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序章――宴の始まり――

 時刻はちょうど午前零時を回った頃。人々が未だに盛んに行き交い、活気を帯びている繁華街の中央通りから少し離れた裏通り。

 辺りは深夜ではあるものの、通りの両側に立ち並んだ店から発せられるまばゆい電光が溢れており一片として暗さを感じさせない。


「ったく...やってらんねぇよこんなの!」

 行き交う人々を無視して、ふらふらとおぼつかない足取りで歩く男がいきなり大声をあげた。


「先輩、大丈夫っすか? 俺家まで送りましょうか?」

 そんなふらついた男に駆け寄るように、まだ三十にもなっていないだろう青年が声をかける。

 しかし、男はけっ、と舌打ちをすると差し出された青年の手をぶっきら棒に払いのけた。


「おメェはいいよなあ! 仕事もできて上司にも期待されて綺麗な奥さんまで居てよお!」

 男はそう大きな声で喚くと、足を滑らせたのか体を大きくふらつかせた。


「あっ!危ないっすよ先輩!」

 と、男がぎりぎり電柱にぶつかる手前で、再び駆け寄った青年の手が男の体をつかんだ。

 そこでしばらくの沈黙があり、


「......もう俺のことはいいから先に帰ってくれ」

 そう言って男は急に醒めたように青年の手を振り払うと、先ほどよりは幾分かまともな足取りで再び通りを歩き始めた。


「先輩、最近はこの辺物騒らしいんで気を付けて帰ってくださいよ!」

 ふらついて先を歩く男から返事は返ってこなかったが、青年はしばらくその男の背中を見送ると踵を返して仲間のもとに駆け戻っていった。


「終電......もうねえよなあ」

 しばらく一人で歩いていると段々と頭が覚醒してきているようだった。男は自嘲気味に笑うと、ふとそこで急に足取りを止めた。

「へっ、またタクシーかよ」

 終電がないならば駅前のタクシー乗り場よりは、一個隣の大通りに出てタクシーを拾った方が早いと思ったからだ。


 男がはぁー、と長い溜息をついて引き返そうと来た道を振り返ったその時だった。


 すっと体の芯を直に冷やすような、初夏に似合わぬ一筋の冷たい風が通りを吹き抜けた。


「うぅ、なんだよいきなりさみぃな」

 男は思わぬ不意打ちにぶるっと身震いをさせると、再び歩き出そうと元来た道と対峙してそこで言葉を失った。


 そこは、まるでその男だけの世界だった。

 正確に言えば、その世界に居るのはその男ただ一人だけだった。


「なんだよ......これ」

 中央通りではないとはいえ、そこそこの人が行き交っていたはずの通りには、嘘のように誰一人として姿を見ることはできない。

 つい今までBGMのように流れていた喧騒の声もなく、ただただ異常なほどに重苦しい沈黙だけが横たわっている。


 男は言葉が出ないばかりか、歩くことさえも出来ないでいた。まるで自分一人だけがいきなり異質な空間に飛ばされているかのような感覚。驚き、というより先に得体のしれない恐怖が体を支配していたからだ。


「まえ......じま、前島!」

 かろうじて声を振り絞ってそう叫ぶ。男を気遣っていた青年の名前だ。

 しかし返事が返ってくる気配はなく、懸命な叫びはそのまま空しく通りに消えていった。


「あ、ちぃ~みーつけたぁ!」


 ――――沈黙を破ったのはそんな唐突な一言だった。


「え......?」

 不意に背後から放たれた声にとっさに振り返ると、それは当然のようにそこにあった。


「ひぃっ!」

 それを目にした瞬間、男は初めて生理的嫌悪感というものを理解した。一目みただけで全身の鳥肌が総立ちになり、体の中をかき回されるかのような悪感とともに激しい吐き気が襲ってくる。


「これで31人目かぁ~、まだまだ先は遠いな~」

 この低くてモザイクがかった声を発しているのは、男の知る声を発するものとは全く異質だった。

 いや、今でもこの物体から声が発せられているとは到底信じられなかった。


 それは、真っ赤な色をしており、球体、とも言えないような形で波をうつようにゆらゆらと揺れながら空中に浮かんでいた。

 その見覚えのある、明るくも何処かドス黒さを孕んだ色彩の流体を見て、男はこの嫌悪感の正体にはたと思い当たった。

 

