではない。
八慶は額に青筋を浮かべるとゆっくりと歩を進める。八慶がいなかったら俺が怒っていたところだ。
「八慶、手加減してやれよ」
八慶の説教はゲンコツ付きになる。しかし、しずかと八太の今回の悪ふざけは普段の説教では足りなく、訓戒になるだろう。
案の定、しずかと八太の元に向かう八慶は一歩一歩進む度に筋肉が脈打ち、二人の背後に立った時には青年の姿になっていた。
「八重、八太」
静かな声で威圧混じりに二人を呼ぶ。
「「⁉︎」」
しずかと八太はビクッと背筋を伸ばす。
八慶はしずかの襟首を掴み、八太の褌を掴むとそのまま持ち上げて大部屋を後にする。
しずかと八太は青ざめた表情になりながら口をパクパクと動かし助けを求めるが、「自業自得だ」と言って三人を見送った。
「さてと、……龍馬」
俺は龍馬の元に歩み寄る。
「翔か……ちょいと待つんじゃ」
龍馬はゆっくりと身体を起こし、目元を袖で拭くしぐさをすると、祭壇に向き両手を合わせる。
「文枝殿。長く、長く、お世話になりもうした。文枝殿の温情に甘えるばかりで何も恩返しできず、誠にすまなんだ。この坂本龍馬、小さき事しかできぬ若輩者じゃが、孫杏奈を見守る役目を文枝殿の代わりにしたい。それを温情に応えるワシからの恩返しと受け取っていただけたら光栄じゃ。生前と同じくこの龍馬を見守っていてくだされ」
龍馬は深く一礼する。合わせて、特務員二○人も深く一礼する。
井上のばあさんの影響力がどれだけ大きいかがわかると思う。
いつもなら、しずかや八太と一緒になって悪ふざけする龍馬が神でも仰ぐように手を合わせ、温情と恩返しという言葉を出しているのだから。現に、真面目な龍馬に杏奈とアーサーが言葉を失っている。
だが、井上のばあさんは生きてる。ある意味、龍馬の真面目な部分が見れたから良かったのだが……真実は真実として教えないとならない。
「龍馬。ばあさんはな……」
「吉法師も呼んでやらんといかんな。杏奈ぁの座敷童になるんはその後じゃ。ワシは一足先に……」
「ばあさんは生きてる」
「あぁ、ワシの心の中にも生きておるぜよ」
「違う。しずかと八太の悪ふざけだ」
「「…………?」」
龍馬といち子と特務員は疑問符を浮かべる。
「ばあさんは心の中ではなく実際に生きてる」
「ほ、ほ、本当か⁉︎」
「なんじゃとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
動揺する龍馬と驚愕するいち子、特務員二○人は額に汗を溜める。すると、その一同の耳にしずかと八太の泣き声が届く。
「八慶がしずかと八太に説教してる。ばあさんは仏壇の所で坊さんと喋ってる」
「この祭壇は誰のじゃ! ジジィのか⁉︎」
「じいさんは闘牛を追ってスペインに行ったきりだ。祭壇はジョンのだ」
「……ジョンの?」
龍馬は怪訝な顔を作ると、
「あの土佐犬、死んどったんか⁉︎」
「今日は四九日だ。東大寺の時には死んでた。言ってなくて悪かったな」
「いやいやいや!」
バッと立ち上がると、
「あかんぜよあかんぜよ! 特務員! 行くぜよ!」
「「はい!」」
特務員も立ち上がり、龍馬と特務員は脇目も振らずに大部屋を後にした。
「……なしたんだ?」
「わからないけど、すごい一体感ね。あの連中がたった一ヶ月で見違えてるわ」
「坂本龍馬健在という事ですね。特務員の実際の成長と祖母への言葉に坂本龍馬の部分はやはり尊敬できます。座敷童龍馬さんの部分は別ですが」
「私から見たらどっちもすごいわよ。座敷童や人間問わず慕われてるし」
「カリスマ性という言葉は使いたくありませんが、吉法師さんや龍馬さんには無類のカリスマ性があります。それを維持できる大義を持つ心もあります。アーサーさんが座敷童を想う気持ちはその大義にあてはまると思いますが?」
「もっと頑張らないとダメね」
アーサーは自信なさ気に表情を曇らせる。
自分にはできない事を一ヶ月という短期間でやってのけた龍馬と自分を比べて自信を失ったようだ。だが、それは自信を喪失する理由にはならない。
杏奈は表面上しか見てないアーサーの誤解を解く。
「……、吉法師さんと龍馬さんは人間の時に結果を出した偉人です。アーサーさんはこれから結果を作ってく人間です。その差は生涯埋まりません。人間だった時の吉法師さんには吉法師さんの道と経験があり、龍馬さんには龍馬さんの道と経験があります。アーサーさんにはアーサーさんの道とこれからの経験がありますから、頑張るというよりはアーサーさんらしくやっていけばいいと思います」
「私らしく、ね。それがわからないのよねぇ」
「答えは誰にも出せません。それを学ぶのが人生だと思います」
人生経験から結果論が生まれ行動し特務員の心を得た龍馬。それは経験してきた龍馬だから出来る事であり、アーサーに同じ事はできない。できなくて当たり前なのだ。
アーサーにはアーサーの道があり、色々な事を学んで経験する事でアーサーに見合った分相応のモノが得れるのだから。




