2
「本当に乙女ゲームの世界だわ。」
あの事故から一週間経ち、痛みもだいぶ治まった今日も、安静にしていろと言われ、ベッドから出ることを許されなかった。そのあまり余った時間を使って、記憶の整理をしていた。
ーーアメリア・エルヴァン。
今の私の名前は、本来ゲームでは出てくることは無い。
ただ、攻略対象の一人であるシリウスが、幼い頃に亡くした、初恋の人として語られるモブだった。
「でも、初恋って……。絶対違うわよ。」
私がそう思うのは、きちんと理由がある。
私が彼と出会ったのは六歳の時。サラサラの黒い髪を靡かせて、綺麗な紫色の瞳で本を読む姿が素敵だった。夜の精のようで一瞬で心を奪われた。
記憶を思い出す前の私は、公爵令嬢という身分でありながらお転婆で、体を動かすことが好きな子だった。好きなことには素直で、気づいたら彼に求婚していた。
彼は困ったように本を閉じて「大人になっても変わらないならね」と言った。
それが悔しくて、変わらないことを証明したくて、彼の後をついてまわった。
それでも彼の態度は変わることは無かった。時折、眉間に皺を寄せて邪魔という顔をした。伯爵家という彼の身分では、公爵令嬢を手荒に扱うことなどできない。その時は分からなかったが、大人の思考が混じった今ならはっきりと言える。
ーー初恋だなんてそんなものでは無い。
ただの罪悪感からくる感情を、主人公が勘違いしたのだろう。
そこまで考えて、ため息をついた私はベッドに沈む。シーツに広がった銀糸のような髪を撫で、ほんの少しいたんだ胸を押えた。
「私は、本当にシリウスが好きだったのね。」
子供の一時期の感情なんかでは無い。本気で愛していた。そんな彼に嫌われていることを理解した今は、もう近づかないようにしようと心に決めた。
これ以上嫌われることが、怖かった。
ーー何より、自分が生き残ったことで、何が起こるか分からないことが怖かった。
****
「…………これ以上は、教皇様でも難しいです。五年ほどで薄くはなるでしょうが、完全に消すことは不可能でしょう。」
教会から派遣された治癒士が放った言葉に、家族全員が呆然としている。私の背中には、肩から背中の真ん中にかけて裂けるような大きな傷があり、横腹には、大人の掌くらいの大きさの火傷のあとが残っていた。
それでも本来、私は死んでいたのだ。それを思えば、私は命があるだけマシだと思って、治癒士へニコッと笑った。
「……生きていられるのだもの。大丈夫だわ。……ほんのちょっと、結婚が難しいだけだわ!」
明るくそう言うと、治癒士は申し訳なさそうにする。私の意図を理解した家族は、悲しそうに笑った。
診察を終えた治癒士を見送り、久しぶりに庭園へ行くことにした。傷はもう触っても痛くは無いが、メイドたちはいつもより丁寧に、着替えを手伝ってくれる。その様子に苦笑してしまったことは内緒だ。
(貴族令嬢としては終わってるけど、今から頑張れば、一人で生きていける力はあると思うのよね。この体、かなり素質あるっぽいわ。)
庭園の花を眺めながら、今までのことを思い出していた。運動が好きなだけあって、かなり自由自在に動くことが出来るし、勉強が嫌いなだけで物覚えは悪くない。お父様譲りの銀髪に水色の瞳と、綺麗で儚げな容姿があり、更に魔力も十歳現在で家族で一番多い。かなりのハイスペックに、恵まれていると感じた。
(どうせなら、前世でできなかったこと全てやろう。私は跡継ぎじゃないし、結婚しなくてもいいじゃない。)
前世で好きだった花の歌を口ずさみながら、久しぶりの外の空気に酔いしれる。
ふらふらと歩いていると、右手を誰かに掴まれて慌てて振り向く。そこには、さらさらの黒髪を揺らしながら、少し息を切らしたシリウスがいた。
(……わぁ、本物……。)
分かっていたはずなのに、目の前の推しに、それしか感想が出てこなかった。
「……リア。本当にごめん。」
推しの生声に耳が幸せを感じていたが、それよりも悲しそうな顔をするシリウスに、慌てて口を開いた。
「なにが?私謝られるようなこと、されてないわ。」
いつもの通りに返すことが出来ただろう。しかし、シリウスは驚いて目を見開く。その様子に、なにかバレてしまったかと内心焦った。するとシリウスは気まずそうに紫の瞳を伏せ、綺麗な唇を噛んだ。
「……僕のせいで、リアに傷痕が残ると聞いた。」
「シリウスのせいじゃないわ。私が望んでしたことよ?他でもない私のせいだわ。」
そもそもあれは、私に向けて放たれた魔法だったらしい。たまたまそれがシリウスに向かっていったと、お父様が言っていた。あの魔法を放った、騎士に紛れた魔法使いは政敵の間者だったそう。魔力の多い私を狙ったのだろうと、こめかみを押えているお父様を思い出した。
「それに生きているのだから問題ないわ。ほんの少し結婚が難しくなるだけよ。」
そう言ってヘラっと笑うと、泣きそうな顔をしたシリウスに面食らってしまう。初めて見たシリウスの表情に胸が痛み、頬に手を添えて「どうしたの?」と声を掛けた。
すると、シリウスの綺麗なラベンダー色が歪み、ポロポロと流れる涙にぎょっとしてしまった。慌ててハンカチがなかったかと、探そうとした私の手を力強く握られ「えっ」と声が漏れた。
「……ごめん。リア、僕が責任を取るよ。」
その言葉に私は息を呑んだ。
「な、何言ってるの?」
「僕と結婚すればいい。」
「……意味がわからないわ。いつもみたいに『大人になったらね』って言ってよ。」
ーー『責任』だなんて言われたくなかった。
だからわざとヘラヘラと笑って、そんな事言わないでと気持ちを込めて、シリウスの頬を軽く抓った。
「……それに私決めたの!お父様と同じ『魔法学士』になるの!きっと私には魔法の才があるわ!」
いつものように、軽い口調で冗談のように言った。本当に考えていたことだったけど、私はいつもそうやって周りを振り回してきたから、きっと呆れたように笑ってくれると思ったのだ。
けれど、シリウスに握られた手に、ぎゅっと力が入ったのがわかった。シリウスは俯いていた顔を上げると、覚悟を決めたような顔をしていた。
「リア。僕は君を愛しているよ。」