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「……嘘だわ。」
愛してるという言葉に相応しくない返事が、自分の口から漏れた。けれど、私はどうしても本音だと思えなかった。
「嘘じゃない。リアを失いそうになって初めて気がついたんだ。」
悲痛な表情で語るシリウスに混乱してしまう。
「……うーん、責任は取ってもらわなくて結構だわ。シリウスの人生を縛ってしまうのは、私の本意じゃないもの。」
そう言って手を離そうとすると、逆に手を引かれて、シリウスとの距離が余計に近くなる。いつものラベンダーの香水の匂いがして、自分の鼓動が速くなったのを感じた。
「……そうじゃない。本当に愛してるんだ。」
「……よく分からないわ。だって、いつも私のこと、鬱陶しそうにしてたじゃない。それより、落ち着いて。お茶でもしながら話しましょ?」
じくじくと痛む胸を無視して、いつも通りを心がける。離してもらいたくて、トントンとシリウスの腕を叩くが、更に抱き込まれ身動きが取れない。
「いつも冷たかったのは謝る。リアが可愛くて、どうしたらいいか分からなかったんだ。」
「えっ?ますます意味が分からないわ。……シリウス?本当に責任を感じなくていいのよ?政略結婚から外れることが出来て、好きなことが出来るなんて、私今からが楽しみなの。」
私が強がりじゃなくそう告げると、シリウスの息を呑む音が聞こえた。そっと腕を離され、顔をのぞき込まれる。綺麗で整った顔に、今更ながら攻略対象者なのだと実感してしまう。
「……本当に、そう思う?」
「ええ。本当よ。」
シリウスの言葉に迷いなく答えると、彼はぐっと眉を顰めた後ため息をついた。
「……そうか。…………でも、僕は諦められない。」
後半の言葉が聞こえなくて聞き返すが、なんでもないと言われてしまった。私にニコッと笑ったシリウスは、私の銀の髪を撫でながら口を開いた。
「リア。生きていてくれてありがとう。」
「ふふ。くすぐったいわ。」
シリウスに頬を撫でられ、くすぐったさに目を細めた私は、思い出すことが出来なかった。
ーーそれが、ゲームでのシリウスの告白の言葉だったことを。
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「皆、詠唱って恥ずかしくないのかしら?」
魔法の本を片手に一人呟く。
この世界では、貴族は少なからず魔力を持っている。そのため、貴族は幼い頃から、義務教育として魔法の使い方を習う。
私はまだ習っていないのだが、勉強を疎かにしないのならと、許してもらえている。
シリウスに見合う人にと努力していたので、マナーとダンスは完璧だと言われていて、座学も嫌いだったようだが、基礎はできている。それに、大人の思考が混じった今、前世で経験できなかった内容に浮かれて、かなり勉強が進んでしまった。
そのため、空いた時間を使って、公爵家にある魔法の本を片っ端から読んでいる。
「魔法学士になるわ!」と家族の前で宣言した日から、部屋に籠って本を読む私を、両親は黙って見守ってくれている。
このエグザイラ王国には、魔法省という魔法使いが集まる機関がある。魔法省では、日々魔法の研究を行ったり、魔物討伐に参加したりする。そのトップである七人を『魔法学士』と呼ぶのだ。そして、現在そのうちの一人が私の父である、ルイス・エルヴァン公爵だ。
魔法学士は魔法使いの憧れで、魔法の実力・魔力量・学園での成績や功績で選ばれる。
元々、魔力量の多かった私は、次期魔法学士として期待されていたようだった。
(まぁ、だから狙われたんだろうなぁ……。)
というわけで、私の宣言に反対意見など出る訳もなく、努力する私をサポートしてくれている。
「……ゲームでは、イメージが大事って言ってたよね。それに、あの時、確かに魔法を使った。じゃなきゃ、私が生きているわけないわ。」
冷静に本を読みながら呟く。何故そう口にしたかと言うと、魔法の本には、そんなこと一言も書かれていないからだ。おかしいなと首を傾げるが、文字が変わることなどない。
目を閉じて水の玉をイメージする。空気中の水分を集めるように、掌の上で魔力を練るとクルクルと水が集まり出す。大きくなる前に魔力を送るのをやめて、水の玉を観察する。
「……詠唱魔法と違いはなさそうね。」
本に目を落として水を消すと、息をついた。
ーー完全無詠唱魔法。
詠唱魔法が通常のこの世界で、長い詠唱を短縮して発動するのを、『無詠唱魔法』という。更に、詠唱なしで発動する魔法を『完全無詠唱魔法』と言うらしい。
完全無詠唱魔法は出来るものが少ないため、皆が目標としている。
それを自分が出来たことに、うんうんと腕を組んで悩んでしまう。
「……皆ができないのは何故かしら。イメージが出来ないとかかしら?」
本の文字を眺めながら、一つ仮説を立てた。この世界は、科学というものが発展していない。
前世の記憶から、空気中には水分が含まれていることを、私は知っている。それを、この世界の人は理解していないのだとしたら、それがイメージ出来ないのでは?
「……有り得る話だわ。私も、今まで空気中に水があるなんて、思いもしなかったわけだし……。」
そう言いながら、お父様に報告をするべきか悩んでしまう。なぜ知っているのかと聞かれても、説明できる自信が無い。
ぼうっと窓の外を見て、風に揺れる黄色い花を眺める。
(……魔法学士、ね……。)
ひらひらと舞う蝶を眺め、ハッとした私は、立ち上がった衝撃で倒れた椅子を起こしながら、呟く。
「……そうだわ。魔法学士になりたいのなら、完全無詠唱魔法を極めたらいいわ。」
どうせ説明などできないし、説明するには専用の器材もいるし、証明するための時間もかかる。不可能だったら、私だけの強みとして極めたらいい。
そして、私の言葉を信じてくれる人にだけ、教えたらいい。
「悪人に情報が渡るより、いいんじゃないかしら?」
そうと決まったら、早速実践してみようと閉じた本を持って、図書室をあとにした。さわさわと心地よい風に吹かれ、足が軽くなった。