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第1話 坂口晴人の日常は崩壊する。

 チュンチュン、というすずめのさえずりと共に、照りつける様な日差しが窓から俺のことをピンポイントで狙撃してくる。

 

 今日も相変わらずウザったいほどの快晴だ。

 そんな中、俺はただひたすらに机に並べられたパンとソーセージをほおばっていた。

 

 時刻は8時15分。朝のHRまでは残り15分。ここから学校までは走って15分。

 

 ――――無理だな。

 ちなみに断じて面倒くさいから諦めるのではない。

 大体こんな暑い日に走って登校したらそれこそ朝一から保健室行きになるのは目に見えてるし、それで1限サボったら本末転倒だからな。

 

 というもっともらしい言い分を考えて先生への言い訳のシュミレートをしながら、俺はほおばっていたパンを皿に戻して優雅に朝食を食べることにした。

 急がば回れ。これこそ先人の知恵に学んだ高尚な生き方である。


 今日も俺さんまじ超知的生命体っす、とかバカなことを思いながらもしっかりと指で遅刻の数を数えていると、ふと聞き馴染みのある地名がテレビから流れてきた。

 

「現在町田市内で発生している行方不明者の数は、昨日に届け出られた佐藤大樹さんを含め、6名になりました。警察はこの行方不明者が何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いとして現在捜査に乗り出しています。尚、この事件には不可解な点があり...」

 

 行方不明か......。

 町田市というのは俺が住んでいる市でもあり、俺が通う都立町田高校がある場所でもある。

 なのでこのニュースは幾分か物騒に感じるところがあるが、それでもテレビから聞こえてくるニュースってのはどこか現実味を帯びてこない。

 

 多分、誰もがそうなのではないだろうか。どれだけ身近で事件が起きようが、どこか遠い世界のこと、他人のことだと思い込んでいる。

 だから、母親の、あんたも気をつけなさいよーという声に適当に返事をすると俺はいつものようにボソッといってきます、と言って玄関を後にした。

 

 きっと自分には関係ない。

 

 自分だけはどこか安全な世界で暮らしている。


 何の変哲もない日常が、このまま延々と続いていく。


 そう、誰もが思い込んでいる。

 

 これまでの俺が、そうであったように。


 






――――――――――――――――――――――――――――――――










 青春、と聞いて部活を思い浮かべる人も少なくないだろう。

 

 つんざくようなセミの声。肌を焼き付けるように照りつける太陽。そんな中汗だくになりながらボールを追いかけ、仲間とともに努力と勝利の味に酔いしれる。


 うわ、だめだ想像しただけで暑苦しくて溶けそうだわ......。

 

 そう。何を隠そう今は夏真っ盛りの7月中旬。午後7時を回りようやく太陽も身を潜めたというのに、この暑さは全く自重する気配がない。

 その証拠に別段何をするでもなく歩いてるだけだっていうのに、汗がじわじわとにじみ出してくるのが嫌でもわかる。

 砂漠でさえ夜は寒いって聞くのに何この暑さ。だらしない。何事もメリハリが大切だってバッチャが言ってた。 

 つーか、高校入って初めての夏だってのに、中学のころと大して変わらないよなー。むしろ期末が大変になっただけだろ、これ。

 

 このようにクラスの皆が夏休みに対する期待を膨らませる中、俺の夏に対する怨念は日々募っていくばかりである。

 

 というか夏とかなんにも楽しいことねえ。暑苦しいだけで、俺の中の必死にため込んできた魔力が周りに冷気を満たすのに使われてどんどん摩耗しちま――――


 ――――あぶねえ、危うく2年前の俺がこんにちはするところだった。しかしまあ、誰でもこのような中学2年生における悩ましい黒歴史は抱えて生きているのだろうという確信が俺にはあった。というか確信したかった。


 はぁ、さっさと家に帰ってクーラーつけて寝よ。

 

 そう固く心に誓って俺は夕闇に染まる帰宅路を歩く足を速める。大体なんでこの俺がこんな遅くまで学校に囚われなくちゃいかんのか。

 

