真夜中にクローゼットから物音がする
寝ていると、物音がして私は目が覚めた。泥棒だろうか? 明かりをつけるが部屋の中には誰もいない。時刻は深夜二時。
「気のせいかな?」
もう一度寝ようと思ったとき、またも音が鳴った。がたごと。
気のせいじゃない。確かに音がした。
その音はクローゼットの中から聞こえたような気がした。誰かがこの中にいるのか?
「誰かいるの? 警察を呼ぶわよ」
しばらく待ったが返事はない。物音ももう聞こえなくなった。警察を呼ぼうかと携帯電話を手に取る。しかし躊躇する。ただの私の勘違いかもしれない。
ゆっくりとクローゼットに近づいて扉に耳を押し当てる。中からは何も聞こえてこない。試しにこんこんと叩いてみる。無反応。
このまま眠ることはできない。かといって警察を呼ぶのも大袈裟みたいだ。
キッチンから包丁を持ってきて、それを構えた。そして私は思い切ってクローゼットを開けた。
中には誰もいなかった。その代りに、クローゼットの奥の壁に穴が開いていた。直径1mほどの穴だ。
「穴?」
クローゼットの向こう側は隣の部屋になっているはずだ。しかし、穴の向こうは、壁や床がコンクリートでできた通路になっていた。このマンションには秘密の抜け穴があったのか?
スマホのライトで廊下の先を照らしてみたが、どこまでもまっすぐ続いていて先が見えなかった。ここはマンションの五階であり、こんな長い廊下がまっすぐ続いていたらマンションの建物の外に出てしまう。
私は穴を通り抜けて廊下に出た。廊下の左右の壁には不規則な間隔で扉がついている。
「この通路はパラレルワールドにつながっているんだ」
急に背後から声がして私は口から心臓が飛び出そうなほど驚いた。振り返って見ると、そこには二本足で直立した白うさぎがいた。
「うさぎ? さっき私に話しかけたのはあなた?」
「まぶしいな。ライトを向けるのはやめていただきたい」
うさぎは赤い目を細めてそう言った。
「あ、ごめんなさい」
私はライトを横に向けた。
「あなた、うさぎなのに喋れるのね」
「まあね。それより、きみはどんなパラレルワールドに行きたいんだ?」
「パラレルワールドって?」
「やれやれ」
うさぎは肩をすぼめて首を振った。
「きみはパラレルワールドも知らないのか? 他世界解釈のことだよ。1プランク時間ごとに世界は無数に分裂しているんだ」
「シュレディンガーの猫みたいなこと?」
私は学校の授業で聞いたことを言ってみた。
「まあそんなとこだ」
うさぎはうんうんとうなずく。
「この通路を行けば、私は自分の望む並行世界に行ける?」
「もちろん」
私はうさぎと共に廊下を歩く。廊下はどこまでもまっすぐに続いていて、果てがない。
「どこまで歩いても果てがないわ」
「もちろんさ。果てなんかあるはずがない」
「だって、あなたは私が望む世界に行けるって……」
「扉を開けるんだ」
うさぎが腕を組んで言う。
「度の扉を開けるの?」
「君の好きなのを開ければいい」
無限に伸びた廊下に、無数の様々な形の扉がある。それらの扉の中から一つを選ばなくてはいけないらしい。
「どういう基準で選べばいいの?」
「直感に従えばいい」
私はうさぎの言葉に従い、何となくの直感で一つのドアを選んだ。それは黒っぽい木製の古い扉だった。
ごくとつばを飲み込んで私はその扉を開けた。一歩足を踏み入れると、そこは部屋の中だった。ベッドや机のなどの家具があり、服などが散乱している。
「ここ、私の部屋じゃん」
そこは私の部屋だった。クローゼットの中に入って、長い廊下を歩き、扉を開けたと思ったら、元の部屋に戻ってきていたのだ。なんだかすべてが馬鹿らしくなった私は、ベッドに入ってすぐに眠った。
×
次の日、朝目覚める。昨日の深夜の奇妙な体験をすぐに思い出す。クローゼットを開けるが、奥の壁には穴は開いてなかった。やっぱりあれは夢だったのだ。すごくリアルな夢だ。
今日は休日で学校は休みだ。予定は何もない。
もう一度ベッドに寝転がると、電話がかかってきた。兄からの電話だ。珍しいと私は思った。私は兄と仲が悪く、私が大学に入るときに実家を出て以来、一度も連絡を取っていない。
「もしもし?」
「みう、まだ寝ていたのか?」
兄は明るい声で私の名を呼んだ。実家で一緒に生活していたころですら、必要最低限のことしか話さなかった兄が、こんなに明るい感じで私に話しかけてくるなんて、異常事態である。
「いったいどういうこと?」
「何がだよ? お前なんか変だぞ」
「変なのはそっちでしょ?」
「機嫌が悪いのか? まあいいや。それより、今日はママの誕生日だぞ。ちゃんと誕生日プレゼント用意したか? 夕方の5時ごろ迎えに行くからな。準備しとけよ」
「え? どういうこと?」
「やっぱり寝ぼけてるのか? 毎年家族の誰かが誕生日の時は集まって誕生日パーティーしてるじゃないか」
私の家族は仲が悪い。両親はすでに離婚しているし、誕生日パーティーなんて私が幼稚園の頃にやった以来、一回もしていないはずだ。兄が私をからかっているとも思えない。
私はわけがわからないまま生返事をして、電話を切った。
クローゼットの扉をじっと見つめる。ここは、パラレルワールド?
