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「どうじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
山に囲まれた透明度の高い湖に向けた大声。
その声の主は、藍色の甚平を着た龍馬。背後には、五月の北海道では季節的に早い、テントがある。
場所は北海道。樽前山の麓、支笏湖。
湖でダイビングする一行に放った大声だが、応える者は疎ら。
「見つかりません!」
「一枚だけです!」
「もう終いにするき! みんな上がるぜよ!」
龍馬は懐から布袋を出し、中から黒色の宝石を取り出す。
「いち子としずかが捨てたオロチの鱗………………これだけあれば……儲かるぜよ! コレを各地に持って行けば小豆飯一○万年分ぜよ! ガハハハハハハハハハハハハ!」
龍馬の足元には、はち切れんばかりに膨らんだ大きな布袋。中には、いち子としずかが石投げに使ったオロチの鱗が入っている。
「龍馬さん」
湖から上がった体格の良い特務員は龍馬に歩み寄り、神妙な面持ちで、
「支笏湖は不思議な湖ですね」
「昔は死骨の湖と呼ばれたもんじゃ。今みたいに平穏無事に支笏湖と呼ばれるのはいち子のおかげじゃ。それだけの想いが眠る湖と感謝するぜよ」
「自分は幼い頃ここに来ましたが、今感じてる不思議さはわかりませんでした」
体格の良い特務員は怪訝な顔を作る。
「幼い頃に感じなかったのは座敷童が見えなかったからじゃ」
「透明度があり土も見えてるのに『底が見えない』。……見ていて恐怖があるのに不思議と何かに守られている。自分で言ってて訳がわからないのですが……不思議な湖です」
「支笏湖は座敷童が見える側には死骨湖、見えない側には支笏湖という事じゃな」
他の特務員も湖から上がり、龍馬の前に集まる。その人数は体格の良い特務員を含めて二○人、一人の脱落者もなく奈良県から北海道へ行脚したようだ。
体格の良い特務員は支笏湖に向けていた視線を龍馬に移し。
「龍馬さん。つかぬ事を聞きますが、ここに来る途中の……」
「東北か?」
「はい。東大寺のオロチしか知りませんが、……オロチ一匹で生んだ被害だけとは思えません」
「オロチ一匹で生んだ被害……か」
龍馬は溶岩ドームが形成された山、樽前山に視界を移し、思い出すように、
「東北のオロチが蘇った被害で間違いないぜよ」
「……東大寺のオロチとは格が違うのですか?」
「オロチは特性の違いがあっても格の違いは無いぜよ。アレだけの被害が生まれたのは、座敷童の対処が遅れたからじゃ」
「対処? 対処とは?」
「オロチが蘇る時には少なからず地震や火山活動や異常気象という前兆があるぜよ。じゃが、最近は異常気象や地震が多く、ソレがオロチが蘇る前兆かどうかは直接オロチを見ないとわからん」
「龍馬さんと吉法師さんは東大寺のオロチを予期しましたよね?」
東大寺のオロチが蘇ると予期し確信していたから龍馬はしずかを近畿に呼び、吉法師は東大寺に押しかけた。
特務員一同は、全国を放浪する二人だから『オロチの蘇りを経験則から予期できた』と思っていたのだが……それは大きな勘違いだった。
「ワシと吉法師が東北に立ち寄った時、竹田の跡取りが『東大寺のオロチが蘇る夢を見た』と言ってきたんじゃ」
「……夢、ですか?」
「竹田の予知夢は大昔は良く当たっておったんじゃが、今は当たるも八卦当たらぬも八卦じゃ。じゃが、東大寺のオロチは吉法師にとって特別な想いがあったき、確認に行ったんじゃ。そしたら予知夢が当たりよった」
特務員は絵空ごとを聞いているような感覚になるが、座敷童がいる以上、オロチを見た以上、しずかが現実に風を起こした以上、八慶の一撃一撃が空間を響かせ自分達の身体にまで響いてきたのを感じた以上、予知夢という言葉を本心から絵空ごとにする事はできなかった。
「確認とは、何か変化があるのですか?」
「透明度があり土も見えてるのに『底が見えない』、と言うておったじゃろ? その底にオロチがおるんじゃが、『見える土』と『見えない底』の境目がオロチの蘇りが近いとヒビが入るんじゃ」
「あの不思議な空間にヒビが……覚えておきます」
体格の良い特務員に合わせて特務員一同も頷く。
(ワシが言わんでも杏奈ぁが知れば毎日潜る事に……いや、分署を作ると言うとったな。杏奈ぁは最初からそのつもりかもしれん。今はそっとしといた方がええじゃろうな)
分署にいる特務員が毎日自分の目でオロチの封印箇所を視察し、オロチの蘇りが近い『ヒビ』を確認した時点で杏奈が考えた人間側からの連絡方法を使えば『オロチの蘇り』に備えれる。
緊急事態への対策になり、今迄の緊急事態が緊急事態ではなくなり予想の範囲内になる事を意味する。
龍馬は自分から言葉に出して言うよりも、杏奈やアーサーから言うのが人間側には良いと思い、今迄の古い対処が東北に最悪な被害を生んだ事を話す。
「ヒビが見れる機会なんて其れこそ予知夢が当たらんと見れんもんじゃ。今回の東大寺のように待ち伏せできたのは稀じゃ。大概は蘇った時にその場に住む八童が被害を広げないように闘う」
「なるほど……」
体格の良い特務員は龍馬の言葉にそのまま補足を加え、疑問を投げかける。
