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アグレッシヴベースライナー

作者: QUEEN

 機関銃のトリガーをしぼる。弾は狙い通りエンジンに被弾し、一機、敵機を撃墜した。

 一生でただ一度だけ出会う敵。たとえその身を海に落としても、せめて魂だけは空へ昇ってほしいと思う。胸のロザリオを握って、きりもみ状に落下してゆく敵機に祈る。

「羽田少尉、前を見ろ。すぐに本隊が来る」

了解(ラジャー)

 私の機体のとなりを飛ぶのは青野中尉だ。このごろはこの人とペアで飛ぶことが多い。中尉は階級上私の上司にあたる。いつも口うるさくて、平凡な技術しか持っていなのに私にアドバイスをしようとする。私は一人静かに飛んでいたい。

 それでも、私が敵を撃墜したときに祈る微かな“間”に気づいたのは、唯一この人だけだったりする。実は私が思う以上に有能な人なのかもしれない。

 中尉が私と同じ高度に上昇し、機体を併走させる。

「いかれた女だよ。自分が殺したやつの冥福を祈るなんて」

 私に語りかけたのか、単なるつぶやきなのか、私にはわからなかった。なので無言を返しておくことにした。

 となりの機体を横目にみたけれど、キャノピーに日光が反射していて、中尉の姿は見えなかった。

 彼が搭乗するAG-4.18は、脂ののった青魚みたいに体をテカらせている。この機体はそのなりと型番から、「アジ」と呼ばれている。現在の空軍の主力機だ。

 中尉のアジの側面には六つの星が誇らしげにプリントされている。撃墜スコアというやつだ。これはパイロットの趣向というか、完全に任意でつけるものなので、私の機体には一切ない。

 私がトリガーを握れば敵は墜ちる。

 私も中尉と同じことをしようものなら、たちまち機体は星で埋めつくされてしまう。そんなみっともない機体なんて、パレードにだっていはしない。

 左手でロザリオの感触を確かめる。

「私はなくならないパン、か……」

 イエス・キリストがたった五つのパンを五千人の群衆に分け与えたという奇跡。それになぞらえて、軍上層部は私をこう揶揄しているらしい。

 上の連中はいつだって、私個人の技量ありきで作戦を立案する。エースパイロットである私の力を使いまわすことで、大幅なコストダウンを達成しているのも事実だ。

 私自身もそれについては合理的だと思っているし、別に嫌だとも思わない。

 それに空軍は頼みもしないのに、私専用の戦闘機、アタランタを新調してくれた。アジに代表される量産機よりも数倍の値が張るしろものだ。でも、撃墜されない私が乗るのだから、長い目でみれば割安な投資というわけだ。

「……羽田少尉、君がよければでいいんだが、この作戦が終わったら、……その、テニスの相手をしてくれないか?」

「……結構です」

「そうか……。いや、いいんだ。七日後の選抜試合にむけて調整の相手が欲しかったというだけで、深い意味はなにも」

「――来ました、敵です」

 前方に三機編成の敵機を目視した。

 先ほどの偵察機を撃墜したことで、こちらの存在は知らている。我々の今作戦の目標である空母ウォーリックも、おそらくは近くにいるはずだ。

 中尉が上昇し高度を上げた。私はそのままの高度を維持する。

 私たちは連携をとらない。二人とも完全なる個人プレーを得意としている。それが、近ごろこの人とペアを組むことが多い要因の一つなのだろう。

 フォーメイションをとる敵の隊列に対して、中尉が威嚇射撃をする。

 三機はそれを躱すようにしてばらけたが、それぞれ退却することなく、機首をこちらへ翻す。逃げる気はないらしい。

 一機が機銃を撃ってきた。しかし、弾道はまるで見当違いの方向へと流れていった。それに追従するように、残りの二機も攻撃を仕掛けてきたが、やはり、いずれも明後日の方向を撃っただけだった。私たちは回避行動さえとっていない。

 三機とも全ての動きがぎこちない。経験不足は明らかだ。それなのになぜこうも好戦的なのか。新兵特有の戦闘に対する憧れからなのか、それとも単に操縦に手一杯で冷静になれないのか。

