表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

Long umbrella

作者: 桶谷 雨恭
掲載日:2026/02/23

とある短編賞に出したものですが、箸にも棒にも掛からなかったので、供養のため投稿します。

「私の長傘がない。」


 廊下から帰って来ると、人がやや少なくなった教室の端で、『麻生さん』が叫ぶように声をあげた。

 机の中をひっくり返したかのように、教科書を散らかして、目元に薄ら涙を浮かべて、佇んでいる。


「どうしたのよ、盗人に入られたみたいに散らかして。」

「まさにそれなのよ。」

「は?」

「盗人よ、盗人。私の長傘がどこにもないの。朝はちゃんとあって、自分の席に防犯用の鎖まで付けて置いていたのに。」

「え、あの高級品無くしたってこと?」

「そうなの。お父様にせっかく買ってもらった長傘なのに。また折りたたみ傘に戻すなんて嫌よ。」


 彼女があの高級品を持ってきたのは今朝が初めてだ。見せつけるように長傘をさして歩き、教室ではいつも後ろの扉から入るところを前の扉から入り、一番遠い窓際の端にある自分の席に向かって歩くその姿に、ランウェイが見えたことを思い出す。


「と言うか、長傘は折りたたみ傘と違って、高級品だから先生に預けろって言われてたのに、結局防犯用の鎖に付けてたんだね。」

「長傘よ?他人に預けるなんてあり得ないわ。」


 イライラとした様子で、絶対入っていないとわかる机の中にまで頭を突っ込むほど覗き込んでいる。私は机の横に落ちていた派手な装飾の鎖を摘まみあげた。長傘と繋げる防犯用のそれは、真ん中からばきりと切り落としてある。


「そもそも、なんで長傘なんて高級品を持って来たのさ。家に飾ったり、特別な時に使うものじゃないの?」


 確か、私の母も長傘を一本持っていたはずだ。しかし、この一本が使用されているところを私はまだ見たことが無い。使われることが無いブランドバッグ達と一緒に、部屋に鎮座しているし、雨の日には折りたたみよりは高級なビニール傘を使っている。


「飾るだけだなんて、貧乏人がやることよ。これは傘なのだから、雨の日に使うのは当然でしょう?」

「さすが、社長令嬢。」

「お母様は長傘を何本もお持ちだし、雨の日に使っているわ。お父様は『子供のうちは周りに合わせなさい。』とおっしゃったけど、せっかく買っていただいたのだから、使わないと。」

『あぁ。本当にどこにもないわ。』とこぼす彼女は、一度もこちらを見ずに机の中を引っ掻き回す。

「机周りは一通りみたの?」

「見たわ。でも、さっきまであったはずの、あの美しい薔薇柄がどこにもないの。」


 そういえば、彼女が朝広げていた傘はピンクの背景に緑の葉が生えた真っ赤な薔薇が大量に描かれた、趣味の悪いものだったのを思い出した。


「先生には聞いてみたの?もしかしたら、危ないと思って預かってくれてるかもよ?」

「聞いてはみるけど、信用ならないわ。今朝のあの女の顔見たでしょう?あの羨ましいと滲む卑しい顔。」

「担任の先生を悪く言うのは、良くないよ。心配して預かるって提案してくれたんだろうし。そりゃ、トラブル回避って下心はあったと思うけど。」

「いいえ。あれは私の長傘を羨ましいと嘆く貧乏人の顔だったわ。」


 長傘が見つからないことに、この場にいない担任への八つ当たりを始める。まずは、彼女を鎮めるところから始めなければならない。


「職員室行ってみよう。もしかしたら、本当に先生が持っているかもしれないし。」

「そうね。まずはあの女に聞いてみましょう。話はそれからだわ。」


 ヒールも無いただの上履きのはずなのに、カツカツと音が聞こえてきそうな勢いで教室を出て行ってしまう。


「え、待って。散らかったままのこれどうするの?」

 教科書は机の上に積み上げられ、ブランドもののポーチは、デパコスをまき散らしながら、床に散乱している。急いで、声を張り上げながら後を追うと、彼女はすでに二つ隣の教室まで進んでいた。

