君ともう一度
前回に公開してました君ともう一度を、もう少しだけ連載してみることにしました。
薄暮のアーケード街。遊ぶ場所といったら大体の学生はここに来る。そんな場所には結構人がいた。
利便がいい。学校にもこの駅を経由する人間は多いらしいし、知識として頭に入れてはいたものの、来て観た感想としては想定通りあまり好きでない空気だ、と思った。
携帯をいじっている高校生、友達と肩を組んでわいわいと歩く高校生、ときには肩を組んだり手を繋いだりしている高校生。
もうすぐ日が暮れるとあれば制服を着た高校生は帰宅の途をたどる。私はそんなアーケード街の入り口が見えるカフェで私は先ほど受け取った抹茶カフェラテを啜っていた。
窓際の席で私は何故高校生限定を一人で観察し、カフェにいる理由はあんまりない。
傷心中で、疲れ切った大人のサラリーマンやOLを見ても癒されないな、と思ったからというだけである。
若いからか、それとも別の理由からなのか輝いて見える高校生たち。他にも幸せそうなのが目に入るけれど極力目に入れないようにする。
カップルとかアベックとか交際している男女とか。
「待ってたのに、か……」
先程振られたばかりの私に、そんな光景はまさに毒である。青酸カリである。
高校時代からの恋人で、彼女で、同じ学校だった頃は周りの目を気にする必要はあったけれど時間だけはあった。
進学校だから、勉強しなきゃ、というのはあったけれどそれだけだ。授業が終われば部活や委員会、生徒会に入っていなければ自由時間。互いの家のどちらかに人がいなければ思う存分いちゃつくことができた。
まあ私はやりたいことができてしまってそちらの勉強にのめり込んでしまったのはいけないことかもしれないけれど。
「それじゃん」
なんとか声になった声は、アーケード街の目の前のカウンターを選んだことが功を奏したのだろう。アーケードの出入り口からはっきり見えるだろう席だからだろう。周りに誰もいない。
でもでも、と心の中で自分に言う。
そこまではよかったのだ、そこまでは。手もつないでいたし、キスだってしていた。
大学は私が教育学を学ぶために、彼女は看護系の、それぞれの大学に入ってそれから時間が取れなくなって、正直そこまでくれば自然消滅かな、なんて考えていたりもした。
それくらいに会えないし、会ってもせいぜい手を繋ぐくらいだったし。お互いの知らない時間の中で、そういう相手ができたっておかしくない。それくらいに私と彼女は距離が開いていた。
なのに
なのに
いざ別れたらこれかよ、自分。
頭をテーブルにつけたいくらいだけれどぐっとこらえて頬杖をついてみる。感情はまだ収まらない。
どろどろと粘着性を持った私の感情の"それ"は入るべき理性という箱に入り切りやしない。
そう、言うまでもない喪失感というやつである。
もうカップルを見ると、というか、仲がよさそうな二人組(老若男女問わず)を見るだけでもう何だか頭の中で彼女の言葉がリフレイン、何度も何度もリフレイン。
そして私はついに彼女の大学の通学路を見ている。大学には入り口が2つあったから逃げられる可能性があったしここが必ず通るポイントと踏んだわけだ。
待ち伏せってストーカーだよね?大丈夫、もう罵られる覚悟はできている。
目の前のアーケード街の入り口。
高校生しか来ない。ていうか彼女来ないし講義の時間知らないし幸せそうな奴らばかり目に入るし、帰りたい。
「待ってたのに」
彼女の声がまた、また聞こえたような気がして、そして足が動かないのもまた、事実で。
別れを告げてくれた彼女は私の大学の近くのカフェで、そう言ってきた。研究室から出てきた私はTシャツに、ジーパンに、研究室にあったサンダルを適当に引っかけていて、ふわりとしたシフォンのワンピースを着た彼女は対照的で、会った瞬間に待たせたことを謝りながら自分の服装を後悔した。
戻ろうとする私を引きとめて、いつも通りなんてことない当たり障りのない話を日が暮れるまでして、ふっと息の吸った彼女を見て私は無意識に背筋を伸ばしていた。彼女はなんてことない話をたくさんしてくれるけれど、真面目な話をするとき、一瞬手前に浅く、小さく息を吸う音があることを私は知っていたから。
「別れよ」
彼女が何かを言っていて私は多分、きっと、驚いた顔をしていた。それか間抜け面だったに違いない。
分かったのは最後に彼女が街去る間際言っていた言葉だけ。
――待ってたのに
いつのまにか空になりかけの抹茶カフェラテは無様な音を出していて慌てて吸うのをやめる。鞄に読まなければならない論文はあるけれど想定していたより人ごみの多いアーケード街では出来そうもなかった。この落ち込んだ自分の心境的にも。
「――あ、」
慌てて鞄を持ち上げて、肩掛けの部分が椅子に引っかかってしまって椅子が大きな音を立てて動いてしまったけれどそれを直す余裕もなくトレイを片付けて飛び出していた。
