第6話「観測されたる、もう一人の私」
白い部屋。
目眩から意識が途切れて、次に目が覚めれば、いつも通りの教室。
そして、彼。海隠 雨理くん。
「……あれ? 君、誰だっけ?」
繰り返されるこの問いに、最早動揺はない。わたしの中には、新たな「記録」が刻まれている。前回のループで、わたしは彼に、**「どうして、私が死ぬたびに、あなたは私を忘れてしまうの?」と問いかけた。そして、「あなたは、誰かのために、嘘をつくことがあるでしょう?」**と踏み込んだ。
あの時の彼の顔。困惑と、微かな恐怖。
あれこそが、彼がわたしという**「異常な観測者」を前にして、初めて見せた「本気」**の反応だったのかもしれない。
わたしは、自分の席に座ったまま、静かに彼を「観測」する。
彼の机の上にある、昨日と同じ数学の参考書。彼の制服の、袖口のほつれ。何もかもが、寸分違わない。まるで、世界が精密に作られた箱庭であるかのように、毎回同じ状態から始まる。
でも、わたしは違う。
わたしは、この箱庭の外から、あるいは箱庭の内部で、**多重に「観測」**を重ねている。
わたしは、何人もの「斎咲 梓」の記憶を持っている。
HRが始まり、黒川先生がプリントを配り始める。
授業中、わたしはノートの端に、今までのループで得た情報を整理していく。
ループのトリガー: わたしの「死」。死因は不明だが、前回は彼の「嘘」に言及した直後に発生。
彼の反応: わたしが死ぬたびに、わたしに関する記憶を失う。しかし、わたしの言葉(「なぜ忘れるのか」「嘘をつくか」)によって、通常ではありえない「観測」を受け、動揺を見せる。
彼の「嘘」: 他者を守るため、安心させるための「優しさ」からくるもの。だが、その嘘が、何らかの形でわたしの死、そして世界のループに関係している可能性。
私の役割: 彼に「観測」されることで、わたしの存在を、わたしたちの関係を「確定」させること。
ふと、教室の窓の外を見た。校庭の隅で、小さな蝶が舞っている。
あの蝶も、毎回同じ軌跡を描いているのだろうか?
それとも、わたしが死ぬたびに、この世界に存在するあらゆる「観測」がリセットされ、それぞれの確率に基づいて再構築されているのだろうか。
「斎咲さん」
ハッと顔を上げると、雨理くんがこちらを見ていた。
昼休み。いつの間にか、彼がわたしの席の横に立っていた。
「どうかした? ずっと難しい顔してるけど」
彼の声には、心配の色が滲んでいる。まるで、わたしを初めて見るかのように。いや、彼にとってはそうなのだ。
「あ、うん。なんでもないよ」
わたしは咄嗟に作り笑いを浮かべた。彼の瞳が、僅かに曇る。
彼は、わたしが何かを隠しているのを、既に「観測」している。
「斎咲さんってさ……」
彼は、何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「もしかして、どこかで会ったことある?」
その問いに、わたしの心臓が激しく跳ねた。
わたしの「観測」は、彼にも影響を与え始めている。
あるいは、彼自身も、無意識の内に「誰かの記憶」を「観測」し始めているのだろうか?
「記録」にはない、初めての問いかけ。
これは、わたしが彼に仕掛けた**「観測」**の結果なのか。
それとも、彼の中に眠る、もう一人の「わたし」の記憶が、覚醒しようとしているのか。
「……どうして、そう思うの?」
わたしは、平静を装って尋ねた。
彼の琥珀色の瞳が、真剣な光を帯びる。
「いや、なんとなく……デジャヴっていうか。初めてじゃない気がするんだ」
この世界の歪みを、彼もまた、感じ始めている。
わたしの「死」によって世界がリセットされる度、彼の中に積み重なる「未確定」な情報が、今、彼の中で**「観測」**され、統合されようとしている。
これはチャンスだ。
彼に、このループの真実を、わたしたちの関係性を、**「確定」**させるための。
わたしは、彼に恋をする。
何度でも。
この世界が、わたしたちの記憶を、どれだけバラバラに引き裂こうとも。
そして、今度こそ、彼を、このループの先に連れて行くために。