「そこに置いておいて良いわ。そんなことより、早く行きましょう。あの女が私の長傘を隠してしまう前に現場をおさえないと行けないわ。」


 私の声に振り返るが、早く行くぞと言わんばかりに顎を引いてみせる。


「また物がなくなっても知らないよ?こうやって乱雑に放置するから無くなるのよ。」

「それなら、貴方が拾っておいてくれる?私はあの女のところに行くから。」


 そう言うと、用は済んだとばかりに踵を返して歩を進めてしまう。このままにして、後から文句を言われるのは癪なので、ポーチと化粧品だけでもかき集め、まとめて教科書の上に置いておく。

 急いで、彼女のあとを追いかけて職員室へ急ぐが、すでに彼女の甲高い声と担任の声が聞こえてくる。


「貴方が私の長傘を盗った盗人でしょう。早く出しなさい。今すぐに出せば大事にせずに、お父様にも報告しないわ。」

「何をいているの?私は盗んでないし、今日も預かると言ったら、貴方はいらないと断ったでしょう。その後は触ってもいないのよ。」


 彼女は、胸に『中島』と書かれた名札を揺らす、担任を完全に犯人と決めつけて、壁に追い詰めていた。私はその後ろから肩を掴み、先生から距離を取らせる。


「何やってるの。さすがに、証拠も無いのにそれはダメだよ。」

「いいえ、今朝の私の見たあの女の卑しい顔が何よりの証拠だわ。」

「だから、それは証拠にならないんだってば。」

「いったいどうしたのよ貴方たち。彼女に至っては、突然職員室に乗り込んで来たと思ったら『この盗人』なんて叫び始めて。」


 先生は、疑問を口に出しただけだろうが彼女は、落ち着き始めていた目尻がきつくつり上がる。落ち着くように背中に手を当てるが、それを弾き飛ばして先生へ詰め寄った。


「突然だなんて、貴方がしたことを考えたら、私がここに来た理由はすぐに分かることでしょう。」

「さっきから言っている?長傘は今朝以降見てもいないわ。言いがかりは先生怒るわよ。」


 主観による主張ばかりする彼女の話と、先生の話を比べると圧倒的に先生の方が優勢だろう。まずはこの場から彼女を引き離さないといけない。怒鳴っていたからか、生徒たちが学年問わず集まってくる。


「ほら、証拠も無いんだし、先生を疑うのはやめて地道に探そう?」

「絶対この女よ。」


 言い分を全く変えない彼女に先生は呆れ果てたのか、自分の机の引き出しを開けた。


「そんなに疑うなら、他の先生にも聞いて、好きなだけ探しなさい。私の荷物も見て良いから。」

 私たちは職員室の入口付近から奥に入るが、他の先生たちも何事かち視線をよこしているのを感じる。何もしていないが、なぜかこれから怒られるのではないかと言う感覚が私の胸を覆っていた。