 いや、妙だ。彼らは微塵の不安も抱いていない。私には何故だかそう思えてならない。いかにも自信に満ちあふれた飛び方をする。

 言い知れない不気味な違和感に気分が悪くなる。同じ空域を飛んでいるだけで吐き気がこみあげる。

 風にあたりたい。さすがに飛行中にキャノピーを開けるなんてことをするはずはないが、思わず開閉レバーに手を伸ばしたい衝動に駆られてしまう。

 その時だ。遠く、風を切る気配がした。

 猛烈な速度でこちらに迫る敵影が一つ。直線的なアプローチをかけるその姿には一切のごまかしがない。

「あんな飛びかた――」

 常識ならミサイル一発撃たれたら終わりだ。あれだけのスピードを出していては躱せない。

 でも、私の右手はミサイルの発射ボタンを押さなかった。

 気圧されたわけじゃない。単純に、私は当たらないとわかっている弾を撃たなかっただけだ。

 常識外。アレは普通じゃない。私は彼をよく知っている。

 一期一会を大切にしている私が唯一、一度限りの戦闘で別れを迎えない敵機――ペリドット。

 たぶん彼もまた、私がミサイルを撃たないとわかっている。彼ならばたとえ撃たれても撃ち落とせるだろうし、ひょっとしたら、神がかった操縦技術で躱してしまうかもしれない。

 先発の三機のうち二機は、青野中尉を追って上昇していった。そして残りの一機が、私の周りを弱ったハエのようにうろついている。

「なるほどね。そういうことか」

 指でトリガーを引きながら、私は納得していた。いままさに飛来してくる絶対的エースの存在。これこそが彼らの自信の源だったのだ。

 先発の一機が私の攻撃をまともに受け、制御を失う。ゆらゆら墜ちゆく様は、これまでのよろけ運転とさして変わっていないような気がした。

 私は彼に祈りを捧げる。初陣だっただろうか。おそらくはペリドットの支援を期待して、ノアの箱舟にでも乗ったつもりで出撃したのだろうが、それなら残念だったと思う。ペリドットが味方のフォローをすることはまずないのだ。

 私はトリガーを握りなおす。次の目標をペリドットへと定めて。

 私とペリドット。機銃を撃つタイミングは同時だった。

 お互いに回避行動をとり、きわどい軌道でそれを躱す。すぐさま等間隔をたもち、私たちは円を描くように牽制しあう。

 ペリドット。敵国の一世代前の主力機だったが、現代ではもう型落ちの戦闘機。機体の色はなめらかなオリーブグリーン。

 無論、同名の宝石に由来するペリドットの呼び名は、こちらサイドの一方的なものにすぎないけれど、その名に恥じない姿、歴戦の雄姿からはアンティークの調べすら聞こえてくる。

「きれい……」

 敵だとか、そういう事情はぬきにして、私の口からもれた素直なつぶやきだった。

 ペリドットが機体を急旋回させて、私の横腹に突進してきた。

 ここで逃げてはだめだ。逃げたら後ろをとられてしまう。

 空対空での格闘戦では、後ろをとられることはそのまま負けを意味する。後ろのとり合いを制した時、それは勝利が確定する時でもあるのだ。

 だから私も、機首をペリドットの正面に向けて突っ込んだ。

 機銃を撃ち合いすれ違う。被弾はなし。

 再び急旋回したのち、機体同士が擦れるくらいぎりぎりで切り結ぶ。

 さながらテニスのラリーの応酬だ。一球ごとに確かな緊張と疲労を感じる。でも、それがなんともいえず心地いい。

 上気する肌に小さく乱れる呼吸。そして高鳴る鼓動。そう、これはまるで――

「私は恋をしている」

 形勢は全くの互角。それでも私のアタランタは最新鋭機。対してペリドットは型落ちの旧型。パイロットの腕だけでみたなら、そこには大人と子供程の違いがあるだろう。

 時代を生き抜いてきた、ペリドットを駆る伝説のパイロット。彼と私との年齢差は、一回りほど、いや、もしかしたら二回りくらいの差はあるのかもしれない。

 たとえどうであったとしても、私のこの気持ちは本当のものだ。

 戦闘のさなか、私は穏やかに瞳をとじた。

「戦争なんてなかったら、わたしたち恋人同士だったかな?」

 手の中では、ロザリオが人肌に熱を帯びている。

 次に目を開けた時には、ロザリオを握っていた左手は、操縦桿に握りかえられていた。

「ふふ、そもそも戦争じゃなかったなら、出逢ってすらいないか」

 再度のすれ違いざま、私はペリドットを引き離すように機体を加速させた。この瞬間であれば、後ろをとられることなく空域から離脱することができる。

 はた目には逃げているように映るだろうが、もちろん私がそんなことをするわけがない。

 十分に距離をとったのち、ペリドットへと向き直る。

 今の私はアグレッシヴベースライナー。コート際から、強烈なストロークを浴びせるのだ。

 照準をペリドットへと合わせ、ミサイルを放った。

 そしてすぐさまネットプレーへと移行する。

 フルスロットルでの加速。強烈なGに脳から血液が追い出され、意識が飛びそうになる。

 アタランタとは、ギリシャ神話に登場する、人間のうちでもっとも足の速いとされる女狩人の名だ。私の機体のトップスピードはミサイルの速度すら上回る。

 朦朧とする視界の中、私はミサイルを追いぬき、そのままペリドットの背後をとった。

 ペリドットは私を振りきろうにも、ミサイルを撃ち落とすまでは自由の効かない形だ。

 勝負はついた。あとは私がトリガーを握るだけ。

 ペリドットはたんたんとした動作でミサイルを撃ち落とす。それはもはや負けを悟りながらの形作りでしかなかった。しかし、不思議とそこに諦観はない。落ち着き払ったその姿勢は、むしろ達観とでもいうべきかもしれない。

