第八十五頁 先生の部屋へ
はあ、まったく。水を汲みに行くだけで一苦労だよ。これじゃあ、一体どこに面倒事のフラグが転がってるか、わからないじゃないのさ……
そんな風に溜め息を吐きながらも、私はなんとか、グレイス先生の部屋の前にたどり着いた。
そして、待っていたバケツを一度床に下ろすとドアをノックした。
「アイラです。水を持って来ました!」
「どうぞ、入ってきて下さい」
その声に誘われて、私はグレイス先生の部屋に入った。
すると、部屋一面配置された観葉植物の数々が私を出迎えてくれた。
なんだろう、その観葉植物からなのか、ほのかに部屋全体からも植物の香りがして、心が落ち着く様な気がした。
見ると、グレイス先生は机の上で薬を調合しているのか、乳鉢と乳棒でゴリゴリと何かをすりつぶしている。
「申し訳ありません、アイラさん。助かりました……」
そう言うとグレイス先生は私の所までやって来るとバケツを受け取った。そして、机の元まで戻ると手匙で水を救い、乳鉢の中に水を垂らした。
そして、少しだけすりつぶすとそれを手ですくってみせた。
その指先には緑色の粘液性の液体がついている。なんだか、ほんのり青く輝いている様に見える。
先生はそれを指先につけたまま、ローブを捲る。恐らく、自分の背中にそれを塗ろうとしているのだろう、服の中に手を突っ込んだ。
いや、私に言ってくれれば手伝うのに……
見ていると、手こずっているのか上手く狙っている所に塗れてない。それに、何やら身をよじっている。
どうしよう、面白い……
グレイス先生の普段の冷静な振る舞いから見ると、かなりギャップがある。
いや、だから。言ってくれれば手伝うのに……
そんな彼の様子を見ていて、私はなんだかいじらしい気持ちになってきた。
ええい、もう!! 私が原因なんだ、少しぐらい手伝った方が良いだろう!!
「ちょっとそれ貸してください!」
「あ、アイラさん。なにを……」
「いいから、じっとしてて下さい!!」
そう言って私は彼から乳鉢をひったくると、粘液を自分の手につけた。
見ると、やっぱりその粘液はうっすらと輝いている。恐らく、これは魔力だ。多分、この粘液の材料になっている植物自体が何らかの魔力を秘めているのだろう。
そして、それが魔術的な効能を産み出している、と言った所か……
ふむふむ、霊薬と言った所だろうか……
私はそれを少し眺めると、グレイス先生のローブを捲り、肌着も捲りあげた。
私のその行動に驚愕したのか、先生が声をあげた。
「ア、アイラさん!!」
「じっとしててって言いましたよね!!」
グレイス先生の声に、私は冷静に短く返答してみせた。
「は、はい……」
私の言葉に気圧されたのか、グレイス先生は静かに背中を向けてくれた。
私もそのまま先生の背中に手を当てると霊薬を塗り込んだ。
すごく白い背中だ。でも、意外と古傷も幾つかある。それに先程の王子様みたいな奴とは比べられないけど、筋肉もうっすらとだがついている。
決して魔術一本でここまで来たと言う訳では無い雰囲気だ……
「グレイス先生って、結構筋肉ありますね。鍛えてるんですか?」
「い、いえ。少し前までは流れの魔術師でして。魔物や荒くれ者の相手をしている内にこんな感じになりました……」
むっちゃ、武闘派なんですね。
そう言えば、試験の時もすごい魔術をブッ放してたもんな。
「スゴイですね。それで、その腕を買われて学園の先生になったんですか?」
「え、ええ。まあ、そんな所です」
そう言うと、グレイス先生は乾いた笑いをあげた。
すごいなぁ。私もいつかグレイス先生みたいに召喚術以外の魔術を使えるようになるのかな?
もしそうだったら楽しみだなぁ……
そんな想いを胸に抱きながら、私はグレイス先生の背中に霊薬を塗り込んだ。
ほのかに彼の体温を感じる。肌は白くて吸血鬼みたいだけど、とても温かくて心地がいい。
……あれ? 冷静に考えるとこれってかなり恥ずかしいことしてる? してるよね?
しかも、ちゃっかり男性の部屋に上がり込んでるし。
しかも、先生。
いや、いやいやいや。そう言う、やましいことは考えないようにしよう。それに私は男だ。こんなの恥ずかしくもなんともない。なんともないんだからね!!
そんなこんなで霊薬を塗り終わると、霊薬から漏れる青い魔力が先生の打ち身に吸い込まれているのがわかった。
ほほう、恐らく、この魔力が傷を癒してくれるのだろう……
「よし、これで大丈夫ですよね、グレイス先生」
「は、はい。ありがとうございます」
そう言うとグレイス先生が申し訳なさそうに頭を下げた。
元々、私が原因なんだから、そんなにかしこまらなくてもいいのにな……
あ! そう言えば!
「グレイス先生! さっき、水を汲みに行った時に金髪碧眼の王子様みたいな人にあったんですがあの人は何者なんですか?」
「王子様みたいな人? 恐らく、その人は王子様みたいな人ではなく、デュラン・アルデロス・レイムロック。この国の王子、その物ですよ……」
えぇぇえぇぇええええぇぇえ!!
あの人、本物の王子様だったの!!
ほえ~ てきとうにあしらっといてよかった~
「どうしたんですか、アイラさん。なにかあったんですか?」
グレイス先生はそう言うと心配そうな顔をこちらに向けてきた。まあ、心配してくれているのだろう。
「いえ、なんか厄介そうなので煙に巻いて来たんですけど、間違ってなかったみたいだなって……」
「煙に巻いてきたんですか!?」
グレイス先生はそう言うと、目を丸くしてみせた。私はその表情を見て笑いながら頷いた。
その言葉にグレイス先生は驚愕したように声を漏らした。
「驚きました、学園の女性は皆、彼と良い関係を築こうと躍起になっているのに……」
「私はそれが厄介そうなんで、煙に巻いたんです」
私はそう言って胸を張って見せた。
すると、グレイス先生が遂に声をあげて笑いだした。
「ははは、本当に貴女は面白い方ですね」
そうかな?
王子様とか、どう接したらいいかわからないから、関わり合いたくないじゃん。
私がそんな事を思っている間もグレイス先生はクスクスと小さな笑い声をあげている。
まあ、この人に笑われるのは悪い気しない。むしろ、気分が良いぞ。もっと笑え笑え。
貴方の笑顔を見せてちょうだい。ワッハッハッ!!
「まあ、貴女はそう言った処世術が嫌いなんでしょうね。いいですね。私はそう言う貴女がとても素敵だと思いますよ」
「そうですか? 素敵ですか?」
嬉しい~ ほめられた~
わーいわーい!!
「アイラさん……」
「はい?」
「部屋から出ていって下さい……」
はい?
私なんかしちゃいました?
「すいませんが部屋から出ていって下さい。その…… とにかく、部屋から出ていって下さい……」
「……ほぇ? なんでぇ?」
そう言うとグレイス先生は私の肩を掴むと、そのまま部屋の外へと押し出されてしまった。
なんでぇ?
私、なんかしたぁ?
 