「私は荷物を調べて来るから、他の先生方に長傘のこと聞いて回ってちょうだい。」

「え。私もやるの?」

「当たり前でしょう。早く聞いて来て。」


 言い放つと彼女はさっさと先生の荷物をひっくり返し始める。この状態では何を言っても無駄だろうと諦めて、近くにいた先生に話しかけた。

順番に聞いていくが、先生が長傘を持っていたと言う目撃証言どころか、『登校中に彼女が差しているのは見たが、それ以降は見ていない。』というのが、大半の答えだ。

諦め半分で、最後に残った日誌を熱心に書いている先生に聞く。


「お仕事中すみません。今、お時間よろしいですか?」

「あぁ。良いよ。」

 顔を上げ、眼鏡を指の腹で軽く押し上げると、私の立っている方へ体ごと向けてくれた。

「すみません。長傘を知りませんか?薔薇柄のものなんですが。」

「長傘なんて、ずいぶん高級なものを使っているんだね。今時の高校生はすごいな。」

「私が使っている訳ではないのですが。」


 彼女に視線を向けると、先生の机の引き出しを一段ずつ開けて、中の書類をひっくり返している。


「そんな大切なものは、学校に持ってこない方が賢明だと思うがね。」

「おっしゃる通りだと思います。」

「全く、若者はすぐに自慢したがる。さっきも長傘を抱えている子がいたな。柄までは分からなかったが、草のような柄は見えたから、あれは花柄かもしれない。」

「その子ってどこで見ました?」

「2階のPC教室の前だ。ちょうど、その奥にある図書室に用事があったから覚えているよ。」

「2階のPC教室ですね。ありがとうございます。ちなみに、何年生だったかは分かりますか?」

「あれは黄色の上履きだったから2年生だったと思うな。」


 先生の証言に、お礼を言うと、今度は引き出しを上下に振っている彼女の元に戻る。


「あら。良い証言は得られたの?」

「うん。さっきあっちの先生が、2階のPC教室の前で長傘を持ってる人を見たって。2年生だったらしいよ。」

「2階ね。すぐに行きましょう。」

 手に持っていた引き出しを机の上に置くと、さっさと職員室から出て行ってしまう。

「先生、すみません。」

「良いのよ。貴方のせいではないし。困ったものだわ。貴方も、あまり振り回されるなら付き合いを考えるのよ。」

「ご心配ありがとうございます。」


 先生に一礼し、彼女の後ろを追うようにして職員室から出た。すぐ横に階段があるため、予想通りすでに彼女の姿はない。騒ぎが起こる前に見つけなければならない。駆け足で階段を上りきると、金切り声が私の耳を叩いた。


「私の長傘を盗んだのは貴方ね。どこに隠したのよ。今すぐ返しなさい。」

「突然きて何?」


 PC教室の前で、女子生徒の腕を掴みながら、攻めるような口調で問い詰めている。女子生徒の上履きには『田中』と書かれていた。

 職員室で聞いた証言と一致しているが、この条件に当てはまるのは少なくとも100人はいるわけで、彼女はそれに気がついているのだろうか。


「貴方が私の長傘を盗んだという証言があったわ。言い訳は結構よ。早く長傘を返してくれるかしら。」

「誰の証言よ。確かに廊下に放置された長傘は拾ったけど、事務室に持って行ったわよ。」

「往生際が悪いわよ。先生は貴方が持っていると言っていたの。早く出しなさい。」

「ねぇ。この子なんなの?全く人の話聞かないんだけど。」

「素直なんです。」


 先輩は全く話を聞かない彼女に言っても無駄だと判断したのか、私に向き直って話しを始めた。


「確かに、さっき1階の廊下で長傘を見つけた。あれって高級品でしょ?持っているのが怖くって。すぐ事務室に持って行ったのよ。」


 先輩は困ったように言うが、事務室は長傘を拾った場所と同じく1階にある。2階を経由したのは何故だろうか。しかし、事務室に持って行ったのであれば良いかと、言及はせず先輩の言い分を聞く。


