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キミを愛するワタシの話  作者: 朱い御面
揺れる、揺れる
4/6

3

「ただいまー」

部屋は暗くて人の気配が無い。おかしいと思いながら自分で鍵を開けて入ってみるけれど見立て通りのようだった。

「水穂ー?」

声を掛けてみるけれど反応は無くてそっと部屋の電気をつけると誰もいない。

冷蔵庫に張ってる見覚えのない紙にはメモ書きが張ってあった。

――美佳へ。ちょっと外に出てきます。水穂

「メールでもよかったのに」

どうかしたのだろうか。それにしたって水穂からこういったドタキャンは珍しい。

そしてドタキャンばかりの自分の過去を振り返って辟易としかけてしまった。一人で凹んでいたってしょうがない。冷蔵庫を開けると

「ご飯はできてる……うーん?」

講義の時間から逆算してご飯を作り終えてすぐということならそう時間は経っていないことになる。何かあったのか心配だし電話をかけてみようとコートから携帯を取り出して、画面の明るさに目が痛くなる。カーテンを開けようと振り向いて


テーブルに置いてあるここ数日で見慣れた彼女の携帯を、見つけた。




「おー、寒い」

手袋を買っておくべきだったと大学以外に行かないのならば不要な物の必要性を考えながら特に考えもなく人影を探して速足で歩く。

ここ数日で割と歩きなれた道を歩いていることに気付いて、思えば大学以外は全くと言っていいほど彼女とのことだけだと苦笑して。

少し人通りの多くなった人ごみを抜けて地下鉄への階段を下りて、改札を通った先のホームに、いた。

どうやら推測通り、そう時間は経っていなかったようだ。

どこかに行くのだろうか。外に出てくるだけと認識していたのだけれど。


「水穂」

「……みーくん」

ベンチに座っていた彼女はゆっくりと顔を上げて私を見た。

「びっくりした?」

「ええ、とてもびっくりしたわ」

ビー玉みたいに透き通った瞳が私をじっと見つめていた。頬に触れてみると冷たくて

「メモ見たんだけど……」

背後で列車は発進して行って水穂はそれに見向きもしなかった。反対方面だってもう行ってしまう。

「みーくん」

水穂の瞳は綺麗で、吸い込まれそうで。魅了されかけていた私を水穂の声が後押しする。

「何かな?」

「私ね、大っ嫌い」

揺れる瞳が、それでも私をはっきりと映したまま言い切った。

びっくりした。それはもう心臓が飛び出すんじゃないかってくらいに今だって飛び出していきそうなくらいに。

「何が、嫌い、なの、かな?」

怖くて震えそうな声を何とか抑えて、否、抑えられたのか自信が無い。彼女は私の問いに答えなかった。

「私ね、優しい彼氏といちゃいちゃして、結婚して、子供つくって幸せになるのが夢なの。悪い?」

「えっと……嫌だな」

変な汗が背中を伝うのを感じている。水穂。聞きたいことはいっぱいあるのに口が、全く動いてくれない。

「嫌よ、私だって」

瞳はまだ揺らいでいる。袖を引くような重さが加わって、彼女は私の腰に抱き着いた。厚手のコートが彼女の髪を少しだけ乱れさせて、表情も、隠して。

「頭、撫でて」

「へ?」

「いいから!頭、撫でて」

言われたとおりに撫でてみる。彼女の髪を梳くように柔らかく、はっきり言って恐る恐る伸ばすような状態だ。

「……もうちょっとだけ」

列車は反対側も行ってしまって、それきり何も言わない彼女は数分かそれ以上して私から離れた。

「ありがと。みーくんの家泊まっていい?」

「ああ、うん」

一人で納得して笑って、思うところもあるけれど。


