記憶と今と 【月夜譚No.340】
今振り返る過去は、本当にあったことなのだろうか。人の記憶は曖昧で、一つも違えることなく正確に覚えていることなどほぼないに等しい。思い出話をしていて、互いの記憶が食い違って喧嘩になったこともある。正直なところ、そんな記憶も正しいのか疑わしい。
それだけ、人の記憶は信用ならない。
丘の上に立った少女は、夜の闇の中に浮かぶ町の灯りを眺めていた。背後から吹き過ぎた風が長い髪を靡かせ、山の向こうに去っていく。
今目にしている光景は、真実だ。それは間違いない。
けれど、この記憶は――思い出は、事実あったことなのだろうか。
友人と笑い合った放課後。盛り上がった好きなアーティストのライブ。家族と行った遊園地。失恋に流した涙。
全部、少女の記憶の中にしかない。だから自分が作り出した偽物の記憶だと言われたら、そうだと信じてしまうかもしれない。
「――」
名を呼ばれ、振り返る。
裾の長いローブを身に纏い、大きな杖を携えた青年が優しく微笑む。
気がついた時、少女はこの世界にいた。魔法が根づいた世界の端で右も左も分からずにいたところを、彼が拾ってくれたのだ。
彼は言った。必ず元の世界に帰してくれると。少女の不確かな記憶を信じて。
少女は笑い返して、彼の許に駆け寄った。
だから、自分も信じることにした。自身の記憶とその中にある元の世界を――。
空で瞬く星々を幻影にしてしまわないように、少女は確りその目に焼き付けた。