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豪華な料理が並んでいる上座の中心にいち子は座り、左隣に翔、右隣に三郎が座っている。と言っても、狸の置物は立っているため座っていると言っては語弊になるのだが、狸の置物の中で三郎は座っているため一概に語弊とも言い切れない。
そして、狸の置物といち子の間にある酒壺からは、五〇センチぐらいになった橙のオロチがひょこと顔を出している。
通常時の狸の置物は、人間の世界で見かける陶器と同じように傘は背中に酒壺は左手に一体化しているのだが、今は付属パーツだったように離れている。言葉そのままに、いち子と狸の置物の間に酒壺はあるということだ。
表情を変えられるだけでなくパーツまで分けられるのは、座敷童の世界ならではの不思議なため、機能かそれとも能力なのかは作者のいち子と着用者の三郎にしかわからない。
そもそも、人間側の常識に合わせて座敷童側の不思議な現象を考えてはならないし、細かな事を気にしては切りがない。座敷童自体が不思議な存在なのだから、人間が座敷童の世界に入るなら、そうゆう物だと受け入れるしかないのだ。
***
『御裾分け』を辞書で調べると、他人から貰った品物や利益の一部などを、更に友人や知人などに分け与えること、とある。
『儀式』を同じく辞書で調べると、一定の作法•形式で執り行われる行事、またはその作法、とある。
御裾分けは丁寧語ではあっても作法や形式は無いというのが人間側の一般的な考え方なのだが、座敷童側の考え方は大きく異なる。何故なら、人間が座敷童に与える物品は『御供物』や『奉納物』になるため、座敷童側では儀礼的な意味から変わってくるのだ。あくまでも個人の座敷童——主にいち子——に奉納された物に限るのだが。
【おすそ分けの儀式】
おすそ分け、儀式、人間側なら合わさるはずのない二つの言葉は座敷童側で合わさってしまうと、分け与えるだけの行為が堅苦しくなってしまう。【おすそ分けの儀式】を人間側の言葉にするなら【論功行賞】と言った方がわかりやすいかもしれない。
ロの字に並ぶ御膳台。上座以外にいる座敷童は会釈というよりは罰悪そうに頭を下げ、上座の正面では今だ死んだふりを続けるしずかとともえがいる。
そんな空気を御構い無しにいち子はパンッと両手を合わせて「おすそ分けの儀式じゃ」と言い放つ。
一同はビクッと肩を跳ねらせると、しずかとともえ以外は一拍の間を置いて背筋を伸ばす。
堅苦しい儀式が始まる、そんな空気なのだが龍馬は食事を再会し美菜は「いただきます」と言って箸を取る。
二人の空気を読まない行動も座敷童側ならではの考えになり、作法や形式はあっても、ソレは奉納物をおすそ分けする側——いち子と翔——にあるだけで、与えられる側に堅苦しさを強要する作法や形式はないのだ。ただ、論功行賞の場合は、罪を犯した者は事前に欠席を推奨されるのだが、おすそ分けの儀式にはそんな気づかいはない。そのため、罪の意識がある者は龍馬と美菜のように食事をする事はできないようだ。
いち子は王様ごっこでもしているように偉そうな表情を作ると、右に左に視界を向けて一同の反応を見る。
そんな遊び半分のいち子を見た美代は左隣で食事をしている美菜に「ちょっと行ってくる」と言って立ち上がると、自分を見てくるいち子に、
「いち子、ちょっと三郎と話したい」
「うむ。許す!」
「ありがとう」
美代は狸の置物の前に座ると、
「三郎、久しぶり。ダイダイと仲直りできたんだね」
「…………」
「もっと早く私かお姉ちゃんに言ってくれてたら、みんなに誤解されなかったのに……」
「…………」
「そうか、そうだよね。ダイダイが悪いことしなかったら佐渡島は平和だし、三郎の身体がなまっちゃうもんね。でも、みんなにいじめられるダイダイが可哀想だよ」
「…………」
「ダイダイも楽しんでたの! なんだぁ、心配して損しちゃったよ」
はたから見れば無言の三郎と会話しているように喋る美代。狸の置物のとぼけた表情に変化はないため、三郎の反応は確かめようもない。しかし、二人は会話をしている。それはさも、座敷童が見えなかった時の文枝が座敷童と会話していたように。
美代は酒壺に手を伸ばすと、ダイダイが指先をペロペロと舐めてくる。懐かしい感触に心音が早くなるのを美代は感じながら、詰まりそうになる喉にツバを流し込んで、恐る恐る三郎に聞く。
