事件
現在午前八時。吸血館の使用人の大半はたった今が就寝時間だ。
類も例外ではなく、前日の疲れが取れずに着替えたと同時にベッドへ倒れこんだ。
「・・・」
類と神菜子の部屋はそれぞれ、他の使用人と違って狭いが個室だ。それゆえに、誰も気付かなかった。二階にあるはずの類の部屋を窓から覗くベルゼの姿に。
「ふわぁああああ・・・」
大きなあくびをして、神菜子はベッドに腰掛けた。神菜子は、どうしても読みかけの小説が読みきりたかった。
文学少女である神菜子は、長編の小説を好んで読む。そのため、ほんの少しのページを残して眠りにつくのは気になって仕方が無いのだ。
「あと少し・・・あと少しだけ」
しかし、眠気には勝てなかった。神菜子は分厚い文庫本を膝においたままベッドに倒れた。
「・・・」
そして、神菜子の部屋の外にも見慣れない男が立っていた。
「さてと、お仕事しますか」
男は上唇を舐めた。
「・・・」
アニマは既に寝室で熟睡していた。吸血館の使用人の生活リズムは、夜行性であるアニマに合わせたものだ。普通の使用人はアニマのことを、昼夜逆転の生活をしているただのお嬢様と思っている。
「すぴー・・・くかー・・・」
寝顔だけ見ていると、吸血鬼だとか半世紀以上生きているなど到底思えないが、正真正銘アニマは吸血鬼だ。
吸血鬼であるアニマの部屋には窓がない。純血の悪魔は直射日光に当たると灰になってしまうのだ。
「すぴー・・・」
「・・・」
アニマのベッドのすぐ横に、膝ほどまである綺麗な白い髪をなびかせる女が立っていた。
「くすくす、これも計画のため。大人しくしていて頂戴ね」
女は、手に持った小さな装置を四つベッドの周りに置いた。
「じゃあ、ご招待♪」
女は、手に持ったスイッチを押した。
吸血館の三つの部屋で、同時に青い光が広がった。
「う・・・あれ?」
寝心地の悪さにアニマが目を覚ますと、アニマは石の床の上に寝ていた。
「ん? ん??」
さらに、後ろ手に手錠をかけられていた。
「ちょ・・・どゆことー!? えぇええええ!?」
「痛っ!」
「?」
状況が把握できていないアニマが暴れまわると、誰かの頭に手があたった。部屋は暗かったが、吸血鬼であるアニマには寧ろ好都合だった。
「貴女は・・・リナリア!?」
「その声は・・・アニマさんですか?」
アニマと同じように、リナリアも後ろ手に手錠をかけられていた。
「あれ・・・? 此処は何処ですか? なんで私手錠付いてるんですか?」
「落ち着きなさい。私も今気が付いたところよ」
「もしかして・・・私誘拐されたんでしょうか」
「知らないわよ。まあ、良い状況じゃないのは確かね」
アニマは部屋を見渡した。そこは、部屋というには粗末すぎる。部屋と言うよりは、寧ろ牢というのが丁度良い。
「地下牢か何かかしらね」
「牢・・・?」
リナリアの顔が青ざめた。
「大丈夫よ。吸血鬼の私ならこの程度・・・あれ?」
精一杯力んだアニマだったが、手錠はびくともしなかった。
「そんな・・・吸血鬼の力が無くなってる・・・」
「え? それって、どういうことですか?」
「今の私、多分人間の幼女程度の腕力しか無い」
「え・・・」
アニマの顔も、みるみるうちに青ざめた。
「類・・・類!」
「うん?」
揺さぶられた類は、あくびをしながら起き上がった。
「零草・・・?」
「ちょっと、なんか知らないけどなんか・・・うわぁん」
「落ち着いて。何が・・・あ?」
類は、自分が道端に寝ていたのに気づいた。冷たい地面の感触がよく伝わる。
「気がついたら此処にいて・・・寝る前に呼んでた本もあるし、夢じゃないと思うの」
「確かに、夢にしては感覚がはっきりしてる」
地面を撫でて、類はつぶやいた。
「此処は何処でしょう・・・レトサムの街ではなさそうですが」
「それどころじゃないって! 空!」
「?」
類が空を見上げると、そこには星一つ無い灰色の空があった。
「な・・・!?」
「此処、本当に国内? それどころか・・・此処、私たちの住んでる世界なの?」
その時、何処からか轟音が鳴り響いた。
「な、なんだ・・・?」
「る、類! アレ!」
神菜子の指差す先には、地面からせり上がる洋館があった。
「行ってみよう! 類!」
「行ってみましょう」
二人は、洋館に向かって走っていった。