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キミを愛するワタシの話  作者: 朱い御面
揺れる、揺れる
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1

用意していたコートを着てみたけれどまだ少し寒い。大学への道を歩く人はまばらでそれはまだ次の講義が始まるまで中途半端な時間であるせいだろうと思う。

「水穂」

私は白い息を吐いて答えた。言葉ではない、溜息で。

その私の態度に少しの落胆を表情に浮かべたのは一瞬ですぐに彼女は口元を正した。

「今日寒いから」

「……ありがと」

私が寒がりであることを彼女は知っている。そしてミルクティーが好きなことも彼女は知っている。しかしわざわざ大学までの駅を下車して渡してくるほど、そんな気遣いどころか尽くしをするほど私のことを彼女は気にもかけていなかった。それをここ数日、ものの見事に覆されている。


まあ数日。

彼女の気まぐれであることは私の推測だが、これに間違いなんてない。

私を気遣えるほどの余裕なんて彼女はないはずで、それはつまりいつか訪れる限界を示しているのと同じだから。


私が大学の、休日の取り留めのない話をして、彼女はそれに頷いて。僅かな間にそれでも通学路であるこの場所では同じ大学であろう人たちの数が、通り過ぎていく人数は増えていく。

「もう時間よ。遅刻するから行くわ」

「……ああ分かった。じゃあまた」

基本的に彼女は携帯というツールを使って私に連絡を取ることをしない。それはあの出来事以降からにも当てはまることだった。

直接会うことを良しとする彼女は数年前に形骸化し、形骸すらなくなったものをもう一度形成化していた。

10時35分。視線を上げると大きな時計台が教えてくれた。

彼女の背中が消えたのを見て私は溜めこんでいた息を吐きだすためにもっと深く、深く、意識して吐き出す。原因は彼女に違いなかった。

「おはよー水穂」

慌てて表情を整えて振り返る。大学の友人に彼女とのことをからかわれながら私は大学へと向かう。

「彼氏さんは授業?」

相手の認識はいつだって"彼氏"なわけだけど。訂正するにはデメリットが多すぎて特に突っ込む気はない。

「ええ」

「それに合わせて起きてるなんてつらくない?」

「貴女と違って早起きなだけよ……今日は早いのね」

疑問を投げかけた友人に少しの皮肉を交えて返して、それから意外な事実を認識する。この朝の弱い友人にしては珍しいことだった。少なくとも数年に一回のレベルだろう。事実、二年間割と一緒に過ごしているが初めてだ。他の友人から話に聞いた記憶も、無い。

「珍しく目が冴えてね。そしたらリア充が目に入ったってわけ。彼氏さんイケメンやな」

歯を出して笑うその表情は無邪気だ。悪意のかけらもない。冷やかしているのとも少し違うのだろう。彼女は思うがままに言い、考えが無かったりする。

「よく言われる」

故にあまり考えずこちらも返答することにした。

「自慢かー?」

「事実ってだけよ。顔がいいからいいわけでもないでしょ」

性格が伴わなければ、パートナーに対する思いやりが無ければそれは大したアドバンテージにはなりえない。それは身を持って自身が体験している。つい先日別れ話をしたなんてこの相手は知ってすらいないが口をついてしまう不満。特に気にした様子もない友人にほっとしながら私はやはり吐き出しそうになる溜息を飲み込んだ。

「……ねえ水穂」

「なあに」

「無理しちゃだめだよ」

全く隠れてはいなかったらしい私の内心を、気付いてほしくない私の本心を意もなく暴いた友人は心配そうに一言だけ、そう言ってくれた。



お昼を食べて眠気が蔓延る講義中、すやすやと寝息を立てるちょっと気の許せる友人を横目に私はノートをひと段落取り終えて携帯を見た。そろそろだ、と思った頃にLEDは光ってメールの着信を教えてくれる。

