フェンデル公爵夫人の朝
ある日の早朝。フェンデル公爵夫妻の寝室では、そのキングサイズの寝台の上に夫妻の姿がある。
一見、一般的な夫婦の姿であるが、公爵夫人は広い寝台の片隅で気付かれない様にため息をついた。
夫妻は同じ寝台で睡眠をとっているが、広い寝台の端と端、間に大人二人は入れるであろう空間が広がっている。
初夜から今日まで一ヶ月、ニ人は夜を共にしているが、本当の意味で夫婦にはなっていない。屋敷の者たちに心配をかけないために、仲の良い夫婦を演じており、寝台をともにしているのだ。
今まで、初夜には自分の全ての初めてをアルフォンスに捧げるのだと、嬉しさと気恥かしさを胸に秘めていたのに。モニカは18歳の誕生日から、彼の思い人の事が頭から離れない。
アルフォンスは金髪碧眼、まるで物語の王子様のような見目麗しい容姿、公爵位を継ぐまではモニカの兄である第一王子のもとで補佐官を務めていて、その優秀さは折り紙つき。しかし、騎士団からも誘いが来るほど剣の腕も優れている、まさに文武両道。
いくら幼いころからの婚約者がいようと、相手が王女だろうと、彼の女性人気が止まるところを知らないのは、王宮内で噂に疎いモニカでも知っていた。
そんな彼だから、きっと素敵な恋人がいたのだろう。どうして、あんなにも素敵な彼が自分だけを思ってくれていると信じられたのか、今では不思議でしかたなかった。
結婚式の後、昔から知っているフェンデル公爵家の侍女たちに念入りに身支度を整えてもらい、夫婦の寝室に通された。
彼に初めてをもらってもらえるなら、それで良かった。彼は約束を果たし、モニカを花嫁にしてくれた。彼の心の中に誰が居ようと、きっと優しいアルフォンスは自分にも慰めをくれるだろう。後継ぎを産んで、アルフォンスの支えになれば、いつか彼もまた自分を見てくれるかもしれない…。そう考えていた。でも、緊張して入室したモニカに、アルフォンスは決して触れなかった。
「モニカ姫、約束を果たしてくれてありがとう。…君が嫌がることはしないよ。寝室を分けることは使用人たちの手前出来る事ではないけど、君が気にするなら私は執務室に行こう。…どうだろうか?」
モニカには意味が分からなかった。モニカ姫なんてアルフォンスに呼ばれたのは公式の場でも数えるほどだ。アルフォンスの中では、本当の意味で夫婦になるという選択肢自体がないのだと突きつけられて、半年前にこれ以上ないくらいに泣いたというのに、また涙がこぼれそうになった。
「アルフォンス様がよければ、寝室をこのまま使ってください。ここはアルフォンス様の邸です。私は小柄だから…そのソファでも大丈夫です」
慰めさえもらえない自分が情けなくて、アルフォンスにこれ以上哀れな自分の姿をさらしたくなかった。
「いや、それはできない!幸いこの寝台は大きいし…君には指一本触れないと誓うから、今夜はここで寝よう」
幾度かの同じようなやり取りの後、諦めたようにアルフォンスは言った。
その日から一ヶ月。この端と端で眠るという形に落ち着き、アルフォンスは約束通りモニカに指一本触れることはなかった。
いつから彼はこんなに他人行儀になってしまって自分を寄せ付けなくなってしまったのか。彼の恋人は、彼の腕の中の温もりをきっと知っているのだろう。
考えても仕方ない事ばかり頭に浮かび、モニカは今日も朝からため息をつく。