第五十一頁 旅立ちの日
俺の目の前にはスラムが広がっている。
相も変わらず、埃っぽく、建物は倒れかけていたりするし、地面もろくに舗装されていない。
だが、以前までとは明らかに違う雰囲気の所があった。
「これは、露店街…… ですか?」
見ると、そこには露店が幾つも並んでおり、ちらほらと人だかりも出来ており賑わいも見せている。それに、よく見てみるとスラムの住人だけでなく、街場の住人の姿も少なくない。
「ああ、姉さん。スラムに来るなんてどうしました?」
その聞き覚えのある声に振り向くと、そこには俺の財布を盗んだ蜥蜴がいた。
「あ! これは、どうなってるんですか? 蜥蜴……」
自分で言っておいてなんだけど、急いで口を紡ぐんだ……
いけない、忘れていた。この人は……
「ごめんなさい!! 蜥蜴って言っちゃ駄目なんですよね!!」
俺は急いで頭を下げてみせた。
その様子を見て、彼は乾いた笑い声を挙げた。
「ははは! いいんですよ、姉さん!! なんてたって、貴方のお陰で俺達はかなり良い暮らしが出来るようになったんですから」
そう言うと、彼は露店を一通り見回した。
「あ、あの…… トカ…… じゃなくて、えっと……」
「ははは、ドランと読んでください。さあ、姉さんはこちらへ」
ドランさんはそう言うと、おもむろに歩き出した。
彼の顔を見ると晴れやかで、清々しい笑顔をしているように見える。
きっと、このスラムの変化が彼にこの顔をさせているのだろう。
しばらくドランさんの後に着いて行くと、ある露店の前で止まった。
見ると、その露店は人気があるらしく人だかりが出来ており、その奥はよく見えない感じになっていた。
その時、不意にドランさんが声を挙げた。
「兄貴、姉さんが来ましたぜ!」
その声と共に、人だかりの向こうからユヅキさんの「おう!」と応える声が聞こえた。
その声を聞いた瞬間、僅かに自分の中の鼓動が僅かに速まるのを感じる。
まさかとは思うが、これは“恋”って奴?
いやいや、そんな訳あるめぇ。
わしゃ、中身は男ぞ?
最近、段々脳内も侵食され始めてる感覚はするけど、根っこは男やぞ。大和魂宿っとるんやぞ。
「おお、久しぶりだな、アイラ!! どうした、なんか用か?」
その声にふと我に帰った。
見ると、目の前にユヅキさんが立っており、こちらを見下ろしていた。相変わらず、デッカイなぁ……
いや、そんなことよりだ……
「これは一体、どうなってるんですか?」
そう言うと、露店街と化したスラムの見渡してみせた。
俺のその様子にユヅキさんも、ドランさんも満足そうな笑みを浮かべた。
「なに、お前にちゃんと働けって言われたからな。言われた通り、ちゃんと働いたまでのことよ……」
ユヅキさんがそういうと頬を少しばかり上げて笑って見せた。隣に立っているドランさんも満足そうな表情を浮かべている。
その二人の様子に俺は呆れながら口を開いた。
「簡単には言いますけど、大変だったでしょう……」
こちらの言葉に、二人は待ってましたと言わんばかりの嬉しそうな表情を浮かべながら答えた。
「姉さん、大変なんでもんじゃありませんよ。商売を始めようにも、俺等はスラムの住人。犯罪者の掃き溜めですからね。信用はなんてのは糞以下でしたよ!」
ドランさんが技とらしく、苦々しい表情を作る。それを見ていたユヅキさんが続いて語り始めた。
「だからって、また犯罪に手を染めるのは無しだ! そこで、俺は必死に考えた。そして、ある考えを思い付いた」
そう言うと、ユヅキさんが古畑任三郎みたいな動作と、これ見よがしと言った感じのドヤ顔でこちらに近づいて来た。
ハンマーカンマーとか言って欲しいなとか思ったけど、そんなことは言うはずもなく、ユヅキさんは普通に語り始めた。
彼の話によると、スラムの住人は人狼であるユヅキさんを始め、リザードマンのドランさんと言った、多種族が集まっており、色々な種族の文化を手っ取り早く取り入れる事が出来たらしい……
その広い多文化性を利用し、彼等は自らの種族の工芸品等を作り、露店を開く事にしたらしい。
ある者は魔物の牙で作った漏斗や首飾り。はたまた、骨で作った皿等を作ったりした。ドランさんは革製品の加工技術が優れているらしく、鞣した革で服なんかを作っているらしい。ユヅキさんは何でも出来るらしいが、動物の骨や牙を使った小刀が特に人気らしい。
スラムの住人故に初めは疑惑の目を向けられていたが、真摯に商売に励む内に1人、また一人と客が増え、今ではそこそこ人気の露店街になったらしい。
「と、まあ、そんな感じですよ。何事も真面目にコツコツとやることが大事だって身に染みましたよ。どれもこれも姉さんのお陰です」
そう言うと、ドランさんは深々と頭を下げた。
「あわわわ、そんなの辞めてください。皆さんが頑張ったからですよ。私は何にもしてません……」
いや、これに関しては本当になんもしてない。
しかし、俺の言葉を遮るようにユヅキさんが口を開いた。
「そうかも知れねぇが。切っ掛けをくれたのはアイラ、間違いなくお前だ。本当にありがとう……」
そう言うと、ユヅキさんも頭を下げた。
なんだか、むず痒い感じがする。
実際のところ、俺は本当に何もしてない。彼等が頑張った、ただそれだけだ……
だけども、もしユヅキさんの言う通り。俺がほんの少しでも切っ掛けとして関わることが出来たとしたら、俺がこの世界に来た意味も有ったのかもしれない。
そう思うと、なんだか少し、誇らしかった。