「その言い訳やめてくれるかしら。」

「何よ。あなたが返せってうるさいから説明してあげてるんでしょ?」

「説明だと思って黙って聞いていたのよ。でも、言い訳ばかりだったものだから、つい口を挟んでしまったわ。」


 彼女の物言いに先輩は上履きをパタパタと上下にゆすり始めた。先輩のあからさまな態度に、彼女は顔を少し歪めた後、口を開く。


「貴方、先ほどすぐに事務室に向かったと言ったわよね。」

「そうよ。あんな高級品を持ってて、何かあったらって、怖くて。」

「では、何故1階にある事務室に向かおうとして、2階いたのかしら?そのまま事務室に向かえば良かったのではないかしら?」


 彼女の質問に先輩は、何度かハクハクと口を動かした後、ようやく声を出した。


「別に、2階にちょっと用事があっただけよ。ええ、そうよ。用事を済ませてから事務室に持って行っただけ。」


 焦って早口になっていく先輩の様子は何かを隠すために嘘を重ねる苦しい姿にしか見えない。


「見苦しいわ。潔く『自分が盗んだ』と白状しなさい。話せば話す程、自分の首を絞めるだけよ。」


 悔しそうに、先輩は彼女を睨めつけると、怒鳴るように口を開いた。


「だから、ちょっと用事があっただけよ。それで2階に寄っただけで、犯人扱いなんて。」

「では、伺うわ。持っているのは怖いと言うほどのものを後回しにするほどの用事はなんだったのかしら?」

「うるさいわよ。あたしが、長傘をもって2階にいたからなんなのよ。ちゃんと事務室には持って行ったんだから良いじゃない。」


 先ほどまでの威勢は消え去り。ぼそぼそと聞き取りづらい。


「そう、それが貴方の答えなのね。」


 先輩の前から一歩退くと、『もう良い』と、踵を返し登ってきた階段とは違う図書館を通り抜けた階段に向かう。慌てて後ろを追うように足を踏み出すが、Yシャツを引っ張られ、次の一歩が踏み出せなかった。


「違うのよ。あたし本当に拾っただけなの。1階の用具置き場にあったの。確かにこのまま貰っちゃおうと思って2階に来たけどやっぱり良くないと思って、事務室に持って行ったの。だから本当に盗んでないのよ。」

「いえ、私に言われても。」

「絶対あの子、あたしが盗んだって言いふらすでしょ。あたしちゃんと届けたのに。」

「大丈夫ですよ。彼女ちょっと上から目線な物言いですけど」

「ちゃんと言っておいてよ。」


 私の話を遮り、強い口調で念を押すように言う。彼女がいなくなって、強気の姿勢が戻って来たのか私のことを睨み付ける。


「分かりました。言っておきますから。」

「絶対よ。」


 そこまで言うと、ようやくYシャツを離してくれたので、図書館を通り抜け、階段に急いだが、やはり彼女の後ろ姿はなかった。

 階段を降り、昇降口に向かう。事務室に走ると、彼女はカウンターの前に立ち、腕を組んで睨み付けていた。困った顔をした事務員は作業着に『野本』と刺繍がされている。


「もう一度伺うわ。ここに長傘の落とし物が持ち込まれたはずよ。早く出してくださるかしら?」

「いや、だからあの長傘はさっき持ち主と言う人に渡してしまったよ。」

「何をおっしゃっているの?あれは私のだと言っているでしょう。何故、他人に渡してしまったのかしら?」


 彼女の、冷たい視線にさらに焦っているようで、執拗に額を拭う。彼女のうしろから覗き込む私に助けを求めるような視線を送ってくるが、私にはどうにもできないので、苦笑を返した。


「特徴を聞いたら、しっかり答えられたから、持ち主だと思って渡してしまったんだ。ほら、特徴が分かるってことは、持ち主ってことだろ。だから、おじさん渡しちゃったんだよ。」


 長傘という時点で目立つのに、さらに派手な装飾品が施されている。教室で見た同級生はもちろん、登校時に彼女を見た人たちは印象に残ったはずだ。特徴を言い当てるなんてこと、正直誰にでもできる。


