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キミを愛するワタシの話  作者: 朱い御面
決断と結果と
6/6

2

ケーキを食べて、少しばかり私はお酒を飲んで。


水穂は私の話に相槌を打って、たまに笑って。

研究の話

水穂と行ったデートの場所の話

取り留めのない話でも、彼女が反応してくれるのが嬉しくて口は動いていく。


「ねえみーくん」

お皿を一通り片づけて席に着くと、彼女は浅く息を吸った。

彼女は、何を言うのだろう。

自然と背筋は伸びて、水穂をはっきりと見据えて、お酒のアルコールはどこかに飛んで行った。

「明日のデート、私が決めていい?」

「えっと。勿論」

「よかった。明日が楽しみだわ」

「どこに行くの?」

「明日のお楽しみ」

悪戯っぽく笑う水穂はとても楽しげで頬が緩む。ふと時計を見ると日付が変わるかという時間だった。

「分かった、楽しみにしとく。今日はどうする?泊まっていく?」

「……これから論文?」

論文であれば彼女は帰ってしまうだろう。ゆるゆると首を横に振った。だいぶ動きが億劫になっている辺り、アルコールは抜けていないらしい。

お酒に弱いのに飲みたがるのは、成人したてだからだろうか。

「お酒飲んだし、そんなつもりはないかな」

「そっか。じゃあ泊まってく……お風呂借りてもいい?」

「どうぞ。風呂場にバスタオルあるし、必要だったら好きに使って」

「分かった。お借りします」

席を立った彼女の背中を見送ってから、座っているのもつらくなった私はベッドに腰掛け、上半身を倒して寝転んだ。

彼女の息を吸う動作に身構えた自分を自覚して、どうしようもない感情に口元は自虐的な湾曲を描いた。

水穂、彼氏、子供、将来、自分。

いつか来るはずの未来にお互いの隣に、お互いはいるのだろうか。

そんな未来でないとすれば、私はいったい何をして、何の為に、何を目指しているのだろうか。

取り留めのない思考に飲まれてしまいそうになって、私は腕で光を遮って、目を閉じる。

真っ暗で、アルコールを飲んでいるのだから直に意識は遠のくだろう。

投げやりになったところで水穂の布団を用意していないことに気付いて、逃避的な思考も打ち切ってしまおうと考えた。

上半身を起こして膝に力を入れてゆっくりと立ち上がる。何とか敷いた布団は水穂が干したのだろう、ふかふかのいい気持ちだった。

枕を抱いて、水穂の匂いは当然ながらそこにはなくてバカみたいな酔っぱらいの思考に我ながら呆れてしまって、

本当に、考えても仕方のないことだ。


「もう、そんなところで寝てどうするのよ。みーくんのベッドはあっち」

ぼんやりしている自覚はあるが、水穂の声はだいぶ遠い。

「もう、みーくんってば。本当に寝ちゃってるの?」

水穂の声が近づいて、うっすらと開いた目にはお風呂上がりの赤らんだ肌が見える。

「うー……」

「起きれる?ねえ、美佳」

しゃがみこんだ彼女の膝と、伸ばされた手が見える。


ああ、本当に彼女はいつでもそうだ。


「きゃっ!」

手を引きこんで、倒れ込んだ彼女を身体で受け止めて、かき抱く。

「もう!みーくん起きてるでしょ!」

「半分……だけ」

無防備で、お人好しで、世話焼きで。

抱きしめると抵抗は段々と無くなって縮こまるように私の腕の中で丸くなっていく。

「み、ずほ」

「……なに?」

「お願いがあるんだ」

掠れた声で遠くなる意識はきっと意識的に、そうするように行われていた。

「……明日、言うね。おやすみ」

おやすみ、水穂。


戸惑った彼女の声は、聞こえないふりをして、目を閉じた。





朝には水穂に起こされて、急かされるままに家を出て、