 というのも、たかだか英語の課題を3回連続で提出しなかっただけで補修とかいう悪魔のような英語教師がいけないのだ。


 課題なんて出さなくたってできる奴はできる。それを見せつければ補修なんてすぐ終わるだろ。


 そう考えていた俺が甘かった。いや甘かったなんてレベルじゃない。一周回って辛かったレベルといっても過言ではないだろう。

 

 .........あ、今のはキャンセルで。


 とにかく、補習は俺の予想を遥かに凌駕するものだった。1時間で終わるだろうとたかを括って補習に出向いたのが午後4時。

 そしてよろめきながらようやく学校を脱出し、感慨深げに校門を振り返った時には既に午後7時を迎えようとしていた。


 一見すれば、女教師と1対1で3時間の個別補習。きっと世の男子高校生諸君は胸を躍らせるであろうシチュエーションだ。

 だが騙されてはいけない。なぜなら俺がやらされたのは、あんなことやこんなことなんかではなく、あんなことやこんなこと(このThatやThisが何を指しているのか)を延々と問われ続けることだったからだ。

 

 念のため言っておくが、ねえ坂口君、あんなことやこんなことって、な・あ・に?

 などと分かり切ったことを聞かれた訳では決してない。その証拠に全く何言ってるかわからなかったしな。


 そう一人で勝手に補習への終わらない恨み辛みを脳内再生していると、いつの間にか俺が最も嫌っている通りへと差し掛かっていた。


 繁華街の中央通りから一つ外れた裏通り。

 幅4、5メートルの通りの両側には所せましと居酒屋やカフェ、古着屋などが店が軒を連ねており、下町のような雰囲気が感じられる。

 よくあるだろう、なんかいかがわしいお店がたくさんあったり、なぜかスーツに身を包んだおっさんから声をかけられたり。

 

 いつもなら人が多いし、何よりも物騒で人相の悪そうなやつがいるこの通りは避けて迂回して行くんだが、しかし例の補習のおかげで今日はもう結構いい時間になってしまっている。

 

 それに何よりも暑い。さっさと家に帰りたい。タクシー使って帰るまである。

 まさかこれほどにまで帰宅欲が強いとは自分でもドン引きである。人間、いや坂口晴人の4大欲求に入れてもいいだろこれ。

 ちなみに3大欲求というのは、惰眠欲・安眠欲・睡眠欲である。異論は認める。だがのび太か! って突っ込み、てめーはだめだ。

 

 ということで俺の心は、今日に限りこのうざったい通りを手早く抜けてさっさと家に帰る、という方向に決まった。

 しかしそうと決まると、はぁと1度大きなため息をせざるをえなかった。

 距離的には急げば5分程で抜けてしまえるのだが、それでもやはり仕事帰りのリーマンや遊び帰りのJKで通りはごったがえしていて、中でも時折見かけるこいつ絶対犯罪者だろ、という風格の持ち主を見かけるとげんなりと心がしぼんでいくのが分かる。


「ここを抜けたら今日は絶対クーラーつけて寝る」


 我ながらアホ丸出しな励まし文句だったが、それでも不思議と力があふれてくるのを感じる俺がいた。

 まあ男は単純ってよく言うし、気にしないことにする。

 

 俺は意を決して一気に通りの人混みの中に突っ込むと、1ミリもぶつからないように細心の注意を払いながら行き交う人達の間をすり抜ける。

 

 この通りを抜ければ家までは5分もかからない。だから、俺の中でこの通りがラスボス的な扱いになっているのも自然なことだ。

 よって俺の集中力といえば、それこそ10回は連続して針穴に糸を通すことができるだろう域にまで達していた。ちなみに断じて全国の針穴職人さんに喧嘩を売ろうというわけではない。居るのか知らんけど。

 

 それでも肩が多少ぶつかってしまうことは何回かあった。舌打ちをしたりこちらを振り返る人もいたが、たいていの人は小声ですんません、というと気に留めずにそのまま去って行く。