でも彼女が笑ってるなら、まあ、いいんだろうか。


「水穂、さっきの大嫌いって」

「気にしないで」

事も無げに彼女は言って、私は訳が分からなくて。

「いいから。みーくんの家、帰ろう?」

押し切られるように頷くしかなかった。水穂が望むことなら邪魔をしてはいけないように感じて。





「んで、お前は何も聞けずに心理的に敵前逃亡、次いで敗戦か」

「溝口さん。痛いです。言葉が胸に突き刺さってきて、痛いです」

研究室でキーボードを休まずに叩きながら私は泣き言を先輩に吐いていた。どうやったら聞けるのか逆に聞きたいくらいだ。

踏み込みたいのに踏み込めない。距離感がまるで付き合う前より遠く感じて

「大嫌いですよ?その後に優しい彼氏って。彼氏って!!」

「……キーボードだって限界はあるんだ後輩少し休め」

エンターボタンは擦り切れていて私は言われたとおりにパソコンから離れるとコーヒーを作って少し広いテーブルへと移動する。先に陣取っていた溝口先輩ではない明るい茶髪の先輩はこちらを興味深げに見ていた。

「へー美佳ちゃんの彼女かー。可愛いの?」

「手え出したらガチで公道を歩けるなんて思わないでくださいね、叶野かのう先輩」

このいかにも女遊びしてそうな先輩にはどうあっても釘をさしておきたかった。相談は溝口先輩だけでもよかったのだけれど研究室が二人っきりであることなんて珍しい。故に仕方ない。研究室以外の時間なんてそれこそ私たちは勉強と睡眠と食事なのだから。

自分の境遇が水穂が絡んだ途端しがらみに感じるのだから、もうなんだって私はのめり込んでしまっているのか。

離れる気は毛頭に無いのだけれど。

「おお怖!綺麗な顔で凄むと怖いって。美佳ちゃんは笑顔が一番だよ」

溝口先輩と同い年とは思えない童顔を自覚しているのか、無駄に可愛らしい笑顔は初対面なら大体騙される。この油断の間に水穂がとられるならそんな油断はしない。

「そんなのはどうでもいいんです。顔なんてどうでもいいんです。彼女が!!!」

吠えると後ろから肩を叩かれて、どうやら一通り終わったらしい溝口先輩がひどく平坦な声で

「落ち着け」

「……はい」

落ち着いた、というか落ち着くしかない声色だった。

英也ひでやも後輩をたきつけるんじゃない」

「はーい」

叶野先輩は溝口先輩と仲がいいらしいのだけれど、見た目的には兄弟に見える。同級生にはちょっと、いや、見えない。

「大嫌いって……優しい彼氏って……どういうこと」

「あーあー、凹んじゃってまあまあ。連絡してみたら?そんなに気になるなら聞けばいいじゃん」

何でもないことのように言って購買で買ってきたのだろう苺オレのパックを吸う。溝口先輩は叶野先輩の隣に腰かけてブラックコーヒーを啜っていた。

様になるイケメンである。

「それができないから言っているんだろう?」

ふう、と息を吐いてから溝口先輩は

「そうなんですよ。別れ話だったらって思うともう……まだあの別れ話から一週間と三日と十四時間しかたっていないんです本当に勘弁してください」

「美佳ちゃんが弱気だ……俺の知ってる美佳ちゃんと違う」

「こいつは、彼女が絡むと大体こうだと思うが」

言いたい放題な先輩たちの前で天井を仰ぐ。

「会ってはいるんだろう?」

「ええ。大学の行き帰りと晩御飯は一緒ですけど……駄目なんです、私。怖くて聞けない」




「聞く必要なんてないんじゃないかなー」

苺オレを啜り終わった叶野先輩は、ゆったりとした動作で紙パックを折りたたんで、ちらりと私を見た。その表情はいつも通りの笑顔なんだけれど、言い方が意地悪に聞こえてしまうくらいに私は、余裕が無い。