「つまり、貴方は偽物に騙されて、私の長傘を盗人に渡してしまったのね。呆れたわ。」

「でもね、私はその持ち主を知らないわけで、落とし物を返すときの手順は踏んでるんだよ。そこで嘘をつかれたらもうお手上げさ。」


 仕方ないとばかりの事務員の態度に彼女の目尻が吊り上がり、唇はぎゅっと結ばれ、組んでいる腕を人差し指で叩き始めた。


「もう結構よ。それで、誰に私の長傘を渡してしまったのかしら?」

「いやぁ。それが名簿に名前を書いてもらったはずなんだが、消えてるんだよ。」


 そう言って、手元にあるカップの下敷きにしていた、名簿を出して見せる。覗き込むと、昨日のハンカチを受け取った女子生徒の下は空欄になっていた。

 何かを書いた形跡は無いかとなぞってみるが、ペンで書いた時にできる凹凸が若干ある程度で名前を読み解くのは難しそうだ。


「その盗人はここに名前を書いたのよね?」

「ああ。ちゃんと持っていたペンで書いたのを見たさ。」

「そう。じゃぁその時に確認した名前を教えてくださるかしら?」

「それが、全く思い出せなくてな。」


 事務員は額を掻きながら、名簿を見つめていたが、いくら眺めたところで文字は出てこない。次の手をと彼女の様子をうかがう。事務員はこの沈黙に耐えかねたのか、珈琲をちびちびと飲んだ。何かを思いついたように、彼女はカウンターに両手をついて、身を乗り出す。


「ここに冷凍庫はあるかしら?」

「あぁ。一応あるがそれがどうしたんだ?」

「すぐにこの名簿を入れて。」


 急かすように言う彼女に押されて慌てたように冷凍庫に名簿を入れた。

 そうゆうことか。彼女の行動の意味がわかり、私も待つことにしたが事務員は意味が分かっていないようで彼女に尋ねる。


「これをすると、どうなるんだい?」

「名簿の文字は一定の温度で温めると消えてしまうペンで書かれたもの、貴方が名簿をカップの下に敷く癖を知っていた盗人は、それを利用するため、消えるペンで書いたのよ。盗人の思惑通り貴方は名簿の上にそのカップを置いて名前が消えてしまったのよ。」


 そんなことも分からないのかと呆れたように言うが、事務員はまだ冷凍庫に入れた意味が分かっていないようだ。


「察しが悪いのね。温めると消えてしまうのだから、温度を下げれば元に戻るのよ。」

「世の中には便利なものがあるもんだな。」

「そろそろ良いわ。出してちょうだい。」


 冷やされた名簿が目の前に置かれ、彼女と一緒に覗くと、名前が浮かんでいた。

今日の日付と落とし物名の後に『3年A組上村』と名前が書かれている。


「この人ね。貴方、名前は覚えて無くても、特徴くらいは分かるでしょ?」


腕を組んだ後、思い出したように顔をあげ、明るい声で特徴を述べ始めた。


「確か、背が高めの男子生徒だった、長傘の柄は女性向けなのに、男子生徒が受け取ったから不思議だと思ったんだよ。それで聞いてみたら『彼女の物なんです。』って言うからそのまま渡してしまったんだ。」


 事務員は清々しい表情で言い切ったが、先にそれを言ってほしかったと言う気持ちが滲み出てしまう。彼女に至っては、額に怒りマークの幻覚さえ見える。


「もう用はないので失礼するわ。」


 そう言ってまたさっさと階段へ行ってしまった。


「彼女のことを怒らせてしまっただろうか。」

「長傘が無くなって気が立っているだけですから。お話ありがとうございました。」


 頭を下げ、彼女の後ろを走って追う。階段の途中で彼女の背中に追いつくことができた。


「今回は名前しか分かってないけど、どうするの?」

「まずは、教室に残っている生徒に聞いてみるわ。今日中に捕まえられると良いのだけれど、帰宅してしまったら明日にするわ。」


 背筋を伸ばして、階段を上る彼女のスピードは速い。同じ速度で隣に着くことができず、追うように階段を上がる。

 全く息を乱していない彼女よりも数歩後に息を切らしながら3階の床を踏みしめた。

 彼女は真っ直ぐ3年A組の教室に向かって歩き出す。3年生の教室など普段は足を踏み入れることがないため、緊張が湧いて出る。チラチラと見てくる上級生たちに、少しの不安が滲み、彼女の背中に引っ付いて歩く。