 そういうわけで俺の歩調は思っていたよりも順調に裏通りを踏破しつつあった。


「うおっ!」

 

 通りの中腹まで差し掛かった時、突然ふと背筋を凍らせるような一筋の冷たい風が通りを吹き抜けた。

 

 なんだ? 今の。 散々生暖かい風ふかしといていくらなんでもメリハリありすぎんだろ。 

 かなりの汗をかいていたこともあり、それが氷のように冷たく感じられて俺はぶるっ、と大きく身震いをした。


 その時だった。


 ぐにゃり、と視界が歪むような感覚。


 そして大きな穴に落ちていくような奇妙な崩落感。


 体感にしてわずか数秒のことだったが、再び歩き出そうとした俺の足はそこで止まった。


「おい......」


 否、この世界全体が止まっていた。


 辺りには押しつぶされそうな静寂があるだけで、つい今までそこかしこに行き交っていたはずの人々の姿はどこにも見当たらない。

 通りの両サイドに立ち並ぶ店々は閑散として異様な空気を放ち、ラーメン屋ののれんに下げてある風鈴が不釣り合いな金管音を打ち鳴らす。


 それはまるで、俺一人が同じ形をしたどこか別の世界に飛ばされみたいですらあった。

 

 えっと...なに、コレ?

 突然の出来事に、俺の頭は完全に機能停止に陥っていた。


 一瞬で人が消えるって、これ何かの手品? それとも新手のドッキリ?

 

 全身を硬直させ必死に頭を回転させるが、出てくるのはどれもこれも全く現実味のない話ばかりだ。

 いや、そもそもこの状況自体に全く現実味がない。


「あ...」

 

 ふと、朝聞いたニュースのことが思い出される。

 町田市内で起こっている連続行方不明事件。

 何の関係性もないはずのことなのに、なぜか俺はその突然はじき出された答えに十分な説得力を感じていた。

 それは世界から俺だけが排除されたような感覚。

 呆然と立ち尽くしていると、不意に"音"が飛び込んできた。


「ちぃ、みーつけたあ!」


「なんだッ?!」


 背後からの突然の音に、俺は瞬時に振り返る。と


 ――――そこには真っ赤に染まった、得体のしれない"何か"があった。


 鮮やかな赤をしていてどこかドス黒い色をしたそれは、ぐねぐねと波打ちながら悠然としてそこに浮かんでいる。

 

 おいなんだよこれ...こんなのまるで...うっ!

 その見たこともないグロテスクな光景を前に一瞬にして背筋が凍り、一気に吐き気がこみ上げてくる。


「血......?」


 自分でも不思議なくらい真っ先にそれが想像されていた。

 こんなグロテスクなものが自分の体内にあるとは思えない。が、それでも確かにそれは見覚えのある色だった。


「ん~? せいか~い! よくわかったね!」


 それは、セリフとは似ても似つかない低くモザイクがかった声で、さも愉快そうに言う。


「じゃあ、正解したご褒美についでに教えるけどこれ、」


 そこで言葉を区切ると、その物体の中央が膨らんでいき、三角錐状の角のようなものを形作った。


「――――血は血でも、人間の血なんだあ!」


 ......は? 何を言ってるんだ? こいつ。

 人間の血、だと? 何の冗談だよそれ。

 人間の血がなんで血そのものだけで動いてるんだ? 

 なぜ声を発している?

 

 そんな当たり前の疑問がぐるぐると頭の中をかきまわす。

 

 いや、今はそんなことどうでもいい! さっさとここから逃げろ!


 本能がこれ以上ここにいてはいけないと必死に俺に訴えかけてくる。

 

 行くあてはない、だけどとにかくここから離れないとまずい!

 

 不気味にゆっくりと距離を詰めて伸びてくる三角錐状の角から逃げるように足を踏み出す、が


「うぐあっ!」


 上半身だけが先に動いて足が動きに追い付かず、俺は無残にもそのまま地面に打ち付けられた。

 おい嘘だろ...なんで足に力が入らないんだよ!

 

 くそっ! 足の震えが止まんなくて上手く動かねえ!