「簡単簡単。彼氏なんて考えを持たせなきゃいいんだよ」

「……それって、どういうことですか」

いまいち先輩の言っていることが分からなくて私は言葉を重ねる。次いで、沈んでいた身体が浮き上がった感覚もある。

「美佳ちゃんは今現在、復縁して恋人関係なわけだよね」

「ええ、まあ」

ホテルの一件が頭にちらついて、表情筋を固定させることに専念する。あれはいつ思い出しても、もう胸がいっぱいっていうかいやまあ、これはどうでもいいんだ、今は。

「……惚れ直させりゃあいいってことだろ」

溝口先輩がぐいっとカップを傾けてブラックコーヒーを飲み干す。よくあんなに苦いものが飲めると感心して、そしてその言葉を脳内で、何度か何度か自分なりに噛み砕いて

「……誰が、誰を、です?」

二人の顔を順々に見ると溝口先輩はカップを流しに運びに行く。一方で叶野先輩はにこにこと、こちらの反応を楽しむように眺めてから、口を開いた。

「美佳ちゃんがその彼女さんを、に決まってるでしょ」

「……はあ」

何ともしまらない返事をしてしまうが、それすらも想定範囲のような笑い声が返ってくる。

「彼氏なんて思いつかないくらいに、首ったけにすれば、ね?」

「……言いたいことは分かりました」

指針は決まったのだし、後は方法を探すだけだ。

「お、後は大丈夫そう?」

「はい、これは自分で考えたいので。……雰囲気があれば聞けるかも知れないですし」

先輩二人に頭を下げて、私は研究に一区切りをつけるため席を立った。



「……デートしない?」

帰り道、白い息を吐きだして手を温める彼女に問いかけてみる。

今日は手袋もない、少し軽装だとは思うのだけど、彼女はすぐに帰るから良いの、なんて少し怒っていた。

過保護になってしまっただろうか。

赤いダッフルコートは彼女によく似合っていて、そこからスカートまではいい。薄手のストッキングは寒そうだと思うわけで。

……過保護、かなあ。


相手は私を見て、もう一度手を冷やして、それからしばらくして私を見た。

「ごめんなさい、もう一回言ってもらえる?」

「私とデートしてくれませんか?」

「油売ってるほど研究は暇じゃないでしょう」

ぐさりと痛いところを突いてくる。以前ならばぐうの音も出ないところだけど、時間は作るものだと、最近はそう思っているわけで。

「年明けの論文は?」

「……マダデス」

きっちりと私のスケジュールを押さえててくれてるってことは、無関心ではないんだろうけど。

彼氏、ねえ。

やはり普段の雰囲気じゃあ口を出せそうもない。

「そうだなあ……。それを書き上げたら付き合ってくれる?」

――研究さぼったりしないようにね。水穂が気に病むから

友人の言葉を思い返して、妥協点を探ってみることにする。

デートはいつでもしたいわけだから約束は取り付けておいて損は無いだろう。

彼氏の件は、また近場の時間で様子を見るしかないだろうか。

「その後は修士の論文があるでしょう?」

「言ってたら時間は取れないから、さ。一区切りついたら付き合ってくれると嬉しい」

こんな言い方は今更白々しいのだろうけど、私の意識を変えないことにはまた二人の時間がすれ違って元の木阿弥だろう。

食い下がるように言葉を発して水穂の顔をじっと見つめる。

アスファルトを歩く足はいつしか止まっていて、脇道を通学の原付が走っていく。

「初詣、行きたい」

「うん」

水穂の手を握る。少し冷たくて指を揉み解すようにしながらゆっくりと指を絡めていく。

地下鉄までの道はとても短く感じて、少しだけ手を握る力を強めてみる。指が擦れて、少しだけ熱が生まれる。

「みーくん」

「ん?」

「顏、赤い」

水穂はこちらを見て、ぼそりと呟いた。寒さで赤くなってしまったのか。それとも、幸せだからだろうか。

「寒くなってきた、からね」

「手、少し、痛い」

「ごめん」

慌てて緩めると、水穂が握り返してくる。

「これくらいが、いい」

悩むまでもない、幸せだからだと思った。

「分かった。覚えとく」

「変なみーくん」

「ぼそっとひどいこと言わないでくれるかなあ」

「ふふっ」

声を漏らす水穂の顔を眺めて、地下鉄までの階段を歩く。


地下鉄に乗る水穂を見送る間際に、彼女は言った。

「論文、頑張ってね」

「あ、ああ。もちろん」

電車が揺られて、姿が見えなくなってから私は火照っているだろう頬を押さえてしまう。

何あれ、可愛いんですけど。

「さっさと論文終わらせないと、なあ」


口に出して、私はすぐに大学に引き返して、その日の論文作成はだいぶ進んだ。

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