 ――――それはまるで人間の血が、意思を持つように蠢いているように見えたからだ。


「ほんとはこんなおじさんの血なんて吸いたくないんだけど、主の命令ならしょうがないよなあ」

 男にはそれの発する言葉が意味するところをまるで理解できなかった。と、いうよりは本能がそれの存在を拒否しているようですらあった。

 全身が震え、足が鉛のように重たく感じられる。しかし、逃げろ、逃げろ、という本能がかろうじて男の足を一歩動かした。


「あぐぁっ!」

 一歩踏み出した足に上手く力が入らず、男はしりもちをつく形でその場に転倒してしまった。


「あはははは、安心してよ。意外と気持ちいいんだよ、これ」

 流体はわけのわからない言葉を発すると、それの中心からぐにょりと三角錐状のドリルのようなものが出現し、男へ向かってゆっくりと伸びてくる。


「ひっ、ひぃぃ!」

 逃げろ、という本能の指令とは裏腹に、何度立ち上がろうとしても腰に上手く力が入らずただずるずると足を引きずって後退するだけになってしまう。


 そんな間にも三角錐状のそれはどんどんと男との距離を詰めていき、ついに男の目前までたどり着いた。

 

「じゃあ、いっただっきま~っす」

 そんな声とは不釣り合いな言葉を発すると、男の目の前にあったそれは勢いよく加速をしてどすっ、という鈍い音とともにあっけなく男の胸部に突き刺さった。


「あ....あああああああああ!」

 生暖かい感触が胸に突き刺さった直後、全身から力が一気に抜けていくような感覚。自分が自分でなくなってしまうような錯覚。

 しかしそれは決して痛みを伴うものではなく、むしろ快感とさえ感じられるように思える。


 それから数秒も経つと男の顔はもはや人間とは思えないほどにまで真っ青になっていた。目は天を仰いだまま見開かれ、身体も指先まで真っ青になり、そして一気にやせ細っていく。

 

 ぶちっ、という音とともに三角錐状のそれが男の胸から引き抜かれた時、既に男の意識はなかった。

 目を見開いたまま口を大きく開き、極限までやせ細って頬をしぼませたまま、男は仰向けにそのまま倒れた。と、同時に一筋の風が吹いたかと思うと一瞬にして男の体が灰に変わっていき、そのまま風に運ばれて暗闇の支配する通りへと消えていった。


 後にそこに残ったのは、男の着ていた衣服だけだった。


「ふぅ、おなかいっぱいになったことだしそろそろお夜寝でもしようかなあ」

 真っ赤な流体はすこし容量を増やし、そのモザイクがかった声を通りに響かせる。


 と、その時


「何を言っているんだ? 使い魔おまえたちの寝る時間はもうとっくに終わっているだろう?」

 低く、ドスの効いた、それでいて若さを感じさせる声。

「ひ、主様!」

 先ほどまではそこに存在しなかったはずの男が、急にその空間に現れていた。その今では誰も存在しなくなった空間を、まるで自分のものだと主張するようなまでに堂々とした風格である。


 ボロボロの漆黒のコートに身を包んだその外見は、しかしとても端正な顔立ちをした青年であり、人間でいえば20代前半程にも見える。髪は長く肩まで伸ばされているが、しっかりと整えられており、全体的に爽やかささえ感じさせる好青年に見えた。そのギラギラとした、闇夜に輝く二つの赤い眼を除いては。


「しかしこれではらちがあかんな。ふむ、新作を試してみるか」

 漆黒の男はそう言うと、ニヤリとシニカルな笑いを浮かべる。


「新作、ですかあ! さすが主様! まさに天才ですなあ!」

「ッチ、その下等種族丸出しなゴミみたいなしゃべり方をどうにかしろ!」

「は、はあ~。すいみませんアゼル様あ!」

「......まあいい」

 アゼルと呼ばれた男は、赤い流体を一瞥すると浅く溜息をついた。


「これから愉快な愉快な晩餐会を始めよう! 鮮血まみれの晩餐会だ!」

 

 そう高らかに宣言すると、アゼルは指をパチンと鳴らした。

 

 ――――その瞬間、今までの静けさが嘘のように通りには再び活気が満ちていた。


 裏通りはいつもの様にふらつく仕事帰りの男たちで溢れ、愉快そうに笑う声があちこちから聞こえてくる。

 

「ん? なんだコレ?」


 そんな中、男が不思議そうに落ちていたそれを手に取る。


「先輩、二次会の会場あっちですって! 遅れますよ!」

「おお、そうか。わりい今行く!」


 そう言うとその男はもう興味をなくしたのか、拾ったそれを再び地面に投げ捨てた。


 時刻は午前1時過ぎ。


 通りにはポツリと、持ち主をなくしたワイシャツとズボンだけが残されていた。




――――――――――――宴の始まり 完

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