 私はペリドットが爆風をくぐる際に細工を施してくるのだろうと期待さえしていたが、その類は一切なく、ただ超然とペリドットは飛び続ける。

 彼は私に墜とされるのを待っているのだ。

 ……なのに、これは一体どうしたというのだ。

 思うように指が動かない。なぜだ、どうして私の命令を拒む。

 震えるひとさし指が私に伝えようとしているのはおそらく、いや、これは明らかなる動揺だ。

 落ち着け。頭の中で繰り返しシミュレートしてきた場面が、今まさに目の前にあるのだ。ここにきて私はなにをためらっている。

 いつもやっていることだ。そう、敵に照準を合わせ、トリガーを……、トリガーを、

「……お願い、……はやく……脱出を……」

 いつしか私は願っていた。震える右手を左手で包みこみ、そこに額をつけて。

「はやく……」

 そうか、これが本音か、私の。

 今はっきりとわかった。

 これまでたくさんの命を私は撃ち墜としてきた。任務だから仕方のないことなのだと、決して私が望んだことではないのだと、トリガーを握るたび自らに言い聞かせてきた。

 でも違った。いつだって私は自分の欲望に忠実だったのだ。殺したいから殺し、生かしたいから生かす。敵の命の行方など、私の指先の気まぐれで決まってしまうのだと、勝手に思い上がっていた。

 私は神様を気取っていたのだ。

 誰一人として、私は敵と対等だと思ったことなどなかったのだ。――我が愛しのペリドットでさえも。

「今日限り、空を降りよう」

 重い罪を背負って飛び続けるには、私の羽は軽すぎる。

 最後にこの空は、私に一人の人間と対等に向き合うチャンスを与えてくださったのだ。

 この一打に私の思いを乗せて、彼に届けよう。

 清く澄んだ心で、私はトリガーを引いた。

 彼へと向かう私の思い。

「ありがとう」

 数瞬の後、ペリドットは散った。

 砕けた宝石が光を散らして海へと墜ちてゆく。


 目の前が真っ白だ。これはペリドットの爆煙のせいではない。

「……当たってない」

 私の撃った弾は当たらなかった。外れたのではない。狙いは精確だった。

 彼は自爆したのだ。

 私は彼を幻滅させてしまった。私が撃つのをためらったから。

「最低なやつだと思われた……」

 体に力が入らない。

 彼のいなくなったこの空で、アタランタの速度だけが変わらない。

 ロザリオに触れようと胸にやった手が虚無をつかんだ。そして、一瞬遅れて乾いた金属音を聞いた。

「うわああああああああああ」

 ロザリオの紐は切れていた。

「どうした! 羽田少尉」

 戦闘を終えた青野中尉が私のもとへと駆けつける。

 迫るその機影に対して、私はトリガーを握っていた。それは紛れもなく、いつもと変わらない動作だった。

「私、なにを……」

 冷静さを取り戻しかけていた時には既に、弾は放たれた後だった。

 中尉は墜ちた。さもあたりまえであるかのように。中尉には何が起きたのか理解することもできなかっただろう。当然だ、そんなもの私にだってわからないのだから。

 なにやら前方が騒がしい。みれば敵の大部隊が押し寄せてきている。

 本隊だ。海上に見えるのは大型空母ウォーリック。芸術的なそのフォルムはため息が出るほど美しい。周りをとり囲むのは四隻の護衛艦。

 ウォーリック、西洋の城の名を冠した空母、そして今作戦の目標。

 気持ちの整理もつかないまま、さしたる考えがあるわけでもなく、私は大群に突っ込んだ。

 次々に襲いかかる戦闘機を抜き、次第に濃くなっていく弾幕をかいくぐる。

 ウォーリックに接近するまでにかかった時間はものの数秒。私の右手が艦橋めがけ、最後のミサイルを放った。

 吹き飛ぶウォーリックの頭脳。電子装備もしばらく機能はしまい。ああなってしまってはもうおしまいだ。あとは我が軍の後続がじっくり料理するだろう。


 私は深く息を吸い込んで、それからゆっくりと吐き出した。「飛ぼう」

 もう私に帰る場所はない。

 今はまっすぐ飛び続けよう。決して振り返ることなく、一人静かに。





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