「八童がその場に住むなら座敷童の対処が遅れるとは考えにくいですね。それも、東北の八童は神童いち子や風神しずかと肩を並べて八岐大蛇と闘った座敷童。アレだけの被害になるまで手こずったという事ですか?」
「東北のオロチが蘇る前に関東のオロチが蘇り、東北の八童や主力が関東に行ってたんじゃ」
体格の良い特務員の疑問に原因のみを簡潔に言った龍馬。それはそのままオロチの蘇りが『単発的』ではない事を意味する。
「オロチが多発的に蘇った……」
近年の異常気象や地震が『多発的』という言葉を生んだ。
龍馬は簡潔に言った原因に補足を加える。
「それもよりによって主力がおらんくなった東北じゃ……。もちろん、関東に向かう前に『ヒビがまったく入っておらん』のを確認しておる。予想外にも程がある短期間での蘇りじゃ」
一旦言葉を止め、特務員一同の脳裏に『新しい対処法』がよぎったのを表情から確認する。口元を笑わせ「今は内に秘めとき」と特務員に言って、話を先に進める。
「東北のオロチが蘇り、しずかが東北のオロチを封印しに行ったが、既に一○○メートルを越えたオロチは三陸の海に出ていた」
「東大寺の時は四○メートルでしたよね?」
「元八童のしずか。現八童の八慶、八太。そして八童レベルの力がある吉法師やワシが待機してたんじゃ。寝起きのオロチなら足止めや封印は簡単ぜよ。オロチの封印は蘇ってからの早期対処が大事ということじゃ。梅田家そしてこれからの座敷童管理省がどれだけ大事かわかったか?」
「「はい……」」……特務員一同は頷く。
体格の良い特務員は自分が見てきた東北の被害を再度脳裏に浮かべ、東大寺でのオロチ戦を振り返り、しずかのオロチを翻弄する風の力や切り刻んだ技を思い出す。もしも、しずかが全力なら四○メートルのオロチはおろか一○○メートルであろうと一人で封印が可能だと予想した。それだけのインパクトがしずかにはあったという事だ。
「東北のオロチはしずかが封印したのですね」
「いや」
「?」
期待を裏切る龍馬の一言。二文字の否定の言葉に特務員一同は疑問符を浮かべてしまう。それだけしずかへの信頼があり、人間側がしずかに頼ってきた事を意味する。
「東北のオロチとしずかの相性は悪いぜよ。関東に向かった東北の主力を待つ事しか出来ずに防戦じゃ」
「相性……?」
「しずかには東北のオロチを足止めできても倒す事はできんという事じゃ。その足止め最中に必要なのが梅田家や座敷童管理省ぜよ」
「我々が……いや、我等は連絡の簡潔化だけで、ただの足手まといにしかなりません」
「それはちと悲観的じゃな」
「?」
「人間を救えるのは人間だけじゃ。人間から座敷童になったワシや吉法師も例外じゃないぜよ。実際、座敷童や座敷童が見える側の人間しか救う事が出来なかった」
座敷童の限界。それは座敷童が見えない側には無力に等しく、人間であれば助けれる命があった事を意味する。
しかし、無力を思い知らされたのは座敷童だけではない。人間も災害時は無力に等しい。当時の座敷童保護の会はソレを経験している。
「座敷童保護の会といっても一般人にすぎない我々は普段はサラリーマンでした。どのみち、何も出来なかった」
「その悔しさが座敷童保護の会を座敷童管理省にしたんじゃ。何も出来なかったわけじゃないぜよ。あとは意味あるものにするかしないかは自分達次第じゃ」
「はい。……それで、東北のオロチはどうやって封印を?」
「東北の八童、巴が関東に主力だけ残して帰ってきたんじゃ。しずかと巴で二○○メートルまで成長したオロチを相手し、座敷童の避難を終えた吉法師やワシが加わり封印した」
「二○○メートル……ですか」
東大寺のオロチ、四○メートルの大きさで足を震わせ足手まといにしかならなかった特務員達には想像を絶する大きさだった。
「関東のは一五○メートルまで大きくなったようじゃからな。多発的にオロチが蘇った場合は吉法師とワシだけでは手に負えないという事ぜよ。梅田達也の改心……もしくはお膿の生還が座敷童の世界には必要だったんじゃ」
「達也の改心。……ですがいくら梅田家でも共に戦う事は……」
「違う違う。オロチと戦うだけが梅田の役割じゃないぜよ。座敷童が傷を癒し心休まる場所を作るのも役割の一つじゃ。戦う事よりも、オロチ封印後が問題なんじゃ。……そうじゃそうじゃ」
何かを思い出したように更に続ける。
「井上家……いや、文枝殿には人間として座敷童管理省として感謝を忘れてはいかん」
「井上とは、参謀の?」
「祖母じゃ。竹田だけでは手に負えない被害の中、しずかを通して放浪型やノラを北海道に呼び寄せ、常駐型にはしずかの別荘やマンションを一時的な住処として貸し与えていたぜよ。小豆飯も切らさないように私財から出していたようじゃ」
「……、お恥ずかしいかぎりです。そんなお方のお孫様を一時でも我々は……」
「杏奈ぁは文枝殿よりちと座敷童にも人間にも厳しいぜよ。姉ちゃんみたいじゃ。じゃが……文枝殿のように優しい子じゃ。このまま座敷童の世界で歩み続ければ見たくないモノも見る……吉法師はソレを乗り越えた杏奈ぁに期待をしとるようじゃが、ちと酷ぜよ」
「我々が出来うる限り支えていきます」
「東大寺の問題に限り、参謀じゃと言ってたぜよ。座敷童管理省が形になれば手を引くかもしれん。ワシは文枝殿と同じく座敷童の世界には入らずに普通の女子のままでいてほしいんじゃが……」