 俺の足はぷるぷると小刻みに震え、どうもがいてもただ足を引きずって這いつくばることしかできない。

 

 ......はは、笑っちまうよな。逃げることさえできないなんて。


 と、背中に生暖かい感触のものが触れる。


「それじゃあ、いっただっきまーす!」


 ああ、喰われるのか俺は。

 

 意味不明なはずの言葉。

 しかし俺は咄嗟にそう感じて、頬を涙が伝い落ちていた。


 そして背中の尖った感触の物体がぐっと力を強めたその刹那


 ――――凛とした、鈴の音のような声。


「滅せよ」


 ただの一言だけ。

 

 何の感情も籠っていない、透明に透き通ったような声音。

 

 無意識のうちにその声の持ち主をさがして振り返ると、さっきまで俺の背中をえぐろうとしていた真っ赤な流体が蒼い炎に焼かれていた。


「うああああああ! なんだよお前!」

 真っ赤な流体は焦るようにぐらぐらと揺れ動くが、炎が消える気配は一向にない。

 それどころか見る見るうちにその物体を下から溶かしていた。

 

 助かった......のか?

 未だに心臓が猛スピードで脈を打っているのがわかる。


「あついいいい! 助けて主さまああああ!」

五月蠅うるさいわね。死ぬときくらい黙っていられないの?」


 その声の主は、真っ赤なそれを挟んで俺から十数メートルの所に平然と立っていた。

 無表情ですっと真っ直ぐに立って獲物を見つめるのは、あれ? 女子高生? だよな。制服だし。

ていうかあれうちの高校の制服じゃねえか......?


「あ、あああああ!」

 俺には、むしろその顔に覚えがあった。

「お、お前! 白雪アリサ!」

 思わず大声をあげて指さしてしまう。

 だっておい、あいつあれだぜ? あいつあれなんだぜ?

 しかし当の少女はこちらを一瞥するでもなく、ただひたすらに燃え盛る炎の方を見つめている。


「おまええ! こんなことしたら主様が黙ってないからなあ!」

 真っ赤な物体は既に上3分の1を残して消えていた。それでも声は出せるらしい。

「そう。確かにこんなに五月蠅い使い魔の主が静かで知的だ、なんて到底思えないわね」

 少女は別段嫌味な顔をするでもなく、ただただ平然と言葉を紡ぐ。

「ぐうううう!ああああああ!」

 そんな断末魔のような叫びを最後に、"血"はあっけなく消滅した。

 

 少女はそれの最後の断末魔を、表情を毛の先程も変えずに聞き届けると今度は俺のしゃがみこんでいる方へと歩き出した。

 

 あれ、あいつ白雪アリサだよな?

 白雪アリサってのは俺の隣のクラスで、すっげー美少女だって有名な奴だ。

 やじ馬たちに乗っかって俺も顔を拝みにいったことがあるが、あやうく一目惚れするところだった。

 

 少女はすたすたと俺の目の前まで歩いてきてそこで止まると、情けなくしゃがみこんだ俺を見下ろす形となった。

 長く腰の辺りまで伸ばされた艶やかな黒髪。

 凛とした、どこか冷たさを感じさせる精緻に作りこまれたような綺麗に整った顔立ち。

 そして一番特徴的なのが、そこに整然と据えられている、何もかも見通すような両の碧眼。


 それはまさしく、俺が脳裏に焼き付けていた白雪アリサそのものだった。

 話したことすらないのに顔は焼き付いているのだから、相当な美少女なのは間違いない。


「あなたは......」

 白雪は俺の顔をまじまじと見つめると、思い当たったように少し考えるそぶりをする。


 え? なに俺のこと覚えてんの?

 喋ったこともないのに顔覚えてるとかどれだけ俺のこと好きなの? むしろファンクラブ入ってるの?

 やー、困るよねそういうの。まだお互いのこと名前くらいしか知らないんだから、告白とかはちょっとまだ...


「――誰?」


「名前すら知らないのかよ!」

 おいおいあまりのボケに思わず立ち上がって突っ込んじまったじゃねえか!