「三郎……ダイダイは私のこと覚えてる?」
「…………」
「そうなんだ。覚えてるんだ。……」
後悔を滲ませるように唇を尖らせると、下唇を噛み、ダイダイと目を合わせる。
「ダイダイ……ごめんね。今のわたしは、昔みたいにダイダイの気持ちが……言葉が聞こえないの。でも、こんなわたしだけど、また遊んでくれる?」
ダイダイは言葉を理解しているように、頭にある二本の角を美代の指先に当てる。
「ありがとう、ダイダイ」
冷たく、気持ちの良い冷気が指先に伝わってくる。ダイダイなりの返答に美代は瞳を濡らしながら笑顔を向けると、二本の角をグリグリする。気持ち良さそうにするダイダイに「よかった、元に戻って」と喉を詰まらせながら言い、胸に溜まる思いから一粒の涙を流した。
「いち子」
目元を指先で拭うと、いち子の方に向き、
「今回は東北のゴタゴタに付き合わせてごめんね」
「うむ、お互い様じゃ。ワタキのいない間にしずかとともえがめんどうをかけたようじゃからな」
ビククッと全身を硬直させるしずかとともえの反応をチラと見ると、美代へ視線を戻し、
「美代と美菜には、弱くなったともえを支える任を解く。今までご苦労じゃった」
「!?」
ともえは知らなかった情報に目を開いて起き上がろうとするが、それよりも先に美代は答えていた。
「いち子。家主も忙しかったから、いち子に言われなくても平泉に来ていたよ。わたしとお姉ちゃんが平泉にいたのは、ともえのためではなく家主のためだよ」
「その気づかいあっぱれ。美菜と美代の功績に足りるおすそ分けをしたいんじゃが、『翔は二人におすそ分けできるほど成長しておらん』のじゃ。二人へのおすそ分けは後から届かせる。それで良いか?」
「わざわざいいのに」
「ごめんな美代。さすがに【神童の懐刀】への配膳役は当主じゃないとできないんだ。後日、改めて当主からおすそ分けを受け取ってくれ」
「翔も気にしないでいいよ。それに、三郎はダイダイを元に戻したのに、同じ懐刀のわたしとお姉ちゃんはシロを元に戻せなかった。恥ずかしくておすそ分けを貰えないよ」
「それはダメだ。【神童の懐刀】へのおすそ分けをいち子や松田家がしなかったなんて広まったら、他の座敷童が【おすそ分けの儀式】を楽しみにしなくなっちまう」
翔の言葉に座敷童一同も頷くと、美代は「それもそうなんだけど……」と苦笑い。一同からの視線にため息を吐いた美代は、食事をしている美菜の方を向く。
「お姉ちゃん。わたしらって何もしてないよね?」
「そうだね。でも、わたしらが何もしてないって思っていても、他の連中にはできない事をやっている場合があるんだよ、美代」
でもぉ、と口答えする妹にため息を吐くと、いち子と視線を交差させて——説得は自分がする、と含めた頷きをする。襟を正して真剣な表情をわがままな妹に向けると、
「わたしは八太一家を佐渡島へ連れて行ったし、美代はともえとしずかのめんどうを見た。ともえを支える役目だって、わたしらは何もしていなくても『わたしらが平泉にいるからともえに喧嘩を売ってこなかったヤツ』がいたかもしれない。……でも、松田家当主にわざわざ来てもらわなくてもいいって言うのはわたしも同感かな。いち子、わたしらは翔の気持ちで十分だよ」
「ダメだ。松田家が恥をかくだけならいいけど、今の俺だといち子の恥にもなる」
「うむ。ワタキが恥をかくなら良いが、翔に恥をかかせるわけにはいかん。美菜、美代、ここはひとつ、ともえが八童になる時に頼んでいた、ともえの後見人をワタキが変わるというのはどうじゃ?」
えっ? とともえの口から漏れた困惑は気にせず、いち子は明暗とばかりにうんうんと何度も頷いてから、
「その方が気兼ねなく家主と居れるじゃろ」
「……ともえが八童でなくなっても、それは一時的なものだろうし、わたしらの後見人の役目は残るからね。保護観察が必要なともえをいち子が見てくれるって言うなら、わたしとしても肩の荷が下りる。美代、おすそ分けを貰いたくないなら、この辺が落としどころだよ」
「美代、どうじゃ?」
「うん。いいよ」
「!」
そ、それはイヤだ! と言いたげな空気を作るともえだが、そんな空気はいち子に届くことはなく。
「一件落着じゃ」
消沈したともえ、食事を再会する美菜、ダイダイと遊び始める美代をいち子は満足げに見ると、意表を突くようにバッと八慶へ視線を向ける。