「歩きにくいわ。少し離れてくれるかしら?」

「え、上級生が多すぎて怖いから嫌だ。」


 絶対に離れるものかと彼女にさらに近づくと、彼女もそれ以上は言及せずに歩いた。

 A組の教室まで行くと、教室中に響く声で、名簿の名前を呼ぶ。すると、背の高い男子生徒が奥から出てきた。名札には名簿の名前だ。


「貴方ね、事務室から盗んだ私の長傘を返してくださるかしら。」

「突然なんだよ。俺はそんな物知らねぇよ。」

「あら。事務室の名簿には貴方の名前がしっかりと書いてあったわ。談笑をする暇はないの。時間も遅いし、早く出してちょうだい。」

「だから、俺は何も盗んでねぇよ。俺の名前?そんなもの誰かが勝手に書いたんだろ。」

「そう。それは本当かしら?」

「そう言ってんだろ。意味の分からない冤罪をふっかけるために、俺を呼んだのかよ。しかも、教室中に響く声で言いやがって。」


 彼はイラついている態度を隠そうともせずに怒鳴る。下級生からの告白なのではと色めきだっていた教室は静まり、何事かと興味に濡れた視線を浴びせた。視線を別に向けている生徒たちも意識を向け、耳を澄ませている。

 彼女の方もすでにイライラしており、お決まりの腕組みで指をトントンと動かしていた。


「では、筆箱を見せてくださるかしら?」

「はぁ?何でだよ。」

「貴方が盗人であるという証拠探しよ。盗人ではないのであれば問題ないでしょう?」

「ハッ、好きにしろよ。」


 そう言って彼は自分の筆箱を投げてよこす。シンプルなデザインのそれを受け取ると、彼女はチャックを開けてばら撒くように中身を開ける。彼女はばら撒いたペンを一つずつ手に取って調べるが、名簿に使われた熱で消えるものは無さそうだ。


「おい、まだやるのか?もう良いだろ。」


 黙って見ていた彼だったが、彼女が調べているペンを乱暴に掴むと、他の筆記用具もかき集めて筆箱に戻してしまう。


「まだ確認をしていたのだけれど。」

「お前らがちんたらやってるからだろ。大体こんなもん調べて何になるんだと。」

「あら、何にもならないのなら、調べたところで問題は無いでしょう。」

「うるせぇよ。そもそも俺はやって無いんだから、お前らに付き合う必要はないだろ。」


 そう言って教室の奥に戻ろうとした時、私たちの後ろから別の生徒が彼に声をかける。


「いたいた。さっき借りたペンありがとな。」


 私たちの間を割って入ると、彼に一本のペンを差し出した。そのペンの先には透明なゴム製で、擦ったような黒い跡がついている。恐らく先ほどから彼女が一生懸命探していた、熱で消えるペンだ。

 彼が受け取る前に、彼女が横から掠め取る。


「ああ。あったわ。」

「おい、何するんだよ。返せ。」


 慌てたように彼が手を伸ばすが、それを避けると彼女は言い聞かせるように口を開いた。


「あの名簿はこの消えるペンで書かれていたわ。勿論、貴方の名前がね。おおかた、名札を付けっぱなしにしてしまい、本名を書かざるを得なかったというところかしら。そこで、事務員がカップを名簿の下に置く癖を知った貴方はこのペンで書き、まんまと証拠隠滅してもらったというところでしょう。」

「言いがかりだ、そんな誰でも持ってるようなペンは証拠にならないし、俺の名前が書かれていたから何なんだ。誰かが勝手に書いただけだろ。第一、何で花柄の女物なんか欲しがるんだよ。あんなちゃらちゃらした装飾品のついた傘なんか。意味分からないだろ。」