 しかし白雪は怪訝そうな顔で、更にこちらの顔をまじまじと見る。


「どこかで話したことあったかしら? というか、なぜ私の名前を知っているの?」

 あれ? 何ですかねそのまるで犯罪者を見るような冷たい目は。


「え?! えぇと、それは......その」

 おいおいやべえぞ......流石に昼休みに隣のクラスに潜入してこっそり名簿でフルネームきっちり確認してきたからです、なんて言えないだろ!

 と、その通り完全に犯罪者紛いの俺であった。

 ふふ、しかしこの俺、実は嘘がとっても得意なのである。ここは持前の技術を活かして......


「いや、なんていうかその、俺の目が白雪のオーラが名前として具現化されているのを読み取ったというかなんというか......」

 俺は地面と対面しながらとても嘘とは思えないような自然なそぶりで説明する。

 ちなみに白雪が眩しくてとても直視できないとかそういうわけではないからな。

「ッ?! あなたもしかして魔眼持ち?!」

「ええッ?!」


 予想外食いつきに逆に俺がびっくりしたわ!

 というか何この女? ひょっとして電波? やだなに怖い。

「えと、その......魔眼って?」


 白雪は若干目を見開いて俺を凝視していたが、俺が恐る恐る聞くとぱっと元の表情に戻った。

「いえ、気にしないで。それより、あなたは誰?」


 うわやっべーすげえ気になる。

 しかしこの溢れ出る好奇心は抑えといて、一先ず自己紹介しておくか。

 まあ高校入ってまだ3か月だし、隣のクラスなんだから俺のことを知らないのも無理はない。残念ながら超普通のスペックだしな。


「俺は坂口晴人。お前と同じ町田高校の1年で隣のクラスだ」


 すると白雪は指をあごの下にあて、可愛らしく首を傾げる。


「おかしいわね。私は普通科の高校だし決して少年院のような問題を起こした人間が行く様なところではないのだけれど」

「おい人を勝手に犯罪者にするな」

 え、なんで割と本気で不思議です、みたいな顔してんの? 俺が何をしたって言うんだ!


「大体さ、お前何者なんだよ」

 相手の波に呑まれまいと、今度は俺が核心をついた。

 これこそまさに今の俺の中での決定的な疑問でもある。


「ていうかここどこなの? なんで皆いないんだ? それにさっきの化け物みたいなのは何なんだ? あれはお前が消したのか?」

 俺は休む間もなく次々と質問攻撃を浴びせる。

 こんな意味不明な現象にあったんだ、もう俺の頭で理解出来る範囲をとうに超えてる。


「そういっぺんに何個も質問しないでくれるかしら。私は聖徳太子ではないのだけれど」

「おい、それ使い方間違ってるから」

「......コホン」

 白雪は無表情のまま小さく咳払いをすると、少し間をあけてから何事もなかったかのように喋り始めた。


「私は吸血鬼を狩る退魔士で、あなたを襲ったのはこの町にいる吸血鬼が放った、使い魔なの」

はい? 日本語でおk。

「......えーと、まじで大丈夫?」

 白雪が言ったこと全然意味が分かんなかったんだけど、俺間違ってないよな? 普通だよな?

 こんな非現実の真っただ中にいると、逆に俺の常識のほうが間違ってるんじゃないかと思えてくるから不思議だ。


「そうね、いきなり言われたところで理解できないのも無理ないわ」

 しかし白雪はそれが当然の常識であるかのように話を続ける。

 いやいきなりじゃなくても絶対ついていけない自信があるんだが。中2の頃の俺でもクサすぎて引くまである。


「それでも、あなたも"見た"でしょう?」

 

 確かにそうだった。いくら俺が信じないと言っても、俺があの禍々しい物体、この世に存在するはずがないものを見た、ということは変えられない事実だった。

 ならばそれを作った吸血鬼というものがいて、それを退治する退魔士なるものもいる。というのもおかしくはない、のか?