「八慶、龍馬の手伝いをしていたようじゃが、自演乙じゃったな」
「うむ。龍馬が中尊寺に待機している間、私と巴もアーサー殿のお見舞いに同行し、巴と小夜を毛越寺に連れて行けば、翔殿に気づかれる事はなかった」
「そうじゃな」
「巴が中尊寺へ赴く可能性が高くなると思い、座敷童デジタル化計画を言い訳に巴だけを見張っていれば大丈夫だと思いこんでいた私のミス。思慮の浅さを思い知った」
自演乙ってこういう事だったのか……と呟いている翔に八慶は向き直ると、
「翔殿と達也殿がシロの尻尾切りに気づくとは思っていなかったのだ。……見くびっていた事を謝罪する」
八慶が会釈を謝罪という形にすると、翔は「いやいや」と謝罪を受け取らずに、
「蓮のある池に小さなシロがいる夢を小夜が見ていたんだ。それをたまたまいち子と話していて、達也が小夜の南部弁を携帯で翻訳したんだ。俺は補足しただけで、二人がいなかったら気づけなかった」
「御三家とは、かくあるべき。と私程度の若輩者が偉そうに言える立場ではないため、代わりに、三人の作っていく御三家がより繁栄していくように祈らせてほしい」
「ありがたく頂戴する。今後も御三家を贔屓にしてくれ」
右手を手刀の形にして顔の前にやる八慶に、翔は感謝を会釈という形で返す。
いち子は二人のやりとりが終わると「うむ」と首肯し、八慶の隣にいる金時を見やる。
「金時、八慶、相撲はどっちが勝ったんじゃ?」
「「!?」」
油断していた八慶と金時は動揺を見せると、
「す、相撲……は、まだ、していない」
ぎこちなく返答する八慶。その横では、深呼吸した金時が、全てを受け入れると言うように堂々とした姿勢になる。そんな金時にいち子は、
「金時、ばあちゃんは相撲を楽しみにしておる。なんで相撲を見せてやらないんじゃ?」
「いち子、俺と八慶は文枝様が平泉に滞在しているとわかっておいて、金鶏山で喧嘩をしていた」
自分はいち子の了解を取っていると思っていた、という言い訳はしない。喧嘩をした事実、その処罰を受ける覚悟を言葉に乗せた。八慶も同じ覚悟を胸に首肯する。
頭を下げてくる二人にいち子は、偉そうに腕を組んでうむうむと頷くと、
「ばあちゃんに下手な相撲は見せられんからな。準備運動は必要じゃ」
「「!?」」
「じゃが、相撲は一発勝負。仲良く準備運動するのも良いが、ばあちゃんに見せるのは真剣勝負じゃ。よいな」
「「かしこまった!」」
八慶と金時はバッと頭を深く下げる。
処罰無し。明らかな喧嘩を準備運動と言い換えたいち子の真意は誰にもわからないが、準備運動と言ったからには準備運動になる。もちろん、その結果に納得できない者もいる。しずかとともえだ。
今にも死んだふりから蘇りそうな二人に、翔はいち子の世話役として自分なりの補足を加える。
「喧嘩仲間の二人が再会したら喧嘩になるというのは誰でも知っているし、東北では名物化している。二人は死闘だと思っていても、周りはお祭り気分になっちまうんだよな。今回は時と場合を考えろと言いたいけど、ばあさんに相撲を見せるのは座敷童相撲協会の一大行事だし、準備運動して闘える身体を作っておくのも必要だ。しずかやともえと違って、ばあさんの見ていない場所で準備運動をしていたのが良かったな」
「「!?」」
文枝の前で喧嘩をおっぱじめるだけでなく、さながら台風のような強風や雷を発生させた二人は、おとなしく死んだふりを続けるしかなくなった。
いち子は翔の補足に満足し、うんうんと頷くと、
「八慶、金時、ワタキからのおすそ分けを受け取ってくれるか?」
「「ありがたく頂戴いたします」」
八慶と金時は声を揃えると、御膳台でひっくり返してある器を返す。恨めしい空気を出しているしずかとともえを見ないようにしながら、御膳台へ一礼する。
いち子は、手前に並んでいる通常よりも大きな御膳台を「ふむふむ」と言いながら見ていく。山の幸、海の幸で飾っている六膳の御膳台はどれも豪華で目移りする。左から二番目の御膳台に視線を止めると、指差す。
「翔、武士は食わねど爪楊枝では良い相撲をとれん。八慶と金時に精をつけさせるんじゃ」
「かしこまりました」
形式としていち子に敬語で返した翔は、両膝を滑らせて後ろに下がると、畳に両拳を付けていち子の背中に会釈する。
ピリッとした空気の中、【おすそ分けの儀式】が開始された。