×
電話で言っていた通り、兄は夕方の5時に迎えに来た。兄は私に向かって、明るく饒舌に喋った。こんな兄を見るのは初めてだ。私は戸惑ったがなんとか調子を合わせる。
兄の車で実家に帰ると、両親、祖父母が料理の準備をしていた。祖父は数年前に死んでいるはずだし、離婚したはずの両親は仲よさそうだ。やっぱりここは、私が以前いた世界とは別の世界なのだ。
誕生日パーティーはとても楽しかった。この世界が、この家族が私の求めていた家族だ。
しかし食事をしながら私の中にひとつの疑問が浮かんできた。私がこの世界にやってきたのならば、この世界にもともといた私はどこへ行ったのだろう? こことは別の並行世界に行ったのか? それともまだこの世界にいるのか? もうひとりの私がこの世界にとどまっているのだとしたら、この世界には私がふたりいることになる。
玄関のチャイムが鳴った。私は、何となく、直感的にピンときた。「誰かしら?」と玄関に出ようとするママを制して、「私が出るから」と、私は玄関に立った。
扉ののぞき穴から外を見ると、そこにはもうひとりの私が立っていた。背筋がぞっと冷たくなった。なんとかしなくてはいけない。
とっさに、玄関のところに置いてあったパパのゴルフバッグからドライバーを抜き取った。それを握り締めて扉を開ける。もうひとりの私が私の顔を見て、驚きと恐怖の混ざり合った顔で悲鳴をあげようと口を開いた。私は手に持ったゴルフクラブで、思い切りもうひとりの私の頭を殴った。
ぶっ倒れたもうひとりの私は動かなくなった。呼吸が止まり、脈もない。死んでいる。私は死体を、玄関の横の物置として使われている部屋に運んだ。ここならば、しばらくは見つからないだろう。
リビングに戻って、新聞の勧誘だったと嘘を吐いた。
「みう、今日は泊っていくんだろ?」と父が言った。
「うん、そうする」
私は実家に住んでいたころに自分の部屋だった部屋に寝ることにした。
夜中、音をたてないようにこっそり部屋から抜け出して玄関の横の部屋に入った。そこにはもうひとりの私の死体が転がっていた。これを処理しなくてはいけない。
お風呂場に死体を運び、それを解体した。包丁だとうまく骨が切断できなかったから、パパが日曜大工で使うのこぎりで切った。
「誰じゃ? こんな時間に風呂に入っているのは?」
風呂場の外から祖父の声がした。
「みうだよ。寝汗をかいたからお風呂に入ってるの」
「そうか、みうか。相変わらずお風呂が好きじゃのう」
祖父は特に不振がりもせず、そのまま立ち去った。私はほっと安堵した。
解体作業を終わらせると、バラバラにした死体を燃えるごみの袋に入れた。これをゴミ捨て場に捨てれば任務終了だ。
家とゴミ捨て場を何度か往復して、死体の入ったゴミ袋をゴミ捨て場に全て置いた。明日になればゴミ収集車がこれらを回収してくれる。証拠隠滅完了だ。
にこりと微笑み、さあ、実家に戻ろうと振り返ったとき、そこにひとりの人物が立っていた。その人物は私と全く同じ顔をしていた。
「あなたは……」
私は驚いて目を見開いた。
「ここは理想の世界。この世界は私のものよ」
私と全く同じ顔の人物は手に包丁を持っていた。それが街頭に光を反射してきらりと光った。
この世界にやってきたのは私だけではなかったのだ。このままだと私は、他の世界から来た私に殺される。そう思ったとき、電柱の陰からさらに別の人物が姿を現した。それは、手にコンクリートのブロックを持った私だった。さらに別の物陰からも、別の私が現れる。そいつは手にかなづちを持っていた。あちこちから、無数の私が姿を現す。それらの私は、皆、手に得物を持っている。
パラレルワールドは無数に存在する。それらのパラレルワールドには無数の私がいる。無数の私たちはクローゼットの通路を通り、理想の世界にやってきた。つまりこの世界に。
無数の私たちによる、この理想の世界をめぐってのバトルロイヤルが今始まろうとしているのだ。