ありがとうございましたーという店員の音がドップラーのように聞こえるくらいには、私の足取りは速かった。
エスカレーターを走って、目の前に人がいないのが救いだ。すぐに姿が確認できた。周りにいた三人の友人らしき人は私が距離を計った辺りで別れて、彼女が一人になる。
「水穂」
肩に手をかけて振り返った彼女の顔は驚き。そりゃそうだろうな、でもごめん、と心の中でだけ謝っておこう。
「水穂。話、しよう」
「……なに、話すの」
「別れ話。まだ納得してないから」
掴んだ手首はじんわりと暖かいし少しだけ暑さも感じた。外のアーケードを歩いていたせいだろう。
「み、平川さん」
「……話、するだけだから」
呼んでくれていた名前ではない苗字がなんだか苦しい。すごい痛い。心臓のあたりが痛い。ドキドキするときは痛いけど甘いのにこれはただ痛いだけだ。
泣かないように、涙目が見えないように、私はずんずんと歩いた。さっきのカフェでもいいだろうか。いやさっき大きい音出しちゃったから入りたくないかも。しかし私はこのあたりのことなんて全く知らん。昨日大学の場所を調べて朝から大学をうろうろして見つからなくて出入り口が二つあることに気付いてどこかに必ず通る場所はないかと見つけたのが昼過ぎ。そしてずっとそこにいた。それ以外に思考して無かったせいだろう。分からない。
「どこ行くの?」
泣きそうだ。これ以上彼女の冷たい声を聞いていたら本当にもう違うんだと話す前に理解してしまいそうで、それはなんだかすごく、認めたくなくて。
目の前の景色はアーケードには入らなかったからだろう。余計にわからない。ここどこだよ、でも振り向くとまた苗字で呼ばれそうで、それは嫌で歩いていた。
「ねえ、今空いてるんだけど、どうです?」
居酒屋だろうか。隠れたように人の隙間を縫って現れた男性に頷いて私は歩き出した。水穂は何か言っていたけど聞かない。聞いたら私崩れてしまいそうだ。もう少しだけ待っていてほしい。そしたら聞いてやろう。って
「あれ?」
入れられた個室は居酒屋ではなくベッドのある個室だった。想定外。いつも通りの格好では私が男に間違えられるのは当然だった。どうして気付かなかった。
「はあ……」
呆れた彼女の声。振り返ると緩んでいた私の手を解いて部屋を見渡した後、ベッドに腰掛けた。座る場所がそこしかないからだろう。
「話、するんでしょ?」
ひろがるスカートから覗く彼女のすらりとした足が目に入る。また痩せたのだろうか、とふと考えそうになる頭を切り替える。
「別れる理由、ちゃんと教えてほしい」
「会う時間が少ない、構ってくれない、ほったらかし過ぎ。以上よ」
「会いたいとは、思ってた」
「現に会ってないじゃない。メールも、電話もしてくれない人がそんなこと言ったって説得力が無いわよ」
「だと思って会いに来た」
メールも電話もせずにずっと待っていた。メールでも、電話でも私のこの想定外な喪失感は伝わらないし、彼女も受け取ってはくれないだろう。そういう性格なのは知っているし、彼女は私の前に現れて別れを告げたのがいい例だ。
「あ、そう。どうせ鞄には論文が入っているんでしょうけど」
「それは……当たってるけど。見てない」
入り口のドアに突っ立っている足を、動かして彼女と目線を合わせるように、屈んだ。
「ずっと水穂のこと待ってたし、考えてた」
「だから?」
「別れたくない」
手首ではなくベットについている右手を、重ねる。触れるときいつもびくりと震える彼女の手は久方ぶりの今日も変わらずに少しだけ、震えた。
「……ほんとに、そう?」
じわじわと潤んだ彼女の目から今にも涙が零れそうで、泣いてしまいそうな、表情。
「なんで、そう思ったのか教えてくれないかな」
「分かんないならきっと……無理だよ」
首をゆっくり、でもはっきり横に振った彼女は俯いてしまって。でもそれで終わってしまったらきっと本当に終わってしまう気がした。
そっと頭の後ろを撫でる。顔を上げた彼女の顎に少しだけ触れて、そっと唇を重ねた。
「好きだ」
自分で自分の声じゃないみたい。そんな、甘い声が出た。びっくりしている彼女にもう一度。震えていた手はとっくに固まってしまっていて、おかしい、可愛い。
そりゃあいつも違うこと考えているけれど人間のことで、考えているのは大体彼女のことだって、分かってくれないのかな。
そんなのきっと関係ないや。
分かってほしい
「水穂を見てるって、分かって」
キスしかしたことが無かった。触れるようなキスだけで彼女はいつも顔が真っ赤で体は震えていて、とてもじゃないけれど、壊してしまいそうで。
自分の心臓もうるさいくらいで。
ただあの喪失感が、今もまだ味わうかもしれない喪失感がうるさいくらいの心臓を気にしないくらいに私の背を押していた。
