序章
習作です。
前半は『ら』抜けや意味違いの漢字が少々あります。
少しずつ読める文章になっていけたらいいなぁ……と思っています。
広い心で読んでください。
近畿編 完結
東北編 完結
中部編 完結
八童集合編 執筆中
座敷童はいる。
幽霊やUMAを見たと口にすれば変わり者扱いされる世情では、口に出せる者も少ないだろう。
年に一回思い出したように手を合わせる初詣。
受験や就職、人生の分岐点に手を合わせる神頼み。
何かがあった時に神様仏様と手を合わせて救いを求めるのを、都合のいい時だけ、と口に出す者も少なくない。
縁側、仏壇、奥座敷、家のどこでもいいから、家族以外の、一人暮らしなら自分以外の、もう一人分の食事やおにぎり——理想は小豆飯——を置いておけば、小さな幸せを座敷童が与えてくれる。
その小さな幸せに気づくかはわからないが、幸せを積み上げ、努力を重ね、大きな幸せに繋げるのだ。
結局、努力か。
そんな気持ちになる者に語る言葉は無いが、初詣や人生の分岐点の時にしか神社やお寺へと行けないのなら、家の盛衰を司る座敷童におにぎり一個を御供えしてみたらどうだろうか。損は無い。御供えしたおにぎりは後から食べれば経済的だし、小さな幸せという御利益があれば一石二鳥だ。
科学では立証できない座敷童の御利益なため、信じるか信じないかは個人の自由。宗教と同じに思われそうだが……座敷童には社もなければ祭壇も無い。あえて社というなら座敷童なだけに家になる。
経済的に余裕がある家庭では奥座敷を座敷童の部屋にしていたぐらいで、一般家庭では縁側や子供部屋におにぎりを置いたり、仏壇のある家ではご先祖様のご飯の隣におにぎりを御供えしたりするだけだ。信仰というよりは、家族の一員として受け入れられていたと言った方が正しいかもしれない。
しかし……
おにぎりという安価で御利益を与え、家族の一員として受け入れられていた座敷童でさえ、今の時代では口に出したら変わり者扱いされる。
そんな心が冷めきっている現代に——
【座敷童とは、人間と同じ次元に生きる生命体であり、その場に存在しているが認識され難い存在である】
座敷童研究家アーサー•ペンドラコ
座敷童を愛し、幼少期から日本とアイルランドを何度も往復し、留学までして人生を座敷童に捧げる変人がいる。
アーサーまでとは言わないが、日本人にはもう一度だけでいいから座敷童は存在していると信じて、おにぎりを御供えしてほしい。できれば小豆飯を……
日本の歴史には座敷童が深く関わっていたのだから。
序章を読んでいただきましてありがとうございます。