割り振られた色で誰から送られてくるかを察せられるのは便利だ。それは予想通りの人物であることも証明してくれる。

そのメールに今日の迎えはいらない旨を返してそれから授業へと意識を集中させる。

――集中しなきゃいけないのはみーくんでしょう。

誰に言うわけでもない本音は、集中してなどいないことを容易に知らしめてくれていた。いつも考えさせられる人物のことを憎らしく思いながら私はやはりそれだけで、行動なんて起こす気はなかった。

――どうして無理するの。

そう素直に言ってしまえれば楽になれるのにそれを実行するということはどうやっても出来ないことを自覚している。

もう少し苦しんでいればいい。私もそうやって苦しかったのだから。辛かったのだから。

身勝手な、八つ当たり。


何も楽しくない。

抱かれた熱が不意に蘇っては感情面を大いに揺さぶってきてもうノートどころではないことも自覚した。本当にどうしようもない。

自分の状態。自分のことだ。

やっとのことで切り離す決意をした。

それをいとも容易く彼女は奪って、あまつさえ、あまつさえ、愛させる。

私に、彼女を、愛させる。

どうしようもなく私は、みーくんのことを、平川美佳のことを愛している。たった一回抱かれただけでこうも別れると決意した怒りに、憎しみにすらなりそうな感情をそのままに私は彼女をもう一度愛している。愛し始めている。



苦しめと呪詛を心の中で喚いて、実際の私の行動と言えば起きる必要のない時間に起床し、彼女の始業時間に間に合うように送り出している。

辛い思いをさせようと言いながら今日だってあるはずのゼミをキャンセルしてでも来るだろう彼女に私は用事があるからなんて嘘をついて迎えを断った。



それだけなら私は、それだけならよかったのに。

我慢のできるだけ。私は耐えきっていなくてまだ堪えられただけの話。美佳のためならまだ苦渋でも何でも受け入れられただけの話。

チャイムは私の耳に入り込んで時間の区切りを教えてくれた。どうにもならない思考を打ち切ってくれたようにも思えた。

「……起きて」

「んあ?」

「講義、終わったわ」

「んー、よく寝た」

「寝過ぎよ。続きは帰ったらにして」

もう一度顔を伏せようとする友人を叱咤して講義室から連れ出す。一度歩き出せば何とかなるらしくそれからどこかふらふらしながらも人垣をすり抜けていく姿を確認した。



特にやることもない。何となく朝買ってもらったミルクティーを自販機に見つけたものだから買ってしまってやるせなさに襲われた。

今日は特に予定もなかった。自主学習をするほど上向いた気持ちではない。どこかの誰かさんじゃない私はそんなに勉強に傾倒していない。

これといった目標もないのが、今日はとても陰鬱な気分にさせてくれる。

彼女は夢を追いかけていて、私はいったい何なのだろう。

我が儘を言って、困らせて、癇癪を起こして、夢を追いかける彼女の足枷そのものではないか。


「あの……」

熱いというより温かくなったアルミ缶から視線を上げて目の前に立っている人物に目を向ける。現実にはあまり見ない丸眼鏡に丸顔の大人しそうな青年だった。何とか話しかけた、といったおどおどとした態度に内心で首を傾げる。

「何でしょう?」

「その、これ」

差し出されたのは見慣れたルーズリーフだけれど字は自分のものではない。内容を見た限り、先程の講義のものではないだろうか。

「えっと、私のではないですけど」

そう返せば相手はもごもごと口を動かして、こちらが首を傾げると思いきったように口を開けた。

「さ、先程ノートを取られていないようだったののでよ、よろしかったら!」

思い切って口を開けたその姿にしてはあまり大きな声では無かったけれど、通行人の内の何人かには聞こえる程度の声量で、ようやく聞き取れた内容に少し、驚く。

「それは有難う。来週にでも返せばいい?」

「コピーなので大丈夫です!」

面識のない相手は今度こそ大きい声で発声すると早々にその場を後にした。

手元に載ったルーズリーフには男の子にしては丸字の几帳面な字体が並んでいる。読みやすいし、自分のとっていたノートの部分も補足が加えており、分かりやすかった。


見知らぬ男性に話しかけられることはあっても、親切にされたのは初めてかもしれない。



少し嬉しくて、ようやく傾いたかと思える夕日を見上げる。

雲行きは怪しくなってきて私はあわててクリアファイルに受け取ったルーズリーフを入れる。駅に向かう途中で雨が降ってきて、傘を持ってきていないことを思い出した私はちょっとアーケードを抜けてずぶ濡れになるより遠回りに地下鉄で帰ることにした。