「じゃあその、使い魔、いや吸血鬼ってのはどうして人間を襲うんだよ」

 俺が聞きたいのは、血を吸うためなんて答えじゃない。もっと根源的な、どうして血を吸うのか、ということだ。


「そうね。あえて人間に例えて言うのなら、性的快楽のためというのが一番近いかしら」

「せせせせ、せいてき?!」

 せいてきってあの、性的って意味ですよね? ていうかなんであいつはそう平然としてられるんだよ!


「ええ。食欲や睡眠欲の様になくて死ぬものではない。けれど本能的に求めてしまう、ということね」

 白雪は顔色一つ変えずに、なんのためらいもなく説明を続ける。

 というかこいつ表情がほとんど変わらない。さっきからずっとほぼ無表情のままを保ったままだし。

 全く感情の読めない奴だ。


 俺はこの理解を超えた状況に、半ばやけになりながら口を開く。


「ていうかお前、やけに吸血鬼のことに詳しいのな」

「なっ...!」

 

 白雪はいきなり驚いたように口をぽかんと開けたが、すぐに我に返りものすごい勢いでまくし立ててくる。 

「わ、私はただ退魔士をやっている上で吸血鬼と関わることが必然的に多くなったからであって、別に特別吸血鬼に詳しいわけではないわ」

「うおっ、そ、そうか......」

 

 ほう、めずらしく表情が顔に出たな。

 ていうか、ただ単純に疑問に思ったことを言っただけなのになんでそんなに食いつくんだ?

 全くもって訳わからん女である。


「それで、私が退魔士で吸血鬼を狩っている、というのは納得してもらえたかしら?」

「ああ、まあそういうことにしておく......」

 というか白雪さん有無を言わせぬ口調じゃないっすか。それ選択肢yes or yes ですよね。

 しかし、こいつがあの蒼い炎を使って化け物を消したというのなら、それは一応は納得のいく話ではあった。


「それで」

 白雪は改まって言い直すと、透き通った碧眼で俺の方を直視してくる。

 やばい。こいつやっぱり近くで見てもすげー美人なんだが。

 そんな見つめられたら一目惚れしちゃうだろうが。

 その整った顔立ちは、碧眼なのも合わさってどこか西洋的なものを感じさせる。


「私はあなたを結果的に助けたわ。不本意だけれど」

「不本意なのかよ!」

 ていうか無表情で人の心を抉るようなこと言うのやめてもらえます?


「それでも結果的には助けた。だからあなたは私に対する借りができたことになるのだけれど」

「ま、まあそうなるな......」

 なんかわからんけど嫌な予感しかしないんだが。


「ということであなた、私が吸血鬼を探し出すのを手伝いなさい」


「......はい?」

 予想の斜め上どころか180度逆をいく答えに、俺は聞き返すことで精一杯だった。

 

 俺の腑抜けた返答に白雪は大きくふう、と息を吐き出した。

「あなたの理解力は人間なのか考察するに値するわね」

「勝手に俺の根源を考察に値させるなよ!」

 何も新しい発見とかねえから!


「つまり、あなたを助けた対価として、私が吸血鬼を探すことに協力しなさいということよ」

「......それは強制ですか?」

「強制」


 うわー、なんかすげえメンドクサイことに巻き込まれた気がするんだけど、これどうにかうやむやにできねえかな。

 

 俺が白雪への借りをどうにかしてチャラにする方法を画策しているとふと、りん、という鈴の音が聞こえた。


「それじゃあ、また学校で。坂道君」

 白雪は無表情でそう告げると、振り返って俺とは逆の方向へと歩き出した。


「あ! おい白雪!」


 ぐにゃりと視界が歪む感覚。

 

 ――――しかし、手を伸ばした先にあったのはいつもと変わらない様相で活気に溢れた、普段通りの通りだった。


「どうでもいいけど、お前、」

 名前、間違えてるから......。


 聞こえるのは、何の変哲もない人々の喧騒の声だけ。

 

 時刻は午後7時30分。


 俺は再び、愛しの我が家にむかってゆっくりと歩き出した。





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