ひんやりとした空気が段々と特徴のある少し粘ついた空気に変わっていく頃には、目の前は寒々しい青だった。

蒼、青、藍。一番最初が近いかなあなんて考えてた時、少し前を歩いていた彼女は横に立って私の袖を軽く掴んだ。

「冬の海って人が少ないのね」

周りを見渡して、彼女は言う。犬の散歩や地元の人らしい人は見えども、それ以外は見つけられる様子もない。

「シーズン外だからじゃないかな」

あとは、近年開発された海辺やプールに集客が行っているのか。

確かにここにはデートに最適な景色のいい場所も、花火も、それらしい催しも無かったはずだ。

……叶野先輩の受け売りだけど。

「綺麗ね」

「水穂の方が綺麗」

「自然と比べるなんて、ナンセンスだと思うわ」

「そうだね。今まで出会った人間の中で水穂が一番綺麗だ」

言い直せば、彼女の手は袖から離れて私の右頬を叩いた。クリーンヒットには遠い痛みだった。

「可愛いなあ」

「みーくんって時々っていうか、変わった考え方してるよね」

「今回は褒め言葉にしか聞こえないな」

手を握ると彼女は少し震えて、それからほんの少しの力で握り返した。

「もう、変なんだから」

「水穂は可愛いよ」

「そうじゃなくって!」

「綺麗で可愛くて、照れ屋なところも、魅力的だ」

「なっ!だからそういうのが、」

「変?おかしい?」

「そうよ」

「そっか」

指を絡める繋ぎ方に変えると彼女はそれこそ顔が真っ赤になってしまって、口元が緩んでしまう。

それこそ彼女が拗ねてしまう理由になってしまうのだけれど。


口を噤んだ彼女を見て、私も口を開くのを止める。

無言で浜辺を歩くのは何だか陳腐なシチュエーションに思えるはずなのに、不思議と苦ではない。

テトラポッドが見えるくらいに歩いた頃には、だいぶ人気も無くなっていた。

開店しているかも怪しかった海の家も、周りの人もだいぶ遠くなっている。

「ねえ、みーくん」

戻ろうかと声を掛けようとした時、彼女は息を吸って私に声を掛ける。

「なに?水穂」

さざ波に流されないように私は耳を澄ませた。

「あのね……その……」

身構えそうになって、しかし彼女はやたらに歯切れの悪い言葉を発している。

聞き取ろうと顔を近づけるとちょうど良く彼女は勢いよく顔を上げ、面と向かって顔を突き合わせていた。

「え、あの、みーくん、その、ね」

「うん。その、ゆっくりでいいよ。何でも言って」

やんわりと手を握って笑ってみせる。あまり急かすのも可哀想に感じるくらい思いつめた表情だった。

「目を閉じて!……波の音、聞いてみて?」

「え?うん、分かった」

水穂の気迫に押されて私は眼を閉じて、さざ波の音を聞く。

ひんやりとした風が、海の冷たさを連想させる。

波が引いて、満ちて、そしてまた、引いていく。

そしてまた――

「大好き、です」

彼女の声が聞こえた。

大好きな少し高めのソプラノ、少し震えたその声を。

「私、みーくんの事が好き。背が高くて、研究以外の事にはずぼらで、でも会うと私にとっても優しくしてくれるみーくんが好き」

「みず――」

「――聞いて。お願い」

不思議だ。何でこんなに

「かっこいい顔で、好きだよって言ってくれる低い声も、寝言でよく分からない研究の事を言っているのも、最近迎えに来てくれるところも、

私の好きな紅茶覚えててくれてることも、大好き」

息を吸って、吐いて、目を開けることができない。

「でもね、私は、みーくんのことがやっぱり嫌いです」

上手く、呼吸ができない。

彼女の声に、言葉に、私はどうしてこんなに掻き乱されるのだろう。

「好きな人がいます。だから別れてください」

「みず、ほ」

波のひく音が聞こえた。

私の声に水穂は小さく囁いた。


きっと、耳を澄ませていなかったら聞き取れなかった。