地下鉄は人が多くて、どうにも好きになれない。

夏の中で人ごみ特有のむわっとした空気も、冬に感じる冷たい風も好んで感じたいものじゃない。

朝早く起きる習慣もそんな理由からだった。

ようやく空いたベンチに腰掛ける。どうにも乗る気になれない。

列車は揺れて、動いて。冷たい風を目いっぱい巻き起こして最初はゆっくりと。そして段々と加速して、消えていく。

冷たい風に身をすくめて目を閉じた。

――国吉さん、だよね。

そう言って話しかけてくれた女の子は見惚れるほど綺麗に笑って私の目を真っ直ぐに見ていた。

今は凛々しくて、格好いい恰好ばかりだけれど、もともと彼女は綺麗だ。

私はなんて返したのか覚えてはいないけれどひどく緊張していて、どうにもこうにもぎこちない会話を、したんだったか。

手に汗をかいて4月にしてはまだ冬で、おかしいくらいに湿った自分の手を覚えている。息を吐けば地下でも白く現れて

「水穂!」

「……何やってるの」

目を開ける。

息を切らした彼女は見つかってよかったなんて笑うもので、それは多分、出会ったころと変わらないくらいに綺麗な。

「迎えいらないって言ったって遅くなるなら不安だったから」

「美佳」

「課題なら終わらせてきたから大丈夫だしこれからの研究も何一つ遅れなんてとらないし教授とだって話してきたしこれからも一緒にいれるっていうか私がいたいから、いよう」

私の言葉にはにかんで、彼女は一息で言い切った。正直あまり聞き取れなかった。けれど、けれど彼女は言い直す気はなさそうだった。

いつだって私のことを考えちゃいない。


地下鉄のホームは、列車が通るたびに揺れる。

歩くのには支障が無い、感じ取れる程度のものだ。むしろその度に巻き起こる風の方が冷たくて、印象深い。そんなことは考えもしないのか彼女は真っ直ぐに私を見る。

「国吉水穂さん」

だって彼女だもの。いつだって真っ直ぐでよそ見なんかしなくて

「何よ、平川美佳さん」

「……そのミルクティーはもう冷えてるんじゃないですか?」

その癖たまに振り向いて笑って言うからこの人は、この人は……!!

「寒くてしょうがない」

「はい」

右手にのせられて両手で包まれて、彼女の手の方が冷たいんじゃないだろうかと思う。何だか言葉が出てこなかったから空いてる手をのせた。

「水穂はいっつもあったかいね」

「いつもなんて会ってない」

「そりゃあそうだ。私のせいだね」

溜め息をついてしまう。それしか選択肢しかないみたいに、私は。

「そうでもなかったのかも」

「え?」

「私に論文以上の魅力なんてないって事、私には理解が足りなかった」

「みずほ」

目の前にしゃがんでいる彼女の表情は俯いていて、手は少しだけ震えている。寒いのかと思って少しだけ重ねた手を握ってみた。手をつなぐとも違う、変なつなぎ方。重ねているとも少し違う気がした。

「違うよ、違う」

「何が違うの?」

「水穂が大事。そんな理解なんていらないしあったらぶん殴りたくなる。えーっと、そうじゃないか。言いたいのは、大好きだよ水穂」

私は彼女が好き?

分からなくなる。こんなに変わらないまま綺麗なままの彼女を私は、好き?

「……ごめんなさい、変なこと言って。迎えに来てくれたのに」

「え?ううん、気にして無い。水穂のことが聞けるなら大歓迎。いつでも聞かせて」



思ってしまう。

私はこの綺麗なままの彼女が、好きなんだろうかって。

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