「あら、何で私の長傘が花柄って知っているのかしら。」

「そんなものお前が差しているのをこの教室から見てたからに決まってるだろ。」


 彼女はその言葉に、残念そうに目を伏せる。


「そう。ところで私の長傘、手元の装飾品は登校時にはついていなかったのだけど、どこで知ったのかしら?」

「は、はは。俺そんなこと言ったか?」

「ええ、はっきりと。あれは装飾品ではなく盗難防止用の鎖よ。そして、それは私が登校後教室で付けた物。私たちの教室に関わりの無い貴方が知っている訳がないのよ。つまり、教室から持ち出された長傘を貴方は一度手にしたという証拠に他ならないわ。」


 彼は悔しそうに拳を握ると、奥歯を噛みしめて床を見つめていた。その拳はプルプルと若干震えている。


「そうだよ。俺はあの事務室で長傘を受け取ったんだよ。それが何だよ。」

「開き直っているのはいかがかと思うけど、自分の罪を認めたことは良いことだわ。それで、私の長傘を返してくださるかしら。」

「もう手元にねぇよ。」

「では、どこに?」

「あげちまったよ。今朝あの長傘を見て『良いな。』『私も欲しい。』って言うから、喜んでもらえると思って。」


 徐々に声を萎ませながら、正直に答える彼は、姿までも萎んでいる用だった。


「そう、窃盗品を贈り物にするのは、センスを疑うわね。もらった方も迷惑よ。それで、贈られた方はどこにいるのかしら?」

「あ、それなら俺知ってるぞ。さっき階段ですれ違った。」


 先ほど、ペンを返しに来た生徒はずっとその場で聞いていたようで、彼女に声をかける。


「そう、どこに向かったか教えて頂ける?」

「慌ててる感じだったけど、下の階に向かってたし、返しに行ったんじゃないかな。」


 その言葉を聞くと、彼女は早歩きで来たときと反対の階段へ向かってしまう。彼はすっかり落ち込んでしまい、ぽろぽろと涙が溢れ始めていた。


「仕方無いだろ、あいつに少しでも意識してもらいたかったんだよ。」

「それにしたって、盗品は良くないと思いますよ。貰った方も困りますし。」

「そうだな。そうだよな。」


 泣き続ける彼を心配そうに見つめるクラスメイトに任せ、私もその場を後にする。

 階段まで来ると彼女はもう降り始めていた。後ろから追いかけ、一段後ろほど後ろまで追いついたところで、彼女の機嫌が直りつつあることに気がつく。先ほどまで吊り上がっていた目尻は下がり、口元は緩んでいる。

 教室まで戻ると、入口に長傘を持った女子生徒が不安そうに中を覗いていた。この時間だ、声をかける生徒もおらず困っていたのだろう。


「私をお探しかしら。」


 背後から声をかけられたことに驚いてたたらを踏んだ女子生徒の上履きには、『白井』と書かれている。


「あの、私が盗んだとかではなくて。」


 緊張気味に事情を説明しようとする先輩を彼女は制止させると一歩近づき、先輩が震える手で恐る恐る差し出した長傘を受け取る。


「ええ、事情はすべて知っているわ。貴方が盗人でないことも。このまま持ち帰ることもできたのに、そのような愚行に出ず、返却してくれたこと、心から感謝するわ。」

「い、いえ。ちゃんと持ち主に返ったなら良かったわ。それじゃ、私もう遅いし帰らないと。」


 彼女に気圧されたのか、少し歪んだ笑顔を見せると、走っていった。


「長傘も手元に戻って来た。私たちも帰りましょうか。」

「そうだね。それにしても、最初は落とし物から始まってるってことは、鎖を切って持ち出した人がいるってことでしょう?その犯人は探さなくて良いの?」

「手元に戻って来た今、些細なことだわ。そんなことより、片付け手伝ってくれるかしら?」

「はいはい。」


 彼女が最初にまき散らした教科書や筆記用具を集める。すべて集め終わり、帰り支度を済ませると、彼女はさっさと教室の扉に向かう。その後ろをいつも通り追いかけるように、私も自分のバッグを手に取って歩き出す。


「さぁ、早く帰りましょう。『露川』さん。」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