分かってほしい。
大好きだって、分かってほしい。
驚いていた彼女の口の中に舌を入れるのは簡単で、目の前に閉じていた目をびっくりして見開いていて。今にも涙が零れ落ちそうな彼女の瞳から涙が、零れた。
「んっ……はっ、あ」
「み、ずほ……」
震えてる。ごめんねって気持ちと分かってほしい気持ちと、彼女の潤んだ目から感じる期待は勘違いだろうか。
「ね、みずほが好き」
一拍だけ、一拍だけしか待てなかった。
「――」
真っ赤な顔で掠れた声で、私の名前、呼んでくれた。
重ねていた手を少しだけ話して肩を押して。もう片方の手で後頭部を受け止めてゆっくりとベッドに付ける。
「はっ、うん……ん……」
やってしまった。
いやもうこれが首ったけとか溺れてしまうとかそういった者の片鱗なんだろうけど。後悔しているかと聞かれればそんなことは無いんだけど。
「み、水穂?」
彼女が嫌がっていなければって事だけ、なんだけど。
ぐったりして寝てしまった彼女は2時間ほどたってから目を覚まして起きて、一言しか言わなかった。
「シャワー浴びてくるから待ってて」
それだけ。まさに判決を待つ被告人のような、そんな心境。今の今まで付き合ってたときに手を出さないで、別れた後にやってしまったわけで致してしまったわけで。でもやっぱり後悔は、無いんだけど。
一人ベッドに腰掛けて、彼女の残り香を感知しながらの、猛省中。
やっぱり、嫌がっていて今から警察に突き出されるんだろうか。
彼女になら、それでもいいかもしれない。
「いやいやいや」
私の思考、茹ってるわ。それはやっぱり嫌かもしれない。違うって。嫌だと思うべきであって――あ、今シャワーの扉が開いた。
「顏、上げて」
恐る恐る顔を上げてもらったのはとても強烈でした。
「……痛い」
腕の振りから手首のスナップからとてもいいビンタでした。右頬が痛い。
「誤魔化された挙句にあ、あ、あんなことするからでしょ!!」
「心外な。誤魔化しなんてしてない」
むっと来てしっかりと視線を合わせれば化粧はもう落ちていて、でも顔は真っ赤で、上から見られてるはずなのに威圧感なんか無くてああもう可愛いなあ。
しかし言いたいことははっきりと言うべきだ。
「水穂にしたいことをしただけじゃないか」
「変態!馬鹿!そうゆうんじゃないわよ!!この痴女!!」
「何その汚名。続けてすごい心外なんだけど……水穂のこと、好き」
好きな人に愛情表現してその反応って……。でもまあ何だかよそよそしい苗字呼びより断然嬉しいから笑ってしまう。
「あー!!もう何なの……私のこと好きなのがそんなに心外ってわけ!?」
「それは無いから。恋人になった時から水穂は私の理想の恋人だよ」
「やだ、叩きすぎた……?」
「ああもう、なんでここで茶化すかな!?」
人が真面目に言ってるっていうのに。彼女のことだから茶化している気なんてないんだろうけど。今まで愛情表現が足りなかった私のせいなんだろうけど!!
腕を引き寄せてバランス崩した彼女を抱きとめてそのまま一緒に倒れて、触れるだけのキスをもう一つ。
「もっと大事にするので傍にいてくれませんか」
「……う、う」
あと一文字で、返事をもらえそう
なのに
「もう無理ー!!みーくんの馬鹿!!」
暴れた彼女に驚いて、さっきの情事の匂いが私の鼻をくすぐるわけで、一瞬だけ見えた彼女の顔はそれはもう可愛くて
「真っ赤……」
ていうかもうこんなにかわいいかわいい思ってたのなんて、まるで高校以来で。高校の時は口になんてあんまり出してなかったけど今は出したいくらいだ。
「って水穂ー!バッグとか忘れてるって……」
これが惚れ直すってやつなのか。
きっとどこかで待ってくれてる彼女に追いつくために私はあわてて後を追いかけることにした。
待っててくれなかったら追っかけるだけだし、うん。
「ねえ彼女見なかった?」
「ああ、あちらに行かれましたよー」
出口で見かけたキャッチの人に教えてもらってすぐにそちらに足を向ける、その前に
「お兄さん、ありがとうございました!」
精一杯のお礼を、と頭を思いっきり下げた。失敗かと思った選択肢で、思いがけない正解を引いた。こんなに彼女のことを好きだって自覚できた。
「お安い御用っす。また来てください」
軽そうな営業スマイルに頷いて私は教えてもらった方角へ走ることにした。
「水穂、水穂。バッグ忘れてたよ」
「……ありがとう」
「水穂、水穂」
「……何」
「さっきの返事、欲しい」
「ずっと」
「うん?」
「何でもない……いいよ。別れ、ません」
「ありがとう」
実は聞こえていた彼女の言葉には心の中で、頷いておく。
ずっとこのままだったらいいなんて、それは、ずっと、私もだってば。
「私こそ、ありがとう。さっきは、ごめんね」
そう言ってくれた水穂にまた襲いかかるのを必死でこらえていたことは秘密だ。