ごめんなさい


冷たい手が離れて、足音が遠ざかって。

私はようやく目を開けて。


「振られた、かあ」


見たくなかった現実を、見ることにした。

涙は一滴も出なかった。

隣に彼女はもういない。明日から一人で、大学に行って。そうだ、まずは溝口先輩たちに話を聞いてもらおう。

「はあ」

嘘だ。

本当は布団を被って引き籠りたい。

でも家には彼女の残り香がある、私物がある。




「で、大学まで俺を呼びだしたわけだな、後輩?」

「……すみません」

「僕もデートだったんだけどなー……ってあらら。美佳ちゃん、へこんでるねー」

「すみません」

そろそろ寿命じゃないのかと悲鳴を上げる背もたれの音を聞きながら、私は先輩二人を見た。

「なんか、やってないと落ち着かなさそうで」

溝口先輩は2人分のコーヒーを入れてくれて、文句を言いながら叶野先輩は買ってきた苺オレを飲んでいた。

「仕事はあるからな、助かる。適当に見ててやる」

「そだね、最近溜まってたし助かるのは事実だね。みぞぐー雑用苦手だから」

ジワリとくる胸の痛みに耐えて、俯きそうな顔を上げる。

「ありがとうございます。さっさと切り替えます」

「別に気にしねーよ」

「そうそう。俺たち後輩に恵まれて助かってるってだけだよ」

それから研究に没頭して、なるべくソファで寝ていた。

先輩たちが鍵の手配をしてくれて、ここ数日、家にも帰らずにすんでいた。

「……ありですね、研究室に住むの」

「さも大発見みたいに言うなよ。教授の厚意だから。それ」

シャワー室を借りられるのも、研究室で寝泊まりができるのも、その通りだった。

「……いい加減、家帰れ。送ってやる」

流石に誤魔化せないよなーと笑って、溝口先輩の言葉に頷いた。


「お前、彼女の何が良かったんだよ」

「全てですけど?」

溝口先輩がずっと黙って歩いていたら、そんな言葉を言うものだから、思わず本音で即答してしまう。

「全て、ねえ。お前が見てる全てなんて彼女の全てには到底足り得ねえだろ」

「人間学の意味での問ですか?だったらそれこそすべて、ですよ。人が見えた人足り得る要素自体が、その人にとっての相手の全てに足り得るのですよ」

「そうじゃねえよ、見落としたんだろ」

「何を、ですか?」

終わった、別れたことはもう決まったことだ。ただ、問答に興味があった。

少し前を歩いていた先輩が振り返って、私を一瞥した。

「彼女が、彼女足り得るすべてを、だ」

「……やけに知った口を聞きますね。ついでにちょっと理解不能です」

「お前じゃ、彼女には届かなかった。彼女の全て足り得る、必要最低限の芯を捉えきれなかった……違うか。見えちゃいねえんだろ」

「まあ、肝心なとこですれ違ってたんでしょうね、もしくは気付くのが遅かったか」

彼女は違う人を見ていた。

同じ大学ではないだろうか。だから迎えに行った時も、地下鉄であった時も、焦ったり、どこか違うところを見ていたり、おかしかったのだろう。

たった一度結んだ肉体関係に、罪悪感でも抱いたのだろうか。

今となっては聞く理由すらないだろうが、そんなことを思った。

「全て足り得ない、その通りかもしれませんね。かも知れないとしか言えないくらいに、私は理解できていないですから」

溜め息を吐いて、先輩の背中を追い抜いた。

「でも、余計なお世話です。送ってくださってありがとうございました」

「ああ、悪かった。また大学で」

「ええ、また」

手を上げて踵を返した先輩に手を振り返す。


年明けの空は寒いけれど澄んでいて、振っていた手はすぐに赤くなった。


もう冬ですね。

寒いなあ。

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